五月の疾風

黒菫

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「……フータ、何組?」

 春。桜の花びらがちらちらと舞い散る季節。そして私が大嫌いな季節だ。友人らは新たな出会いだ、恋の季節だと抜かしているし、某広告は『新生活応援キャンペーン☆』、大人たちはコンパだ、花見だと浮かれているのだとか。どうやら現代日本人の大半は春が大好きらしい。それに、日本人が春を好むのは何も今に始まった事じゃない。古き時代の日本人だって、散っている桜が趣深いなぁだとか、愛しい君に花でも摘んでいこうかなぁとか、そんな気持ちを和歌にしたためているのだ。春が嫌いなわけがない。そう言う意味では現代でも古典でも日本人の中では少数派に属する私であるが、いたって普通の女子中学生、いや、今日からは花の女子高校生だ。それで、何の話をしていたんだっけ。そう、春が嫌いだって話。春は私が一年間をかけて丁寧に積み重ねてきた人間関係だったり、気に入った居場所だったりなんかをやれ入学式だ、やれクラス替えだと何の躊躇もなく破壊していく。できるのであれば二度と私の前に現れないでいただきたい。ストレートにいうなら死ね屑。

「おい、話聞いてんの?」

 耳に八本足の軟体動物ができてしまうほど聞きなれてしまった声で、私は我に返った。澄んだ青い空に薄ピンク色の桜の花びらが映える、いとをかしな景色を背景にドーンと大きな白い紙が立ちはだかっている。これは、クラス発表のための掲示だ。次の瞬間、目の前に男の顔が現れる。パッと見た感じ女ともとれる、どこかリス系の小動物を髣髴させる顔をゆがませているこいつが小宮山颯太。フータだ。

「ああ、ごめん聞いてなかった。なんだっけ。」

「ええ? だからお前がクラス聞いたんじゃん。」

「そうだった。……何組?」

「本当ババアだよな、ハエちゃんは。二組。」

「……私と一緒じゃん。」

「その話を、俺がしてたんだけどね。」

 フータはそう言って微苦笑を浮かべる。ちなみに私は桐沢皐月。フータからはハエちゃんと呼ばれている。ハエちゃんのハエは蝿だが、何もいじめられているわけではない。中学三年の夏くらいに五月蝿いと書いてうるさいと読むことを知ったばかりのフータが、大人しい部類の人間だった私に

「皐月は五月のことだしそこに蝿足せば、桐沢もうるさくなるんじゃね?」

とか適当かつ訳の分からないことを言われてつけた愛称だ。足しているどころか五月要素消えてるから足してないんじゃないとか、そもそも私がうるさくなる必要性とは、とかいろいろ突っ込みどころがありすぎるのだが、フータは気に入っているようだし、私も死ぬほど嫌なわけではないので、呼び方に関しては許容している。

「そういや昨日携帯の調子悪かった?」

「……心当たりないけど。」

 ピカピカな下駄箱へ春泥のこびり付いたスニーカーを収納するのを躊躇っている私にフータが問うた。どうやらフータは少しの躊躇いもなく入れてしまったらしい。何ら気にする様子もなく、事前登校の際に購入した上靴をリュックの中から取り出していた。どうせ汚れてしまうのだから、と言ってしまえばそれまでだが、これをめんどうだ、だるいと思いながらも一生懸命磨いてくれた人がいるのだ。つまり私は今、名も知らないその人の努力を一瞬で台無しにしてしまうことも、少しでもこの綺麗さを残しておくことも出来るというわけだ。そんなことを考慮してさんざん思考の反復横跳びをした挙句軽くアスファルトに靴の底を叩きつけて、気持ち泥を落としてからそっと下駄箱に靴を収納した。一息ついて、はっと顔を上げる。とっくに靴を履きかえた彼は少し離れたところから黙ってこちらを見ていた。急いで靴を履き替えて、彼に駆け寄り「ごめん、待たせて。」と軽く頭を下げた。

「いいよ、ハエちゃんのどうでもいいことに一生懸命なとこ悪くないと思うし。」

そう言いながらフータが教室へ向かって歩き出す。すぐに私はその背中を追いかけた。

「ところで、携帯の調子がどうって話。」

「切り替え早いな。……そう、昨日十五戦目で急に落ちたじゃん。」

「……落ちたのそっちじゃないの?」

「は? ハエちゃんじゃん。俺の携帯正常だったし。」

 これは私たちのやっている携帯RPGゲームの話だ。このRPGゲームは、ストーリーを進めて手に入れたゲーム内通貨でガチャを回して出てきたキャラクターの中からレア度やHP、攻撃力、防御力などや自分の扱いやすい職種などを考慮しながら四人選び、パーティーを組む。そのパーティで敵を倒し、ストーリーを進めていくゲームだ。私のパーティーのリーダーは大きな剣を振り回す赤髪のイケメンで、攻撃力が強いが行動が遅い。フータのリーダーはウサギ耳の可愛らしい童顔の女の子で、攻撃や行動が早い反面HPの減りが早いという特徴がある。一緒にクエストに行くと大体おいていかれてしまい、私の赤髪イケメンは残兵処理班と化してしまうのだが、逆にいえば役割が明確なので何も知らない人と行くより気楽だし、操作自体は簡単なので通話をつないで雑談なんかしながらクエストに行く時間が私にとって一番楽しく、幸せな時間だ。

 急に落ちたというのは、昨日二人でクエストに参戦している間に回線が切れてしまったということだ。単に回線の悪いところに移動してしまったか、携帯の調子が悪かったかなのだが、どちらにも心あたりがない……いや、待てよ。

「なんか。」

「うん。」

「こないだのクラス会、あったじゃないですか。」

 「おぉ、急に敬語きたな。」とフータがやんわり突っ込む。こないだのクラス会というのは、卒業を祝うために卒業式の後に親と子供が集まってカラオケに行ったというやつのことだ。

「そん時歩いてたら急に雪降ってきて、そのまま大雪になったじゃん。」

「おう、なんなら吹雪っぽかったよな。」

「道、わかんなくなったから、スマホで地図調べてたんだけどさ。」

「うん。方向音痴だもんな。一緒に行けばよかった。」

「うん、そしたら小学生かなんかわかんないけど急に雪玉が前から飛んできてさ。」

「それにぶつかって携帯落として雪に埋まったとか? とろいなあ。」

「いやそうじゃなくて。」

 フータはコミュニケーション能力が高い、と私は勝手に評価している。それ故に私みたいに人のペースに合わせて会話することができない人間の話は、勝手にのっとってしまうという癖がある。私はこの癖をコミュニケーションおばけと勝手に呼んでいる。

「私は避けようと思ったの。前から来たらさすがに気が付くし。」

「お、成長したなぁ。出会ったころは真正面から飛んできた紙飛行機よけられなくて、おでこに突き刺さってたじゃん。」

「……フータ、話の腰を折らないで。」

 「悪い、つい。」と爽やかな笑みを浮かべて謝った。私は頷くだけして話を続ける。

「避けようと思って動かした足の先に氷張ってて、滑って転んで携帯雪の中に埋まった。」

「そっから調子がいくないような気もする。」と付け足すとフータが苦笑いして、

「うん、前言撤回。やっぱハエちゃんとろいわ。」

「まぁ……否定はできない。」

そうこうたわいのない会話ともいえぬ会話をなんとか投げ合いながらフータについていくと、いつの間にか一年二組と表示されている教室の扉の前にたどり着いていた。

「ハエちゃん、なんか緊張するな。」

 フータの声は心なし震えている。冷や汗のような液体が、彼のほおをつたって制服のワイシャツに染み込んでいくのを私は目撃した。フータは何かに出会いに行くまでは先頭切って私がおいてかれてしまうくらいすたすた歩いていけるのに、いざ何かと出会いそうになる直前まで来てしまうと、決まってひどく緊張する。そのくせ少し勇気を振り絞って出会ってしまえばお得意のコミュニケーションおばけを発動して、さっさと馴染んでしまうのだ。底抜けに明るそうにみえて、実はかなり自己評価が低い。きっとこれはそれの表れなんじゃないかと思う。どうやっても先に「上手くいかないかもしれない。」という考えが先によぎり、不安になりやすい。そのせいかわからないが非常に病みやすい体質をしている。

反面、私はというとフータと違って緊張はしないが、フータのように成功することはない。私は、自分のことがよくわかっていて、自分の評価をしっかり正当にできる人間であると勝手に自負している。だから得意の妄想――もとい、分析を味方につけて、あらかたこれから起こりえる困難を出来るだけ多く想定しておく。それからある程度自分が普通に、当たり障りなく切り抜けられるような解決策をまえもって練っておくのだ。とろいとろいと言われるが、それはたいてい想定外のことが起こった時のこと。いつも先読みして物事を対処しているので、残念ながらそういうアクシデントにはめっぽう弱い。苦手な言葉は臨機応変。よく言われるのが冷めた不器用。かなり言えているように思う。

「失敗しても、私がいるから大丈夫。」

 フータを励ますとき、彼自身をほめる方法はぶっちゃけ通用しない。なぜなら先ほども言った通り、彼は自己評価が低いからだ。自己評価が低い人間に「あんた、すごいんだから絶対うまくやれるよ。」といっても、そう言われた本人は首をかしげるばかりか、自分はそれが出来ることを求められているのかと無駄にプレッシャーを感じさせてしまうことに繋がりかねない。

 だから、きっと成功するだろうということを示唆するのではなく、もし失敗してしまってもあなたには後ろ盾がいるよということを伝える方が良い、というのが私の自己評価が低い人間の励まし方マニュアルである。すべて持論であり、なんの裏付けもないのであまり参考にはしないでいただきたい。

「さすがハエちゃん。頼りになるね。」

 うん、フータの顔に少し光が戻った。そんな気がする。あとは背中を押して一歩前に進ませるだけだ。私はそっとフータの骨ばった背中に手を添えて、

「ほら、行くよ。」

そして押した。これが私の、フータの友人としての仕事であり、私のフータにおける存在価値である。今までもこれからもこの背中を少し後ろから押し続けたい。へこんで後ろを向きそうになったとき、都合よく相談できるような人間でありたい。……心からそう思っているはずだった。でも実際はそうじゃないらしい。そのせいで私の存在価値が危ぶまれているのは確かである。いやでも、まだ自覚症状はないし、セーフ……。どうだろうか。

 

 さて、これを読んでいるそこのあなたに一つ格言を授けよう。〝恋は落ちるものではなく、悟るものだ〟、と。
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