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教会の鐘は死者を数える
奴隷商人の縄張り
しおりを挟むアロークの拠点から貴族地区のイアの邸宅までは、それほど遠くはなかった。
裏道から表通りに出る経路を把握出来たから、あとは迷うことはないだろう。
すっかり日が暮れた夜陰のなか、厨房の勝手口から屋敷に戻る。
今日カールは人事院の会議後に開催される定例の社交会に出ている筈だ。
使用人達の食事も終わっていて、屋敷のなかは、静かだった。
「ちょっと、遅いですよユリウス。ヒヤヒヤしました」
厨房で待機していたミリアが、椅子を立って腕を組んだ。
イリスもいないのにひとりで厨房から出てきたら不自然になる。
だから待っていて貰ったのだが、アロークに付き合ったぶん、少し待たせてしまった。
「お待たせしてすみません、ご主人様の予定に変更はないですか?」
にこりと笑んで彼女の手を取り、トンと唇をおとす。
「よ、予定通りよ。まだ帰ってきてないわ。でも社交会とか長居しないほうだから、早く部屋に戻った方が良いと思う」
「わかりました。ご先導お願いします、ミリアさん」
この数日で距離を詰めたこの使用人の女性を味方にした成果は大きい。
厨房を出て彼女の後について部屋に戻る。
そのとき、正面玄関のほうから声が響いてきた。
「構うな、酔ってなんかいない! 必要があれば呼ぶ!」
二面性の激しいカールの本性が出てしまっているが、使用人には良いのだろうか?
戸惑う使用人達の声と共に、怒声が近付いてくる。
ミリアにあわてて部屋に押し込められて、鍵をかけられた。
「おい、あけろ。用がある」
ぴたりとユリウスの部屋に直行したカールが低い声をかける。
「カール様、おかえりなさいませ。お食事はお済みですよね。お疲れでしょう、お湯を使ってお休みになられた方が―――」
まさかこっちに直行してくるとは思わなかった。
戸惑うミリアが努力してくれてはいるが、防げるとは思えない。
―――どうせ自分を売るなら、需要に合わせた自分を創らなきゃ―――
アロークの言葉が頭をよぎる。
バンと部屋の扉をあけてカールが踏み込んでくる。
しかし寝台のまえでぐったりしているユリウスをみて、一度足をとめた。
「えっ・・・? 大丈夫ですか?!」
部屋を覗き込んだミリアが声をあげた。
カールがあわてた使用人を制して、無言のまま歩をすすめてくる。
熱い手のひらが身体の下に入り込んできて、どさ、と寝台の上に転がされた。
意外な腕力に目をひらくと、カールの貴族の徽章が目の前にある。
「大丈夫だ。下がって良い」
低音が、目の前の胸の奥から響く。
「あの、でも―――」
「問題ない。構わず休め」
「は、はい。失礼します」
びっくりしたままのミリアが扉を閉める。
さっと腕を上げ、頬をとらえて口を封じる。
酒の臭いがする吐息を吸い込んで感じた嫌悪感は、もう、無視だ。
ずしりと乗る熱い身体に、全身が沈む。
「何を企んでいる―――毎日毎日、よくも夢に出てくるな、ギルバート。俺は、助けたほうだぞ」
寝台に忍ばせた黒い呪いの石が、亡き父の夢をみせるらしい。
それも悪夢として出てくるのだから、上等だ。
「・・・どうしました? カール室長」
父に似るように、ゆっくり優しい笑みをつくりだす。
息を呑んで恐れるように逃げる背中を掴んで、二人で床に転がり落ちる。
酒も入っているようだし、悪夢の効果が出てきた今が、好機だ。
「奴隷の使い道が、違ってはいませんか」
「俺が責められる事は無いだろう・・・俺は、ウインツとは違う・・・」
「ウインツ?」
新たに総議長になった、リッドの父。
なぜここで彼の名前が出るのか。
「エラークの農業は奴隷の労働力なしには成立しない。オークリスは当然の事しか言っていないだろう。発破をかけたのはウインツだ。人事院は、関係ない・・・!」
「―――でもそれは、貴方の仕事に直結している話です」
「・・・何だ、ギルバート=ハーシェル。お前は、自業自得だろうが。オークリスが剣に手を添えたというのは、地元民の代弁でしかない。それを本当に斬ったのは、お前だ。殺したのはお前だ。どうして俺の夢にいちいち出てくる? お前の息子を助けたのは俺だぞ・・・」
少し呂律がおかしいが、議場での状況を聞き出せたのは収穫だった。
カールの頬を撫で、ニコリと笑う。
「私はギルバートではないですよ。・・・ユリウスです。カール」
「・・・ああ。そう、だな・・・」
いきなり反応が鈍くなる。
ゆっくり目を伏せて、敷布ごと落ちた床の上で、そのまま寝息を立て始めた。
どれだけ睡眠不足だったのだろうか。
「・・・おやすみなさい。カール」
服に忍ばせていた黒い羽根を取り出して、彼の瞼にふわりと当てる。
アロークのもとにいた黒い鳥。
まるで一緒に連れて行けとばかりに、なかなか離れなかった。
アロークにあげるよと笑われたけれど、まさか屋敷の中に連れ帰る訳にはいかない。
抜け落ちた羽根を一枚取ってまた来ると声をかけ、やっと離れてくれた。
白い連絡鳥はよくある連絡手段だが、黒い鳥は賢く、普通人間に懐く事はない。
―――鳥との意思疎通。
少しだけ、アロークから滲む彼の特技がわかった。
体感した技術は、盗める。
赤黒い光を、羽根にのせる。
―――闇魔法。
この属性は、呪いだ。
その存在は忌避され、習得する人間は殆どいない。
グランスは魔術師だろうが、だからといって闇魔法使いという訳ではない。
魔術師というのは、真理を探究する―――魔法を複合的に研究する専門家だ。
ユリウスが基本的に使うのは風魔法だが、治癒の光魔法を筆頭に全属性を使いこなせるよう、学び、修練を積んである。
―――カールの目がなければ、自分を支配する障害物は、なくなる。
『闇よ 我が意に従い 光を奪え』
羽根が赤黒い光にとけて、カールの瞼の上で消えていく。
目が見えなくなれば、仕事にならないだろう。
彼を実務から退場させるには丁度良い。
そっと、廊下に出る。
ミリアが置いて行った蜀台の光がぼんやりとあたりを照らしている。
ついさっき主人が帰宅したばかりだから、声を掛ければ誰でも駆けつけてくれそうな気配が左右にあった。
「すみません、カール様が酔って床で寝てしまったので、誰か助けてください」
ぱらぱらと使用人が集まってきて、主人を運び出す。
一通り片付くと、最後にミリアが残った。
「本当にギリギリだったわね。大丈夫だったみたいで良かったわ」
「酔ってて貰って助かりました。ところで、他の使用人の皆さんには、日中、どう誤魔化したんですか?」
「屋敷の中で暇だと部屋にいないのに気づかれちゃうから、カール様のお供に何人か付けて、あとは新総議長の屋敷に挨拶に行って貰っていたわ。・・・といっても、総議長は勿論不在な訳で、使用人同士がちょっとお茶してきただけみたいだけどね」
「なるほど。ありがとうございました。面白い土産話は、ありましたか?」
ミリアは結構優秀だ。
こういう女性を味方につけることができたのは本当に大きい。
「御子息が失踪して、主人も留守で、屋敷は来客があってもお土産置き場みたいになってるらしいわ。大昇進の割には、派手に何かしてる訳でもないみたい。気になる話題といえば、シェリース王国の国王からの友好の品を貰った、と自慢してたみたいね。中身は分らないけれど、ウインツ新総議長が凄く大切にしてるらしいわ。今までシェリース王国と付き合いなんて無かったし、何だろう?って言ってるみたい」
北方の二大王帝国よりは大人しいが、シェリース王国は絶対王政だ。
王族のすぐ下に平民がいる。
貴族制はないけれど、法律が厳しく整っていて、国民として戸籍を登録しなければ奴隷と同じとみなされる。
別の見方をすると、大部分の国民がちょっとした貴族で、残りの人間がすべて奴隷ともいえるだろう。
「大切にしている、というのは、持ち歩いてるんですか?」
「ええ、そうみたい。使用人としては、気になるのよね」
―――少なくとも、持ち歩ける代物であることが引っ掛かる。
「それが届いてから、様子が変わったという事はありませんかね」
ぽつりと言ってから、自分の発想に少し驚く。
ミリアも目をひらいて、頷いた。
「そうそう、今までは邸宅と議場の往復の生活だったのに、頻繁に色んな所に出掛けるようになったみたいよ。いきなり社交性が高くなるっていうのも謎よね。そのうちにあの事件があって、うまく総議長になったみたい」
「・・・出掛けた先までは、わかりませんよねー」
「それは、わかんないわね・・・」
「ありがとうございます。助かりました。これからも、何かあったらお助けください」
淀んだ空気を振り払うように柔らかい笑みをつくって、ミリアの手のひらをぎゅっと握る。
冷たい自分の手のひらが、彼女であたたまる。
「た、助けたっていうか、普通よ! それより手が冷たいわね。お湯使って暖かくしなさい!」
ぱんと手を叩いて、頬を膨らませて背中を向けた。
「はい。ミリアさん」
彼女の素直な反応に、ほっと息をついた。
同時に、少しだけ申し訳なく、閉じた扉に小さく謝る。
「すみません―――平凡な日々は、お終いです」
燭台のあかりが消えて、敷布が散らかった部屋に夜の闇がおりる。
背中を扉に預けて、その場にしゃがみ込んだ。
―――寝台に戻る気にはなれない。
闇魔法。
実際に、人間に使ってしまったのは、初めてだった。
黒い羽根にとけて消えたのは、カールの目にする光全てだ。
冷えた膝を抱えて、夜が明けるまで、じっと座り込んでいた。
背にした扉の向こうからの喧騒で、目が醒める。
床に座って眠ってしまっていた。
差し込んでくる薄い朝日の中、ふらふらと冷えて強張った身体を湯を使ってあたためる。
ようやく頭にも血が巡ってきた心地に息をついて、散らかった寝台をようやく直しにかかった。
朝日の柔らかい日差しに、ほっとする。
早朝から慌しく使用人達が屋敷を走り回る。
連絡が人事院とイア本家に走り、医者が呼ばれてくるまで、屋敷には不穏な空気が満ちた。
視力を失った主人が、処刑された元総議長の名を懸命に出して助けを求める―――。
誰もが、ぞっとした。
カール室長は処刑にはかかわっていないが、その子どもを奴隷として買い上げ、相応に扱っている事は、使用人なら誰でも知っている。
「心労ですね。お役を休まれて、郊外で養生なさったほうが良いでしょう。ハーシェルも遠ざけた方がよさそうです。働きすぎですよ。しっかり休んで下さい」
貴族専属の医者が言う事は誰も疑わない。
嫌がる本人を呼び出された周囲が押しなだめて、無理矢理馬車に乗り込ませた。
西地区の外れに、貴族達の保養地がある。
いきなりそんな場所に連行されるカールも気の毒だが、まわりの人間の方が大変な事になった。
人事院の実務を実質的にすべて掌握していたカール=イアの仕事は、誰かにすぐ引継ぎができるような代物ではない。
緊急対策としてイア本家から代わりの若手を室長に着任させ、後継者の問題は最小限に収まった。
しかし事務の一切を取り仕切っていた人材の欠落に、人事院の組織全体は、大きく動揺した。
「今日も仕事が早いですね。イリス」
「それはお前だろう。グランスが頼んでから即日決行とは。もう少し、考えるとか、悩むとか、何も無かったのかよ」
厨房で失業しかけているイリスが、呆れた声をあげた。
各方面を飛び回っている使用人に持たせるを軽食を作って持たせたから、今日の仕事は終了だ。
着任したばかりの新しい室長は、引継ぎの無い仕事に忙殺されているだろう。
本家からの後任者がこの屋敷を使うかどうかはまだ分からないが、使うにしても引っ越しはまだ先になりそうだ。
新たな主人を迎えるまで、ほとんどやることはない。
使用人も調理人も家屋財産として新しい持ち主に引き継がれるのかどうかも、決まっていない。
「もちろん、かなり悩みましたよ? カールは恩人ですからね。どう恩返ししようかと思いやれば、これ以上の最善策はありません。目に見えても心に見えていなかった多くの事と出会える事を祈っていますよ」
「ったく、恐ろしい奴だな」
「ところで、ウインツ総議長については、何か当たったりしていますか?」
「ああ・・・。教会内の協力者の聖使に様子を探って貰っている。今のところはうまく他の議員を扱っているぐらいなもので、怪しい所は無いそうだ」
「・・・ごく自然に、活用しているのか、使われているほうなのか・・・」
「・・・? 何の話だ?」
「ウインツが総議長になるきっかけになったのはおそらく、シェリース王国からの友好の品です。それを手にした経緯はわかりませんが、外交力の強みに活用しているだけでは無いかも知れません。その品が渡った経緯に・・・魔女が関わっている可能性も、あります」
あくまで推測だ。確証はない。
イリスは深く息をついて、頭を掻いた。
「たった一晩だ。アロークに連れられて奴隷の様子を見学しに行っただけの筈じゃなかったか。それが、あっという間に依頼をこなし、しかも俺たちが掴めなかった情報まで拾ってるとは。どうなっていやがるんだ。天才かよ」
「おや、私は最初から、文武両道の天才として結構有名人でしたよ」
「あー、そうだった」
がっくりと肩を落としたイリスが面白い。
アロークがからかいたくなるのもよくわかる。
突然、ドンという爆音が屋敷に響き渡った。
ドカドカと何者かが踏み込んでくる気配が、廊下に迫る。
「何かの計画ですか?」
「いや、知らないな。勝手口がそこにあるが、逃げておくか?」
「そうですね。強盗なら怖いですね」
丁度使用人もほとんど出払っている。
人事院の事情を知っての強盗であれば、奴隷服を着ている立場としては真っ先に殺されかねない。
厨房の勝手口を開けると、ふわりと夕方の風が頬を撫でる。
「いたぞ! 厨房だ!!」
外を張っていたらしい人間の声に、慌しく足音がどっとこちらに集中する。
声をあげた男が大きく剣を振り被ってきた。
その肩をすり抜けて足元を掬い、ドッと転ばせる。
「お探しは、金品ではなさそうですね」
小麦色に日焼けした手足をみて、南方エラークの人間だとわかる。
「くっ・・・ユリウス=ハーシェル・・・逃がさないぞ」
「これはオークリスお嬢様の命令ですか?」
「何してるんだ、早く行くぞ、ユリウス!」
イリスが左右をみて叫んだ。
よく都合良く外に逃げるのに都合の良い場所にいたものだ。
『火よ、我が意に従え!』
ユリウスの腕を引いたイリスが自分の厨房に向かって魔法を唱えると、爆発が炸裂した。
こんな初級魔法では爆発にはならない。
あらかじめそういう仕掛けを自分の職場にしておいたイリスの周到さには、呆れる。
「目くらましだ。行くぞ!」
穏やかな料理人の顔が一変して、聖女の計画に乗った人間の、戦力としての顔になる。
イリスに腕を引かれて、市街地の方向へ駆け出した。
夕方で人通りの多い大通り。
その流れに乗ってみたものの、奴隷服姿で眉目秀麗のユリウスは、目立った。
そのあとを、エラークの襲撃者達が人通りの中に喧噪を作りながら追ってくる。
腕を掴んでいるイリスは、教会に直行しようとしている。
それでは駄目だ。
イリスの手を逆に引いて、繁華街の裏通りに入り込む。
大して距離は稼いでいないが、見覚えのある天幕の拠点に、すぐ辿り着いた。
「アロークの基地か! こんな近くに・・・」
イリスが正確な場所を知らなかったのは、教会のある地区からの経路が複雑だからだろう。
貴族地区に近いこんな場所に、奴隷市場があるとは誰も思わない。
昨夜は奴隷の他に誰もいなかった空間に、そぐわない存在感があった。
「誰か来たようだな」
「あら、飛び込みのお客様でしょうか。商売繁盛も、困りものです」
男の声と、アロークが猫を被った声。
奴隷の買付けに来ている客だろうか。
背後から追手が路地に入ってくる気配に、咄嗟に手近な天幕の中に滑り込んだ。
驚いて息をのんだ数人の奴隷の女の子には少し眠って貰って、うしろの布の中にもぐりこむ。
「―――?! な、何だ、ここ・・・」
表通りとは一転した空間に、追手の足も止まった。
ばらばらと何人かが追いついてきて、彩り鮮やかな都市の裏側にあった光景に、唖然とする。
「あらあら、ようこそ。エラークの皆さん。ご予約無しにいらっしゃるなんて、情熱的な方々ね。女奴隷をお買い求めですか?」
アロークの猫撫で声が、艶をもって響く。
「えっ? い、いや・・・俺達はハーシェルを追って」
「ハーシェル? 元総議長は亡くなった。一体何事だ?」
天幕のかげから出てきた男の声が、彼らを黙らせた。
(―――ウインツ総議長?!)
「なんだ、言いたいことがあれば言え。黙っていてもわからん」
抑揚のない声が、エラーク人を逆に萎縮させる。
「残念ですけど、ハーシェル元総議長のご子息でしたら、私のところではお取り扱いしておりません。でも折角お越しになったのですから、女奴隷を何人かお持ち帰りになっては?」
営業口調になったアロークが、手近な天幕の入口をひとつ捲り上げた。
寝入っている女奴隷の中で、赤毛の女奴隷が睨むように目を上げる。
それをみたエラーク人達は、あわてて首を横に振った。
「け、結構です! 失礼しました・・・!」
逃げるように背中を向けたエラーク人達を鼻で笑ったアロークは、天幕の布をバサッと戻し、ウインツ総議長に向き直る。
「こんな場所で平民に姿を見られて大丈夫ですか? 口止めしておきましょうか」
「放っておけ。・・・ハーシェルの息子を追っているエラークの平民とは、物騒な事になっているな。しかし、あれは人事院のカール室長が引き取った筈だが?」
「ええ。でも今日突然カール=イア室長がお身体をこわされて、お住まいを移されたとか。お連れにならなかった奴隷を、エラークの民が狙ったのでしょうね」
「―――ご苦労なことだ。一族根絶やしにするつもりか、あの田舎者どもが」
「ギルバート様とは、仲が良かったでしょう。助けてあげては?」
「それは私の役割ではない。リッドが帰ってきた時にやるべきだな。そんな事よりも、あの情報は確かだな? 順次、各方面に火種を送り込ませて貰うぞ」
「どうぞご自由に・・・。私に出来る事はここまでですわ。物騒な仕事は、他所に頼んでくださいな」
「もとより、そのつもりだ。礼はいつもの通りに」
「ええ。ありがとうございます。お送りしますよ」
「必要ない。・・・ここの奴隷は、いつもながら、静かなものだな」
淡々とした会話に、不気味さがある。
ウインツ総議長は用が済むと足早に立ち去っていった。
「ふふ。いつもながら愛想の無い人。――――さぁて・・・」
ウインツ総議長を見送ったアロークが、あらためてテントの中を覗き込んだ。
「なかなか美人じゃない、イリス。あいつらが一目惚れしちゃうんじゃないか、心配したわよ」
「・・・お前の仕込みは、おそろしい」
括っていた赤い髪を解いて、うしろの布の中にあった奴隷服を女らしく膝でも出して着こなせば、立派な女装になっていた。
天幕の中の本物の奴隷が全員寝込んでいたのでは、少し不自然だ。
機転をきかせた女装が、エラーク人を追い払った。
「それより、どういう事だ? ウインツ総議長はセフィシスに探って貰っていた筈だ。お前と繋がりがあるなんて、聞いてないぞ!」
「私は総議長もお客様にできるくらい、優秀な情報屋さんなのよ~? 凄いでしょ。尊敬して貰っても構わないわよ??」
「するか・・・!!」
真剣な顔で詰め寄ったイリスが、アロークに逆に絡まれている。
「それにしても、よくここに逃げ込めたわね。教会が一時的に預かれるように手を回してたんだけど、エラーク人がこんなに早く暴走するとは予想外だったわ」
イリスの後に続いたユリウスの顔をみて、アロークは少しだけ肩を竦めてみせた。
「昨夜案内して頂いたおかげです。・・・アローク。誰が総議長を探っていても良いんですが、実際、今の話は・・・」
奴隷商人のもとに、総議長が自らに出入りする。
不審な動きが無いどころか、相当きな臭い動きだ。
「あの人は総議長としては新人だからね。各地方の状況を民間の目線で把握する。立派な心掛けじゃない。不穏な芽を早めに摘み取っておく対応も合理的だわ」
「おい、不穏な芽って・・・」
「ふふ、私達の事だと思った? つまらない貴族の間の問題よ。権力を持つ人の背景を手中に収めておけば、致命的な政敵にはならないでしょ? 対立しても、対応する選択肢が広がるし、有利に運べるわよね」
「・・・なんでお前がその情報源になってんだよ」
眉を寄せたイリスの背中に流れる赤い髪を掬う。
真面目な話をしているところ悪いが、ここでこれ以上喋る事ではないだろう。
「―――イリス、髪おろすと本当に美人に見えますね」
「そうでしょ! イリス君のこの素質、放っておけないのよね!」
イリスは不気味に意気投合した邪悪な笑顔に挟まれて、一瞬引きつった。
しかし気を取り直してアロークを捕まえると、動物達の建物に連れ込む。
周囲の奴隷に聞き耳を立てられているかも知れないのに、やっと気づいたようだ。
「アローク、どうしてウインツとの繋がりを隠していた?」
「あら隠してないわよ? 『展望の』聖女には全てお見通しだし、グランスにも報告してあるわ」
「それなのに、わざわざセフィシスを探りに出してるのか」
「顔見知りが探るのと、客観的に探るのとでは、出てくるものが違うからね」
「・・・。ユリウスを教会に送っていく。お前も一緒に来い」
「う~ん。強引なイリス君も素敵・・・! どこまでも連れてってちょうだい」
ぴったり寄り添ったアロークに、茶化すなと怒っているイリス。
眺めていても面白いが、ユリウスはその肩を叩いた。
アロークと同じような笑顔に、イリスがまた凍り付く。
「折角時間ができたので、少し寄り道させて下さい。教会には自力で行けますから」
「って、どこに行くんだ?」
「恋人の所ですよ。二人を見てたら、会いたくなっちゃいました」
「こ・・・は? え? いや、そんな場合じゃ・・・」
予想通りに慌てたイリスの髪留めを勝手に借りて、自分の茶色い髪を結い上げる。
想定していたかのようにサッとアロークが差し出した平民の外套を、受け取った。
「動物達はにおいの変化に敏感だ。敵のにおいを消していけよ」
「・・・気をつけます。アローク」
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