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教会の鐘は死者を数える
鍵状の奴隷服
しおりを挟む無事に邸宅に帰り着くと、そのままカールの部屋に呼ばれた。
ミリアに連れられて部屋に入ると、小さな卓で仕事をしていたカールは、笑った。
「鎖か。そうしてみると、なかなか面白い恰好だな。そのまま着けておけ」
聖女が一方的に連れ出した事で怒っているかと思ったが、そういう事はなさそうだ。
カールは凝った肩を伸ばしながら、手錠の鍵と鎖を受取り、ミリアを退出させた。
隣の広い机に、二人分の食事が並んでいる。
「一緒に夕飯にしよう。腹が減った」
そういって仕事を切り上げ、数本並んだ瓶のうち、白葡萄酒を、自分で2つのグラス注ぐ。
「いただきます。私も結構おなかがすいていたんです」
―――徹底した人払いだ。
少し機嫌が良い様子だが、何の話をするつもりだろう。
チンとグラスを合わせて、ユリウスは爽やかに甘い食前酒を少しだけ舐める。
カールはそれを一気に飲み干し、溜め息をついた。
「未成年だとか気にするな。ここには俺しかいない」
「それでは、遠慮なく」
すう、と白いグラスを傾ける。
朝から何も食べていない腹には、焼けるように、きつい。
香草を使って煮込んだ羊肉と根菜の皿に、丸パンと葱のスープ。
イリスが調理したものだから最高に旨いのはわかるが、役職ある貴族としては質素だ。
それにしても肉なんて久しぶりに口にした。
胃に重いかと思ったが、うまく臭みを取って柔らかく調理された羊肉は、沁みるように旨い。
あっという間に平らげるのを面白そうにみたカールは、食卓の端に並んでいた赤葡萄酒をあけた。
「私の食事量では、若いお前には足りなかったかな。しかし、教会で故人と対面してきたのだろう。よく食欲があるな」
勝手に注がれた赤葡萄酒が、甘くなった口内を引き締める。
「ここの料理が美味いんです。厨房は天才ですね」
「身分監査の時に立ち寄った平民の酒場で、良い拾い物をした。常連客には気の毒な事をしたかも知れんがな」
カールもグラスを傾けて、息をついた。
「・・・娘達の我が儘が、やっと静かになった。ここ何日も会わせろと言って聞かなくてな。今更顔を合わせたとして、意味など無いというのをわかってない」
その気持ちは分らなくもない。
「貴族のご令嬢に、奴隷身分の私と顔を繋いでおく意味は、無いですね」
軽く頷いた拍子に、少しずつ回ってきていた酔いで視界がゆれる。
グラスを手にしたまま、それ以上飲まずにカールが飲むのに合わせて少し舐める。
「今朝、オークリス嬢が訪ねてきただろう。日中、彼女がお前の酷評を喧伝したおかげだ。『身分を剥がせば、無力な奴隷孤児だ』だと。お前と何を喋ったのか、気になるな」
―――そんな事になっていたのか。
セルウィリアに、感謝しなくては。
生き残っている元総議長の子が、実は無能だという噂が広まれば、世間の注目は冷めるだろう。
エラーク地方の人間の感情も、逆撫でするようなことはない。
「父は彼女の仇ですから、ただ誠心誠意、謝罪させて頂きました。それだけですよ」
「それが本当なら、あの小娘の行動も皮肉だな」
カールの空になったグラスに、そっと赤葡萄酒を注ぐ。
彼は口を閉ざして、ゆっくりグラスを傾けた。
「・・・こうしていると、ギルバート=ハーシェルに、流石によく似ている」
低い声に、どきりとした。
棺の中の姿を思い出す。
まだまだ父に及ばない自分が、重ねて見られている事が、恥ずかしい。
「最近は忙しくて会う余裕が無かったので、自分では分かりませんね」
「よく似ている。一度だけ新年の祝賀会で一緒になったが、自ら酒を注いでまわり、皆の話に耳を傾けていた。何故か親しみやすそうで、それでいて手の届かない、逸材だった」
胸元を、掴まれたような、気がした。
その理想に届くのには、もう、夢妄想のような手段しかない。
「・・・その父は、もういないんです。俺が、ハーシェルです」
どうにもならないのがわかっていても、どうにかしてくれと言いたくなる。
思わず声を尖らせた。
「地位も名誉も財産も剥奪されて、敢えて名乗るか。まだ名乗れるのか」
ゆらりと立ち上がったカールの目が強い。
二面性の激しい男だ。その、支配者の立場の眼光に、身体が竦む。
誹謗中傷からの耐久性はあるつもりだが・・・
思ってみれば、いままで圧倒的な立場格差を肌で感じた事は、あまり、なかった。
「怖がってないで、まずそのグラスを飲み干せよ」
カールが悪い笑いを含んで、赤い瓶を揺らす。
仕方なく一気にグラスを空にすると、そのまま片頬を捕らわれて、熱い息が押し付けられてくる。
咄嗟に椅子を蹴って逃れようとしたが、手首の鎖をぐいと引かれて肩を掴まれ、ドッと床に押し倒された。
「馬鹿ばかりで気が滅入っていたが。高嶺の花を手折るのは、なかなか楽しいな。ハーシェル・・・高尚なその名を、名乗れなくしてやろうか」
ぞっとする声が耳元に響いて、圧倒的な征服欲が体重をのせてくる。
無理に剥がしてきた奴隷服の中に奴隷の烙印を見つけて、満足げな表情を見せた。
―――この、男は。
酷い二面性だ。
「酔って、ますね・・・! 折角久しぶりにお帰りになったんですから、今日はもう―――」
どうにか横に逃れようとするが、手首の鎖が、冷たく引き留める。
酔っているのは、自分だ。
普段飲まない酒を一気に飲まされて、平衡感覚が、おかしい。
鍵状の奴隷服。
前から大きく開く構造になっているのは、まさか、このためか。
冗談じゃない―――。
必死にもがく。
けれど、酔ってるせいで、くしゃりとカールの服を掴んで押し返す程度の抵抗に終わる。
面倒になったのか、カールが力に任せて無理矢理異物で身体を貫いてきた。
いきなりの激痛に、息が、止まる。
思考停止した視界に、満足気な息を落としたカールが、みえた。
―――庇護も権利もない所有物。
少なくない人間が、そうだと知っていた。
だけど知っていただけで、わかっていなかった。
降ってくるような言葉攻めから、身を護る術が、ない。
支配者の欲望のままになる身体が、夜の闇に、沈んでいく。
闇の中で目が覚める。
全身が泥に沈んでいるように、重い。
最後の記憶は床の上だったが、いつのまにか、カールと一緒に寝台の中にいる。
内臓の端から腹の中まで、じくじくと痛みがしみてくる。
身動き出来ずにじっと目を開いているうちに、暗闇に慣れて部屋の中が見えるようになってきた。
ゆっくり全身の軋みに堪えながら、剥がされた服を探し出して、隠し持っていたものを探す。
這わせた手に滑らかな石を探り当てる。
教会で聖女からこの石を渡された時は、その意図がよく分からなかった。
『悪夢を見せて、精神を疲弊させる』
そういう効果が付与された、地味な魔法具だ。
カールの寝台の枕元の下の隙間を探って、ぐいと挟み込む。
もう悪夢の中にいるのだから、自分が今更どんな悪い夢を見ても、大したことはない。
疲れ切った手足を寝台に沈めて、ゆっくりと眠気に身を任せた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「・・・ユ・・・ス。ユリウス」
ふわりと頬に温かい何かが触れる。
気付くと、棺のなかで出会った容姿が、目をあけて、微笑んでいた。
「機をみて話をしたかった。・・・愛しているよ」
何気なく囁いた言葉は、渇いた胸に、染みていく。
「父さん・・・。どうして、何も教えてくれなかったんだ。聖女から話は聞いたよ。呪い? そんなものに命を投げ出すなんて、どうかしてる。遺志を継いでくれる人間がいなければ、何もならない・・・!」
「世界は、進化するべきだ。それを作れるのは、次世代を担う子供達だと、信じている」
「どうやって―――全然、わかんねぇよ・・! 勝手に期待されても困るんだよっ!」
「その細胞を信じろ。言葉を使いこなせ。人を口説け。冷徹に人を愛せ。俺の子だろう。できるさ」
さらりと、厳しい言葉を優しい笑顔で語り、ぽんと頭を撫でられる。
妙に現実感のある夢だ。
あの魔石の効能なら、効き目は抜群といったところだろう。
悪夢といえば、悪夢だ。
「うまい飯を出せる奴が、力になる」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ピタリと冷たい布が額に当てられた感覚で、目が覚める。
ぼうっとする頭でゆっくり瞼を開いて、目の前の人間に、少し驚いた。
「目ぇ醒めたか。大変だったな」
イリスが、昨夜の夕食を片付けに来ていた。
いつの間にかカールの姿はなく、朝日が差している。
「イリス」
ぽそりと呟いた声には振り返らずに、何だと答えながら手際良く片付けを終わらせる。
惨状の痕が生々しいこちらを直視しないのは、ありがたい。
「・・・ありがとう。あと、飯、美味かった」
何となく気まずい空気だったが、ユリウスの言葉に、イリスは無言で接近する。
いきなり、冷たいたい布でワシャワシャと頭を拭きちらしてきたのに、びっくりする。
「これが、現実だ。ここが現実だ。綺麗事も何も役に立たない。それでも俺達は、生きてる。けどよ、これで良いと思うか?」
イリスの赤い髪。強い瞳が、まっすぐ、目の前にある。
「・・・そうだ。聖女様への先触れ、ありがとうございました。あなたは、聖女様のご計画の、お仲間だったんですね、―――ということは、私も、仲間に入れて頂けませんか?」
身分に反旗を翻す火種がこんな所に既にいる。
面白い奇遇を通り越した運命を感じて、ニコリと笑う。
「頭がいい奴は重宝する。俺達は馬鹿だからな」
イリスも悪い笑みを浮かべた。
「ここに潜入している、それだけでも大したものです」
「だが、なかなかそれ以上は踏み込めなかった。ここからどうすれば良いかだ・・・まあ、この話は改めてしよう。今は風呂を使って、すっきりしな」
部屋の一部に簡単な風呂がある。
それはユリウスのいる場所も同じだ。
一部屋で一通り暮らせるのは、恐らく貴族の邸宅の特徴だろう。
そういう僅かな文化の格差も、イリスは敏感に感じ取っている。
だが邪険にするのではなく、活用する事を忘れない。
イリスは、有能だ。
あらかじめ教会にリーティアの保護を知らせておいたのは、そもそも聖女との連絡手段を持っていたという事だ。聖女も、イリスは「仲間」だと言っていた。
どういう意味での仲間なのか。
あのときはわからなかったが、いまは、推測材料が揃っている。
「・・・惚れちゃいそうですよ」
「はぁ?!」
冗談の柔軟性は、鈍いらしい。
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