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変化の兆候-2
しおりを挟む装備の残骸を袋に詰め込みギルドを出る。こんな残骸でも、売れば他所の金にはなるのだ。と言っても、本当に今日一日の食料分を捻出する程度の金額にしかならないだろうが、それでも今の俺には必要だった。
家に何か売れそうな物はあったかと考えながら、街を歩く。外はやはり昼時だ。飲食店に入っていく人の姿がチラホラと見え、腹が減ったと何か食べ物がないかを探している人が多い。そんな人達を見ていると俺まで腹が減ってくる。
「……節約、しないとだよな」
俺はダンジョンにまた戻るつもりでいるが、その前に俺には新しい武器と防具が必要だった。下級の魔物一体の素材を回収するだけでも、
ソロで入るなら大きな資金になる。安い物なら武器と防具の揃った一式、良い物を買うのなら、武器か防具どちらか片方は揃える事ができるだろう。だからダンジョンでもう一度魔物を倒す事ができれば、新しい装備を手に入れることができる可能性があるのだ。となるとダンジョンに入る為に装備が必要になってくるのだが、今の俺には金がない。
中古品や装備のレンタルなど、なるべく安いところから装備を仕入れる必要があった。
そう言った所でから装備を借りたことはある。資金のない駆け出しの冒険者は、ギルドが貸し出している装備などを使ってから自分の物を用意する場合もあるし、パーティの先輩から借りるという手もある。だが、今の俺はパーティに所属もしていなければ、イルマさんにも冒険者家業を諦める事を勧められている状況だ。ギルドでの装備のレンタルは担当受付嬢が行う為、この方法を取るのは最後の手段だと考えていた。
「……安い所、どこがあったっけな」
装備を手に入れる為には美味い飯にはありつけない。そんな俺が思い出したのは、格安の中古店やレンタルショップ、ではなく格安の食料が先だった。いつもイルマさんが口にしている無味の栄養スティック。人気もなくアルビス一安い食べ物。本当に金に困っている奴が口にするそれの存在を何故か俺は思い出す。
イルマさんの様に好んであれを食べる物好きを俺は彼女以外に知らなかったが、まさか自分がこの選択する時がくるとは、と愕然とした思いを抱えながら俺は馴染みのある店の方へと足先を向ける。
しばらくはこの生活が続くかもしれないと、少し先の未来を予測しながら、イルマさんの様にあれを毎日食べている自分の姿が脳裏に表れ体が震える。そうなる前にこの生活から脱せる事を願いながら、俺は大通りから外れ人の少ない道へと入った。
人の声が遠くなる。静かさが広がり始めた通りに俺の足音が響いた。石畳の道路を踏むと、その音が建物に囲まれたこの場所では緩やかに響き渡る。人の群れから離れると、ダンジョンでの出来事が頭を過った。
俺にとって静寂というのは、全てあの場所に繋がる。それに対して恐怖はない。嫌悪感も、不安も。俺にとってダンジョンという場所は、他の人とは多分違う意味合いを持つ場所になってしまっているんだろう。
太陽の光が建物に遮られ影が落ちる。暗がりが広がったこの道に、俺以外は歩いていない。
──そう思っていたのだが、背後から近づいてくる忙しない足音が突然現れ、この静寂はあっけなく終わりを迎えた。
「……」
人が浸っていたというのに、随分と空気が読めない奴だ。まあ、空気を読んで歩けなんて無茶な注文ではあるのは分かり切っているのだが、いかんせんこの足音は煩い。
焦っているのか、急いでいるのか。人のいないこの場所では随分とそれは大きく聞こえた。真っすぐ、俺の方へと近づいている。背後から近づく存在感を主張するその気配に、俺は思わず振り返った。
俺が来た道をなぞるように全力で走っていたのは、少女だった。前が見えていないだろうに、顔を上げずにただ真っすぐに走っているいつ転んでもおかしくない危ない少女。
揺れる白髪は宙に舞い、その髪は随分と長い。両手で何か大事そうに物を抱え、前髪で隠れる視線は一体どこを見ているのか。荒い息遣いからかなり走っている事が分かり、俺は仕方なく横にずれ道を譲る。
「前見なよ……」
少女が俺の譲った道を通り抜けようとする瞬間、一応の忠告をぼそりと呟く。聞こえていないだろうが、彼女の姿は何も言わずに眺めるのには危なっかしく、つい言葉が口から出てしまった。
通り過ぎて、それを見送ろうと視線をズラしたその先で、少女は勢いよく、盛大に、躓いた。
「あぎゃっ‼」
可愛らしさとは無縁の汚らしい声が響く。顔面から地面へと倒れていった。確実に痛いやつ。
自分のスカート端を踏みつけてしまったのか、足かもつれてしまったのか。それとも、俺が声をかけたせいなのか。
俺に罪はない筈なのに、どこからともなく罪悪感に襲われる。これなら何も言わなければと思うが、それも後の祭りだ。顔面を地面に突っ伏し、丸い小柄なお尻が突き出されていた。幸いスカートが捲れる、なんてハプニングは起きておらず、ただただ痛ましい光景がそこにはあった。
「……」
場を、沈黙が支配した。
なんて声をかけていいのか分からず、その前に声をかけるべきなのかも判断がつかない。何も見なかった事にして通り過ぎる、これはありなのか? 判断に迷っている間に時間は進んでいく。すぐに立ち去る、これがきっと最適解だったんだろうが、その答えを導き出す前に少女から声が発せられた。
「い、いだぁい」
俺の目の前で腕を振るわせながら少女が顔をゆっくりと上げる。鼻から血を流し額が赤く染まっていた。開いた瞳は金色に輝き、容姿だけならば美しいと言っていいのだろうが、目の前のこの格好はその美しさを見事に打ち消し親しみ安そうだとまで感じさせてしまっている。残念な美少女。そんな言葉が頭のどこかで浮かんでいた。
「す、すびぃません。あの、手を貸していただけないで、しょうか」
呆然と眺めてしまっていると、転んでいる少女が俺を見ている事に気が付く。髪と同様に白い肌がほんのりと赤いのは、転んでできた傷なのか、それともそれを見られた事に対する羞恥でなのか。申し訳なさそうな表情と、掠れて別の音に簡単にかき消されてしまいそうな声を聞くと、多分後者なんだろうと思いながら俺は少女に近づいた。
「……前、ちゃんと見た方がいいですよ」
手を差し出すとそれをゆっくりと握る小さな手の感触が伝わってくる。
「そう、でぶね。あは、はは。ちょっと色々と焦っちゃってて」
照れたように鼻血を流しながら笑う少女に握られた手を引っ張り起き上がるのを手伝う。随分と軽いなと思いながら、一般的には普通なんだろうかと思考の隅ではそんなことを考えていた。
関わるつもりのない場所で、関わる筈のなかった人と関わることになってしまった。それは嫌悪するべきことではないのだが、俺はこれ以上関わりを持つ前にこの場から消えてしまいたかった。
起き上がるのを手伝って、それで終わりだ。世間話も必要ないし、一通り一部始終を見てしまった事に対する罪悪感もこれで薄れた。
「じゃあ、気を付けて」
これで同じ方向に歩き出すのも変だと思い、来た道を戻ろうと足先を変える。女性と一緒の空間というのは、少しの時間でも精神的に疲れてしまう。早くこの疲労感から解放されたいという想いだけで俺は少女を置いて歩き出した。
俺のこういったところが、パーティを首にされた理由の一つである事には気が付いている。人と、特に女性に対して距離感を反射的に開けてしまう自分がいる。それはもう性格であったり価値観であったり。意識をすれば偽れるが、意識をしなければ反射的にそう行動する様に根付いている俺の一面だ。
直さなければならないと分かっていて、気が付いた時にはもう遅い。歩き出してしまったこの足を止める事はできないのだ。足を止めて、振り返って、そしてなんて言葉を掛ける? さっきまでの流れなら色々と話せたかもしれないのに。
自分を変える為のいい機会だったではないか。どうしてすぐに会話を切ってしまったんだと悔やみながら、距離が広がるとともに後悔とも呼べる感情がじわじわと溢れてくる。だが、それと同時に増していく安心感に、俺の弱さが露出していった。
内心で溜息を洩らしながら、目的地に向かうまでに遠回りになってしまう事にも呆れが出る。気にせずにあのまま進んでいればよかったという想いを抱いている俺の前から、また別の足音が近づいている事に気が付いたのは、そんな後悔に苛まれている最中だった。
「おい」
前方から響いてきた声。野太く、低音で大体三十代頃の男が出すような声。声色だけでイメージしたその声の主に目を向けると、それは俺が描いたものと大まかには合っている男がいた。
(……冒険者か)
身に付けている物、その身なりは俺がよく知っている職種のそれだ。下世話な色を残す瞳をよく見てみれば写しているのは俺ではなく、その後ろ。どうやらこの男は俺に用があるわけではなく彼女に用事があったのだと、俺は再び道を譲ろうとしたのだが……
「おい坊主、さっさとどけ。そいつは俺が目を付けた女だァ。横取りしようなんて考えてんならテメェをぼろ雑巾みたいにしてそこのゴミ箱にぶち込むぞ」
(柄、悪……)
何かを勘違いしているらしい男は、赤くした顔で俺を睨みつける。
この少女は随分と面倒な相手に目を付けられてしまっているらしい。力に溺れた冒険者の典型的な悪例。あの少女はそんな者に目を付けられてしまった哀れな被害者。
冒険者の中にはこういうタイプの人間が存在する。力があるという理由だけで、それを全ての人に同じ価値観を押し付けたがるのだ。強者というのはこの界隈では確かに正義だが、その価値観で全ての人間が生きているわけではないのだという事をこういう人間は考えない。あるのはただ、力があるから自分の好きなようにしていいのだという頑固なまでの思想だけ。
(どうしたもんか)
チラリと振り返ると、少女は青ざめた顔で震えていた。
この子を置いて行く、というのも選択の一つではある。面倒ごとなんてなるべく避けるに越したことはない。色々と俺が考えを巡らせている間に、男は酔った足取りで近づいてくる。
「……お前、どっかで見たことあんな。どこだっけか。……あぁ、思い出した。ギルドで見た面じゃねぇーか。死にたがりの、自殺志願者だ。そうだ思い出した! ガハハッ。お前だろ! 自殺しにダンジョンに一人で入ってビビッて帰ってきた脳死野郎」
視点の定まっていない酔った目で俺の顔を見ていた男は嗤いだす。
俺は随分と有名になっていたようだ。ギルドで視線を感じてはいたが、そういう話が広がっているのだろうか。
──だが、それにしても。その言葉は随分と不快に感じた。
むかつく笑みが癪に障る。俺を下に見ている余裕を含んだ顔。何も知らないというのに決め付ける人間の顔というのは、どうしてこうも腹立たしいのだろう。
俺は、パーティに所属できていない。立派な武器も、頑丈そうな鎧も身に纏っていない。今の俺は、ただ道を歩いている一般人と大差ない。
だが、そんな何もない俺は、知っている。一人でダンジョンに入った時の恐怖も、高揚も、戦いで得た経験を、知っている。
「丁度いい」
試してみたかった。俺の力が今どの程度なのか。魔物と人間。そこにどれだけの差が存在するんだろうか。魔物一体と戦う時でも、彼等はパーティでの行動から逸脱しない。果たしてそれは、個人の強さに直結しているのか。
確かめたい。第四等級、冒険者として駆け出しを抜け出した程度と言われる俺が、武器も防具もない状態で、どこまで戦えるのか。
背後から感じる少女の視線に見守られながら、俺は大きく息を吐き出す。
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