老舗骨董店の店番はあやかし猫でした。

むに

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第四章 伍塁様には見せられない

ヒゲが生えた!

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「ぅにゃん」

 食べながら声が出るタイプらしく、うにゃうにゃ言いながら魚の絵柄の缶詰を美味しそうに食べている。
 実玖みるくはサバ缶と間違えて買った猫用の缶詰を裏庭に来た野良猫にあげていた。その猫は耳先を桜の花びらのようにカットされている地域の保護猫で、ツヤツヤの黒い姿から人からは「クロ」と呼ばれているらしい。
 
「もうニンゲン慣れた?」

 クロは実玖に興味があるらしく、ニンゲンの暮らしについて聞かれることがある。いや、もしかしたらニンゲンに興味があるのか。餌を貰う以外にもそういう目的があって、よくここに来るのかもしれない。

「そうですね、だいぶ慣れたと思います。でも、まだ勉強が足りません」

 クロの斜向かいにサンダル履きでしゃがんだ実玖は、空缶を持った手を揺らしながら飛行機雲が残る空を見上げた。

 まだまだ出来ないこと、知らないことばかりだ。

 伍塁いつる様を乗せて車の運転をしたい、骨董のことをもっと覚えたい、料理も勉強したい、たくさんの本を読みたい、飛行機にも乗ってみたい、伍塁様に相応しくなりたい。

「そういえば、この辺のボス変わったんだ」

クロは唐突に、猫の仲間に知らせるように言う。

「わたくしも知ってる方ですか?」

 実玖はもう三年以上猫の世界を知らないから、世代交代が行われているだろうボス事情をクロに話されてもピンとこなかった。元々飼い猫だったからボスの存在は知っているだけで集会にも出たことはない。
 そして今、あの頃以上にボスは必要ない生き方をしている。最も大切な存在は伍塁様だ。

「元野良で今は飼い猫になったフユっていうデカいサバトラ」

 クロは首を伸ばしてぐるっと回しボスの顔の大きさを表してるらしい。

「わたくしは会ったことはなさそうです。ご近所ならどこかで会うかもしれませんね」

 実玖は元野良から飼い猫になったというのは自分も同じ境遇だと思ったが、幼すぎてそのあたりの記憶はなかった。だが、飼い猫のままボスになるということに少し興味が湧いた。

 クロはそれ以外にも、あそこの保護猫の公園は整備されて居づらくなったとか、子猫が捨てられてみんなで世話してるとか、餌をくれるおばあさんが亡くなったとか、最近、魚屋の魚の鮮度が落ちているとか、役立つのかどうかわからない事を教えてくれる情報通だ。

「ここの家は餌もくれるし、ンにゃっ、居心地のいい庭があるから評判がいいんだ」

「そういえば裏庭はいろいろな猫が入れ代わり立ち代わりしてますね。それぞれ好きな場所があるみたいです」

「誰もトイレにはしてないから安心してにゃ」

 実玖はそれは有難いことだと思った。掃除をするのは実玖の仕事だ。猫の好きそうな柔らかい砂場はないはずだとわかっているが。

「これからもそうしてくれると助かります」

「最近はニンゲンに意地悪な猫もいるから気をつけて、ンにゃ」

 相変わらず食べながら喋っている。

 たまに鰹節を刻んでかけてくれるの、あれ食欲そそるーとかチャーじいさんは、そろそろカリカリを食べるのが難しいらしいから出来たら柔らかいのあげて欲しいとか。
 本当によく喋る猫だ。

 クロは、食べ終えて姿勢を正して座り直し、丸めた手の横で口の周りを擦っては舐め、擦っては舐めを繰り返してふと実玖を見上げた。

「ねぇ、一本長くて太いヒゲがあるけど……」

「え?」

 右手で左右の顔を擦ってみて、左側に手に当たるものを感じた。

「それ、猫ひげじゃない?」

 クロは身体中の毛繕いをしながら素っ気なく言う。

 空き缶を落として思わず立ち上がった実玖は、顔を両手で挟み慌てて裏口から洗面所に向かった。

「……!!!!」

 鏡の中の左頬に白くて硬いヒゲが一本だけ生えている。根元は太く、先に向かって細くなり弾くとピンと張りがあった。本当にこれは猫のヒゲだ。

「え……なんででしょう……昨日までなかったのに」

 引っばってみたが簡単に抜けるような感じではない。頬の皮膚が引っ張られて嫌な痛みを感じる。何度も引っ張りすぎて根元が少し赤くなってしまった。
 抜くのは無理だとハサミを見たが、猫のヒゲを切るなんて有り得ないことだと実玖は思っていて、自分では解決できないと判断した。

「伍塁様に見られる前に隠さなきゃ」

 冷静に判断したが、鏡を見た時から音が聞こえそうなほど胸の奥から大きく叩きつけるものがある。
 一人で散歩中に、脱走した大きな犬に追いかけられて、逃げ切った時にもこんな感じがしたと不穏なことを思い出した。

 人間は風邪をひいた時や花粉症の人がマスクをする。それ以外に顔を隠したい時にもすると伍塁に教わったのは、買い物に出かけた時にたくさんの若い女性がマスク姿で歩いているのを見かけたときだった。
 人間の女性は化粧をしていないと顔を隠したくなる人もいるらしい。その時は実玖には理解が出来なかったが。

――今がまさに顔を隠す時だ。

 台所の水屋の、マス目のようにたくさんある引き出しを次々と開けてマスクを探していると、廊下から近づいてくる足音が聞こえる。

「伍塁様だ……」

 見つけたマスクを慌てて耳にかけたところに伍塁がやってきた。



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