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第五章 伍塁様とお仕事 2
してあげたいことリスト
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慌てて伍塁に引き上げられた実玖は、目をぱちぱちさせた。
「大丈夫? 痛いところない?」
「すみません……また失敗してしまいました……」
「僕が洗ってあげるよ」
「え、いや、わたくしが……」
引き上げられてそのまま大きな浴槽の縁に座らされ、実玖は伍塁に髪を洗ってもらうことになった。
「わたくしは伍塁様の髪を洗って差し上げられるよう……練習もしてきたのに……」
失敗続きで心が折れた実玖は、残念な気持ちを髪を洗われながら口にした。
「実玖は本当に何でも出来るんだね」
「何も出来ていません」
実玖は泣きたい気持ちだったが、目を閉じてごまかした。
「今日ね、実玖が片付けていたガラスの食器たちから『あの子は悪くない』『猫が一方的に飛びかかってた』『あれはどこの猫だろう』『叱らないで』というのを聞いたんだ」
実玖は上を向いて閉じていた目を開けた。そこには優しい伍塁の顔があった。
「だから、何も悪く思わなくていいんだよ」
伍塁の顔を見て我慢していた涙がじわっと湧いてきて、また目を閉じた。
「目にはいっちゃった? ごめん、洗うの下手で」
「違います、嬉しくて目が痛いだけです」
夕食に届いたのは大きなハンバーガーだった。
「一度、食べてみたかったんだよね」
伍塁が次々と包みを袋から取り出してテーブルに並べる。
猫の頭より大きそうなハンバーガーを手にとって実玖は見つめた。
「大きくてどうやって食べるのかわかりません……」
「潰して食べるらしいよ」
包みの上から軽く押さえてから上半分だけ紙を開いて、伍塁はかぶりついて見せた。実玖も同じように押さえてから大きな口で、パンの上から下まで届くように噛み付く。
口の端にはみ出したソースを気にせず食べる伍塁の真似をした。
「初めて食べる味です、色々な味がする……」
ハンバーガーの断面を見つめている実玖の口の端を伍塁の指が掠めていった。その指は伍塁の舌で舐められた。
そういうものかと思った実玖は、自分も伍塁の口端に指を伸ばしてソースを拭い、ペロリと舐める。
伍塁は一瞬目を大きく開いて、口も開けて固まったが、ふっと笑ってポテトに手を伸ばしていた。
「実玖は面白いね」
「何か面白いことをしたでしょうか」
伍塁は首を降って口元を緩め、カップに入ったジンジャーエールを飲む。実玖はその刺激ある感覚が落ちていくのを想像しながら、伍塁の喉が動くのを見ていた。
「わたくしも、しゅわっとする泡を美味しいと思うようになるでしょうか」
「ふふっ、どうかなぁ」
また目じりをさげているが、伍塁は曖昧な返事をすることが多い。仕事のこと以外はぼんやりしたことしか言わないのだ。
実玖にはその微妙な感覚がまだわからなくて、時々不安になる。何がどう不安なのかもわからないが、はっきりしないことがどういう意味を持つのか想像するのが難しかった。
調べてもわからないことは聞くのが一番早い。
「伍塁様は、好きとか嫌いとかはっきり決めないのでしょうか」
ポテトをつまみながら伍塁は頬杖をつき、視線を天井に向けながら言う。
「そうだなー、好きなものが好きと思えない時もあるし、嫌いなものがずっと嫌いかもわからないからな。だから言葉で言う好きとか嫌いとかは信用してないかもね」
もう猫の時の記憶は薄れてしまってあまりないけれど、ずっと伍塁のことを大切に想っていた。それは単純に好きと表現出来ることではないような気がして、人間ならなんと言うのか実玖なりに考えていたことだった。
「わたくしは伍塁様を信用しています。言葉では伝わらないかもしれませんが」
間違っていたら伍塁なら、それはこうだよと教えてくれるだろう。少し自信が無いまま、信用という言葉を使った。
「そんなことないよ。実玖は僕を信用してくれてる。僕も実玖を信用してる。言葉では伝わらないかもしれないけど」
伍塁は実玖が一生懸命に自分に対して誠実に向き合ってくれることが、心地よかった。
ひとくち大のチキンにトマトソースを付けて「あーん」と伍塁が言うと、実玖は素直に口を開ける。伍塁が教えたことだ。
楽しそうに伍塁が笑うから実玖も楽しくなって、ポテトもフライドチキンも食べさせたあった。
伍塁と食べると何でも美味しくて幸せな気持ちになるのは「信用してる」なのかもしれないと実玖は思った。
寝室でノートを開いた実玖は、ひとり反省会をした。
楽しかった今日一日、朝からいろいろあった。
「こんなに伍塁様にしてあげたいことがあるのに……」
実玖は『してあげたいことリスト』を見てため息をついた。リストの内容は自分が猫の時にしてもらったことを逆に、してあげること。
このためにニンゲンになる修行をしてきたのだ。
-------
『伍塁様にしてあげたいこと』
□お風呂で洗う
□髪をとかす、洗う
□爪を切る
□髪を切る
□ごはんを作る
□気持ちいいところをなでる、なめる
□病気の看病
□だっこして、スリスリ
□お腹を吸う
-------
ごはんは出来てるなと、チェックした。
でも、まだそれだけだ。今日はお風呂でいろいろチャンスがあったのに、逆に洗われてしまった。
お返しに洗うと言ったら「また今度」と、湯船に浸けられてしまったのだ。
でも、楽しかったなぁとお風呂で洗ってもらったのを思い出し、今度伍塁様の伸びた髪を切ってさしあげようとノートを閉じて布団に入った。
[初だしにいこう 了]
「大丈夫? 痛いところない?」
「すみません……また失敗してしまいました……」
「僕が洗ってあげるよ」
「え、いや、わたくしが……」
引き上げられてそのまま大きな浴槽の縁に座らされ、実玖は伍塁に髪を洗ってもらうことになった。
「わたくしは伍塁様の髪を洗って差し上げられるよう……練習もしてきたのに……」
失敗続きで心が折れた実玖は、残念な気持ちを髪を洗われながら口にした。
「実玖は本当に何でも出来るんだね」
「何も出来ていません」
実玖は泣きたい気持ちだったが、目を閉じてごまかした。
「今日ね、実玖が片付けていたガラスの食器たちから『あの子は悪くない』『猫が一方的に飛びかかってた』『あれはどこの猫だろう』『叱らないで』というのを聞いたんだ」
実玖は上を向いて閉じていた目を開けた。そこには優しい伍塁の顔があった。
「だから、何も悪く思わなくていいんだよ」
伍塁の顔を見て我慢していた涙がじわっと湧いてきて、また目を閉じた。
「目にはいっちゃった? ごめん、洗うの下手で」
「違います、嬉しくて目が痛いだけです」
夕食に届いたのは大きなハンバーガーだった。
「一度、食べてみたかったんだよね」
伍塁が次々と包みを袋から取り出してテーブルに並べる。
猫の頭より大きそうなハンバーガーを手にとって実玖は見つめた。
「大きくてどうやって食べるのかわかりません……」
「潰して食べるらしいよ」
包みの上から軽く押さえてから上半分だけ紙を開いて、伍塁はかぶりついて見せた。実玖も同じように押さえてから大きな口で、パンの上から下まで届くように噛み付く。
口の端にはみ出したソースを気にせず食べる伍塁の真似をした。
「初めて食べる味です、色々な味がする……」
ハンバーガーの断面を見つめている実玖の口の端を伍塁の指が掠めていった。その指は伍塁の舌で舐められた。
そういうものかと思った実玖は、自分も伍塁の口端に指を伸ばしてソースを拭い、ペロリと舐める。
伍塁は一瞬目を大きく開いて、口も開けて固まったが、ふっと笑ってポテトに手を伸ばしていた。
「実玖は面白いね」
「何か面白いことをしたでしょうか」
伍塁は首を降って口元を緩め、カップに入ったジンジャーエールを飲む。実玖はその刺激ある感覚が落ちていくのを想像しながら、伍塁の喉が動くのを見ていた。
「わたくしも、しゅわっとする泡を美味しいと思うようになるでしょうか」
「ふふっ、どうかなぁ」
また目じりをさげているが、伍塁は曖昧な返事をすることが多い。仕事のこと以外はぼんやりしたことしか言わないのだ。
実玖にはその微妙な感覚がまだわからなくて、時々不安になる。何がどう不安なのかもわからないが、はっきりしないことがどういう意味を持つのか想像するのが難しかった。
調べてもわからないことは聞くのが一番早い。
「伍塁様は、好きとか嫌いとかはっきり決めないのでしょうか」
ポテトをつまみながら伍塁は頬杖をつき、視線を天井に向けながら言う。
「そうだなー、好きなものが好きと思えない時もあるし、嫌いなものがずっと嫌いかもわからないからな。だから言葉で言う好きとか嫌いとかは信用してないかもね」
もう猫の時の記憶は薄れてしまってあまりないけれど、ずっと伍塁のことを大切に想っていた。それは単純に好きと表現出来ることではないような気がして、人間ならなんと言うのか実玖なりに考えていたことだった。
「わたくしは伍塁様を信用しています。言葉では伝わらないかもしれませんが」
間違っていたら伍塁なら、それはこうだよと教えてくれるだろう。少し自信が無いまま、信用という言葉を使った。
「そんなことないよ。実玖は僕を信用してくれてる。僕も実玖を信用してる。言葉では伝わらないかもしれないけど」
伍塁は実玖が一生懸命に自分に対して誠実に向き合ってくれることが、心地よかった。
ひとくち大のチキンにトマトソースを付けて「あーん」と伍塁が言うと、実玖は素直に口を開ける。伍塁が教えたことだ。
楽しそうに伍塁が笑うから実玖も楽しくなって、ポテトもフライドチキンも食べさせたあった。
伍塁と食べると何でも美味しくて幸せな気持ちになるのは「信用してる」なのかもしれないと実玖は思った。
寝室でノートを開いた実玖は、ひとり反省会をした。
楽しかった今日一日、朝からいろいろあった。
「こんなに伍塁様にしてあげたいことがあるのに……」
実玖は『してあげたいことリスト』を見てため息をついた。リストの内容は自分が猫の時にしてもらったことを逆に、してあげること。
このためにニンゲンになる修行をしてきたのだ。
-------
『伍塁様にしてあげたいこと』
□お風呂で洗う
□髪をとかす、洗う
□爪を切る
□髪を切る
□ごはんを作る
□気持ちいいところをなでる、なめる
□病気の看病
□だっこして、スリスリ
□お腹を吸う
-------
ごはんは出来てるなと、チェックした。
でも、まだそれだけだ。今日はお風呂でいろいろチャンスがあったのに、逆に洗われてしまった。
お返しに洗うと言ったら「また今度」と、湯船に浸けられてしまったのだ。
でも、楽しかったなぁとお風呂で洗ってもらったのを思い出し、今度伍塁様の伸びた髪を切ってさしあげようとノートを閉じて布団に入った。
[初だしにいこう 了]
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