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命の雨音

王都リュセル

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 身体のあちこちが、悲鳴をあげる。
 人間、空中にぶら下がるようには出来ていない事を身をもって実感した。

 ゼロファが助けてくれなかったら、もっと酷い状態になっていただろう。

「それにしても君は、運が良いですね」
「いや・・・結局、馬は持って行かれたし・・・」

 吐いた息が、足元に重く落ちる。
 これからこの疲れ切った手足で王都まで歩いて行く事を思うと、気が滅入ってきた。

「走り去って行く景色の中に、思いがけない大事なものが転がっている事もあります。急いでいる時ほど、実はゆっくりとまわりを見た方が良いですよ」
 知り合ったばかりのゼロファの低い声が、肚に染みてくる。



 よく考えれば、彼も不思議な人間だ。
 長い旅の経験がそうさせているのか、まだ20代半ばのように見えるのに、滲んでくる人柄に、貫録のようなものがある。

「ってか、じゃあどうして、馬取り戻すのを止めなかったんだ」
 痛む腕を摩りながら、おもわず文句が出る。
 最初から諦めさせてくれれば、こんな面倒にはならなかったんじゃないか。

「だって、君、若いでしょう。一度やってみないと、納得するっていうのも、本当の意味では身に付かないんですよ。頭だけで割り切っても、感情が残る。それは納得した事にはなりません。必ず後から反動がくるものです」

 何気なさそうにそんな事を言って、再び柔らかな癒しの魔法を唱えてくれる。
 優しいのか厳しいのか、わからない。

「王都に行くんですよね。僕も王都行きですから、ご一緒しましょう。ここからだと、途中で面白いものと会えますよ」


 励ましてくれているのは良いが、だからといって、元気になれる訳じゃない。
 しかし、少なくとも彼がいてくれると助かるのは事実だ。
 小さく頷いて、重い腰を上げた。



 盗賊の追跡を避ける為に、街道を避けて森の中の細道を、夜通し休み休み歩いていく。
 空が白くなってきた頃にはサラサラと清水が流れる窪地に出た。

 顔を洗って口の中の土埃を漱ぐと、やっと少しだけ、生き返った心地がする。
 頭の中の地図と現在地の予測が正しければ、王都の傍を流れる川に続いている筈だ。

「ゼロファ、腹減ってない?」

 空腹はずいぶん前から感じている。
 言っても仕方ないので黙っていたが、水の中に魚の姿をみつけて、おもわずポツリと溢した。

 彼は一瞬ぽかんとして、笑った。
「そうか。そうですよね。気付かなくてすみません。じゃあ、もう少しだけ、頑張って貰えますか? 朝飯にありつけますよ」

 軽く洗った彼の白髪が、朝日に輝く。
 明るくなった所で改めてよく見ると、髪の色以外は特に普通の平民と変わらない、お人好しそうな貌をしている。
 昨夜の貫録のような趣は、気のせいだったのだろうか。



 言われるままに歩いていくと、風に乗って、どこからか音楽が聞こえてくる。


 疲れ過ぎて幻聴かと思ったが、歩き進めていくと、実際に炊事の煙がみえてきた。
 
 川辺に、いくつもの天幕があった。
 軍隊でもなく、盗賊でもない。炊事の白煙がやわらかく下流に流れていく。


 ぽかんとしながら、音楽の元へと、歩を進める。
 手風琴の心地良い柔らかな音色が、この集団の空気を和やかにしている。

 ボロになった格好で人の生活圏の中に入ると、いかにも、目立つ。



 水辺の岩場に囲まれた小さな舞台に、音源がいた。

 その景色に、ほっとする。
 まわりに子供たちを群がらせているのは、小さな身体に対して大きな手風琴を抱えた少年だった。

 洒落た衣装を可愛らしく着こなしているあたり、既に一人前の音楽芸者の風貌をちらつかせている。



「おい、どこから来た? 随分酷い格好だな」

 近くに座っていた黒髪の青年が腰をあげて、はじめて声をかけてきた。
 ぼうっとしていた頭が、突然現実に引き戻されて、視界がぐらつく。

 一瞬意識が途切れて、ふと目の前の青年の腕に倒れ込んでいるのをみつける。

 あわててみても、まるで力が出ない。
「おい、大丈夫か」
「疲れと寝不足と空腹ですよ。すみませんが、何か食べる物を分けて頂けませんか?」


 ゼロファの言葉に、彼は頷いてすぐに何処からか出来立ての温かいスープの皿を持ってきた。
 一口飲んだだけで、すっと目の前が明るくなる。
 相当疲れているのを、改めて自覚した。

「―――ありがとう、ございます」
 ようやく、ほっと息を吐く。



「どこの村から来た? 大変だったろう。何処を通って来たんだ」
「いえ、旅の途中で盗賊に遭ってしまって。命からがら逃げて来たんです」
「・・・外国人か。そりゃ、災難だったな。最近のこの国の治安をなめちゃいけない。どこの地区も、不作が続いてる」

 演奏が終わって、大人しくしていた子供たちが好奇心いっぱいの目でこちらへ突進してきた。
 身内だけの集団に、ぽんと見知らぬ人間が紛れ込んでいたら、彼らには大事件だろう。



「こらっ! 音楽の後はちゃんと朝ご飯に行きなさい! お昼も抜きにするわよっ!」
 迫力たっぷりの女性の声に阻まれて、わっと進路を変える。
 
 手風琴を奏でていた少年の視線の先に、彼女はいた。
 黒い長髪の両脇を細い三つ編みですっきり纏めた、20代半ば位の女性が、散っていった子供たちを厳しい目で見送ってから、つかつかと歩み寄ってくる。

 隣に座っていた青年が立って手をあげた。
「姉さん、旅の人だよ。盗賊に遭ったんだって」

「―――盗賊?」
 立ち姿に品がある。
 この集団の中では、恐らく相応の立場があるのだろう。
「盗賊に遭うだけの物資を持ってたって事ね。商売か何かで来たの?」

 同情するよりも先に、淡々とした分析の目が冷たく光る。
 視点の置き方が一味違うだけで、これほど聡明に見えるものか。


 少しだけ言い淀んでから、首を振った。
 こんな所で下手な嘘をついても、仕方ない。


「国境を越え易くする為に使った馬車が狙われたんです。俺は、リッド=ウインツ。この国で魔女探しが招集されていると聞いて、王都へ急いでいます」
 魔女探しを止める為に、とは、まだ言えない。
 国内でこの件が民衆にどういう風に取られているのか分からない以上、王の方針の是非は口にしないほうが無難だ。
 
「ああ、流行のやつね。ま、王女を助けて一攫千金って話は、おいしいと思うけど、王女の為に命賭ける事なんてないわよ。王様が、国を削ってるんだから」

 そう言う彼女を弟が肩で小突く。
「えーと、そうか。魔女探しか。大変だろうけど、旅っていうのも、楽しそうだな」

「僕も、旅してみたい!」
 幼い声が、冷えかけた空気をあたためる。
 手風琴を持った少年が、満面の笑顔でこちらを覗き込んできていた。
「こら、ハーディス」
「お姉ちゃん、僕達も旅しようよ。きっと楽しいよっ」
 大きな瞳がきらきらと輝く。
「―――姉弟?」
 確かに、三人はどこか似た面影を持っている。


「そう。俺はアキディス=タイドだ。これが弟のハーディスで、姉のオリティア」
 頷いた長女は、すっとリッドを見る目をやわらかくした。

「王都へ行くなら、私達も一緒に行っても良い? これからの為に、行かなきゃと思ってたのよ。魔女探しなら、少しは腕が立つんでしょ? 急ぎ旅の力にもなれると思うわ」
 許可を取るというより、確認するように言ってくる。

「姉さん、それは・・・」
 アキディスが少しだけ、不安のまなざしをあげる。
「準備して。あと、リッドの服も、あんまりだし、貴方の服でも貸してあげなさいよ」

 さくさくと勝手に話を進めてから、黙って背後に控えていたゼロファにも声をかける。
「―――あなたも。名前は?」
「ゼロファ=アーカイルですよ。宜しくお願いします」


 にっこりと小首を傾げた彼の白髪を、誰も気に留めないのが、不思議だ。





 改めて長旅で疲れた身体を川で洗い流してから、アキディスに貸して貰った服を着込んで旅装を立て直す。
 といっても、もとから荷物がごっそり無くなっているので、ゼロファに与えられた弓矢装備を微調整する位しかやることはない。

 この一週間ですっかり無駄な肉が落ちて、急に引き締まった筋肉を触ってみて、息を吐いた。
 学舎の戦闘訓練でいくら鍛えたところで、実際外に出てみるのとでは比較にならない。

 魔女探しだからと平民の姉弟と同行する事になったのは良いけれど、いざ途中で魔物の手強い奴に遭遇したら、この人数を守り切れるかというと、正直、わからない。



「ご飯にも着替えにも恵まれて、良かったですね」
 同じように着替えを済ませたゼロファが、天幕に入って来た。

 姉弟は、村人達へ行動の予定を話しに出掛けたので、すっかり彼らの住まいを占拠してしまっている。
 ゼロファのまなざしが少し下がって、すいと傍に寄った。

「ベルトの締めすぎですよ。少しゆったり着た方が、この服は動きやすいんです」
 そう言いながら、ぴったり締めたベルトを緩ませてくれる。
 すぐ目の下に、きれいな白髪が揺れた。

「・・・その白い髪って、皆気にしねーけど、珍しがられたりしない? このへんではあんまり珍しくねぇのかな。見たこと、無いけど」

 ゼロファの手が、ぴたりと止まる。
 何かまずい事を言ったのかと少しだけ心配になるけれど、下を向いている彼の表情は見えない。

 ふ、と笑った息が、足元に落ちる。

「僕の髪には、魔法をかけてあるんです。旅先の土地の皆様と同じような色合いにみえるように。白いって言われたのは、初めてですね。ここの人達には、リッドと同じ茶色に見えていると思いますよ。・・・良い目をしていますね」

 ぽかんとするのと同時に、なるほど、と思う。
 長い旅をしていれば、その土地の人間に馴染んだ方が、やりやすいだろう。


 でも、どうして自分にだけ白に見えるんだろうか。

「そういや、何でゼロファは王都に? 俺はさっき言った通り、魔女探しみたいなもんだけど」
 夜通しずっと歩いてきたが、そんな事を喋っている余裕がなかったのに気付く。

「知り合いに会いに行くんです。彼も旅をしてるんですが、最近この国にいると聞いたので、久しぶりに顔を見たくなりまして」
「って、魔女探しか」
 当初の目的をおもいだして、焦りがよみがえる。
 その人物も含めて、早く止めないと、大勢の犠牲者が出るだろう。


「・・・本当に急がないと。魔女探し達が出発する前に、着きたい」
「後から追いつけば良いんじゃないですか? 魔女の占拠した土地に早く着いたからといって、王女が簡単にみつかるものでは無いでしょう」
「いや―――」

 言葉を継ごうとしたところで、ぱっと天幕をあげてハーディスが駆け込んできた。
「着替え、終わった? お姉ちゃんたちの準備、大丈夫だって。早く行こう!」
「早いですね。もしかして前から計画していたんですか?」
「うん、でも、危ないから、おじいちゃんが駄目って。今回はお兄ちゃん達が一緒ならいいよって」
 ハーディスの屈託のない笑顔に、何故か胃が締め付けられる気がした。



 目算通り、さらさらと流れている目の前の川は、王都の近くを通る大河に続いているらしい。
 住人が使っていた小船を借りての出航となった。
 川を下って行けば、盗賊の危険も回避できるし、時間も短縮できる。

「王都に行ったら、まず王城に行って、魔女探し達がどういう風に集められているのか知りたい。細かい事は知らないんだ。一攫千金の話も、知らなかった」

 アキディスに問われるままに口を開いてから、本当に自分の情報能力の低さに呆れる。
 そのくらいの事は途中でいくらでも調べようがあった筈だ。
 国境の手前で、一旦立ち止まるべきだった。
 考える前に突っ走るから頭をぶつける事になるのは、昔からの悪い癖だ。


「王は、とにかく腕に覚えのある人間を募ってる。首尾よく王女を保護して魔女を駆逐する事が出来れば、高い地位と栄誉、望むままの報酬を下賜するっていう話だ。俺達は、勇者募集って呼んでる。わかりやすいだろ? とにかくおいしい話だから、単純に職にあぶれてる奴も結構参加してるって噂だな」

 肩を竦めて笑ってみせたアキディスの後ろで、オリティアが相変わらず不機嫌そうな目を眇めた。

「自分の娘ぐらい、自分で助けろってのよ。国民の税金を賞金に使うなんて、ふざけてる」
 棘のある声が船底におちた。
 もっともだが、税金で育てられてきたリッドとしては、どこか耳に痛い。

 連邦国は選挙制だから、身分差はあっても、国民と議員の間には信用というお互いの責任がある。
 だが絶対王政というものは、国民の不満が直接国王ひとりへの不満につながる。
 それは、ひどく痛々しいような気がする。

 国民というのは、こういうものだろうか。

 不平不満を素直に持っているのに、それを上手く表現する方法がない。
 こうして愚痴を溢しあうくらいが限界なんだろう。
 歴史上には反乱や内乱といった単語もあるが、そういう大事を起こせば、戦場に出現するといわれる魔女の魔物の餌になるだけだという事は誰にでも想像がつく。
 ―――そういう現実を、心地良いとはいえないんじゃないか。
 為政者は、国民の為にあるものだ。だけど、連邦の中でさえ、魔女の動きを気にして大きな政策の転換ができないでいる。
 だけど、連邦の中でさえ、魔女の動きを気にして大きな政策の転換ができないでいる。
 上からの救済策が無いとどうしようもないのは、国民にとって、つらい。


「・・・オリティアさん。俺は、魔女探しですが、今回はその勇者募集の騒ぎを、止めに来たんです。魔女のいるという場所に魔女探しが纏まって押しかけるなんて、いかにも魔女に狙ってくれと言っているようなものですよね。・・・危険過ぎます」

 オリティアの黒い瞳が、はじめて大きくひらいた。
「―――それは、最初から、そのために来たわけ?・・・盗賊に遭っても、急いでるのは・・・」
 頷いたリッドの顔を、姉弟とゼロファがぽかんとして覗き込んでいた。

 視線が集中すると急に恥ずかしくなって、あわてて下流に視線を投げる。

「あの、あと、どの位で着くんですか? 陸路より相当速いのは解ってますが・・・」
 ふと、はじめてオリティアが笑んだのが、目の端にうつる。
「半日。夕方にならないうちに岸に着くから、そこからすぐに王都に入れる筈よ。・・・治安が良いとは限らないけどね」
「気を付けます。今度は大丈夫ですよね、リッド」
 勝手に頷いたゼロファが、ぽんと肩を叩いてくる。

 そういえば彼にも魔女探しを止める話はしていなかったが、うまく合わせている事に、小さく感謝した。
 魔女探しを名乗っているとはいえ、まわりから見れば、自分はまだまだ若い。
 一人でこういう事を言ってみても、なかなか大人を言い含めたりする事は難しい。
 ゼロファという成人の連れがいるからこそ、対等に話ができているといって良いだろう。


 思ってみれば、彼も相当不思議な存在だ。
 森の中の獣道を迷わず進んで、その先に村民の集団があることを知っていたのは間違いない。
 だけど、面識のある人間はいなさそうだった。
 一体どうしてそこに集団生活があることを知っていたのだろう―――。


 アキディスと船を漕ぐのを交替してから、掌にマメができたのを水で冷やす。
 爽やかな風の中で天候が崩れる事もなく、太陽が中天を過ぎた頃にはハーディスはぐっすりと眠りに落ちていた。

 いつの間にか、自分まで瞼が重い。
 そういえばここ一週間まともな睡眠をとっていない。
 ぼうっとしているのに気付いたか、静かに進路をとっていたオリティアがくるりと向き直った。

「リッド、手をみせて」
 掌のマメでも見るんだろうかと素直に手をひろげてみせる。
 彼女に掌をぐいと開かれて、じっと両手のなかを食い入るように見つめられた。

「・・・あの・・・?」
 別にマメができた所を指摘しようとした訳ではなさそうな観察ぶりに、首を傾げた。
「うん、大丈夫。あなた、結構長生きするわ」
「へ?」
 何の脈絡もない一言に、おもわず声が裏返る。
 一体、掌を眺めてどうしてそういう感想が出てくるのだろう。


「手相占術ですか。面白い特技を持っていますね」
 ゼロファの言葉に、やっと何をされたのか呑み込めた。
 貴族生活の近辺に、聖女以外にそういう職業の人間はいない。
 知ってはいても、はじめて触れる文化だ。

「特技っていうか、私の本職なんだけど」
 それははじめて聞いた。けれどそれなら、少しだけ普通の人と目の付け所が違うのも頷ける。
 
「えーと・・・どこを見たら、長生きなんですか?」
 自分で自分の掌をみてみても、さっぱりわからなかった。
「それを言ったら、私、商売にならないじゃないの」

 そう言いつつ、ゼロファの手も勝手に広げている。
 今度は一瞥してすぐ、オリティアのほうが首をひねった。
「・・・一回、死にかけた?」
「そうですねぇ。あれはヤバかったです」
 穏やかな笑顔を崩さずに、さらりと認めたゼロファの低い声に、少しだけどきりとした。
 長く旅をしていれば、そういう危機もあっただろう。
 だから逃げ足が速くなったんだろうかと勝手に想像してしまう。

「それ以降ずっと、強い影響を受けている人がいるわね。・・・大切になさい」
 いきなりそういう優しい言葉が出てくると、びっくりする。
 長時間一緒に座っていたけれど、オリティアは弟達にもあまり優しさのある言動を見せない。

 ゼロファは笑ったまま小さく頷いて、解放された自分の掌をそっと眺めた。

「驚きましたね。まさに手の内を見透かされる感じかな」
「今のは簡単に見ただけよ。一緒に行動するなら、途中で死なれちゃ嫌だもの」
 あっさりと笑って、オリティアは足元に眠っているハーディスの肩を叩いた。
「ふぁ・・・ついたー?」
 幼い寝起き声に、癒される。
「そろそろ岸が近付くわよ。寝ぼけて落っこちないように、目を覚ましておきなさい」
 

 両岸の森の木が低くなって、郊外の田畑が見え隠れしはじめていた。
 川の傍だからか、この周辺の農作物に、荒廃の色はない。

 姉弟は厳しい視線をその豊かな稔りに注ぎながら、声をひそめた。
 アキディスが姉の耳打ちに、眉を寄せる。
「それは―――知らせてみないと。まずは、それからだよ」
 大人しい彼が、はじめて姉に反論の声をあげたのをみた。

「どうかしたんですか?」
 無造作に訊いたゼロファの袖を引く。
 アキディスがあわてて手を振った。
「地元民の問題ですよ。気にしないで下さい。ほら、王都が見えてきましたよ」

 丁度よく、木々の間から、王城の先端が見え隠れしはじめていた。
 その姿に、おもわず目を瞠る。

 はじめは、空に突き刺すような細い塔が幾重にも連なっているようにみえた。
 その連続した縦方向を基調とする白壁の見事な連なりは、切り立った断崖の巌を連想させる。

 適当な岸に船をつけて傍の側道に出て、王都へと徒歩を急いだ。
 近づくにつれてその高さがよくわかる。
 ひときわ空を貫く王城を中心に、似た様式の塔が立ち並び、それを城壁がぐるりと囲って、街を構成していた。

 なだらかな丘陵に這うような街並みをつくった連邦の中央都市とは、まるで様子が違う。

 平地に突然、高層の城が出現したようだった。






 重厚な趣の城壁の門を難なく通過すると、白壁の高々とした建築物に囲まれる。
 通路はいくつかある広場を繋ぐように、すべてなだらかな階段になっている。

 ―――王城を中心に作られた、立体の首都。

 きょろきょろと眺めて、すごいな、と息を吐いた。
 建築物の様式が一定なだけでなく、それを繋ぐ通路の幅から段差の高さまでもが、一定の範囲で統一されている。
 中心の王城の高さに比例するように高層になる各々の建物も、所々で連結して、沢山の建築物というよりも、連なりあう一つの巨大な塔の街といったところだ。

 しかも、その立体の中に、多くの住人が生活している。
 路面には小さな商店が軒を連ね、その端々に、通路の合間に、炊事や洗濯の生活の姿が溢れてきていた。

 それにしても、王城へと向かう通路を縫うように歩いているのに、さっきから魔女探しらしき旅装の人間をひとりも見掛けない。

 来たことがあるというオリティアの道案内が無かったら、とっくに迷子になっていただろう。
 ふと今来た道を振り返れば、最早どこをどう歩いてきたのか、わからない。
 あっというまに高度が上がって、景色がよく見えるようになったのは確かだ。


「この街も、年季が入りましたね」
 ぽつりと溢したゼロファに、首を傾げる。
 確かに真新しい街ではない。
 よく見てみれば、増築を重ねているだろう風合いの差がある。


「300年の王城の都。王都リュセル。ご覧の通り、少しずつ上へ成長する街よ」
 元気よく先陣を切って駆けてゆくハーディスを叱りながら、ちらりと振り返ったオリティアが、解説を入れてくれた。
 300年、という数字に驚かされる。
 フェルトリアの首都が現在の形に定まったのは200年前だから、この壮大な建築物の基礎がその100年も前にできていたのかと思うと、権力が一点に集中しているということの圧倒的な強みを感じる。

 ひとまわり大きな広場。中庭のような緑と噴水があり、堂々たる王城の門に辿り着いた。

 翼龍の姿を模した黄金色の王旗がたなびき、衛兵が両端に5人ずつ整列して入城者を見張る。


「停まれ。用件は―――」
 手前の衛兵が槍を傾ける。

 男女4人はいかにも普通の旅装だし、一人は楽器を抱えた子供だ。
 どう見ても勇者募集の招集のために来たようには見えないだろう。

「こっち二人は魔女探し。私は占術師。星読師の師匠に面会を求めに来ました。この二人は私の弟です」
 胸元から銅版の首飾りを引っ張り出したオリティアの手元をあらためた衛兵は、槍を立てなおした。

「占術師はこれより5階へ。魔女探しはすぐ右へ進め。それ以外への立ち入りは認められない」
 規定通りのような文言を述べている間にも、他の衛兵の視線がある。
 緩みを許さない厳格な空気が、肌を刺した。


 さっとその場を通り抜けると、そこはもう王城の内部だ。
 内装に意識を奪われている暇はない。
 アキディスが姉に小さく耳打ちしてから、くるりと向き直って頭を掻いた。

「あー、ここから、どういう予定になるか分かんねえから、ここで解散にしようと思う。君らが現れなかったら村長の許可が下りなくて、ここまで来られなかった。助かったよ」

 いきなりの別れの言葉に、驚く。
 けれど、目的が違うのだ。当然のことだろう。

「いや、俺達のほうが助かりました。あの、服は・・・」
「そのくらいは、貰ってくれ。他に何も出来なくて済まんな。君の目的が果たせる事を祈ってるよ」

 差し出された手を握り返して、そこで別れになった。
 元気に手を振ってくれるハーディスにニコニコと手を振り返すゼロファと一緒に、衛兵の指示に従い右に進む。

「仲の良い姉弟でしたね」
「そうかなぁ・・・?」

 オリティアの様子が、どこか気にかかる。
 けれど、今度はもう彼らを心配している場合ではない。 
 集められた魔女探しを止めに行くという一大事が待ち構えている。

 通された広間には、壁いっぱいの布に描かれた地図と、作戦を立てたであろう赤線の書き込みがひろがっていた。
 しかし、肝心の人間は、壁際にちらほらと仲間を待っている様子の数人の姿があるだけだ。

 その光景に、動悸がした。

「すいません、他の人達は・・・」

 集まった人間の点呼をとるような人間もいない。
 手近な所に座っていた黒髪の男に声をかけてみた。

「ん、今朝方出発したぞ。そこに書いてあるのが、作戦路だ。今、来た所か。急げば追いつくんじゃねえか? 大集団だからな」

 のろのろと面倒臭そうに壁の地図を示しながら、黒髪の男はヨイショと腰をあげた。



 次の瞬間、冷たい風が頬を掠める。
 瞬きする隙もなく、彼は長剣をピタリと頬の真横に沿わせていた。


 ―――正確には、その背後のゼロファの顔面に。


 刺すような眼差しがそちらに向かっているのに気付いて、じり、と慎重に横に逃れる。


「お久しぶりです、クレイ」
 剣先を指先でコンと弾いたゼロファに、クレイと呼ばれた男は鼻で笑った。

「ああ。久しぶりだ。随分探したぜ。こんな所で会えるとはな」


 普通の言葉を交わしながら、物凄い速さで2本目の斬撃がゼロファをとらえた―――ように見えた。

 息を呑んだ一瞬後には、ゼロファはふわりと地図のある壁まで遠ざかっている。
「危ないなぁ・・・短気だと禿げますよ?」
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