世界を支配する悪い魔女は こっそり気紛れの人生を過ごすことにした ~可愛い勇者に倒して貰うまで~

白山 いづみ

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命の雨音

魔女探しのクレイ、大罪人の王殺し

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 物凄い滝のような豪雨の音を聴きながら、リッドは部屋の暗さの中で、猛烈な眠気と戦っていた。
 
 床下倉庫から少しだけ食糧を拝借してシヅキと食べた後は、休むばかりの筈だったが。
 村に入って来たという炬火の正体をセキが掴んでくるまで、安心はできない。

 それにしても一切の物音を掻き消すような単調な雨音が、集中力を削いでいく。
 疲れ切ってはいるし、食事はしたし、どうしようもなく、眠い。




「村に入った何かも、きっとこの雨で止まっていますよ。少しぐらい寝ても大丈夫ですよ」
 寝台に横たわっているシヅキの方が、はっきりと目を醒ましていた。
 
 椅子でカクンと揺れるのを何度か繰り返すリッドをみて、はらはらと声をかけてくる。

「あーうん・・・大丈夫・・・」

 眠っていて、また知らないうちに物事が進んでいくのが、怖い。



 クレイは起きているのか眠っているのかわからないが、最初に声をかけた時と同じようにして隣の居間の片隅に座り込んでいるようだった。
 休息をとりながらも油断なく神経を研ぎ澄ましていられるのが羨ましい。

 このままだと確実に眠りに落ちる。
  椅子を立って、身体を伸ばした。

「セキも、どこかで雨宿りしてるのかもな。こう雨が降ってたら、探し物も出来ないよな・・・」

 ぼやいてみて、隣室の扉をあける。

 ほとんど同時に、玄関の扉が静かに開いて、湿った空気が寝室に流れ込んだ。



「何か、拭くものを」
 小さな緊張が、セキの姿をみとめて別のものに変わる。

 どうしてその腕の中に金髪の少女がしがみついているのか。
 村人は、いない筈だ。



 さっとクレイが短布を手に取って二人の頭に掛け、背後の扉の鍵を下ろした。

「灯りの方は、どうだった」
「ここが何だかわかってない盗賊だな。王女様を捜しに出て来たようだが、この雨の間は、当分動けまい」
「盗賊か・・・厄介だな。だが、奴らに派手に動いて貰えれば、魔女の注意を逸らせるか」



 クレイの言に、セキは少女の髪を拭く手をとめて、目をあげた。

「・・・魔女がこの村にいるような気配がしないのは、私の楽観だろうか? 往復に何事も無かったし、何の視線も感じない。・・・呪詛を返した事で、引き揚げたとは考えられないか」

 小さく呟いた言葉が、外の雨音で消えそうになる。

「それは楽観だな。逆に、報復に出てくる事を想定した方が良いぜ。たとえ本当に引き揚げたとしてもだ」

 少しだけ呆れたように声をあげたクレイの視線が、ようやくセキの腕の中の少女におちる。



「それで、探し物は、この子か?」
 誰だと訊かない事に、気遣いが滲む。



 少女は雨に濡れた髪を拭って、口をひらいた。

「あの人、いきなり逃げたの。よく、分かんないけど・・・。それで何とか外に出たら、盗賊の人達に捕まっちゃったんだけど、こっそり抜け出してきたの。ここは大丈夫・・・?」


 セキは彼女の頬を伝う水を拭いて、雨が降っている限りは、と声をおとした。



「―――王女様・・・?」
 ぽつ、と零れた言葉が、大きく響く。

「あなたが・・・あなたを助ける為に、どれだけの人がっ・・・」

「シヅキ!!」
 寝台から乗り出しかけた身を震わせて、シヅキ=ユーラスはその場に凍り付いた。

「―――怒鳴って済まん。だが、魔女探しなら、自分で選択した行動ならば、その結果を他人のせいにする事はないだろ。まして、悪いのは魔女だ。王女じゃない」


 クレイの淡々とした声が静かに響く。
「わかって・・・ます・・・。わかってるけど・・・でも・・・」
 きつく唇を結んで、言葉を飲み込んだシヅキに、リッドはかけられる言葉をみつけられなかった。



 ぽかんと二人のやりとりを見つめていた少女の耳元に、セキが小さく何かをささやくと、彼女は小さく息をのんで、ふわりとシヅキの傍に駆け寄った。

「生き延びてくれて、ありがとう・・・」
 す、とかざした掌に、彼女の全身から輝きだした魔力のようなものが集まって、俯いたままのシヅキに流れ込んでいく。


 驚いて顔を上げた頬の色が、速やかに明るくなっていった。
「え、詠唱もなしに、どう、やって・・・」
 シヅキは、ふ、と意識を手放して、ぱたりと寝台の上に倒れ込む。

 リッドは詠唱を使わずに怪我を治した人間を知っている。
 まさか、シェリース王家の人間が、魔術を使うとは思わなかった。



 すっと輝きが引いて、少女の身体が重力を思い出したかのようにぐらつく。
 すぐにセキがその背中を受け止めて、ほっと息をついた。


「無茶をなさる。逃げる時にも力を使ったでしょう。これ以上は、なりませんよ」

「あなたがいれば、大丈夫」








 雨音が、窓の向こうで少しだけ和らいで、生活の色の無い沢山の屋根を叩いて弾き、流れていく。



「いい加減、寝たらどうだ。明日寝不足で足を引っ張られても困るぞ」
 クレイ=ファーガスの、口の悪い心配に、小さく笑みで応えた。

「そうですね。すげー眠いです。さっきまでは椅子でも寝てましたから。でも、横になると、目ぇ冴えちゃって、全然眠れないんですよ」

 シヅキの寝台をなおしてやれば、あとはやることはなかった。

 セキは王女を抱えて部屋を変えたきり顔を出さないし、だからといってずぶ濡れになった女性の着替え後の部屋に、わざわざ訪ねていく理由もない。



「この後、どうするんですか?」
 漠然と、クレイの顔をみる。

 彼の眉間に寄っていた皺が引いて、黒い瞳がおおきく開いた。
「そりゃ、俺の台詞だ。お前は国に帰るだろ? 今回の事でよくわかっただろうが。魔女探しになって良い事なんざ、ひとつもない。他人の為に命を削って、ただ死んでいくだけか、更なる悪夢にとりつかれて、彷徨い続けるかだ」


 リッドは、目をとじた。
 国に帰って、出来る事をする。
 たぶん、それが一番賢い。

 けれどまだ、状況は平穏を得た訳ではない。


「とにかく、セキと王女とを、王城へ送ります。安全がわかったら国に帰って、自分の仕事をしようと思っています」
「そうだな。送り届けるのは、俺も付き合おう。アイツが城に来たのを野放しにしちまったのも、気掛かりだ」


 クレイがゼロファの件に触れるときは、うっすらと殺気が滲む。
 だけど、あの優しい物腰の青年が敵だという実感は沸いてこない。
 ただ、どうして親切にしてくれたのかという疑問だけが胸を占める。


「―――もう一度、話がしたい・・・」
 ゼロファと、きちんと向き合うべきだった。

 先を急ぐ事に頭が一杯で、何も理解できていなかったのが、悔しい。
 そして、あの、赤い髪の魔女。
 魔除けの効果ぐらいで身を隠すのだから、ますます本物の魔女ではないだろう。
 手下であるゼロファが安全な所で笑っているなら、本物はより安穏としているんじゃないか、と思う。


「ああ、ふん縛って、吐いて貰う。魔女の事も、アイツの本心も」
「魔女は・・・あれは、あの赤い髪の女の子は、偽物だと思います。たかが魔除けの力にあっさりと本物が引き下がるとは、思えない」

 怒るかも知れないと思って、じっと窓の外の雨をみたまま、そう溢した。
 が、小さく鼻で笑われて、少しだけ緊張がほぐれる。


「当たり前だ。あんな程度が魔女なもんか。ゼロファが仕立てた偽物だ。ま、偽物といっても、何百人もの手練れを焼き払う火力はあった訳だが」

「火の蛇ですね。そういえば、クレイさんはよく平気でしたね。水魔法は使わないんですよね? どうやって防いだんですか」

「は? いや、普通に避けただけだぞ」
「・・・」

 なんとなく、彼がゼロファに目を掛けられている理由がわかった気がする。



「・・・本物の魔女からも、逃げられたんですね」
 今度はクレイが目をとじた。

「いや、本拠地にまで行ったが、不在だっただけだ。そこでアイツに裏切られた訳だが」
 ふと息を吐いたその貌をみて、じんわりと驚きが滲んでくる。

 魔女の本拠地。
 そんな情報を持っている人間が、目の前にいる。

「情報を多くの魔女探しに広めれば・・・魔女の罠に対策することも、出来るんじゃないですか。魔女探し達には、そういう情報が必要な筈です。ひとりで抱え込んでるなんて・・・宝の持ち腐れじゃないですか」

 おもわず口走ってから、じろ、とクレイが目をあげたのをみて、はっと口を噤む。
「・・・おい、俺の仲間が全滅した話が、宝ってか」

「いえ、あの、すいません」
 急いで頭を下げて、自分の軽率さを殴りたくなったのは何度目かと唇を噛んだ。
 流石に彼の睨みは、凄みがある。

「大体、仲間に間諜が紛れ込んでて、魔女のもとに辿り着いたと思ったら裏切られて、そいつに全滅させられたなんて情報を広めた所で、皆、疑心暗鬼になるだけだろ。それなりに退魔師に近い形でうまくやってる奴らにも、無駄な混乱を招くだけだ。それに、情報ってのは、放っておくと一人歩きを始める。無暗に広めるべきじゃねぇよ」
 正論すぎて、ますます言葉が出てこなくなる。




 けれど、クレイが知っている事を正確にもっと多くの魔女探しが知っていれば、生き延びられた筈だという感情だけは拭えない。
 正確に、混乱を招かず、情報を一人歩きさせない方法はないのか。


「―――魔女探し、という多人数を、組織として、纏めることは出来ないんでしょうか」
「・・・お前、魔女探しの小集団がどういうものか、知らないな? めんどくせえ半端者が、上司の命令やしがらみが大嫌いなクセのある一人一人が、集合だぞって言って大人しく纏まる訳がねえだろう。命令された事が気に食わねぇで、難癖つけまくって、悪けりゃ潰しにかかってくる。いい奴は多いが、いい子ってのは、いないと思え」


 300年もの間、彼らがバラバラに活動してきた理由の一端が、みえた気がした。

 簡単なようでも、実行するには難しいことがある。
 全体でみて正しくても、小さな単位にすると成り立たないことがある。
 ―――苦いものが、こみあげてきそうだ。

 それを、国に帰れば、やらなくてはいけない。
 しかも、失敗は許されないだろう。



「・・・国の後ろ盾があれば、何とかなりませんか」

 ここで考える事を放棄してしまうと、同じような問題にぶつかった場合に、何も解決できない。
 正しい解答がなくても、思考を煮詰めておきたかった。
 

「ま、国が後ろについてくれれば、文句を言う連中を黙らせる事は出来るな。どれだけ後援してくれるかにもよるが、潰しにかかられる危険も格段に下がる。魔女探しを纏めるには、手っ取り早い。実際、今回の勇者募集も国が動いてやった訳だしな。国が、後ろ盾について、独立した組織として扱ってくれれば、機能できるだろう」


「それじゃあ―――」
 ぱっと視界があかるくなったのを、クレイの真剣がまなざしが制する。
「ただし、その国は、魔女に直接叩かれる危険がある。そこまでせずとも、後援している権力者が潰される、ということは覚悟しておかないとだ。・・・そこまでして、魔女探しを組織化したがる奴はいない。俺でも遠慮するね」

 こういうことがスラスラと出てくるということは、クレイも、目を背けていた訳ではないのだろう。



 けれど結論として、このまま、出来ないで終わらせたくない。
 魔女のやり方とは違う、もっと自由な社会にしていかなければいけない筈だ。
 そうでなければ、シヅキに断言した言葉は、嘘になる。


「・・・教会は・・・」
「・・・教会だと?」

「魔女探しの誓願を立てる教会なら、登録形式にして、ある程度国も関係なく情報統制することが出来るんじゃないですか?」


「―――教会を基礎に、協会を作るってことか。・・・それには、実力のある協力者が必要になる・・・。」


 考え込んだクレイをみて、リッドはようやく少し息をついた。
 完全ではないかも知れないけれど、やりたいことの糸口は掴めた気がする。
























「何故・・・何故、其方たちが・・・」
 金色の細い声が、零れ落ちる。

 誰一人として身動き出来ず、目の前の光景に釘付けになっていた。

 そこは、王座だった。
 黄金と細やかな装飾に彩られた、荘厳たる空間だった。

 鮮やかな赤と、生臭い鉄の臭いが、染めるまでは。



 ビッと血を振り切って、静かに血溜まりをみつめていたアキディスは、オリティアに拘束された格好の王妃に、視線をむけた。

「何故、雨が降らないと、お思いですか?」
 



 こんな形で王族が殺されるなんて、誰も、思ってもみなかった。
 信じられない、という衝撃に痺れて、誰も身動きできない。



 アキディスが王妃に向けて歩をすすめたところで、ごう、と地響きが足元を震わせる。

 次の瞬間、白い光と共に爆音が窓の外に大きく轟いた。


 ガラスが砕けるのも悲鳴があがったのもすべて掻き消して、二度、三度と、雷撃が飛び込む。

 アキディスが咄嗟に放り投げた短剣に、烈しい閃光がぶつかって、はじけた。

 黒煙をあげて短剣が大理石のうえに落ちると、ふと雷鳴が引いた。
 耳目を奪われて恐慌した官人のあいだをぬって、驚愕の呪縛を脱した末席の文官が、耳鳴りのする頭を抱えながら周囲の肩を叩いて声をあげる。



「雷は王の御魂だ、恐れるなっ! それより、王妃様を!」

 やっと我に返った衛士が、いそいで王座のまわりを取り囲みはじめた。
 しかし、王妃が占術師の手中にある以上、下手に手出しが出来ない。
 雷に武器を焼かれたアキディスは、素手のまま対峙するように足元を踏みしめて、冷たい双眸をあげていた。



「や、薬師長・・・わたくしは、あの子に―――」
 最初に動いた文官の顔をみつけて、王妃ははじめて捕らわれた身をよじって声をあげた。

 しかしそれも、背後の占術師に腕を締上げられて、小さな悲鳴にかわる。
「占術師が・・・! 何という事を―――」

「魔女の言いなりになり、雨が降らないのは、俺達が生活を失ったのは、誰のせいですか」
 抑揚のないアキディスの言葉に、包囲する側からは憤怒の息があがる。


「悪いのは魔女だ!」
「ご心痛の陛下に非をあげつらうとは」
「逆賊に叩かせる口はない、即刻、王妃様を放して縛につけ!」


 じり、と包囲が狭まる。
 アキディスもオリティアも、武器を持ってはいない。
 しかし、どんな魔法を使われるか、わからない。

 まさか短剣一本を頼みにして大逆を犯すと思う衛士はいなかった。
 まして王妃は占術師の手中にある。

 ただの魔法なら詠唱が終わらないうちに取り押さえれば良いだろうが、占術師のような特殊な人間は、自分で改変させた独特な魔法を持っている。
 近接した危機に対応できるような一瞬の魔法を持つように教えているのは、この国の占術師制度に他ならない。

 占術師が常駐し、養成まで可能である王城に勤めていれば、末端の兵士でも知っている。
 王妃自らが占術師であることから、その職にある者は、王城の中でも一目置かれていた。

 だからこそ今日この場で直接の占術が許可され、平素近づくことの出来ない一般平民が、王に触れることが叶った。


 それがまさか、こんな事態をまねくとは。



「・・・王妃様、故郷を逐われた民から、お願いがございます」
 そっと耳元に落ちてきた声に、王妃は背後の占術師を見上げた。
「もう、雨を請うに頼らず、郊外にも灌漑と水路を整備して頂けますように」


 ふと、オリティアの黒い瞳が、やわらかくなる。

 ほとんど同時に、血に染まった王座から巨大な影が立ち上がり、広間の燭台の灯を吹き消した。
 さっと破れた窓から夜の色が吹き込む。


 魔物だ、と誰かの悲痛な声があがった。

 暗闇と恐怖が官人達を出口に殺到させて、混乱が拡大した。
 どうにか踏みとどまった衛兵も、ひとりふたりと見えない魔物の歯牙にかかる。
 逃げ出す者が増える。

 誰かが詠唱した魔法で、いくつかの燭台に灯りが戻り、ぼんやりと広い空間を照らし出す。


 アドリス薬師長は、へたり込んでしまっていた。
 広間の天井まで届く巨大な魔物。
 巨大な翼があたりの衛兵を打ちのめし、ゴッと吐いた蒼白い炎が、逃げ惑う人影を襲う。



「王妃様―――!」

 最早、誰が何処にいるのかもわからない。
 立っている者がいなくなると、魔物は勢いをつけて正面の大正門に烈しくぶつかった。
 その力に、ゆっくりと、開くことのなかった形ばかりの大正門が、開いていく。

 夜風が雨音と共に吹き込んで、空間をつめたく染め上げてゆく。

 王座の間の大正門には、鍵も閂もついてはいない。
 重厚な壁の一部となっていた門の外は、王都でも二番目に高い空中庭園が見下ろせる、断崖絶壁でしかなかった。


 開きっぱなしの目と口を閉じるのを完全に忘れて、その光景に釘付けになる。

 魔物の黒い翼が、烈しく空を打つ。
 門の外へ乗り出した体は、ふと沈み込んでからすぐに羽音を響かせて、上昇した。
 王都の空を得た魔物の咆哮が、雨の降り始めた都市に、響き渡った。



 ふと、広間に静寂がおりる。
 逃げ出す者は逃げ失せ、倒れた者は言葉を失っていた。

 ただ、大変な事になった、という声が、身体の節々から深く染み込む。




「ああ・・・まさか、門が開かれるのを、見る事になろうとは」

 静かな声が、絶望の暗闇に灯った。
 振り返れば、ふわりと立った貴人の金色が、視界に飛び込んでくる。

「王妃様・・・ご、ご無事で・・・」

 ふるえが、言葉を遮る。
 あわてて這うように近付いてから、その無事を改めて確認すると、おもわず涙を落とした。

 しかしその足元に倒れた占術師をみつけて、眉を寄せる。
「このっ・・・こやつのせいで・・・!」

「アドリス薬師長、この者の、手当を。わたくしを、庇ってくれた」

 一瞬、彼は耳を疑った。
 次いで、低く声を落とす。

「ご謙遜が過ぎます。王妃様はご自身の魔法をお使いになられたでしょう。私は王宮の薬師でございます。逆賊につける薬はございません」

「―――其方でない者に頼めば、殺されよう。・・・この者には、聞きたい事があるのじゃ」
「・・・詰問のためでしたら、生かしてだけ、おきましょう。しかし、男の方は―――」

 目で探してみても、暗くてぱっと見つけることが出来なかった。
 そう離れてはいない筈だったから、広間のどこかに吹き飛ばされたか。

 どちらにしても男の方は手心を加えるつもりはない。
 国の要であり、忠誠を誓った国王を、衆目の前で手に掛けた大罪人だ。
 これを庇うことは出来ないし、薬を処方せよと言われれば、迷わず毒を盛るだろう。



 動ける衛士が集まってきて、現状を確認しはじめた。
 決して殺してはならないと厳命して占術師を運ばせる。
 すっかり様子が変わってしまった広間の惨状に唖然としながらも、とにかく負傷者を運びだし、改めて王妃の安全を確保する必要がある。
 炬火を灯し、薬師長も、作業に追われることになった。





 時折、雨音の中に魔物の咆哮が混ざって、人心を縮み上がらせる。
 王都の上空を旋回しているが、いつどこに降りてくるものか、わかったものではない。
 都市の住人は、不安な眼差しをあげていた。

 王宮めがけて落雷があったのをみた人間は少なくない。
 ぐるりと円盤状に構成された都市の最高層に落ちたのだから、外に出ていれば、簡単に見つけることができる。
 しかも、開く筈のない空中に続く正門が開いて、中から魔物が飛び出してきたということは、大事件が起こったに違いない。

 今朝方出掛けて行った勇者達が魔女の怒りに触れたのだろう、という流言がひろがる。
 しかし王宮に何が起きたのかは、まったく想像の範囲外にあった。



 不気味な静けさの下から、新しい悲鳴があがった。

「外から魔物が入ってくるぞ! 門を閉じろ!!」
 誰かの叫び声があっという間に伝播して、王城の門が急いで閉ざされる音が慌ただしく響き、騒然となる。

 最下層では既に入ってきた魔物に逃げ惑い、混乱に陥った。

「誰か、退魔師は・・・魔女探しは、いないのか?!」
 そういう声があがってから、彼らがほとんど全員出払ってしまったことを思い出して、呆然とした。

 昨日までは、どこから魔物が入って来ようと即座に退治できるほど、旅装の人間で賑わっていたのに。


 すべての建物がひらけた連なりを持つ構造上、しっかり自宅に閂をかけられる家に逃げ込める者は限られている。
 隙間のような所を住居にして生活している住人には、仕切りはあっても身を守るような扉はない。
 身を潜める物陰も見つけられなかった者は、中層階にある教会に走った。

 逃げる気配を、魔物が追いかける。
 それが教会に集中したことで、ばらばらに動いていた魔物が、教会へ続く大通りに集まってきた。
 追いつかれた者からその黒い歯牙にかかり、悲鳴とともに闇の中へ放り出される。

「教会の退魔師は?! いないのか―――?!」


 あがった息が、次の瞬間には悲鳴になって掻き消える。
 胸に流れ込むのが雨粒なのか血潮なのか、わからない。
 冷たいものが身体を貫いて、鈍い衝撃が視界を掻き消す。
 ドン、と石畳をかみしめて、沢山の魔物が頭上を越えて行くのを、消えかけた意識がぼうっと認めた。




 突然、きれいな音楽が、空気を切り裂いた。
 暖かいかい歌声が、回復の魔法を詠唱する。

 時間が、止まったかのようにみえた。

 歌声と手風琴の旋律が、冷たくなった意識を、あたためる。



「さあ、魔物たち! 僕が相手だ!」



 軽快な青年の声が、響き渡った。








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