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 柔らかな陽光が差し込む庭のベンチに、赤毛の令嬢が腰かけている。
 凛とした仕草で本を読む彼女の姿は、完成された一枚の絵のようだ。

 カストの気配に気づいたのか、絵画だった令嬢が動いた。
 緑色の瞳が己の姿をとらえる。

「あら、カスト様。今日もいらしてくれたのね」
「ああ、今日は仕事の用事もあるんだけどな」

 片手を上げて近づくと、ヴァンダ嬢も本を閉じて立ち上がる。
 そばにはいつものメイドが控えていたが、一歩下がって自分たちの様子を見守るだけだった。

「この前薦めてくれた本、全部読んだぜ。なかなか面白かった」
「まあ、もう読まれたのですか?流石カスト様ですね」
「文章が読みやすかったからな。内容も飽きなかった」

 カストとヴァンダが初めて会話した日から、数週間。
 二人は気の置けない友人になっていた。

 とは言ってもほんの僅かな時間、読んだ本やおすすめの本について意見交換をするだけだ。
 若い令嬢と長い間話すものではないと、流石のカストも知っている。

 しかしヴァンダとは本の趣味も合い会話も楽しい。
 カストはこの僅かな時間を楽しみにしていた。

「あの作者の本はまだまだおすすめがあるわ。リストを作ったからどうぞ読んで」
「ありが……おお、結構多いな。流石ヴァンダ嬢だ」
「ふふふ」

 先ほどの台詞を返せば、彼女は朗らかに笑う。
 その表情には最初に感じた『美しいが厳しい人』という印象はない。

 明るく快活なごく普通の令嬢だった。

 が、今日は彼女の顔色がわずかに暗く感じる。
 化粧で隠されているが、目の下には薄っすらとしたクマがあるようだった。

「……ヴァンダ嬢、少し顔色が悪いが、寝不足か?」

 そっとしておくべきか逡巡するがやはり心配なので、カストはおずおずと尋ねる。
 ヴァンダはわずかに目を見開き言葉を詰まらせたが、すぐにふわりと笑った。

「そうですね。本を読みすぎて……いいえ、ちょっと気になることがあって……」
「……誤魔化さないんだな」
「嘘をつくのは嫌いだもの。とくに大切な友人にはね」

 悪戯っぽく目を細めた令嬢は、ふと視線を逸らしてうつむく。

「でもごめんなさい。それ以上は言えないの」
「俺は頼りにならんか?」
「いいえ。まだ一人で考えたいの。いつか話せるまで待って」

 そうまで言われては、カストは二の句を継げられない。
 もどかしい思いを抱えながらも、「わかった」と頷いた。

「じゃあそろそろ行くな。今度は俺のおすすめの本も持ってくる」
「ええ、楽しみにしてるわ」

 和やかに会話を終えて、カストはヴァンダと別れて屋敷へと入った。

 平静を装って馴染みのフットマンに声をかけるが、心中は穏やかではない。
 彼女が何を悩んでいるのか心配になったからだ。

(やはり、魔法遺物の横流しのことを?しかしここ数週間、妙なことは起きてねえが……)

 ライモンドに同行してレグラマンティ家や研究施設に赴いている。

 調べられる範囲で調べているが、不穏な動きがあるようには思えない。
 遺失物リストにあった魔法遺物も、まだ紛失した様子はなかった。

 もう少し突っ込んだところまで調査しなければならないだろうか?
 しかしこれ以上は怪しまれる。

(まだヴァンダ嬢は行動に移してねえのか……そういや以前もいきなり疑惑が湧いてきたような)

 時が巻き戻る前に、もう少しヴァンダ嬢やレグラマンティ家について調べておけばよかった。

 もちろん捜査のために作られた資料や、遺失物についてはよく記憶している。
 しかし今の現状、それだけでは足りない。

 八方ふさがりの状態に悩みながら、カストは研究室へと通された。

「ライモンド」

 機材や魔法遺物が並ぶ棚の前に、資料の確認をしていた友人が立っている。
 声をかけると、清廉な彼の顔がくるりとこちらを向いた。

「ああ、カスト。来てくれたのか」
「呼び出しておいてよく言うぜ。ほら、お忘れの資料だよ」

 こちらに歩み寄ってきたライモンドに資料を手渡すと、彼は「すまない」と苦笑う。

 聡明なライモンドは自ら魔法遺物研究や調査に参加している。
 発掘現場の警備にはカストも幾度も当たったことがあるが、友人は自分よりも熱心だ。

 彼がここまで真摯なのは、やはり婚約者の生家のことだからか?
 しかしそれにしてはライモンドがヴァンダに愛をささやくところを見たことがない。

「……なあ、ライモンド。ヴァンダ嬢には会わないのか?」
「挨拶はしているよ。それで、今日も見ていくのか?」
「……ああ」

 あっさりと返されて、カストは不機嫌に頷く。
 自分でも不思議なほどヴァンダ嬢に肩入れしていることがわかった。

 もう一言、二言何か言ってやろうかと思ったが、何とか口を噤んだ。

(友人の恋愛ごとなんざ、あんまり深入りするもんでもないしな……)

 気を紛らわせるために、研究室の中を見渡す。
 今日も遺失物リストにあった魔法遺物は、無くなっていなかった。

(……一気に持っていくつもりなのか?ほかに、何か調べられるところはねえかな……)

 棚にあった資料を取り出してめくるが、専門家でないカストには難しい。
 それにここから窃盗犯の正体を解明することは不可能だ。

「そういや、レグラマンティ卿はご不在か?」

 この部屋主であるマルティーノ・レグラマンティの姿が見えない。
 数日前にも屋敷を訪れたが、その時にも顔を見なかった。

 驚いたことに、レグラマンティ卿はカストを怒っていなかった。

 怒られて研究室を追い出されたことも追及されていない。
 それに屋敷にカストがあがるのも、拒否されたこともないのだ。

 失言したことに気付いていないか、変に拒むと怪しまれると思ったのか。
 とにかく今のカストには具合がいい。

「ああ、あと数日は戻らないんじゃないかな。お仕事だそうだし」

 カストの問いにライモンドが答える。
 彼は資料を見ながら、机に置いてある機材の調整をしていた。

「仕事か……どこへ行ったんだ?」
「隣町の発掘現場だそうだ。魔法遺物の相談に乗るらしい」
「そうか……」

 さりげなく頷き、カストは考える。

 数週間前のレグラマンティ卿の態度は、やはり引っかかるものがある。
 それに今日のヴァンダ嬢の様子も関係があるのではないだろうか?

(やはり、レグラマンティ卿は横流しの件に関わっている?まさか、主犯か?)

 だとすればヴァンダ嬢は共犯……最悪、父親の罪をなすりつけられた恐れもある。
 もしかしたら哀れ胸を撃たれて倒れた彼女は、無実の人間かもしれない。

 その可能性を考えると、胸の中にどす黒い嫌な感覚が広がっていく。

「……カスト?」

 恐らく険しい顔をしていたのだろう己に、ライモンドが首を傾げた。
 カストは我に返り、何とか笑みを浮かべて何でもないと告げる。

「悪い。そろそろ帰るぜ。もう忘れものはするなよ。それと、婚約者には優しくしとけ」
「……余計なお世話だ」

 ライモンドは少し罰が悪そうに眉をしかめた。
 本人もヴァンダ嬢に事務的である自覚はあるのだろう。

(こいつがヴァンダ嬢の話し相手になってくれりゃあな……)

 そう考えながら資料をしまい、ライモンドに手を振って研究室をあとにする。
 フットマンに挨拶をして屋敷を出、庭を見た。

 そこにヴァンダ・レグラマンティの姿はなかった。

 挨拶が出来ないことを残念に思いながら、カストは歩きはじめる。
 一旦詰め所に戻って報告をし、午後は発掘作業所と研究施設の警備の仕事だ。

 こちらの方も確認がてら調査したいので、ちょうどいい。

(……と言っても手掛かりは出ねえだろうな)

 胸中でぼやき……そこでふと思いつく。

「隣町か……」

 明日休暇をとって、レグラマンティ卿のあとをつけるのも手かもしれない。
 すぐに休暇届が受理されるかはわからないが、一応は相談してみよう。

 そう考えてカストが詰め所に帰還したのは、ちょうど昼時だった。

 昼飯を食べ終わったあと、薔薇の世話をしている同僚に遭遇した。
 土をいじるけなげな背中に、「もうすぐ嵐が来るって噂を聞いたぞ」と声をかける。

 彼は空を見上げながら「晴れてるけどねえ」と呟き、それでも「気を付けるよ」と笑った。
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