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あそこの舞台に立つのは俺じゃない
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全国区のスターがひしめき、華々しく開幕した音弧祭りの裏で、次期国民的スター候補生を逃がした(正確に言うとキャッチアンドリリースという感じだ)声優部は、会場となる小体育館の狭い楽屋で本番までの間、まんじりともせず待機している。
ただ、小体育館と言っても正式なバスケットコートが一面ある立派なもので、千人収容するには十分な広さだ。ステージ施設も一通り完備されており、普通の高校なら大体育館と名乗ってもおかしくない。
それもそのはず、以前の音弧野高にはこの体育館しかなかったのだ。そのため、充実した設備が揃っているのである。
しかし、そうは言っても築年数は十年以上にもなる古い建物である上、今ではメインでの使用を大体育館に奪われ、中体育館の後塵すら拝する有様である。そのため、どことなく湿っぽく、実に場末感がある。こんな場所をあてがわれたのも、氷堂が参加しなくなったからだろう。氷堂が参加していたら中体育館くらいは用意されていたに違いない。
氷堂の出演が取り止めになってからは声優部の公演には主な動きもなく、尻すぼみ感は半端ない。声優部の舞台に対する注目度は一気に下がり、上演自体が中止になったと思っている人も少なくない。
代わりに主役となったのは流介である。普段はひょうひょうとして得体のしれない流介も、今日ばかりはさすがにナーバスになっているように見える。なんせ、氷堂に代役となったのだから。
流介は衣装となる紺のテーパードパンツと同色のシャツを身に着け、床の一点を見つめている。衣装が一見地味なのは、一人芝居ということで、複数の役をこなさなければならず、衣装チェンジをする時間もないため、シンプルな服装にして観客に衣装を想像させるためであるらしい。
さっきから黙ったままで、その表情も硬いような気もするのだが、それは薄暗くて湿っぽいこの小体育館の楽屋がそう見せているだけのことなのかもしれない。流介が本番前に緊張するなんて考えることは難しい。
とはいえ、やはり緊張しているように見えるので、実際緊張しているのかどうかの確認も兼ねて声をかけてみることにした。しかし、もし本当に緊張しているのであれば、それ相応の気の利いた言葉をかけなくてはならない。どうしようかと思案した挙句、名案が浮かんだので俺は声をかけた。
「どう? 緊張してる?」
シンプルイズベストだ。こういうのは直截に聞いた方がいいのだ。
「してるよ」
「え? そうなの?」
返ってきた答えもシンプルだったので俺もシンプルに返した。
「そうだよ」
「そうかぁ」
シンプルを通り越して間抜けな問答になってしまった。そうか、本当に緊張していたのかぁ……。だったら、俺が緊張を解いてやらなければいけない。俺ができるのはせいぜいそれくらいのことだ。
「まぁそのぉ……、あれだ。舞台つったところでさぁ、とって喰われるわけじゃねぇんだしよぉ、よく言うじゃん? 観客をカボチャと思えば緊張しねぇって。でも、俺的にはカボチャってのは、ありゃあ野菜というよりはお菓子の具材だな。だって、カボチャの煮っころがしよりもパンプキンプリンとかパンプキンタルトの方が美味いじゃん?」
「……」
「あれお前、カボチャ嫌い? 俺好きだなあ。野菜と思うとかなり微妙だけどデザートだと思うと案外美味いぜ」
「……」
「なぁ、流介。……聞いてる?」
「あ、ごめん聞いてなかった」
「なんだよ」
「つーか、今楽しんでるんだから邪魔しないでもらえるかな」
「え、お前今何かやってたの?」
「緊張を楽しんでたんだよ」
「なんだそりゃ?」
「ほら、あるじゃん。本番前の独特のさ、こう、キューッとなって、ハァーッとなって、オエッってなるやつ」
「擬態語ばっかりで全然わかんねぇよ」
「そうかぁ、太一にはわかんないかぁ」
なんかムカつく。
「まぁでも、あるんだよ、そういうのが。で、そういう感覚って普段生活しると、あんまりないじゃん? こう、切羽詰まった感じっていうか、追い詰められた感じっていうか」
そんな感じが普段の生活からよくあったら、たまったものではない。
「だからそういうの感じるとさ、あぁ生きてるなぁ、って思うわけ。今それを楽しんでたのさ」
「そうか……。舞台とかそういうの、俺立ったことねぇから全然わかんないけど、そういうもんなのか」
「そういうもんなんだよ」
「そうか……」
まぁ緊張を楽しんでいるのはわかった(わかんねぇけど)。でも、こいつは元々声優だ(正確に言うと声優志望だ)。流介は声優は役者の一部だ、って言ってたけど、そうは言っても基本的には声優は役者と違って舞台には立たないと思う。よくよく考えたら、そんなこいつが畑違いの舞台に立つのだ。
「お前声優なのに舞台上がんの怖くねぇのかよ」
「前にも言ったけど、声優は俳優の仕事の一部だよ。だから俺は声優である前に、先ず役者なんだ。役者が舞台に上がるのは当たり前だろう? それに、あそこの舞台に立つのは俺じゃない」
「は?」
「あそこに立つ俺は違う人間になった俺だから、厳密に言うと俺じゃないんだ」
「……いやお前だろ?」
「そうなんだ。でも違うんだ」
「言ってる意味がわからないんですけど」
「太一にはわからないだろうね」
「わからねぇよ。俺、舞台立ったことねぇもん」
「まぁ、俺も立ったことないんだけどね」
「なかったんかい! ベテランみてぇに偉そうな口利きやがって、むしろ初心者この野郎」
偉そうなことばかり言いやがって、こいつもやったことないんじゃねぇか。そのくせ人を小馬鹿にしやがって。もうこいつのことは知らん。ちょっと気を遣おうと思ったのは大間違いだった。
とも思ったが、こうも思った。流介が人前で演劇をしたことはないというならド素人ということだ。つまり俺と同じだということだ。ということは、今から俺が本番の舞台に上がるのと、大した差はないのではないか。
というわけで俺は俺自身が声優部の舞台に上がることを想像してみた。冗談じゃない、と即座に思う。俺なら間違いなく逃げる。つまりは流介が今いる状況はそういうことだ。なるほど、と俺は思った。
俺は流介に、
「ちょっとトイレ行ってくる」
と言って、楽屋を出た。そして氷堂にLINEを送った。氷堂と連絡を取るのはこれが初めてだった。
俺はこれから、バカになろうと思う。
ただ、小体育館と言っても正式なバスケットコートが一面ある立派なもので、千人収容するには十分な広さだ。ステージ施設も一通り完備されており、普通の高校なら大体育館と名乗ってもおかしくない。
それもそのはず、以前の音弧野高にはこの体育館しかなかったのだ。そのため、充実した設備が揃っているのである。
しかし、そうは言っても築年数は十年以上にもなる古い建物である上、今ではメインでの使用を大体育館に奪われ、中体育館の後塵すら拝する有様である。そのため、どことなく湿っぽく、実に場末感がある。こんな場所をあてがわれたのも、氷堂が参加しなくなったからだろう。氷堂が参加していたら中体育館くらいは用意されていたに違いない。
氷堂の出演が取り止めになってからは声優部の公演には主な動きもなく、尻すぼみ感は半端ない。声優部の舞台に対する注目度は一気に下がり、上演自体が中止になったと思っている人も少なくない。
代わりに主役となったのは流介である。普段はひょうひょうとして得体のしれない流介も、今日ばかりはさすがにナーバスになっているように見える。なんせ、氷堂に代役となったのだから。
流介は衣装となる紺のテーパードパンツと同色のシャツを身に着け、床の一点を見つめている。衣装が一見地味なのは、一人芝居ということで、複数の役をこなさなければならず、衣装チェンジをする時間もないため、シンプルな服装にして観客に衣装を想像させるためであるらしい。
さっきから黙ったままで、その表情も硬いような気もするのだが、それは薄暗くて湿っぽいこの小体育館の楽屋がそう見せているだけのことなのかもしれない。流介が本番前に緊張するなんて考えることは難しい。
とはいえ、やはり緊張しているように見えるので、実際緊張しているのかどうかの確認も兼ねて声をかけてみることにした。しかし、もし本当に緊張しているのであれば、それ相応の気の利いた言葉をかけなくてはならない。どうしようかと思案した挙句、名案が浮かんだので俺は声をかけた。
「どう? 緊張してる?」
シンプルイズベストだ。こういうのは直截に聞いた方がいいのだ。
「してるよ」
「え? そうなの?」
返ってきた答えもシンプルだったので俺もシンプルに返した。
「そうだよ」
「そうかぁ」
シンプルを通り越して間抜けな問答になってしまった。そうか、本当に緊張していたのかぁ……。だったら、俺が緊張を解いてやらなければいけない。俺ができるのはせいぜいそれくらいのことだ。
「まぁそのぉ……、あれだ。舞台つったところでさぁ、とって喰われるわけじゃねぇんだしよぉ、よく言うじゃん? 観客をカボチャと思えば緊張しねぇって。でも、俺的にはカボチャってのは、ありゃあ野菜というよりはお菓子の具材だな。だって、カボチャの煮っころがしよりもパンプキンプリンとかパンプキンタルトの方が美味いじゃん?」
「……」
「あれお前、カボチャ嫌い? 俺好きだなあ。野菜と思うとかなり微妙だけどデザートだと思うと案外美味いぜ」
「……」
「なぁ、流介。……聞いてる?」
「あ、ごめん聞いてなかった」
「なんだよ」
「つーか、今楽しんでるんだから邪魔しないでもらえるかな」
「え、お前今何かやってたの?」
「緊張を楽しんでたんだよ」
「なんだそりゃ?」
「ほら、あるじゃん。本番前の独特のさ、こう、キューッとなって、ハァーッとなって、オエッってなるやつ」
「擬態語ばっかりで全然わかんねぇよ」
「そうかぁ、太一にはわかんないかぁ」
なんかムカつく。
「まぁでも、あるんだよ、そういうのが。で、そういう感覚って普段生活しると、あんまりないじゃん? こう、切羽詰まった感じっていうか、追い詰められた感じっていうか」
そんな感じが普段の生活からよくあったら、たまったものではない。
「だからそういうの感じるとさ、あぁ生きてるなぁ、って思うわけ。今それを楽しんでたのさ」
「そうか……。舞台とかそういうの、俺立ったことねぇから全然わかんないけど、そういうもんなのか」
「そういうもんなんだよ」
「そうか……」
まぁ緊張を楽しんでいるのはわかった(わかんねぇけど)。でも、こいつは元々声優だ(正確に言うと声優志望だ)。流介は声優は役者の一部だ、って言ってたけど、そうは言っても基本的には声優は役者と違って舞台には立たないと思う。よくよく考えたら、そんなこいつが畑違いの舞台に立つのだ。
「お前声優なのに舞台上がんの怖くねぇのかよ」
「前にも言ったけど、声優は俳優の仕事の一部だよ。だから俺は声優である前に、先ず役者なんだ。役者が舞台に上がるのは当たり前だろう? それに、あそこの舞台に立つのは俺じゃない」
「は?」
「あそこに立つ俺は違う人間になった俺だから、厳密に言うと俺じゃないんだ」
「……いやお前だろ?」
「そうなんだ。でも違うんだ」
「言ってる意味がわからないんですけど」
「太一にはわからないだろうね」
「わからねぇよ。俺、舞台立ったことねぇもん」
「まぁ、俺も立ったことないんだけどね」
「なかったんかい! ベテランみてぇに偉そうな口利きやがって、むしろ初心者この野郎」
偉そうなことばかり言いやがって、こいつもやったことないんじゃねぇか。そのくせ人を小馬鹿にしやがって。もうこいつのことは知らん。ちょっと気を遣おうと思ったのは大間違いだった。
とも思ったが、こうも思った。流介が人前で演劇をしたことはないというならド素人ということだ。つまり俺と同じだということだ。ということは、今から俺が本番の舞台に上がるのと、大した差はないのではないか。
というわけで俺は俺自身が声優部の舞台に上がることを想像してみた。冗談じゃない、と即座に思う。俺なら間違いなく逃げる。つまりは流介が今いる状況はそういうことだ。なるほど、と俺は思った。
俺は流介に、
「ちょっとトイレ行ってくる」
と言って、楽屋を出た。そして氷堂にLINEを送った。氷堂と連絡を取るのはこれが初めてだった。
俺はこれから、バカになろうと思う。
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