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愚者の夢をみる
茶色の魔女
しおりを挟む魔女探し達が2、3人と姿を現す。
さらにそのあとから大人数が登ってくる喧噪が風に乗って流れてきた。
よく今まで気配を消してものだと感心している場合ではない。
だたでさえ息が上がっているのに、さらに空気が薄くなった気がする。
―――戦場には魔物が出現する。
だがこんな少人数の状況だったら、どうなるか。
一瞬ジノヴィはそんな事を考えた。
この世界の魔女の支配原則に従い、戦闘が発生した場所には殆ど必ず魔物が現れ、その場をかき乱す。
何度か小規模な戦闘でそれを見てきた感覚としては、この位の戦いでは、魔物の出現は無さそうな気もする。
が、どちらにしても、魔物が出現するような事態をあてにしてはいけない。
アルヴァとセトが山頂のなだらかな斜面を降り始めて、追手がもといた場所まで迫ってきた。
再び飛んできた矢をジノヴィが刀身で叩き落す。
「我がリーオレイス帝国を敵にまわすか!」
ジノヴィの喝に、追手ばかりでなくアルヴァも一瞬身を竦ませた。
朝からずっと抑え付けていた怒気を爆発させたのだろうか。空気が震える。
しかし、相手の士気も負けてはいない。
それはそうだろう。
おそらくは何年も探し続けてきた魔女が、ほんの少しの距離に存在しているのだ。
「リーオレイスが魔女に味方する方がおかしいじゃないか! あんただって、魔女探しだろ?!」
正義感に目を光らせた剣士が、一度は立ち止まった位置から再び距離を詰める。
同時に弓士が射掛けてくる。
剣士に続いた人間は、ざっと見て五人。
ざっと見てジノヴィとしてはこの人数でも負ける気はしない。
が、それは、守るという手間のかかる人間がいなければの話だ。
次々と飛んでくる矢を刀身で叩き落し、続いて剣士の渾身の一撃を止める。
ぐん、と相手の剣を弾き返す。
が、相手も負けてはいない。
粘り強く受け身をとり、砂埃の中からダッと攻め込んでくる。
思わぬ粘り強さに戸惑っている隙に、山頂に登ってきた魔女探しの数が増えた。
殺さなくてはここを脱することはできないか。
一度は覚悟を決めた筈なのに、いつの間にか躊躇していたようだ。
熱くなりかけた頭が、スッと冷えた。
まずはこの剣士を切って捨てる。
魔物と同じだ。
相手を殺すのは、簡単だ。
生かしておこうとするから、苦戦するのだ。
シュ、と剣士の首に刀身をすべらせる。
確実にとらえた。
が、鈍い衝撃とともに、手がとまる。
黒い、鱗。
刀身が、刃毀れするような感触。
咄嗟に後ろに飛びずさり、距離を取って何が起きたのかを確認する。
魔女探し達も呆然としている。
黒い鱗を纏ったその物体は、大きな身を強固にうねらせた。
蝙蝠のような羽のある、大蛇だ。
「魔物だ・・・! こっちが先だっ!」
魔女探し達も標的を変更する。
どう見ても人間同士で争っている場合ではない。
うねるだけで黒の鱗がザザッと砂利を擦り、土埃を撒き散らす。
土埃が目に入って涙で視力が妨害される。
そのあまりの巨大さに、最初の一手となることに誰もが怯んだ。
「戦争の火種となるなら、消えなさい」
その場に、聞き覚えの無い、高い声が、響いた。
求め続けていた存在―――。
大の男達が魔物を忘れ、吸い込まれるように山岳の降り道へと視線を奪われる。
おもわず、ジノヴィの口許が緩む。
先に行かせたセトの居るべき場所に立つ、女の声の主。
姿形に大きな変化はないが、その茶色の長髪の下の顔立ちが、女性に変わっている。
だが同時に、彼女に力無く掴まって膝をついたアルヴァの背に矢が立っているのも見つけて眉を顰めた。
「魔女・・・!!」
一気に、魔女探し達が、殺到した。
突然の動きに、ジノヴィは横に転がって突進を避けた。
彼らの目に自分の姿はもう映っていない。
案の定襲い掛かってくる者はいなかったが、手負いのアルヴァを助けることができない事に眉を顰める。流石にリュディア王国が公認した人間を、こんな奇襲で喪う訳にはいかない。
だが、いきなり、轟音とともに、空気が赤くなった。
巨大な羽蛇の歯牙がアルヴァの背後に迫っていた剣士の胴体を捕らえて、あっというまに噛み千切った。
そのまま後続の人間にも高速で牙をむく。
黒い蛇の胴に赤い模様が描かれていく。
闘志の声は、ほとんど一瞬のうちに食い千切られた。
土埃の中に鮮血の臭いが充満する。
その一瞬の惨劇を呆然と眺めているしかなかったが、羽蛇と目が合って、はっと我に返る。
持てる最速で後方に逃れる。
もといた場所が羽蛇のうねりで大きく削れ、その石礫が肩を打つ。
「ティユ。お終いで良いわ」
茶髪の魔女の声に、ティユと呼ばれた羽蛇は、シューと喉を鳴らして主の足元へ向かう。
主人に懐くようにくるくる廻り、普通の蛇の大きさまで小さくなった。
あの牙に噛み千切られた、無残な死体が散らかっている。
強大な魔物が好きなだけ暴れた景色は幾度も見てきたが、それでもこれは、ひどい。
「酷い? 自分の想念が自分に降り掛かった結果。他人をこうしたいと思う事は、全部自分にかえってくる。そうやって自分で身体を滅ぼしただけのこと。酷くない」
思った事を見透かすような静かな声が、風の中でも、際立って耳に届いた。
荒縄の痕をつけた右手が、アルヴァの背の矢尻に触れて白く輝く。
軽く引く動作で食い込んだ矢が抜けて、アルヴァはそのまま崩れるように彼女の膝元に倒れこんだ。
駆け寄り助けてやりたいが、その手前の累々たる死体を越えて行くには、脚が竦む。
死体が恐ろしいのではない。体が動かない。
・・・斬りかかる事なら、できそうなのだが。
躊躇っていられる時間はない。
もときた山道から聞こえる音。レギナの魔法が第二陣の敵と交戦しながら近付いている。
追ってきている魔女探しの人数は定かではないが、いちいち相手をしている訳にはいかない。
魔女もその物音に気付いて、右手を上げた。
まだ小さな大きさの羽蛇が頭上をすり抜けてその戦地へと飛び去る。
ジノヴィは思い切ってアルヴァのもとへ駆け寄り、気絶している小さな身体の無事を確認して肩に担いだ。
ふわりと、茶色の髪が視界の横で風になびく。
ここ数日見慣れたセトの髪であることに変わりは無いが、その女性らしい容姿に、体が強張る。
「逃げようか? それとも、追いかけてきた邪魔者を、片付けてあげようか?」
軽く首を傾げる仕草に、ぞっとした。
馬車の中でも少し言葉遊びをするようなところがあった。
ここで、下手な回答を出す訳にはいかない。
「前へ進む。目的地へ行く。それだけだ!」
思い切り断言した自らの声に励まされて、その女性の腕を引いた。
彼女は特に抵抗する様子もなく、薄い笑みのままに急勾配の下り道を駆ける。
セトと違って旅慣れた速度に難なく付いてくるその息遣いが、必要以上に、胸中のくすぶった感情をかき乱す。
降り道は急勾配の階段にも似ている。
追ってくる魔女探しの視界から消えるには、もう少し先にある山林の中に入るのが良いだろう。だが、そこまでにはまだ少し距離がある。
「アルヴァの、外傷は治したけど」
息を整えながら、傍らの女性が口を開く。
「お姉さんの安否とか、国での立場とか、今までと変わった環境の不安は、魔法じゃ治せないわ」
「今心配する事ではないだろう」
「あら、今現在の事を後回しにすると、手遅れにだってなるものよ?」
「その話は命を狙われて、追われながらすることか?」
「死ぬ気が無いのなら、考える事じゃない?」
「・・・ふん、もっともだ」
言葉遊びは煩わしいが、目前に迫った事柄以外の視野が拓ける。
今傍らの女性から出てきた言葉は、リーオレイス帝国軍人としても認める合理性がある。
軽口を叩きながらも結構な速度で駆け降りた深緑色の林の中で、下りてきた一本道があちこちで分岐しはじめた。
随分昔に逆方向から辿った道を、ジノヴィは迷いなく選んで進む。
吹き上げる冷たい風が、俄かに霧のような雨に変わった。
「おい、雨を止ませるとか出来ないか」
「雨? ・・・そうね。アルヴァが冷えちゃうわね」
小雨でも、それは地味に身体を冷やす。
セトは占い師をしていたせいか、運動は苦手のようだった。
が、この女性は、軍人と遜色無い野外行動の慣れがあるようだ。
「ちょっと時間を貰うわ。すぐ合流するから構わずに先に進んでいて」
涼しい声でそう言うと、止める間もなく足の裏に風の魔法を宿して木々の向こうに飛び去った。
それに、ジノヴィは、唇を噛んだ。
あの女性は、間違いなく、魔女だ。
その気になれば、いつでも簡単にこの状況から姿を眩ますことができるだろう。
余計な口を叩いたなと後悔しても仕方ないが、アルヴァを担いだまま彼女を追うのは不可能だ。
言葉通り、合流してくれることを祈るしかない。
雨を吸い込んだ外套が、いつもより、重い。
肌に触れる冷たい山の風を感じつつ、どんよりと重い外套を傘にして手頃な足場を探す。
雨に止んでもらう魔法。
雨雲を吹き飛ばしてしまえば一瞬だが、今はそんな目立つ事はしたくない。
やや東に外れた林の中に、石柱をみつけてその上に降り立った。
倒れかかった柱の表面は雨風にさらされて風化が進んでいる。
ざっとその周辺を見渡すと、荒廃しているものの、ちょっとした規模の建物があったことを窺わせる。
どういう遺跡なのか、この地域のことはよく知らない。
けれど恐らく、リーオレイス帝国とリュディア帝国の狭間で滅んでいったものだろう。
「フェイって、本当に・・・。 あぁ。私の方が長く生きすぎてるのね・・・」
小さく呟いた自分の声が、切なくなる。
世界を洪水と魔物を使って縛り上げはしたけれど、別に身体が大きくなった訳じゃない。
詠唱を始めた声は大きな自然に溶け込んで、かざした腕は細く、水滴を振り払った。
『―――天と地の間に天龍はあり
恵みの土地はうるおい満たされ 満ち満ちたる空は わたしと共に幸わう。
空の水。いのちの水。日の恵みと共に満ち足るる。
此処なる縁よ。
―――天龍よ。快活たる子のもとへ 啓晴をもたらさんことを』
差し出した腕の彼方から、霧のような雨が消え始めていく。
地上を流れていた雨雲が一気に風に流れて、頭上を中心にして太陽の白い輝きが差してきた。
雨上がりの空気の中で、一気に差し込んでくる暖かい光。
山林の果ての方まで晴れ間が広がっていくのを見つめてから、大きく息を吸って、吐く。
初冬の雨に冷えた身体の芯には、嬉しい暖かさだ。
ついでに濡れて重くなった外套の水気も払う。
この湿気さえなければ、なかなか快適な着衣だ。
「―――っ?!」
いきなり、左胸の奥が掴まれたような痛みにおそわれた。
思い当たる事はひとつ。
「ティユ・・・適当なところで、戻って、おいで・・・。魔女探しも、馬鹿にできないわね」
すっと痛みが引いていく。
羽蛇の実体が空中にまぎれて、風に乗って身体のまわりに帰ってきた。
おそらく戦っていた人間からは、倒して霧散したように見えただろう。
それにしても、と目を上げた。
低森林の深緑色と、石柱がいくつも横たわる遺跡。
すべてが雨上がりの白い光にきらめいて、芸術的な風景を作り出している。
「あー、綺麗」
トコトコと立っていた柱の下の方に降りて、そこに背を預けた。
もうちょっとだけ、のんびりと、眠りたい。
少しくらい眠ったって、なんとかなるだろう。
ぼうっとのんびりした気持ちを泳がせて、ゆるやかな寝息を立て始めた。
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