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命の雨音
翼龍の王族
しおりを挟む「くそ、なんだ、こんなに・・・!!」
街道を塞いだ魔物を切り拓き、崩れていく赤黒い残骸を踏み越えていく。
どうして突然、こんなに魔物が沸いて出て来たのか。
囚われていた王女様を連れているというのに、魔女が現れそうな気配は、まるで無い。
出現した魔物の大群を蹴散らすクレイとシヅキの剣捌きをみながら、二人が倒した魔物の残滓を水魔法で払い除けて、前途をつくる。
しかし、次から次へと、きりがない。
「魔女の意に添わぬ結果が、この魔物か・・・それにしても何か、おかしいな」
一時魔物の波が引いて息をついた折に、セキが硬い声をかけた。
「ああ、積極的に仕掛けてきてる感じじゃない。王城に、魔女の手下を野放しにしてきちまった。もしかすると、本当の狙いは、むこうに・・・」
「―――まさか、王位を」
言いさした言葉を呑み込んで、セキは馬上で背中に抱きついた少女の金髪を撫でた。
「本物の魔女なら王位なんてどうでも良いだろうな。だが偽物なら、欲しい物のひとつに入っていても、おかしくないか」
鼻を鳴らしたクレイの背中で、シヅキが長剣をトンと立てる。
「なるほどね。周辺の魔女探し達を全滅させてから、本命を狙うって訳ね。・・・偽者なりに、やるじゃない。増々ぶっ殺してやりたいわ。さ、休んでないで、さっさと行きましょう」
踏み出した彼女の腕を、咄嗟に捕まえる。
「突っ走っちゃ駄目だ。本当に王位を狙っているのかも分からないし、いくら二人が手練れでも、ここから王都まで戦い続けて進めば、着くころには体力も限界だろ。少し休みながら、状況をみながら行こう」
自分の事を棚に上げて言えた事でないのは、よくわかっている。
でも、だからこそ、目の前で同じ後悔が繰り返されるのを、黙ってみている訳にはいかない。
「・・・状況っていったって、行ってみないと、わかんないじゃない」
「いや、あれだけ巨大な都市なんだから―――セキ、王都が見える高台とか無いかな」
「・・・私が途中まで往路にしていた高台の側道なら。しかし、こちらから見えるという事は、王城に魔女がいた場合、向こうからも見つけられるという事になろう」
「こっちに関心が薄いなら、そんなに気にする事でも無いだろ。そっちの道を行こう」
少し山登りになるが、と頷いたセキの先導で街道を外れると、驚くほど魔物に会わなくなった。
通常、魔物といえば、森の中から突然出現するような印象があったのに、どうやら今回の大群は人の通る場所にしかいない。
高台からそれを見下ろせるようになると、その赤黒い集団は、ゆっくりと王都へ移動しているのがわかった。
しかもその始点が、昨日焼けた土地であることに、目を瞑る。
「・・・『人の血を受け止めた大地は、魔物を創った』―――」
おもわず、ポツリと溢した学舎での知識に、ぱっと王女がこちらを振り返った。
「『悲しみの大地は、魔物を創る』でしょ? 創世記の終章にあったところ」
突然高い声が降ってきて、おもわず目をひらいた。
大人しくセキの背中に落ち着いているあたり、控えめな性格かと思っていたが、今の反応の仕方は、どうやらそうでもなさそうだ。
「そうですね・・・何かの比喩かと思ってたけど、そのままの意味だったんですね」
「創世記は全部、そのままの意味だって、お父様言ってたもの。みんな色々言うけど、詳しい事を忘れちゃったから、ありえない事みたいに見えるの」
「・・・王女様。そのお話は・・・」
セキが妙な顔色で、話を遮った。
「え?・・・あれ? 駄目だっけ? でも、リッドは知ってたよ?」
セキの顔色の変わりように、こちらまで首を傾げる。
「創世記は、王や為政者にのみ伝えられるもの。そうお気軽に話されては、困ります」
おもわず、息をとめた。
クレイとシヅキの、ぽかんとした視線をうけとめる。
「リッド、どうしてそんなもの、知ってるの?」
「フェルトリア連邦が議会制国家なのはわかるが、流石にそんな内容を一般にまで普及させることは無いだろう。行政に近い所にいれば、違うのかも知れないが・・・。」
口をひらこうとしたところで、セキがコホンと息をついた。
「なるほど、貴族か」
「―――っ俺の事は何でも良いだろ?! 貴族だろうが何だろうが、クレイにもシヅキにも戦力では全然敵わないし、俺ひとりに出来る事なんて、大した事ねぇんだよっ・・・いや、本当、大した事出来なくて、スミマセン・・・」
「何だ。本当に貴族だったのか。カマをかけただけだったのだがな」
セキの背中で、王女が歓声をあげた。
「フェルトリア連邦の貴族さん。ってことは、お友達になっても良いのね? いいでしょ? セキ。いつも私に誰も友達にしちゃ駄目って言うんだもん。身分が違うからって。ね、リッドなら良いよね」
それで、大人しくしていたのかと思うと、どこか悲しい。
自分の場合は国を置き去りにしてきた時点で、そういう壁をなくしたつもりだったから、余計にだ。
「・・・そのような事を、言っていたのですね。リッドに限らず、王女様は王女様が友人にしたいと思った方を友人にして良いと、考えておりますよ。私に、懇意にして下さるように」
「本当? じゃあ、クレイもシヅキも、お友達になっていいの?」
大きくひらいた瞳が、輝く。
勿論、と頷いてから、周囲を見渡したセキが寂しく笑んだのを、みつけた。
この高台からは、昨日の惨劇の爪痕が、よく見える。
王女はポンと馬から降りるなり、タッと高台の先に駆け登って振り向き、ひとつ上品な礼をした。
「リーアって、呼んでね。お友達だもの」
「あまり先に行かないで下さい! 危ないですよ!」
シヅキが慌てて追いかける。
いきなり積極的に動き出した少女の取る行動は、わからない。
目の前でセキの馬がくるりと旋回した。
「フェルトリア連邦か。・・・城に万が一の事があったら、王女様を、頼めるだろうか」
「それは勿論―――」
ぐい、と肩を引かれて、クレイの厳しい貌がすぐ後ろにあるのに、息をのみ込む。
「魔女に対抗する国は、権力は、潰される可能性が高いって話をしたばかりだろうが。よく考えてものを言えよ。お人好しで助けられる人数は、知れたもんだ」
「それは・・・」
「―――そうか。そういうものか。無粋な事を言ってしまった。私の、ただの、希望だ。聞き流してくれ」
あっさり笑んで馬首を反したセキの背中に、かける言葉がみつからない。
「・・・簡単な事も、出来ねぇとか・・・馬鹿みたいだな」
肩を掴んだ大人の手が、重い。
「自分が出来ない事は、出来る奴に任せれば良いんだ。・・・いざとなったら、俺達が引き受けよう」
え、と振り返ると、精悍な貌が間近に笑んでいた。
「魔女に逆らうのが、魔女探しの本分だ。各地の教会が、それを支える。俺が声を掛けておけば、何とかなるだろう。知り合いが多いからな」
「・・・クレイ・・・」
おもわず、息をついた。
―――ひとりでやるのは、無理だ。
シヅキひとりを助け出すのも、クレイという導きが無ければ、間に合わなかっただろう。
自分よりずっと強く生きてきたクレイでも、人の力に頼る事をよく知っている。
一人で王女を捜しだしてみせたセキだって、全て自分で抱え込まずに隣国の貴族に背中を預けるようなことを言ってみせた。
魔女の世の中に逆らおうとする。
その治世に異を唱えながら命を落としていく人々の、希望みたいなものを、少しでも拾い集めることができないだろうか。
実際の政治に反映させられないのか。
自分はそれが出来る可能性を、上級貴族という生まれを、持っている。
何をどうしたら良いか判らないけれど、何かを動かせる立場を掴む事は、出来る筈だ。
ごう、という突風が枯れ木の隙間からふきあげる。
街道の焦げ付いた臭いが鼻をついてから、ふと頭上に影が落ちてきた。
「リーア様! こちらへ!」
セキの鋭い声が響く。
湿気を含んだ風が巻き上がり、先に進んだ彼女達の所へ咄嗟に踏み出した足元が掬われて、いそいでその場に足を踏みしめる。
目の端に、巨大な鉤爪が見えた気がした。
風の下をザッと転がって、その一撃をなんとか避けると、すぐクレイの双剣がその脚に斬撃を叩き込む。
その速度と反撃にも、巨大すぎる相手には効き目が薄かった。
そのままドンと砂地に着地した風圧で、さらに斜面を転がり落ちそうになり、どうにか枯れ木に引っかかる。
おもわず、最初に盗賊に襲われた時の事を思い出した。
目をあげてとびこんできた異常な光景に、息をとめる。
その、大きな翼に、硬い鱗をしならせた身体。
「翼龍―――?!」
シェリース王国の王旗の象徴となっている姿形が、くっきりと現れていた。
しかし、赤黒い魔物の色を纏ったこの獣を、神獣の翼龍とはとても呼べない。
「リッド、斜面から先に回り込め! 俺はこいつを引き付ける。女性陣を守って逃げろ!」
「っ・・・わかった、死ぬなよ!」
「誰に、言っている」
鼻で笑ったクレイをみてから、ざ、と木立をくぐり抜ける。
頭上から獣の咆哮が鳴り響いた。
蒼白い焔がゴッと枯れ木の上をかけぬけて消えていく。
前方へ向けていた注意が、左右に流れる。
やっぱり、クレイは強い。
この巨大な魔物を相手に、どう動けば良いかを瞬間に判断し、捌き切るだけの実力がある。
それより前方の女性陣は、大丈夫なのか。
充分回り込んだ所で、木立を駆け登る。
クレイが魔物の気を散らしてくれているお蔭で、そこか差当たり戦場になっている気配はない。
「みんな、大丈夫か?!」
クレイと巨大魔物との戦闘を呆然とみあげた三人を見付けて、安堵しながら急いで駆け寄る。
ぼうっとしている場合じゃない。
「なにあれ・・・リッド、良かった、無事で」
魔女探しのシヅキでも、見た事のない大きさのようだ。
それはそうだろう。
翼龍は、伝説の中の神獣の筈だ。
普段森を彷徨っている魔物とは、格が違う。
問題は、どうして自分達がいきなりこんな巨大なものに遭遇しているかだ。
「待ってよ、あの人ひとりでなんて、無茶な」
「皆が安全な所へ逃げ切るまでの時間稼ぎだ。彼もすぐに逃げるから、早く、先に」
ぐい、とリーアの身体を馬上に押し上げて、セキに預ける。
「リッド、待って。戦っちゃ駄目! あれは・・・」
「リーア様、今は御身が大事です。リッド、背中は宜しく頼んだ」
セキの凛とした声が肚に染みてくる。
頷いてから、シヅキの背を叩く。
「前衛は任せた。注意して逃げてくれ」
一瞬目をひらいてから、黙って頷いたシヅキが素早く先行して、セキの馬が続く。
こちらの動きに気付いたか、赤黒い魔物の真っ暗な眼窩に直面した。
脚を竦ませる暇もなく、ゴッと吐いた焔を水魔法で防ぐのに全力を傾ける。
「おい、よそ見すんじゃねぇ! 手前の相手は、俺だ!!」
ザッと魔物の目元をクレイの双剣がさらっていく。
蒼白い焔を巨大な口からちらつかせ、短い前脚をクレイめがけて振り上げるが、彼はそれにも数撃叩き込んで、足蹴にした上にそのまま背中に駆け上がり、翼の根本をドンと突き刺す。
金属を削るような悲鳴の音に、思わず耳を塞いだ。
その隙にも暴れる魔物から離脱し、双剣を払って体制を立て直すクレイの姿がある。
これは、呆然と見入る訳だ。
そう息を吐いてから、先行した三人を追い駆ける。
この調子だと、クレイの心配はいらないだろう。
雨上がりで土のにおいが立ち込める山道をうねった先に、木立ちが拓けた高台に出た。
先行したシヅキが、そこで立ち竦む。
「シヅキ、そこは危な―――」
「だ、駄目! 来ちゃ駄目ですっ!!」
いそいで戻って来たシヅキの顔色に、セキは目をあげた。馬の身長分、視界が高い。
その先は、高層都市を一望できる、穴場だ。
強固な城壁に囲われた故郷の壮観な景観がひろがっている。
その白い城壁が見えなくなるほど、赤黒い影が、浸食するように押し寄せていた。
壁の内側にもちらほらと影が明滅する。
飛行型の魔物が、何体か侵入したのだろう。
「これは・・・」
小さく眉を寄せたセキの背中で、リーアがころがるように馬から降りる。
あわてて捕まえたシヅキの腕をすり抜けて、高台から、王都のまわりに群がる魔物を、はっきりと見下ろした。
「・・・お父様が、いない・・・。もう、あそこには、何もない」
泣き出すかと思いきや、呟いた声に、どきりとする。
幼顔の少女のようで、やはり、王族なのだという空気が溢れ出す。
このままだと、王都に戻れない。
街道から側道へ切り替えたのは、少なくとも正解だった。
バリバリと枯木をなぎ倒しながら、赤黒い魔物が追いついてくる。
とにかく、この巨大な魔物から逃げ切らなくては、はじまらない。
「?! お前ら、何突っ立ってんだ! 早く行けよ!」
一瞬心配したクレイの怒号が、その後ろからとんでくる。
「こいつ、どんだけやっても、追い駆けて行きやがる。何なんだ、一体!」
バシ、と叩きだされた魔物の尾に、クレイは慌てて斜面に跳び退った。
『水よ 我が意に従い 守れ!』
咄嗟にリーアに防御をかける。
クレイの攻撃で魔物の翼は飛べなくなっているようだが、こんな所で焔を吐かれては、たまらない。
前脚が地面を削って馬をひっかけ、ドッと斜面に投げ出されたセキに、魔物の歯牙がかかる。
「駄目、やめて―――!!」
高い声が、響いた。
ゴッと風が逆巻き、赤と金の輝きが鋭く目を刺す。
魔物の悲鳴が風圧と輝きに掻き消される。
魔女の炎に包まれた時のように、全身を輝きに晒されて、息をとめた。
「―――絶対、渡さない。私のだからね」
強い声が、ピタリと止んだ風の奥から響く。
赤金色に輝く少女が、倒れたセキの前にふわりと浮いていた。
烈しい魔力に晒された魔物の肌が、パリパリと割れて、崩れ落ちる。
「・・・凄い・・・」
絶対王政。
それは強者が支配する政治だというのを、いきなり思い出した。
魔物に注がれている筈の敵意が、痺れるほど空中に充満している。
「な、なに? 大丈夫なの?」
そっとシヅキが状況を確認する。
斜面から顔を出したクレイが、その隣に、ざっと出て来た。
「くそ、疲れたぜ。こんな芸当が出来るなら、早くやって―――」
パリパリと崩れる魔物の赤黒い皮の下から、青い鱗の身体がのぞき出したのに、息をのんだ。
普通の魔物は、倒せば土になる。
青い生物が出てくるなんて、聞いたこともない。
「お父様。これは、私のものです」
リーアの言葉に、ぶる、と魔物だったものが身震いする。
皮がバキバキとむけて、深い青色の翼龍の姿そのものが、出現した。
それも、うなだれるように、王女に向かって頭を地面に擦り付けて、攻撃してくる素振りはない。
「・・・陛下・・・?」
全身を地面に打ち付けて朦朧としたセキが、ようやく肘をついて、その見事な神獣を呆然と見上げた。
その身体にぎゅっと抱きついたリーアの輝きが、速やかに癒しに変わる。
セキの胸元から白い光が溢れて、キンと周囲の輝きを集約した。
「・・これは、一体・・・」
「王証碑は、それを持つ人は、私達の力の手綱。いつも一緒に国を守ってきた、本当の意味での、王様なの。私の王証碑は、あなたよ。セキ」
「こ、これは、王妃様からお預かりしたもので・・・何を、言い出すんですか―――」
なにか重大な秘密を、さらりと聞いてしまった気がする。
そうしているうちに、青色の翼龍が、しずかに、流れる風に解けていく。
はっと顔を上げたリーアが地面におりて、急いでその残像に駆け寄った。
「やだ、お父様っ・・・なんで、なんで!? 消えちゃ、やだっ・・・!」
小さな掌が、宙を掴む。
ふわ、と青い影が、その動きにゆられて消えていく。
癒しの魔力で包み込もうとしても、みるみるうちに風に散って、捉えきれずに、宙をさまよった。
声にならない泣き声が、魔力に載る。
「リーア、落ち着け・・!!」
輝きが、風になる。
膝をついた彼女の身体から、ゴッと湿った強風が巻き上がる。
―――天候を左右する国王ひとりを大事にする王国、というのは、随分古風だと、思っていた。
けれどこれは、古風でも何でもない、現実だ。
すぐ隣の国の事ですら、きちんと理解できていなかった事に、今更ながら呆然とする。
白い輝きが、キンと一瞬で彼女の嵐を鎮めた。
「・・・帰りましょう。貴女が、私の国の国主です」
小さな王女を抱きしめたセキの声が、低く地面に染みていった。
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