世界を支配する悪い魔女は こっそり気紛れの人生を過ごすことにした ~可愛い勇者に倒して貰うまで~

白山 いづみ

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命の雨音

炎の魔女

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 おもわず目を擦りたくなる。

 ここから広間の奥の壁までは、人間が一瞬で移動できる距離ではない。
 いきなり目の前で展開した状況に、ついていけない。



「お前・・・今ここに現れたのは何故だ。魔女探し達が向かった先にいるかと考えていたが・・・まさか、手薄になったこの城を狙って来たか」

 忌々しげに吐き捨てた言葉は、旧友にというよりも、敵対者に向けられたものだ。

 黒髪の魔女探しは、きり、と二振りの長剣を構えなおして、ふんわりと笑うゼロファを睨み据える。



「彼らが向かう先で待ってるなんて、怖いじゃないですか。それより貴方が募集に乗ってこちらに向かったのを聞いて、心配して来てみたんですよ? ゾロゾロ連れ立って往けば、死んじゃいますからね。でも良かった。やっぱり貴方はそんなに馬鹿じゃない」
「―――くそ、やっぱり罠かっ」

 呆然と眺めている場合じゃない。
 なのに、声が出ない。


「リッド、このおじさんは強いですから、頼りになりますよ。今から急げば、少しくらいの人は助けられるでしょう」
「てめえ、また人を騙して歩いてんのか。そうやっていて、楽しいかよっ!?」

 二人のやりとりに異常を嗅ぎ付けた残存の魔女探し達が、遠巻きに武器を取る。



 その先には、白髪のゼロファがにこやかに立っている―――。

「・・・すべては、魔女の望みのままに」
 ゼロファの言葉の意味が、わからない。

 わかりたくなかった。



 ぼ、と地図から炎があがった。
 布に描かれたそれは、あっというまに黒煙をあげて広間に充満する。
 同時にダッと斬りかかったクレイの背中が煙の中に消えた。

 俄かに周囲の人間が咳き込んだのにはっとして、魔力を喚ぶ。
『水よ 我が意に従い 鎮めよ!』
 思ったよりも大量の水が、速やかに鎮火を援ける。
 自分以外にも水魔法を唱えた人間が何人かいた。



 ややあって駆け付けた衛兵に、魔女の手先が地図を焼いて消えたと訴える内容は同じだが、茶髪だった、黒だ、金髪だとばらばらな証言が挙がる。


「・・・あいつは、顔を知ってねぇと、見つけられねーよ」
 鎮火の水をまともに被ったクレイが、剣の水滴を外套で拭いながら戻って来た。
 ビッと短刀が空を斬り、鞘に納まる。

 意思の強い瞳が、まっすぐ目の前に迫る。

「さっきの話からすると、お前、この募集が危険だと知っていてここに来た訳か」
 速いのは、剣捌きだけではないらしい。

 今回の件が罠だと認識している魔女探しがいてくれたのは良かった。
 だけど、連れて来てくれた人間が魔女の手先だという事実のわけが、わからない。
 そういう混乱は胸にしまって、彼の問いには、背筋をのばして頷いた。

「・・・まさか、ゼロファが魔女の・・・全然、そんな風には」

「言っても始まらねぇよ。あいつは、最初からそうだ。魔女探しに紛れて、破滅に導く・・・。見る奴によって髪色が違うから、探しようがない。多分、魔女の手下の中では、一番魔女に近いとみているが―――」
 慌ただしく厳戒態勢を敷き始めた衛兵をみて、言葉を切る。

「それより行くぞ。急げば何人かは助かる。あいつの言葉に従うのは癪だが、無視はできない」


 人員を増やさなくていいのかと一瞬まわりを見てみるが、説明している時間が惜しい。
 さっさと歩き始めたクレイに慌てて続く。

 速やかに王城を出て衛兵の視界から外れた所で、小走りになった。
 来た道とは違う通路に出ると、滑らかな石造りの斜面を低い天幕で覆った景色が目下に展開した。

 これが何なのかという疑問は、一瞬で消し飛ぶ。

「行くぞ、着地に気を付けろ」
 言うが早いか、戸惑う腕を引かれて、ざあ、と一気に斜面を滑りだした。

「ちょっ・・・! 怖、怖っ!!」
 長すぎる滑り台だ。

 とにかく、曲線を描いているうえに張られた天幕で現在地がわからない。
 しかも、どんどん加速する。

 どうにか踵で抵抗をつくって、着地に耐えられる速度を作っているのは、クレイも同じだ。

 ということは彼は風魔法を使えない。
 剣捌きの素早さは実力という事になる。


 そんなことを考えていると、いきなり天幕が切れて、白い日差しがとびこんだ。
 咄嗟に重心を傾けて、出現した地面にポンと飛び降りるようにして着地する。
 まともに地面に突っ込めば、足首を痛めるか、貰ったばかりの服が削れそうだ。

 同じように着地したクレイが振り返り、少しだけ笑みを見せて、休む間もなく走り出した。
 滑り台の摩擦でひりついた尻をさすりながら、彼の背中を必死で追いかける。

 ―――少しでも、助けられる人がいるなら―――

 とにかく今は、そのことだけを考えるようにした。






「師匠、この城から、地方の荒廃がみえていないのは何故です」

 挨拶もそこそこに食って掛かったオリティアに、星読師は制服の袖を握りしめた。



 魔女が王女を攫っていってから、気の休まる時がない。
 王からはどうすれば良いのかと再三に詰問があり、占いの都度、無難な策を進言しているのに、現状が悪化しているのは明らかだった。

 弟子の顔をみて思わず目を覆いたくなったのは、彼女の故郷を明け渡す事を進言したのを思い出したからではなく、その怒りの矛先が王に向かっているのを見たからだ。


「―――わかっている。魔女を取り除けば、王の焦燥も晴れよう。そうすれば、慈雨も降る」

「私事で国政を疎かにして貰っているおかげで、どこの村も立ち枯れ寸前です。このままでは、弱者から死者も出ましょう。魔女はさておき、王には治世に集中して頂けないのですか」

 あまりに真っ直ぐな言葉に、耳が痛い。


 国王は、国の気候を司る。
 シェリース王国の民ならば子供でも知っている事だ。
 ゆえに作物を育み、生活を営んでいくうえで常日頃から国王に適切な天候を願い、慕う。

 郊外に雨が乏しく作物に荒廃があるというのは、国王の関心が遠のいているということだ。
 オリティアの言葉は、そのまま民衆の心境だろう。

 今はまだ、魔女さえどうにかして王女が帰ってくれば、と世論を妥協に導けているが、それもいつまでもつか。


「王も苦心しておられるのだ。私達も出来る限りの事はしている・・・。王証碑をもってしても、王女様を心配する情だけは、どうしようもない」

 何度も吐いた空しい息を吐く。
 目の前の弟子が納得する訳がないのはわかっていても、それしか言いようがない。
 その通り、オリティアの頭脳は停止をゆるさなかった。


「王証碑・・・? 何ですか、それは」


 問われてから、しまったと口を噤む。
 だがそういう態度が通用しないのが彼女だ。
 どちらが上の立場だがわかったものではない。

 それも、彼女の言う事がいちいち正論だからだ。
 そういう現状を招いた原因が、他人事であれば良いのにと、虚しく声をおとす。



「王の、秘儀の力を調整できる宝玉から作られた証碑を、そう呼んでいる。形としてはお前がもつ占術師の証明となる証碑と、ほとんど同じ物だ。しかしその宝玉は、例えば萎れかけた草木に液体肥料を注ぐ効果と同じように王の力を補う事が出来る。代々、補佐官や王妃様など傍近くにお仕えする者が所持しておられるが・・・それが役立たない程、王もご心労が積もっておられるということだ。お前だから教えたが、これは口外してはならぬぞ」


 喋りすぎたと思ったが、国の弱点を無暗に言いふらすほど愚昧な弟子でないことはわかっている。

 ようやく事の次第に納得したか、思慮に耽るように黙り込んだ彼女の目に、薄暗い光が浮かんでいるのをみつけて、ひやりとした。


 オリティアは占術師としてこの王城の教育を受けた。

 郊外の村の出身でありながら、実力で学問の道をひらいてきたうえに、学費も市井の中で少額の投資をうまく転がし、何百倍にも稼ぎ出し、商売人の相談役として多額の収入と信頼を得た実績を持つ傑物だ。



「―――国王の星廻りは、どうなっていますか」

 やっと普通の質問が出てきた事に、少しだけほっとする。

「現状は言うまでもなく、大凶の相だ。しかし凶の極みは吉の始まりでもある」
「・・・私にも手相を観させて頂けませんか。この数年で何百人もの鑑定をしました。経験値から見えるものも、あるかもしれません」
「それは良い―――私から、国王にお伺いしてみよう。だが、くれぐれもご心痛を増す発言は慎むように」

 わかっていると頷いたオリティアを、隣室で待っている弟達のもとへ一度退がらせて、いそいで上階へ駆け上がる。
 普段なら簡単に会える筈もないが、療養中ということになっている今ならば、不可能な取次ではない。

 王が許可するかどうかだけだ。
 そして、おそらく否はない。
 どんな助言でも、切望しているのだから。




 待合室に戻ってくるなり、王に会う事になりそうだと言った姉の目に険があるのを、アキディスは沈鬱な想いでながめた。
 現状を変えるのが、王にしか為し得ないのが、やるせない。


 窓辺に腰かけて足をぶらぶらと遊ばせていたハーディスだけが、呑気な声をあげた。
「ねぇねぇ、さっき、リッドがあそこの長~い滑り台に入っていくの見えたよ。僕も、早くあれを使えるぐらい大きくなりたいな~」


 立体都市に暮らす不便は、昇り降りにある。
 街の随所に長い降りの滑り台があるが、着地に怪我人が多い。
 街の住人は慣れているからまず大丈夫だが、子供は使用を禁じられていた。

「滑り台・・・水路があればね・・・」

 ぽつりとオリティアが溢した言葉を、唐突に継ぐ声があった。


「王の力に頼らず水を水路で賄う事は、王威の衰退です。それを、王が、行うでしょうかね」


 さっき城の入口で別れた筈の青年が、にこやかな顔で壁に背を預けていた。









 セキは、馬上からその荒廃を眺めた。


 魔女にとられた郊外の東の村は、王都より川上だ。
 川沿いの窪地にある街道が一番の近道で、先行した勇者達は概ねその道を辿っている。

 それを見渡せる訳ではないが、少しだけ遠回りになる高台の小路を、周囲の気配に注意しながらゆるやかに進路をとっていた。

 だが、目の当たりにしているのは、想定していたような深い森の緑と魔物の気配ではなかった。
 まばらに立ち並ぶ寂しげな木立と茶色になびく野の色が、農園の中まで染めている景色がどこまでも続いていく。
 王都を離れるにつれて、いっそう荒れていくのが、目にみえてわかった。
 半日歩いただけの距離でこれほど違うのであれば、さらに遠方の荒廃が察せられる。



「高値と不作はわかっていたが、これは・・・」

 今すぐ天候が回復して改善するものではない。

 つい経済の回復策について考え込みそうになったが、それは今することではない。
 セキの当面の職務は、王女を救出して王城に連れ戻すことにある。

 ただそれだけなら先を行く勇者達と何も変わりないが、王妃から預かった王証碑と、王妃への深い忠義心を胸に抱いていることが、セキと彼らを全く別のものにしている。

 さらに一線を画す為に、短い外套の下は、学舎の制服を着込んできた。
 万一彼らに混ざってしまっても、所属の違いは明らかだ。
 彼らの進路が大凶である以上、運命を共にする訳にはいかない。


 その後方を進んでゆくのと同時に、いつ、その災難が彼らに降りかかるのか、胸の奥に冷えた鉛を詰まらせたような心地がする。

 日が沈んだ頃になって、冷たい風の中に異臭をみつけて、ぞっと背筋をこおらせた。



 ―――腐った油と、何かが焼ける、嫌な臭い―――


 一日馬にゆられて疲労した身体の背筋を伸ばして、それがどこからくるのか、目をこらす。
 眺める先はひとつだ。
 勇者達がいるだろう道筋に、その異常が起こった事はすぐにわかった。

 夜の闇に浮かんだその赤い光が、浮かんでは消える。

 セキは血の気が引くのを自覚しながら、急いでそれがよく見える高台の所まで馬を走らせた。
 視界を遮るものが無くなると、眼下には、巨大な溶解炉にも似た光景がひろがる。

 悲鳴が出そうになったのを、自分の手が口を塞いで、かろうじて呑み込んだ。

 窪地に溜まった腐った油が燃え上がり、そこにいた人間ごと一帯を焼き尽くそうとしている。
 
 炎の明かりで、その場所の状況だけが、浮かび上がってくる。



 ―――大凶も、大凶だ。
 乾いた草はよく燃える。
 炎に逃げ惑った人影が、さらに炎を拡大させる。
 よくできた悪夢にしかみえない。


 ごう、と一筋の火柱が弧を描いて立ち昇り、まだ炎に呑まれていない後方の集団に襲い掛かったように見えた。

「・・・火の、蛇・・・」
 ぽつりと呟いた自分の声に、俄かに我に返る。
 ぼうっとしている場合ではない。

 恐らくこの事態を作った魔女は、まだこちらには気付いていない。
 今のうちに例の村に乗り込んで王女を捜すのが得策だ。
 彼らに手を出しているうちは、いきなり戻ってきたりはしないだろう。


 そう考えて馬首を先へ向けてから、胸の奥に詰まっていた冷たい鉛のようなものが、重くのしかかってくる。
 無意識に、胸元の王証碑をつよく握りしめる。
 ひんやりとした手触りが、心地よい。



「行ったところで、せいぜい一人二人を馬に乗せる位しか、助けられるわけもない。自分も危険になる」



 激しい否定が、冷たく口をついて出る。
 自分でも驚くほど冷酷な言い方をしているのを自分で聞きながら、同時に、きっぱりとした決意が全身を染める。

「―――それで、上等。私は死なない」
 さっと馬首を火炎の後方へ向けて、駆け出した。


 身体の中心に重く詰まっていた冷たい鉛は、消えた。




『水よ 我が意に従え!』


 巨大な炎が、滝のように降ってきたように見えたのと同時に、リッドは全力で魔法を展開した。
 見える範囲で何人かを包んだ水の塊が、炎を浴びて白煙をあげる。


 逃げろ、と言う必要もなく、何人もの魔女探しが慌てて引き返してきたのをみて、少しだけ息を吐いた。
 このまま逃げ切れれば、少なくとも全滅ではない。


「気を抜くなっ! まだ奴は、ここにいる!」

 クレイが怒鳴った矢先に、第二の火柱が頭上を飛び越えて、後方へ逃げた何人かをあっという間にのみこんだ。

 余波の炎の雨が降ってくるのを、傍にいた魔女探しとクレイの分だけ、どうにか水魔法で防いでから、急に大量の魔力を消費し続けた消耗で膝をつく。
 吐き気のする息苦しさに、涙が出た。



「火が、早く、消さないと!」
 咄嗟に水魔法で庇った魔女探しの女性が、リッドの外套に火が点いているのをみつけて、長剣で外套をビッと切り裂き、炎のあがった布を放り投げた。

「この火、点いたらなかなか消えないのよっ・・・!」

 気丈な剣捌きは見事だが、ひとまずの安全を確認すると、思い出したように震えだした彼女の言葉に、慄然とした。


「くそ、呪詛付きの火蛇か! この面子じゃ手に負えねえ。おい、逃げるぞ!!」

 クレイの声が、遠くに聞こえたような気がした。



 ごう、と熱風を感じて目をあげた先に、赤い髪の人影が、悪戯っぽい笑い声をあげて浮かび上がるのを、呆然と見上げる自分がいる。



「・・・魔女・・・」

 景色が赤くなる。

 火の色で埋め尽くされていく。
 それが自分を包む炎だというのが判っていっても、微動だにできなかった。


 思考の一切が、ひとつの人影に吸い込まれていく。


「あつ・・・熱いよぉ・・・」
 身体をきつく掴んでくる強い力と悲痛な声に、ぼうっとした頭が現実に引き戻された。

 炎が服を焦がし、はりついて、肌を焼く熱が激痛となって、腰にしがみついた魔女探しを呑み込もうとしているのをみつける。


 頭の中が、白くなる。



「―――やめろ―――!!」

 ただ、虚しさだけが、鳴り響いた。



 自分が未熟なのは、わかっている。
 それでも、人ひとり助ける事すら出来ないのか。

 炎に包まれた魔女探しをかき抱いて、浮かび上がった人影をもう一度振り仰いだ。



 赤い髪。
 赤い瞳。
 黒い革紐でつないだ白い外套。

 そういう少女の大きな瞳が、驚きに満ちてリッドを見ているのを、みつけた。


「どうして、焼けない―――。」

 呟きを聞き取ってから、自分だけが熱さを感じていないのに気付く。
 しかし、すぐに頭の端に小さな疑問は追いやられて、目の前の少女の動揺に、ひとつの確信が浮かんだ。


 どこか納得しながら、どうしようもなく、虚しい。

『もう、やめろっ・・・! 君は、魔女じゃない!』
 叫んだ声と一緒に、額が熱くなる。
 ごう、と、炎が逆巻く。



 いきなり、まわりから炎が掻き消えた。



 突風が叩きつけられたのは分かったが、同時に息が詰まって、急速に、混沌とした意識と景色が暗くなっていった。






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