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① 梅の中でチェリーナと
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ある夜、ポリーノは夢を見た。大好きなチェリーナとむつまじく手をつないで野原を散歩している夢だった。まわりには誰もいなくて、太陽の光と、果てしなく広がる野原を二人で独占していた。華奢な体、ブルーの瞳、長い髪にオリエンタルな髪飾り。夢の中のチェリーナは、現実の姿よりもチェリーナらしかった。
ポリーノはチェリーナに告白しようとした。チェリーナもそれを待っているようだった。
ポリーノは「愛しています」と言おうとした。
が、夢はそこで終わってしまった。
ベッドからはね起きた。
夢の記憶ははっきりとしていて、今でも野原にいるような幸福な気分。この夢は奇跡だとポリーノは思った。今までチェリーナの夢を見たいと望んでも、実現したことは一度もなかったから。最後に告白できなかったのは残念だったが、それを差しい引いても最高の夢だ。
チェリーナは教会の小学校の同級生で、ポリーノの初恋の子。フランスの田舎町からやってきた転入生だったが、卒業するとまた遠い町に引っ越した。父親が角笛の名手で、各国の貴族や王様に呼ばれては、住居を変えていくのらしい。
当時ポリーノは、転入してきたばかりのチェリーナをやさしくいたわった。しかし貴族や王族系など金持ちの息子が彼女に群がるようになり、ポリーノが近づくことはできなかった。
お別れの日になってもたくさんの見送り男に邪魔されて、ポリーノはさよならの言葉さえいなかった。今でも、遠ざかる馬車の蹄の音を思い出すたびに悔やまれる。
―でも馬車の中でチェリーナはじっと僕を見ていた―
あの哀しそうな眼差しが忘れられない……。
何とかこの夢を残しておく方法はないものか。
夢の記憶はすぐに虚しく消えてしまう。せめて夢の中ではチェリーナと相愛でいたい。
ポリーノは、ふとプーキン姉さんのことを思い出した。
プーキン姉さんは、王様が所有する聖なる山、プキキ山の守り主とも呼ばれている魔法使いで、白鳥の背に乗って山上をゆるやかに飛んでいる異様な姿を、何度か見たことがある。あの姉さんなら何かの魔法で夢を残すことができるかもしれない。
ポリーノの父親もプーキン姉さんの魔法の力を絶賛していた。父親は王様に仕える木こりで、プキキ山の木の伐採をしているが、斧ひとふりで大木を倒せるのは、プーキン姉さんの魔法のおかげらしい。
ポリーノは家を飛び出した。早くしないと、夢の記憶が完全に消えてしまう。
だが途中、丸木橋を渡っているとき、河童のギャンパが橋の下からポリーノに声をかけた。
「そんなにあわててどこへいく?」
ポリーノはその問いかけを無視した。ギャンパは根がいいやつなのだが、必要以上に好奇心旺盛でしつこくて、いたずら好きなところが、しゃくにさわる。ギャンパはもともと人間だったのだが、プキキ山の果物を盗んだ罰で、プーキン姉さんの魔法で河童に変えられたのだ。
ポリーノは逃げるように走った。
「おいおい。どこへいく」
ギャンパは川から上がって追いかけてきたが、心配はない。走りでは河童に絶対に負けない。それに人間でない河童は聖なる山に入れない。プキキ山に入ったらこっちのものだ。ときどき後を見ると、ギャンパとの距離はどんどん離れていって、やがて見えなくなった。
プキキ山の入り口についた。白色の巨木が両脇に二本立っていて、ちょうど門のようになっている。右の木にはしゃれた案内板が取りつけられていて、プーキン姉さんの家の場所がきちんと図示されていた。山の中腹の、湖のほとりにある小屋だ。中腹までなら、そんなに時間もかからない。とにかく急ごう。
ポリーノは山道をかけ登った。木靴は山道に合わないのか、何度もすべった。
中腹までくると平坦な道になった。プーキン姉さんの家はもうすぐのはずだった。やがて真っ青な湖が見えてきて、そのまわりに立っている針葉樹に隠れるように、茶色のちいさな小屋が立っていた。ポリーノは扉をノックして、自分の名前を告げた。
「ポリーノ? おまえの父親にはいろいろ世話になってるよ。お入り」
ポリーノは重い扉をあけて中に入った。プーキン姉さんを間近で見るのは初めてだった。やせた綺麗な体と長い髪が、フープランド風の黒いドレスによく合っている。しかし部屋の中は思いのほか殺風景だった。
「そろそろ出かけようと思っていたところだけど。用件は手短にお願いね」
「昨晩見た夢を残しておきたいんですけど、何かいい方法はありますか」
「どんな夢? けっこうな夢かしら? どうら」
プーキン姉さんは薄緑色の大きな目でじっとポリーノを視た。何かを見透かすような鋭い眼光だった。しばらく時間が流れた。ポリーノの頭の中を透視している風だった。
「ふ~ん、なるほどね。その程度の夢か。その程度の夢をとっておきたいのか。まあいいわ。あたしには、こういう便利なものがあるんだよ」
プーキン姉さんは、竹を編んで作った大きな道具箱から、黒い袋を取り出した。人間の頭くらいの大きさの皮製の袋で、口がきちんと結ばれるように、太い紐がついている。
「これは夢袋よ。大きく息を吸い、目をとじて、見た夢を思い出しながら、この袋の中に息を吹き込むの。そして口をきちんと閉めるの。それで夢をとじこめられるわ」
「本当ですか……」
ポリーノはわくわくしてきた。
「寝る前にこの袋の中の空気を吸い込む。すると、その夜まったく同じ夢が見られるわ。そしてまた同じように空気を入れておけばいい。そうすれば何度でも同じ夢が見られるのよ」
ポリーノは小踊りした。何て素晴らしい魔法だろう。何度も同じ夢が見られるなんて、これこそ夢のような話だ。
「その袋、僕にわけてもらえませんか」
「この袋は一袋しかないのよ。しかも千年に一袋しか作れない。そんな簡単には手放せないわよ」
「そこを何とか。プーキン姉さん」
プーキン姉さんはマントをはおり、微笑んだ。
「まあ、おまえの父親はあたしの大好物のイチジクをたくさん持ってきてくれるから、とても助かってる。今回は特別にわけてあげようかな」
プーキン姉さんは、夢袋をポリーノに手渡した。ポリーノは夢袋を振り回しながら、部屋の中を走りまわった。嬉しくてしかたない。
気がつくと、プーキン姉さんはもう部屋の中にいなかった。急いで小屋の外に出てみると、すでに白鳥の背に乗って、小屋の上空をゆっくりと旋回していた。
プーキン姉さんがいう。
「夢をとじこめるにあたって、注意が三つあるわ。一つめ、夢をとじこめられるのは一人一度だけ。本当にとっておきたい夢だけとじこめるのよ。二つめ、吹き込むときには集中すること。いい加減に吹き込むと中途半端に仕上がるわ。三つめ、ひもをしっかり結ばないと夢が出ていってしまう。いいね?」
プーキン姉さんはそういい残すと、空のかなたに消えていった。
ポリーノはチェリーナに告白しようとした。チェリーナもそれを待っているようだった。
ポリーノは「愛しています」と言おうとした。
が、夢はそこで終わってしまった。
ベッドからはね起きた。
夢の記憶ははっきりとしていて、今でも野原にいるような幸福な気分。この夢は奇跡だとポリーノは思った。今までチェリーナの夢を見たいと望んでも、実現したことは一度もなかったから。最後に告白できなかったのは残念だったが、それを差しい引いても最高の夢だ。
チェリーナは教会の小学校の同級生で、ポリーノの初恋の子。フランスの田舎町からやってきた転入生だったが、卒業するとまた遠い町に引っ越した。父親が角笛の名手で、各国の貴族や王様に呼ばれては、住居を変えていくのらしい。
当時ポリーノは、転入してきたばかりのチェリーナをやさしくいたわった。しかし貴族や王族系など金持ちの息子が彼女に群がるようになり、ポリーノが近づくことはできなかった。
お別れの日になってもたくさんの見送り男に邪魔されて、ポリーノはさよならの言葉さえいなかった。今でも、遠ざかる馬車の蹄の音を思い出すたびに悔やまれる。
―でも馬車の中でチェリーナはじっと僕を見ていた―
あの哀しそうな眼差しが忘れられない……。
何とかこの夢を残しておく方法はないものか。
夢の記憶はすぐに虚しく消えてしまう。せめて夢の中ではチェリーナと相愛でいたい。
ポリーノは、ふとプーキン姉さんのことを思い出した。
プーキン姉さんは、王様が所有する聖なる山、プキキ山の守り主とも呼ばれている魔法使いで、白鳥の背に乗って山上をゆるやかに飛んでいる異様な姿を、何度か見たことがある。あの姉さんなら何かの魔法で夢を残すことができるかもしれない。
ポリーノの父親もプーキン姉さんの魔法の力を絶賛していた。父親は王様に仕える木こりで、プキキ山の木の伐採をしているが、斧ひとふりで大木を倒せるのは、プーキン姉さんの魔法のおかげらしい。
ポリーノは家を飛び出した。早くしないと、夢の記憶が完全に消えてしまう。
だが途中、丸木橋を渡っているとき、河童のギャンパが橋の下からポリーノに声をかけた。
「そんなにあわててどこへいく?」
ポリーノはその問いかけを無視した。ギャンパは根がいいやつなのだが、必要以上に好奇心旺盛でしつこくて、いたずら好きなところが、しゃくにさわる。ギャンパはもともと人間だったのだが、プキキ山の果物を盗んだ罰で、プーキン姉さんの魔法で河童に変えられたのだ。
ポリーノは逃げるように走った。
「おいおい。どこへいく」
ギャンパは川から上がって追いかけてきたが、心配はない。走りでは河童に絶対に負けない。それに人間でない河童は聖なる山に入れない。プキキ山に入ったらこっちのものだ。ときどき後を見ると、ギャンパとの距離はどんどん離れていって、やがて見えなくなった。
プキキ山の入り口についた。白色の巨木が両脇に二本立っていて、ちょうど門のようになっている。右の木にはしゃれた案内板が取りつけられていて、プーキン姉さんの家の場所がきちんと図示されていた。山の中腹の、湖のほとりにある小屋だ。中腹までなら、そんなに時間もかからない。とにかく急ごう。
ポリーノは山道をかけ登った。木靴は山道に合わないのか、何度もすべった。
中腹までくると平坦な道になった。プーキン姉さんの家はもうすぐのはずだった。やがて真っ青な湖が見えてきて、そのまわりに立っている針葉樹に隠れるように、茶色のちいさな小屋が立っていた。ポリーノは扉をノックして、自分の名前を告げた。
「ポリーノ? おまえの父親にはいろいろ世話になってるよ。お入り」
ポリーノは重い扉をあけて中に入った。プーキン姉さんを間近で見るのは初めてだった。やせた綺麗な体と長い髪が、フープランド風の黒いドレスによく合っている。しかし部屋の中は思いのほか殺風景だった。
「そろそろ出かけようと思っていたところだけど。用件は手短にお願いね」
「昨晩見た夢を残しておきたいんですけど、何かいい方法はありますか」
「どんな夢? けっこうな夢かしら? どうら」
プーキン姉さんは薄緑色の大きな目でじっとポリーノを視た。何かを見透かすような鋭い眼光だった。しばらく時間が流れた。ポリーノの頭の中を透視している風だった。
「ふ~ん、なるほどね。その程度の夢か。その程度の夢をとっておきたいのか。まあいいわ。あたしには、こういう便利なものがあるんだよ」
プーキン姉さんは、竹を編んで作った大きな道具箱から、黒い袋を取り出した。人間の頭くらいの大きさの皮製の袋で、口がきちんと結ばれるように、太い紐がついている。
「これは夢袋よ。大きく息を吸い、目をとじて、見た夢を思い出しながら、この袋の中に息を吹き込むの。そして口をきちんと閉めるの。それで夢をとじこめられるわ」
「本当ですか……」
ポリーノはわくわくしてきた。
「寝る前にこの袋の中の空気を吸い込む。すると、その夜まったく同じ夢が見られるわ。そしてまた同じように空気を入れておけばいい。そうすれば何度でも同じ夢が見られるのよ」
ポリーノは小踊りした。何て素晴らしい魔法だろう。何度も同じ夢が見られるなんて、これこそ夢のような話だ。
「その袋、僕にわけてもらえませんか」
「この袋は一袋しかないのよ。しかも千年に一袋しか作れない。そんな簡単には手放せないわよ」
「そこを何とか。プーキン姉さん」
プーキン姉さんはマントをはおり、微笑んだ。
「まあ、おまえの父親はあたしの大好物のイチジクをたくさん持ってきてくれるから、とても助かってる。今回は特別にわけてあげようかな」
プーキン姉さんは、夢袋をポリーノに手渡した。ポリーノは夢袋を振り回しながら、部屋の中を走りまわった。嬉しくてしかたない。
気がつくと、プーキン姉さんはもう部屋の中にいなかった。急いで小屋の外に出てみると、すでに白鳥の背に乗って、小屋の上空をゆっくりと旋回していた。
プーキン姉さんがいう。
「夢をとじこめるにあたって、注意が三つあるわ。一つめ、夢をとじこめられるのは一人一度だけ。本当にとっておきたい夢だけとじこめるのよ。二つめ、吹き込むときには集中すること。いい加減に吹き込むと中途半端に仕上がるわ。三つめ、ひもをしっかり結ばないと夢が出ていってしまう。いいね?」
プーキン姉さんはそういい残すと、空のかなたに消えていった。
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