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【中編】

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私は5歳の頃、神の声を聴いた。
それは空から降る雨音のようでもあったし、体を包む優しい風の音のようでもあった。

どこか暖かく、それでいて厳かなその声を聴いたその日の晩、私はその出来事を両親に伝えた。
貴族であった両親は大層驚き、また同時に嘆き悲しんだが、幼かった私にはそれがどういう意味を持っているのかわからなかった。

「マリア、私たちの可愛い娘。
あなたは神に愛されてしまったの」

「かみさま、ですか?」

「そうだよ、マリア。だから君は、神の御許に向かわなければならない」

神の御許、というのがどういう場所かはわからなかった。
それを知ったのは、私が神の声を聴いたと両親に告げた3日後だった。

「マリア様、神に愛されし乙女よ。
どうか神の御言を聴きし聖女として、我らをお導きください」

両親が治めていた領地で1番大きな教会から、使者が訪れた。
この世界で、最も尊い神とされるセレン神。
そのセレン神を崇め、奉るのがセレン教。
私はその神の声を聴く聖女として、その総本山である聖教国へ行かなければならなくなった。

拒否権はなかった。
この世界では神が最も尊く、最も崇高な存在であったから。
その言葉を聴くことの出来る人間を、教会が離してくれるはずもなかった。

高位貴族の令嬢として、王族と婚姻を結び、王妃となるのだと厳しく育てられてきた私の人生が、一変した瞬間だった。

「わかりました、お父様、お母様。
マリアは神さまのもとに行きます」

そうして厳しく育てられてきたからこそ、私は抵抗することをあっさりと諦めた。
なに、嫁ぐ相手が王族から神へとかわっただけだ。
聖女というからには、聖教国での立場も待遇も保証されているだろうし、両親に会えなくなるのは寂しかったが、仕方ないと割り切ることが出来た。

「でもさいごに、ユリアの顔をみてから旅立ちたいです」

「ああ、もちろんだとも」

唯一の心残りは、妹のユリアだった。
まだ生まれたての、可愛い妹。
私のはじめての妹であったユリアを、私は大層可愛がっていた。
この可愛い妹に、もう2度と会うことが出来ないかもしれないと思うと、それだけは胸が張り裂けそうだった。

「ユリア……」

キャッキャ、と機嫌よく笑う妹の頬を撫でて、私は悲しい気持ちを押し殺して祈った。

どうか、
この子が幸せな人生を歩めますように。
大切な人と引き離されることなく、誰からも愛される人生でありますようにと。
それは、まだ聖女ではなかった私が唯一、心から祈った願いだった。

◇◆◇◆◇◆◇◆


聖女となった人間は、それまでの人生を全て抹消されてしまう。
記録から消されてしまうのだ。

ある日突然現れた、神の御言を紡ぐ少女。
神に遣わされし聖女。
教会が聖女に神秘性を持たせたいのはわかったが、姉がいたことをユリアが知らぬまま生きていると思うと、少しだけ悲しかった。

それでも私は、折に触れてユリアの成長を聞くことが出来た。
私の忠実な側近が、遺してきたユリアのことを私が気にしていることを知って、私のためにユリアの成長を見守っていてくれたのだ。

ユリアが立てるようになった、言葉を話すようになった。
私と違って大人しくて、本を読んだり絵を描いたりするのが好きらしい。
想像上のユリアの顔は、私とよく似ていたけれど、私とは全く違う性格に育ったのだと思うと、ちょっとおかしかった。

そうして私が10歳になり、ユリアが5歳となったある日。
私はユリアがカミーユ殿下と婚約したことを知った。

カミーユ殿下は、本来であれば私が婚約するはずであった人だった。
けれど、お父様がその話を陛下に持っていく前に、私はいなくなってしまったから。
もう既に別の婚約者がいると思っていたのに、ユリアをあてがうなんて、お父様の権力思考には少し呆れた。

カミーユ殿下の……、いや、現王族の評判は決して良くはなかったけれど、王妃ともなれば少なくとも食うに困る暮らしをすることはないだろう。
それにユリアがカミーユ殿下と婚約し、婚姻を結べば、聖女である私は、その祝福をしなければならない。

そうすれば、ユリアと再会できるかもしれない。
可愛い妹の、美しく成長した姿を、この目に焼き付けられるかもしれない。

言葉を交わすことは出来なくてもいい。
一目、ユリアの姿が見られるのなら。
私はその日を心待ちにするようになった。

◇◆◇◆◇◆◇◆


ついにやってきた“その日“は。
私の予想外の結末を迎えた。

ユリアは私の目の前で、謂れなき罪で糾弾され、ポロポロと涙をこぼしている。
あんなに幸せであれ、と願った妹が、いま心から傷ついて涙を流している。

はらわたが煮えくりかえる思いだった。

私の可愛い妹を傷つけたカミーユ殿下も、
カミーユ殿下を誑かした少女も。
全てこの手で消し去ってしまいたいほどに。

だが私は聖女だ。
聖女が、個人的な想いで誰かに肩入れするわけにはいかない。
あくまで公正に、中立に、誰の味方にもなってはならないと、私は聖教国で教えられてきた。

それも、ユリアの首を刎ねろ、と殿下が叫んだ瞬間に、その教えは吹き飛んだ。

首を刎ねる?
ユリアを、殺す?
何もしていないこの子を。
その得体の知れない女の言うことを鵜呑みにして。
殺すと言ったのだ、この王子は。

「許せなかったわ。
私の、私の可愛いユリアを殺すだなんて。
冗談でも、許せない」

「聖女、さま。……いえ、お姉さま、なのですね」

怒りに震える私の拳を、そっと包み込んで、ユリアは信じられない様子でポツリと呟いた。

「ごめんなさい、ユリア。私が不甲斐ないせいで、あなたの国を滅茶苦茶にしてしまうかもしれない」

「いえ、いいのです。私も、殿下に対して思うところがないわけでは、ありませんから」

大神殿の奥。
私の家、とでも呼べる場所にユリアを招き、私は10数年越しに想いを吐露していた。

もうあの国に、ユリアを帰すわけにはいかない。
あのような場所に帰したところで、いくら私の祝福があるといっても、ユリアの居場所はもう、ないだろう。

「マリアお姉さま」

ユリアの手に包まれた私の拳に、ぽたりとあたたかい雫が伝ってきた。

「助けてくれてありがとう、マリアお姉さま」

「ユリア……」

「いつも。見守ってくれてたのですね」

「私は、ただ見守っていただけ。
何も出来なくて、ごめんなさい」

あなたがこんなに傷ついてしまうまで、何も出来なかった不甲斐ない姉を許して欲しい。

辛い思いも、悲しい思いも、痛い思いも。
してほしくなくて祈っていたのに。

「あなたの居場所はここにあるわ、ユリア」

「お姉さま……」

「私があなたの居場所になるから」

「……はい。私は、お姉さまのそばにいます」

複雑そうな顔で、それでもしっかりと頷いたユリアを見て、私はようやく微笑んだ。
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