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ふと会話が途切れて、カストとヴァンダはしばらく黙り込んでいた。
二人の頭の中に繰り返しよみがえるのは、先日の事件の光景だ。
お互いに言いようのない後悔や悲しみがあり、それでも全てが終わった安堵感がある。
負った傷は深くくっきりと見えているが、いずれ薄くなっていくものだともわかっている。
いずれこの重い気持ちも、何でもないことのように吐き出せるようになるのだろう。
無言の時間。さやさやと爽やかな風が、夏の暑さを緩和させる。
死に戻りの最中見た、白昼夢のようなヴァンダとの会話を思い出す。
あの時彼女への思いを自覚し、カストは今まで走ってきた。
あの頃よりもずっと濃くなった緑の気配と光に、カストは目を細める。
隣で、ヴァンダ嬢もじっと庭に落ちて黄緑色に揺れる日の光を眺めていた。
何かを振り払うように一つ息を吐いた彼女は、穏やかな笑顔でこちらを振り返る。
「ねえ、カスト様。さっきから気になっていたけれど、それは『西の騎士の物語』よね」
ヴァンダの視線はカストの膝に置かれた、臙脂色をした装丁の本に移っている。
先ほどまで読んでいたそれは、一回目の巻き戻りのとき、ヴァンダに勧められたものの一冊だ。
「ああ……ずっと気になっていたんだが、最近ようやく読み始めたんだ。なかなか面白いな」
「わたくしもそれは何回も読んだわ。わたくしの好きな場面は主人公の上官のブルーノが……」
「おいおい、先を言うのはよしてくれよ」
ヴァンダが「ごめんなさい」と楽しそうにころころと笑う。
こんなやりとりをいつかもしていたことに気付き、カストもつい唇に笑みを作った。
「ヴァンダ嬢は探偵ロマーノの新作は読んだのか?」
「ええ、もう楽しくてすぐに読み終わってしまったわ!まさかストリーナ博士がロマーノと協力関係を結ぶなんて……!」
「ああ、最後にはやっぱり裏切ったけどな」
これは以前には聞かなかった台詞だ。
死に戻りの最中……事件が終わるまで、彼女は敬愛する作家の最新作を読む暇などなかっただろう。
領主の仕事が忙しい今も趣味に興じる時間は少ないだろうが、それでも心の余裕は違うはずだった。
ヴァンダには穏やかに読書に没頭してほしいし、許されるならこうして好きな物語の話をしていたい。
やはり彼女とは本の趣味が合い、好きになるポイントも似ている。
たまに意見が割れたりもするが、それを論議するのも楽しかった。
「ロマーノの最終巻ってどうなるんだろうな。やっぱり博士との対決か……」
「最後のことなんて考えたくないわねえ。ずっと続いていてほしいわ」
「それは俺も思うよ。だが博士との最終決戦は早く見たいんだ」
二人はしばらく、探偵ロマーノの話題で盛り上がった。
穏やかだが楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気付けば太陽の位置がだいぶ動いていた。
「ねえ、カスト様……。ちょっと聞いてほしいことがあるの」
「ん?」
「笑わない?」
ふと声をひそめたヴァンダが、伺うような目でカストを見上げる。
期待と少しの不安が入り混じったその瞳に、何となく彼女の言いたいことを察して「ああ」と頷いた。
しっかりしたカストの返事に、僅か安心したように息を吐き、ヴァンダは続ける。
「実はね、わたくし……小説を書いているの」
「……そうなのか」
「ええ。まだまだ全然素人で、完結するかもわからないんだけど」
小声で喋りながら、恥ずかしそうにもじもじしている様子が珍しく、カストは目を細める。
それにヴァンダが告げたことが己の予想と合っていて、何となく嬉しい。
にやける顔を隠せそうになく、口元を手でおおいながら言った。
「ヴァンダ嬢の書く小説か……きっと面白いんだろうな」
「そんな……!まだ読んでもいないでしょう?……わたくしも誰かに読んでもらったことは無いから、面白いかどうかもわからないわ」
不安そうな表情は、常に堂々と胸を張っている令嬢の新たな側面だった。
ヴァンダはたくさんの物語を読み、名作も駄作も知っている人。
そんな彼女だから初めて書いた小説に対する自信など、持とうとしても持てないのかもしれない。
頬を僅かに染めながら、令嬢はちらりちらりと視線をさまよわせている。
「それで……もし良かったらだけど、カスト様」
「ああ」
そう言って、ヴァンダは意を決したようにカストを見た。
「必ず完結させるから、ぜひ読んで欲しいの。貴方に……一番に読んで欲しいのよ」
幾度か彼女に告げられた台詞。
それは何度聞いても心に暖かな感情がわきあがってくる。
全てが終わった今現在だからこそ、さらに胸にずっしりとした重みと充実感が溢れた。
ふわりとした爽やかな夏の風が心の中にまで入り込んだような心地で、カストは微笑む。
「ああ、ぜひ読ませてくれ。凄く楽しみにしてる」
令嬢の笑顔が、大輪の薔薇のように咲く。
夏の陽光よりも眩しい彼女に、カストはすっと目を細めた。
これから先、ヴァンダの小説は書き続けられるだろう。
彼女の物語がまだ続いていく……そのことがただただ嬉しかった。
二人の頭の中に繰り返しよみがえるのは、先日の事件の光景だ。
お互いに言いようのない後悔や悲しみがあり、それでも全てが終わった安堵感がある。
負った傷は深くくっきりと見えているが、いずれ薄くなっていくものだともわかっている。
いずれこの重い気持ちも、何でもないことのように吐き出せるようになるのだろう。
無言の時間。さやさやと爽やかな風が、夏の暑さを緩和させる。
死に戻りの最中見た、白昼夢のようなヴァンダとの会話を思い出す。
あの時彼女への思いを自覚し、カストは今まで走ってきた。
あの頃よりもずっと濃くなった緑の気配と光に、カストは目を細める。
隣で、ヴァンダ嬢もじっと庭に落ちて黄緑色に揺れる日の光を眺めていた。
何かを振り払うように一つ息を吐いた彼女は、穏やかな笑顔でこちらを振り返る。
「ねえ、カスト様。さっきから気になっていたけれど、それは『西の騎士の物語』よね」
ヴァンダの視線はカストの膝に置かれた、臙脂色をした装丁の本に移っている。
先ほどまで読んでいたそれは、一回目の巻き戻りのとき、ヴァンダに勧められたものの一冊だ。
「ああ……ずっと気になっていたんだが、最近ようやく読み始めたんだ。なかなか面白いな」
「わたくしもそれは何回も読んだわ。わたくしの好きな場面は主人公の上官のブルーノが……」
「おいおい、先を言うのはよしてくれよ」
ヴァンダが「ごめんなさい」と楽しそうにころころと笑う。
こんなやりとりをいつかもしていたことに気付き、カストもつい唇に笑みを作った。
「ヴァンダ嬢は探偵ロマーノの新作は読んだのか?」
「ええ、もう楽しくてすぐに読み終わってしまったわ!まさかストリーナ博士がロマーノと協力関係を結ぶなんて……!」
「ああ、最後にはやっぱり裏切ったけどな」
これは以前には聞かなかった台詞だ。
死に戻りの最中……事件が終わるまで、彼女は敬愛する作家の最新作を読む暇などなかっただろう。
領主の仕事が忙しい今も趣味に興じる時間は少ないだろうが、それでも心の余裕は違うはずだった。
ヴァンダには穏やかに読書に没頭してほしいし、許されるならこうして好きな物語の話をしていたい。
やはり彼女とは本の趣味が合い、好きになるポイントも似ている。
たまに意見が割れたりもするが、それを論議するのも楽しかった。
「ロマーノの最終巻ってどうなるんだろうな。やっぱり博士との対決か……」
「最後のことなんて考えたくないわねえ。ずっと続いていてほしいわ」
「それは俺も思うよ。だが博士との最終決戦は早く見たいんだ」
二人はしばらく、探偵ロマーノの話題で盛り上がった。
穏やかだが楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気付けば太陽の位置がだいぶ動いていた。
「ねえ、カスト様……。ちょっと聞いてほしいことがあるの」
「ん?」
「笑わない?」
ふと声をひそめたヴァンダが、伺うような目でカストを見上げる。
期待と少しの不安が入り混じったその瞳に、何となく彼女の言いたいことを察して「ああ」と頷いた。
しっかりしたカストの返事に、僅か安心したように息を吐き、ヴァンダは続ける。
「実はね、わたくし……小説を書いているの」
「……そうなのか」
「ええ。まだまだ全然素人で、完結するかもわからないんだけど」
小声で喋りながら、恥ずかしそうにもじもじしている様子が珍しく、カストは目を細める。
それにヴァンダが告げたことが己の予想と合っていて、何となく嬉しい。
にやける顔を隠せそうになく、口元を手でおおいながら言った。
「ヴァンダ嬢の書く小説か……きっと面白いんだろうな」
「そんな……!まだ読んでもいないでしょう?……わたくしも誰かに読んでもらったことは無いから、面白いかどうかもわからないわ」
不安そうな表情は、常に堂々と胸を張っている令嬢の新たな側面だった。
ヴァンダはたくさんの物語を読み、名作も駄作も知っている人。
そんな彼女だから初めて書いた小説に対する自信など、持とうとしても持てないのかもしれない。
頬を僅かに染めながら、令嬢はちらりちらりと視線をさまよわせている。
「それで……もし良かったらだけど、カスト様」
「ああ」
そう言って、ヴァンダは意を決したようにカストを見た。
「必ず完結させるから、ぜひ読んで欲しいの。貴方に……一番に読んで欲しいのよ」
幾度か彼女に告げられた台詞。
それは何度聞いても心に暖かな感情がわきあがってくる。
全てが終わった今現在だからこそ、さらに胸にずっしりとした重みと充実感が溢れた。
ふわりとした爽やかな夏の風が心の中にまで入り込んだような心地で、カストは微笑む。
「ああ、ぜひ読ませてくれ。凄く楽しみにしてる」
令嬢の笑顔が、大輪の薔薇のように咲く。
夏の陽光よりも眩しい彼女に、カストはすっと目を細めた。
これから先、ヴァンダの小説は書き続けられるだろう。
彼女の物語がまだ続いていく……そのことがただただ嬉しかった。
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