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1章 BIG3
二幕A 『ライブラリ』
しおりを挟む路地裏で、女に絡む柄の悪い男が二人。
緩いパーマの掛かった長髪。クリーム色のセーターに、紺色のロングスカート、あまり装飾もなく地味な装い。
困った様に目を垂らした女は、男二人に明らかに絡まれながらも、落ち着いた様子で立ち尽くす灰色の髪の男を見た。
「……は、はい?」
観光局のカンちゃんは焦った。
この女はそこそこの有名人。しかも、『今の時期』は少々ヤバイ立ち位置にいる、厄介事の中心になり得る女だ。関わってはいけない、と彼も警告を受けていた。
その女に向けて、灰色の髪の男が発した言葉を、男は大事な事なので、もう一度口にした。
「惚れた!」
「旦那!?」
灰色の髪の男は、明らかに堅気ではない男二人が向ける柄の悪い視線を気に留めずに、二人の男と女の間に割って入るようにずかずかと歩を進めて女の前に立つ。
こうなってはカンちゃんにも止めようがない。逃げるべきか。警察を呼ぶべきか。おどおどしながら様子を窺う。
「薄化粧。それでも肌は綺麗、結構色白。垂れ目も高ポイント。地味な服装も好きだぜ。派手な女にゃもうコリゴリだし。身長も俺っちが見下ろせるくらい。非常にグッド。髪も綺麗だし、変に弄ってない自然体な感じ。いいよいいよ。あと、少しハーフっぽい? いやでも、しっかり日本人よりか。俺っちそっちの方が好みよ。野暮ったい服装もこれまたグッド。垢抜けない感じ? 遊び慣れてない感じ? 新鮮よ、新鮮。彼氏とか作った事ない?」
「あ、あー……え、えと、えと……」
まくし立てるように喋る男に、女は困惑した様子で苦笑いした。困ったように垂れた目はそのままに、口元だけで笑みを浮かべている。
「その表情もグッド! 声も可愛い! やべぇ、天使見つけたわ。俺っち、超人特区で超天使見つけたわ。やべぇよやべぇよ」
「う、後ろ、見た方が……」
「俺っち、『服部満蔵(はっとりまんぞう)』ってーの! 宜しくっ! んでんで、君の名前はなんてーの?」
灰色の髪の男、服部満蔵は女の手を取りにかっと歯を見せて笑う。冗談のような名前を名乗った男に困ったように、目を垂らしたままで、ぴくぴくと口の端を震わせて女は「そ、そうですか」と返した。
「あ、あの、う、後ろ……」
「ウシロちゃん?」
「ち、違います。うしろのチンピラ……」
「そういや、ウシロちゃん、日本語ペラペラだねぇ。やっぱ、日本人?」
「き、聞いてます?」
「聞いてる聞いてる! うしろのチンピラ? 一体何の話をして……」
とんとん、と満蔵の肩が叩かれる。満蔵が「ん?」と振り返ると、強面の二人がまくし立てる様に怒鳴り散らした。
「わっ。なになに、このチンピラ。何語喋ってんの」
「……え、英語ですけど」
「え、ウシロちゃん、英語分かるの!? 才女! くぅ~、ますます惚れちまったぜ!」
「……あ、あなた、バ、『バッチ』持ってないんですか?」
「ばっち? 何それ知らんし。おーい、教えてカンちゃん!」
巻き込むなよ、と苦笑いのカンちゃんだったが、流石に横から殴られ掛けている満蔵を放ってはおけなかった。
「旦那横ッ!」
「お?」
チンピラの一人が満蔵に殴り掛かる。その瞬間にそれは起こった。
ずでん、と重々しい音が響く。
殴り掛かった大柄なチンピラが、滑ってその場にすっ転んだ。
あまりにも一瞬の出来事に、カンちゃんはぽかんと口を開いてその光景を眺めていた。
もう一人の痩身のチンピラも、驚き唖然と倒れた男を見ている。そして倒れた男でさえも、何が起こったかを理解できないように目をぱちくりとさせながら動きを止めていた。
困った垂れ目を二度瞬きさせる、女の口元に笑みは消えている。
唯一人、だらしないにやけ面をそのままに、満蔵は両手を合わせてウインクした。
「ごめーん。あいむ、じゃぱにーず。あかんて、すぴーく、えんぐりっしゅ。俺っち、英語、分かんなーい。だから、そうカリカリしなさんな」
「あ、あかんて? ……『I can't』、でなく?」
「あ、それ! あいきゃんとすぴーく、えんぐりっしゅ!」
普通に突っ込む背後の女を振り返り、満蔵はにかっと笑う。そして、前を見て、転がる男を見下ろし、やはり無邪気に笑いかけた。
「言葉通じないぐらいで殴るこたないっしょ。俺っち、ナンパしてんの。全国共通、ナンパは見たら分かるっしょ? 人の恋路を邪魔する奴は、馬に食われて死ねっ!」
「う、馬に蹴られて?」
「そう、蹴られてだった!」
カンちゃんは思う。「漫才してんじゃねーよ」と。
しかし、一体何が起こっているのか。
満蔵の口振りからすると、彼がチンピラに何かをしたに違いない。
なのに、何も見えなかった。
満蔵は不敵に微笑み、口元に手を添える。
「そう、蹴られて。だから、『軽く蹴った』けど、ごめんな? 馬がいないから、俺っちが代わりに蹴っちまった」
蹴った。満蔵は確かにそう言った。
今の一瞬で、満蔵はチンピラを蹴ったという。
そんな馬鹿な。カンちゃんは疑う。
転がったチンピラが、ようやく我に返り立ち上がろうとした。しかし、すぐに転がった。
「敵意剥き出しで立つなって。マジ勘弁、な?」
転がったチンピラも、立っていたチンピラも、カンちゃんも、誰一人として気付かなかった。
転がったチンピラの眼前に、満蔵が足を突きだしている事に。
まるでコマ落ちした映像でも見ていたかのように、一瞬の間を置いて、満蔵はチンピラを制するように、足の裏を男に見せていた。
速すぎる。
カンちゃんがひとつの結論に至る。
服部満蔵。彼の『足さばき』が、あまりにも速すぎるのだ、と。
超身体能力を持つ超人の中には、強力過ぎて常人には目で動きを追えない者も居るという。その最たる実例である『超人アダム』を見た事のあるカンちゃんだからこそ、分かる。
服部満蔵は、常軌を逸した『超人』である、と。
転がるチンピラも決して弱くはない。むしろ、動きを見る限りは、超身体能力を持つ、強力な超人と言えるだろう。そんな超人を、赤子のように扱う男。
一体何者だと言うのか。
流石に満蔵に触れたチンピラは気付いたようだった。顔面蒼白で身体を震わせ、腰を抜かしたまま後ずさりする。
唯一人、状況を理解しきれていない痩身のチンピラは、まくし立てる様に怒鳴り散らし、満蔵に掴み掛かろうとした。
「やめろって」
満蔵の日本語は、チンピラ達には通じていない。
しかし、痩身のチンピラは察した。
笑う満蔵の、色濃いクマの刻まれた目の奥の奥に見えた黒いもの。
ほんの少し、ほんの僅かだけ、満蔵が『怒った』。
痩身のチンピラは、脇目も振らずに逃走する。地面に転がる大柄なチンピラも、這いずるようによたよたと張って逃げ出した。
陽気ににへらと一笑して、満蔵は二人に手を振る。
「お達者でー、っとくらぁ。さて、ウシロちゃん」
くるりと華麗なステップを踏み、満蔵は女の方に向き直る。
「これで邪魔者はいない。ナンパ再開だ。そういや、ウシロは名前じゃないんだっけ? お名前教えておくれよ」
満蔵がにかっと笑って問い掛ける。
女は困ったような表情に、再び口元だけ笑みを浮かべて、ぽつりと弱々しい声を漏らした。
「ラ、『ライブラリ』」
「らいぶらり?」
女はセーターの胸ポケットに指を差し込み、一枚の名刺らしき紙片を取り出した。
それをすっと満蔵に差し出す。手に取って見れば、名刺には『情報屋ライブラリ』と書かれ、電話番号にメールアドレス、住所が書き連ねられていた。
「じょ、情報屋をやってます。じょ、『情報屋ライブラリ』。だから、周りからは『ライブラリ』と呼ばれています」
「へぇ。そうなんだ」
満蔵がうーん、と悩む。ほんの少しだけ考えた後、満蔵はぽんと手を打ち、右手の指をパチンとならした。
「『ラブちゃん』!」
「はい?」
女、ライブラリが困ったように垂らした目を、ほんの少しつり上げて、聞き返す。
「だから、ラブちゃん! ライブラリだから、ちょっと縮めてラブちゃん! 可愛いだろ? そっちの方が? だから、俺っち、君のことこれからラブちゃんって呼ぶ!」
今まで困った状況でも、誤魔化す様に苦笑いを浮かべていたライブラリが、本当に困ったように目を逸らした。そしてしばらく黙りこくって、やがてふう、とあからさまな溜め息をついて、口元だけに笑みを浮かべた。
「そ、そうですか。で、では、これで」
「待ってよラブちゃん!」
さっと横に逃げようとするライブラリの手を満蔵が掴む。
ライブラリはすぐさま困った笑顔を満蔵に向けた。
「な、なんです? お、お礼をしろと? ご、ごめんなさい、持ち合わせはないんです」
「いやいやそんなの良いって」
「た、助けて頂いてどうもありがとう。し、下心があったとしても、感謝はしときますね?」
満蔵はきょとんと首を傾げた。
「したごころ? なんだいそりゃ」
「に、人間、脳みそから離れた場所は自由が効かないんですね。あ、足で箸を持てない、みたいに?」
むっ、として足を持ち上げる満蔵。
「俺っち、足で箸持てるよ!」
「そ、そうなんですか。いや、そ、そういうつもりで言ったわけでは……下半身は脳みそについていかない、みたいに」
やり取りを見ていたカンちゃんは察した。ライブラリの下ネタ混じりの皮肉に、満蔵は全く気付いていない。どうやら、この服部満蔵という男、先程からの言動を見るに、かなり抜けている
というか……
「う、馬は居たようですね。し、鹿もセットで来たようですけど」
「え!? どこどこ!?」
「だ、旦那。それ、馬鹿にされてますよ」
困った客を掴んでしまった。
そして、今の時期……『ビッグ3入区』の噂が流れ、有力な情報を巡る複数勢力の小競り合いが繰り広げられているタイミングで、渦中に居る一人、『情報屋ライブラリ』に絡んでしまった事も相当にマズイ。彼女がチンピラに絡まれていた理由もまず間違いなくそれだ。
ライブラリの元にも、ビッグ3に関する情報を巡る依頼が届いているのだ。
そうして彼女が掴んだ何らかの情報を狙う者達がいる。
ここに関わっていたら、ヤバイ事件に巻き込まれるかも知れない。
そうとなれば、カンちゃんは、これ以上満蔵やライブラリと関わっている訳にはいかなかった。
「え? カンちゃんそれどゆこと?」
「だ、旦那それよりちょっと、ご相談が……」
「なになに?」
幸いというか何というか、明らかに異常な超能力を持つ服部満蔵という男、かなり抜けているところがあり、今のところ見た限りでは機嫌さえ損ねなければ害のない超人である。何とか機嫌を損ねずに、うまく言いくるめればこの場から逃れられるかも知れない。カンちゃんは手揉みしながらすり寄るように満蔵に言う。
「実はあたくし、ちょいと大変な用事を思い出しまして……」
「大変な用事が!? そりゃ大変だ! 俺っちに付き合ってる場合じゃないっしょ!」
思いの外簡単に言いくるめられそうだった。
カンちゃんが心苦しく思う程に。
「あー……ただ、案内を投げ出すってのも心苦しいもんで……誰か代役でもつけられたらいいんですが……」
流石に同僚を犠牲にする事はできない。
カンちゃんは言いだしてから後悔する。
しかし、今更後にも退けない。満蔵は、カンちゃんの言葉に何かを期待し目を輝かせている。
「そ、そうだ!」
カンちゃんは思い付く。思い付いたらすぐ行動。カンちゃんは、二人のやり取りを眺めつつも、とっとと退散しようとしていたライブラリにすり寄る。
「ライブラリさん、ちょいとお願い事が……」
ライブラリは口元だけで笑うと、小声で返す。
「こ、この人のご案内ならお断りです。そ、騒動に巻き込まれるのが怖いなら、へ、変な良心なんて捨ててとっとと逃げ出せばいいのでは? わ、私と、この人と一緒に居る時間が伸びれば伸びるほど、じょ、状況はより一層悪くなりますよ? べ、別に、わ、私はあなたを腰抜け、ヘタレと罵ったりはしませんので」
ライブラリとカンちゃんは知り合い同士ではない。しかし、「ライブラリは話が早い」という事を、利用者からカンちゃんは聞いた事がある。察しが良く、的確な助言を返されて、ぐっとカンちゃんは言い淀む。
ちらりと満蔵の様子を窺えば、期待した視線を送ってきている。
確かにライブラリの言う通り。だが、それは『服部満蔵という男』を無視した場合の話である。カンちゃんは懐から取り出したメモ帳に、素早く何かを書き込みライブラリに見せた。
「……正式に依頼出しますから、ね? これでどうです?」
「受けます」
即答であった。身銭を切った、カンちゃん提示の弾んだ報酬を記されたメモを、素早く手に取りライブラリは口元だけでにへらと笑った。
「『観光局案内一課、夜見完太郎』様。『観光客の案内代行』のご依頼承りました」
ライブラリに、名乗った覚えのない自らの素性を言い当てられて、カンちゃんはぞくりと背筋を冷やした。
噂通り。『情報屋ライブラリには近付くな』。その意味が薄々分かり掛けてきた。
「ふ、踏み倒しだけはご勘弁下さいね? しっかり、『覚えました』から」
勿論、と無言で頷き、カンちゃんは満蔵の元に戻る。
「いやぁ、すみません……あちらのライブラリさんにご案内をお願いしました。しかし、ご安心を! 彼女は腕利きの『情報屋』! もしかしたら、下手な案内員よりも超人特区に詳しいかも!」
「マジで!? ラブちゃんが案内してくれんの!? やったぜい!」
あっさり受け入れ、カンちゃんの横をすり抜けて、満蔵がライブラリの元に向かう。
相変わらず口元だけに浮かべた笑みで、ライブラリは応えた。
「は、はい。……た、ただ、別件の仕事があるので、す、少しだけ、寄り道とか、させて貰うかも知れないですけど……」
「いいよいいよ! むしろ、お手伝いしちゃうから俺っち!」
どうやら話も通った様子。
カンちゃんはほっと胸を撫で下ろし、ガイドブックをライブラリに差し出した。
ライブラリはガイドブックを手に取り、ばらばらとページを一通り捲り、カンちゃんにガイドブックを押し返す。
そして、にやりと口元だけで笑った。
おや、と不思議に思いつつも、カンちゃんは手揉みしながら頭を下げる。
「いやぁ、申し訳ない。実はまだ申請も進んでなくて……」
「バ、『バッチ』を持ってない時点で察しはついてます。そ、それも含めてご案内するのでご心配なく」
「ねぇねぇ、申請ってなんだ? ばっちってなんだ? ああ、それをこれからラブちゃんが教えてくれんのか!」
無理矢理二人の間に入って、顔を覗かせる満蔵。困ったようにひくひく頬を引き攣らせ、ライブラリが顔を逸らす。
「……そ、そのラブちゃんっていうの、や、やめてもらえます?」
「え? 可愛くない? 可愛いと思うんだけどラブちゃんって。可愛いじゃんラブちゃん! 可愛いよ、ラブちゃん!」
また、もう一度、ライブラリはあからさまに困った顔をした。今までの愛想笑いのような苦笑とは違う、複雑な、感情の籠もった顔だった。
ふう、と深く息を吐く。そして、そっと前髪をどかして、また良く見せる口元だけで作る愛想笑いを見せた。
「……で、では行きましょう、服部さん。ご、ご案内します」
「てんきゅー、ラブちゃん! んじゃ、いこっか! おっと、てんきゅー、カンちゃん! お達者で!」
「お、お達者で」
早歩きで路地裏から出て行くライブラリ。後に続いて、最後までカンちゃんに手を振りながら出て行く満蔵。軽く手を振り、苦笑しながらカンちゃんはようやく安心したように、肩の力をすっと抜いた。
これで、解放される。
こうして、観光局のカンちゃんは、ギリギリのところでこれから起こる騒動から逃れる事ができたのであった。
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