上 下
40 / 41
第五章  伍塁様とお仕事 2

いやがらせ

しおりを挟む
「僕は蔵から掛け軸を運ぶから、実玖みるくはここのガラスを包んでおいて。古いガラスは割れやすいからこの薄い紙も内側に入れて」

「はい、やっておきます」

 実玖はもう梱包には慣れていて、手際よく薄紙と新聞紙を並べ次々と包んでいく。

 足の長いガラスの鉢には、かき氷や水菓子を盛ったら美味しそうだとか、プツプツと入っている気泡が実玖の苦手な炭酸の泡みたいだとか、ガラスでも手触りや質感がそれぞれ違うとか、色も違うことに気がついたりと、楽しみながら手を動かしていた。

 薄い黄緑と桃色のグラデーションのガラス鉢をあちこちから眺め楽しんだ後、包もうと薄紙を手探りで引いたらビリッと破れた。
 紙の上にはさび色の猫が乗っていた。

「お前、猫だな」

「……はい、前は猫でした」

 実玖は猫相手に隠すことはないと思っているし、バレているのに否定をするのもおかしいと思っている。でも、強く言われると心がしぼむ。

「人間になるなんて猫の風上にも置けない!」

 猫はさっと身構えた。お尻をモゾモゾ動かして、狙いを定めている。もちろん狙いは実玖だ。

「待ってください、わたくしは何も悪いことはしてませんし、あなたに迷惑もかけていないと思います」

「なんだと? 人間になるだけで猫の恥さらしだ!」

 サビ猫は実玖に飛びかかって来たが実玖は咄嗟に背中を向けたので引っかかれることはなく、背中に猫が張り付いた状態になった。

「やめてください。伍塁様に借りた服が破れます」

「服なんか猫には必要ない! 俺とちゃんと勝負しろ!」

 爪で背中にぶら下がった猫を落とすために体を大きく動かすと猫は飛んでいき畳の上にきれいに着地した。と、同時に飛びかかってきて実玖はまた振り払った。
 今度は積み上げた木箱に猫がぶつかってガタガタと崩れ落ちた。

「暴れないでください。壊れてしまいます」

 実玖が箱を気にして近づくと、その箱を蹴ってまた飛びかかってくる。

「痛い、本当にやめてください」

 腕に刺さった爪の痛さに負けて思い切り振り払った猫は、外してあった襖にぶつかった。襖が倒れてきたのに驚き、慌てた猫は部屋中を走り回る。
 実玖は止めようと手を出すが、新聞紙はグチャグチャに乱れ、薄紙はあちこち舞い上がり、箱は蹴飛ばされて部屋がめちゃくちゃになってしまった。

 「何やってるんだ!」

 猫を捕まえようとして膝をつき、しっぽを掴む瞬間に柏木が大声をあげて入ってきた。実玖はその声に驚き手を滑らせ畳に顔をぶつけて転んだ。
 いつの間にか猫はどこかへ逃げていなくなってしまった。

「何散らかしてるんだ、割れ物を扱ってる時に猫と遊んでるんじゃねぇ」

 実玖は違うと言おうとしたが、散らかった部屋を見て起き上がり、正座をして「すみません」と下を向いた。

また失敗した。伍塁様になんて言ったらいいんだろう。もう付いてこれなくなるかもしれない。実玖は唇を噛んで、拳も握って震えた。

 伍塁が後から入ってきたが、実玖は柏木から出される威圧的な空気に何も言えずにいた。

 しばらく黙って目をあちこちに動かしていた伍塁が、実玖に手を伸ばして声をかけた。

「実玖は悪くない。何も壊れてないし、あとはこれだけでしょ。実玖はサボってないし遊んでもいないよ」

 後半は柏木に向かって言っていた。実玖は伸ばされた手をぼんやり見ていたが、伍塁にもう一度手を差し出されてその手を掴んで立ち上がった。

「お騒がせしてすみません」

「ホントだよ、ガキじゃないんだから」

「実玖は悪くないんだよ、ほらあの猫が実玖と遊びたかったんだ」

 伍塁が顔で中庭を指すと、さび色の猫がいて「ギャーオーン」と、掠れた声で鳴いた。

「ザマアミロ」か……わたくしは伍塁様のそばで恩返ししたいだけなのに。誰とも目を合わせずに実玖みるくは黙々と手を動かした。

 伍塁が柏木に何度も「実玖は悪くないんだ」と言いながら一緒に残りの片付けをして仕事を終えた。

 なんでニンゲンになる事を嫌う猫がいるんだろう。もし嫌いだとしても、どう生きようが自由じゃないか。嫌ならニンゲンにならなきゃいいだけではないか。

 クロやフユが「ガラの悪い猫がいる」言っていたのは、ニンゲンをよく思わない猫が居るという事だったのかもしれないと気がついた。

 考えれば考えるほど何も悪くないのに、気持ちは湯呑みの底に残るお茶の粉みたいにざらついた。



 荷物を下ろして柏木が帰った後、片付けは明日にしようとなった。すぐに実玖はお風呂を沸かした。その間に伍塁は夕食の出前を頼んでいる。

「ちょっと時間かかりそうだから先にお風呂に入ってもいいかな」

 裏口でホコリっぽいツナギを脱いだ伍塁はお湯がたまりつつある浴室に入っていった。実玖はまだ気分が落ち込んだまま、ふぅとため息をついた。

 実玖もツナギを脱いで洗濯機に放り込むと浴室のすりガラス越しに伍塁の背中が見えた。

 そうだお詫びをしよう! 実玖は腰にタオルを巻いて「失礼します」とガラス戸を開けた。

「伍塁様、お背中ながします」

「えっ?」

「大丈夫です、仕事のひとつです」

「いいよ、自分で洗えるし……」

「ご主人様の背中を流すのは当たり前のことです」

「仕事の範囲を……」

「越えてません」

「ちょっ……」

「あっ!」

 伍塁が振り返った時に実玖がつんのめり、そのままドボンと浴槽に頭を突っ込んでしまった。

「実玖!!!」

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

今日から、契約家族はじめます

浅名ゆうな
キャラ文芸
旧題:あの、連れ子4人って聞いてませんでしたけど。 大好きだった母が死に、天涯孤独になった有賀ひなこ。 悲しみに暮れていた時出会ったイケメン社長に口説かれ、なぜか契約結婚することに! しかも男には子供が四人いた。 長男はひなこと同じ学校に通い、学校一のイケメンと騒がれる楓。長女は宝塚ばりに正統派王子様な譲葉など、ひとくせある者ばかり。 ひなこの新婚(?)生活は一体どうなる!?

処理中です...