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己を賭した先にあるもの-1

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 夜の世界に溶け込む様に、それは存在していた。

 ダンジョンへの入り口、ゲートを管理する、通称保管庫。それは黒塔と同じように漆黒に彩られており、ダンジョンから持ち帰られた同じ素材で作られているらしい。そしてその素材はダンジョンから運ばれてきた物であり、非常に強固な素材だ。

 夜で視界の悪いこの時間でも、保管庫はしっかりとした存在感を放っている。 

 俺は保管庫の前に立っていた。それをじっと見上げ、久ぶりの感覚に酔いしれる。

「久しぶりだな」

 そこには誰もいなかった。だからこれはダンジョンに向けての言葉だ。

 三ヵ月。長い様で、短い時間だった。パーティを首になり、面接に落ち続け、自分の価値の無さはもう嫌という程味わった。この三年という時間は誰にも評価はされない。これまでの過程も、これからの道のりも、俺の全てを知っているのは俺だけだ。

「それでいい」

 他人には理解されなくてもいいと、今はそう思える。他人にどう見られたいとか、そういうものではないのだ。自分がどうなりたいのか、それだけだ。

 静けさとほんのりと冷たい夜風に包まれながら、俺は保管庫の中へと足を踏み入れた。 

 外気はこんなにも冷たいのに、俺の体は熱に包まれている様に熱い。これはきっと、自分に対する期待の熱だ。興奮も、緊張も、全てを混ぜ合わせたような期待。誰にも期待されずに諦められていたとしても、俺だけは、ハイド・ゴーゴルという冒険者に期待している。お前にはまだ、先があるのだと。

 保管庫の中は広く外よりも冷えていた。冷気が漂い、足元から冷えていく。

 明かりはなく、一面が黒で覆い潰されていた。
 夜の世界。そんな言葉が頭に浮かぶ。そしてその言葉がこの場所よりも相応しい異界が、この先に待っているのだ。

「──ダンジョン・ゲート」

 保管庫の中心。そこにあるのは、天井にまで届く巨大な霧の塊。端は白く中心に行くほど、それは黒い輝き持つ、霧の扉。ダンジョンへ繋がるこの扉から出てこれるのか出てこれないのかは、この先へ進んだ者にしかわからない。

「行くか」

 保管庫には他に冒険者はいなかった。誰にも見られていない。誰に止められる事がない。だから俺は、躊躇いもなくその霧の入口に踏み込んだ。

 瞬間、景色が変わる。

 視界は黒に包まれた。次第に体は冷たくなっていく。死ぬ瞬間、そう思ってしまうほどの冷たさだ。きっと今の感覚とその瞬間は似ている気がする。冒険者はダンジョンに入る際、一度死ぬのだ。

   瞬きをした次の瞬間現れたのは漆黒の都市の姿だった。

 顔をゆっくりと上げると、黒い空に、同色に染められた太陽が鎮座していた。黒の中心部分からほんの僅か白い輝きが漏れており、星のない夜空ではそれだけが唯一の光源だ。日蝕と呼ばれるそれは、熱をもたらさないこの異界の太陽である。

 視線を下げれば、空を写し、闇を吸収した様な大理石調な地面と建造物の姿が目に映った。
 辺り一面満たす、黒。それがこのダンジョン【終黒都市国家・アイビスダンジョン】の全貌だった。

 終、と名のつくこの都市は、確かに終わりを告げている。都市が息をしていない。

 人の声、気配、生きている物全ての存在を感じない。この都市は死んでいる。この場所に立つといつも思っていたのは、怖い、という思いだった。

   左右を建造物が囲む大通りに、俺は一人立っていた。光がないこの黒で覆われた異界は人の精神力に強力な負荷をかけてくる。

 体から冷たい汗が流れていた。ダンジョンに入る前はあれほど熱かった体が、強制的に冷やされていくようだった。

 これが最難関ダンジョンと言われるアイビスの特徴だ。黒で統一されているこのダンジョンは正気を保つ事が難しい。

 冒険者には強い精神力が求められ、パーティを組むことが推奨されているのも、並大抵の冒険者ではこの負荷に耐えることができないからだ。

 暗闇は視界を奪い、精神を蝕む冷気は動きを鈍らせる。環境的にも身体能力的にも、人よりも魔物の方が優れているのだ。数を揃え動きを合わせることでようやく人は魔物と同等の力を手に入れることができる。

 だけど、俺にはそれが合わなかった。

 強い仲間を手に入れても、俺がその動きについていくことができない。だから全体の流れにズレが生まれる。パーティで動く際に重要になるのはどれだけ合わせられるかだ。俺という存在がいるだけで、パーティメンバー全員の動きが鈍くなっていたのだと、自分の弱さも本音も受け入れることができる今ならよくわかる。

「わかってる」

 体が冷えると同時に頭も冷えていた。一人きりという恐怖が俺を包み込む様に纏わりついている。だけど、今の俺にはどうしてか、その恐怖が心地良いい。

「こんな感覚、初めてだ」

 左手に少し大きめの盾を握り、右手で腰にある方手斧を引き抜いた。

 このダンジョンに入るたび、俺はいつも怯えていた。仲間の足を引っ張らないか、自分のミスでパーティに危険が及ばないか、俺の努力をあっさりと超えられて、手が届かないと自分の心が折れて動けなくなってしまわないかと。

 心配だった。不安だった。怯えていた。恐怖があった。

 だけど今、俺が背負うものは何もない。ただ自分一人の命を背負っているだけだ。

 賭けているのが自分の命だけなら、こうもダンジョンというのは興奮を感じることのできる場所だったのかと、俺は初めてそれを知る。 
 体は鎖でも巻かれているのかと思う程に鈍かった。反対に心は今までのいつよりも軽く、踊る様に高ぶっている。

 自然と、笑みが零れた。

 黒い異界のダンジョンで、俺は笑う。自分の命の責任しか背負うことをしない、弱者の称号をこの体に背負って、俺は想いを吐き出した。

「楽しみだ」

 先のわからない未知の恐怖を堪能しながら、俺は前へと歩き出す。





 ダンジョンには幾つかのルールが存在する。

 そのルールの内最も覚えやすいものと言えば、ダンジョンは時間帯が夜になる程、魔物が強くなるというものだろう。

 特に深夜の時間帯のダンジョンは非常に危険だ。魔物は下級、中級、上級と強さによって区分されているが、魔物の中でも一番弱いランク帯である下級の魔物でも、その一つ上である中級の魔物に近い力を発揮するらしい。

 勿論個体差はあるが、日中の時間と夜の時間では全ての魔物の能力が比較にならない程上昇しているのは間違がない。

「……」

 息を殺す様に歩いていた。一つの音も聞き逃さないように、自分の呼吸音すら邪魔に感じて、ゆっくりとした呼吸を意識的に繰り返す。
 自分がどれほど馬鹿なことをしているのか自覚しながら、それでも足を止めることなく探していた。このダンジョンの住人とも言える存在である、魔物を。

(……第五区画)

 ダンジョンは五つの区画に分かれている。そして今俺が歩いているこの場所は、下級の魔物が多く徘徊する第五区画と呼ばれる場所だった。冒険者の初心者が主に活動をする第五は魔物とのエンカウント率も低く、危険度は低い。その代わりにかなりの広さを誇っており、ダンジョンから出る為のゲートを見つけるのには苦労する特徴があった。

 見覚えも多い大通りを歩いていると、昔の記憶が頭をよぎる。俺がまだ冒険者になったばかりの頃はよくこの場所を震えながら探索していた。その時のことを思い返しながら歩いていると、大理石調の地面を踏む特徴のある音が暗闇の向うから響いた。

 その音を聞いて、足を止める。

 自分の音とは違った、重量のある音。それは聞き覚えがあり、何度もこの耳で捉えてきた音だった。

 足音は近づいていて、少しばかり開いた俺の正面でその音を止めた。目を細め暗闇に潜む様に佇む存在に目を向ける。視界が捉えた俺の対面にいる存在は、黒の装甲で包み込み、人と良く似ているシルエットをしていた。ただ、その体は俺よりも大きく、分厚い。存在感も、圧迫感も、俺が備えている物とは比べ物にならないことは一目見るだけで理解できた。

 黒いこの世界と同化するそれは、青い光を眼光と胸部から漏らしていた。その光の正体が何なのか、俺は知っている。

 冒険者の目的。それはこのダンジョンから物資を調達すること。その中でも高値で売れるのが、魔物の素材だ。討伐対象である魔物の光は、冒険者にとっての灯りにも代わる。

「……歩兵《ウォーカー》」

 俺と魔物。二つの存在しか感じないこの場所で、お互いの動きを探かの様に緊張感を空気に溶け込ませた。

 魔物の持つ光は、彼等の格の証明だ。瞳と、心臓。そこから溢れる色によって魔物の強さは把握することができる。

 青は下級。つまりはこのダンジョンの中でも最も弱い存在であることの証明だ。

 通常、冒険者はパーティで魔物と戦う。たとえ最弱の存在である下級だろうと、安全な策をとり、リスクを減らし、危険な賭けには走らない。今の強者と呼ばれる冒険者達はそうやって生まれてきた。彼等は実績と経験を重ねた上で、着実に勝利を手にしてきたのだ。

 冒険者にとっての強者とは、生存能力の高い存在を意味している。

 だが、俺は今からその冒険者達とはまったく違う方法を取る。リスクしかない方法で、リターンがあるかもわからないやり方で、危険な賭けに自分の命を賭ける死にたがりに、俺は成る。

「ははっ」

 興奮していた。他の冒険者がしないことを、できないことを、弱者と呼ばれた俺が行う。成し遂げるのだ。

 想像する。今目の間にいる敵に、自分が勝利している姿を。

 これは驕りか? 俺はただの愚か者か? そうだろう。愚かでなければこんなことするわけがない。これは自分に驕っていないと踏み出すことのできない愚かな一歩なのだから。

「ははっ!」

 笑えた。今まで感じてきたどの瞬間よりも俺の腹から笑いが湧き上がってきている。見下され蔑まれ嗤われてきた俺が、自分の力だけでこいつを殺す。それは夢物語のようだが、実現することは不可能ではないと判断する程に俺は俺の可能性を信じている。

「──俺はまだ、上にいける」

 燃える様に熱い血液を全身に滾らせ、盾を前に構えた。

 仲間の為に磨いたこの技術を、俺は初めて、己の願望の為だけに振るう。

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