2 / 41
第一章 六條家にやってきた
2
しおりを挟む
(この匂い、変わらない……)
建物の匂いなのか庭の匂いなのか。人にはわからないかもしれないが清々しい空気を感じる。
靴を脱ぎ向きを変えて揃えると、庭が見える廊下を歩いて客間に案内された。広い床の間のある書院造の和室に段通敷き、テーブルは白いクロスがかけられ椅子は天鵞絨張りだ。
実玖は椅子の肌触りを楽しみながら腰をかけスーツのジャケットのボタンを外そうか迷っていた。
「出来合いのお茶ですみません。ひとりぐらしなもので」
伍塁は茶托に乗せたお茶を差し出して実玖の向かいに腰掛けた。出されたお茶とそれを置く指先に意識が注がれる。
「ありがとうございます、どうぞおかまいなく」
マニュアル通りの答えを返しつつ実玖は伍塁と合ってしまった目を伏せた。伏せた時に部屋の隅に猫ちぐらが置かれているのに気づき思わず「あ」と声を上げる。
「失礼しました。わたくし香染実玖と申します。こちらには住み込みの家政夫として派遣されました。身の回りの事全てお手伝いさせていただきます、よろしくお願いします」
実玖は膝に手を置き、深く頭を下げた。
「そんなに堅苦しくしないで。ここは僕しかいないから気を使わなくていいよ。僕は六條伍塁といいます。家のことは僕も一通りはできるから一緒にやりながら覚えてください」
伍塁は真面目な実玖に頬を緩めた。
「本当は執事として伍塁様にお仕えしたかったのですが、この国にはあまりそういう制度は馴染みがないと聞きまして、家政夫としてこちらに参りました」
伍塁はその言葉にクスっと笑った。
「僕に仕えたかった? どういうこと? 執事って……もしかして外国生まれなの?」
実玖の髪の色は明るい茶色、瞳も日本人にしては色素が薄い。
「違います、日本で生まれ育ちました」
長い指が五本あり、すべすべと滑らかな自分の手を見て、自信を持って返事をした。
「わたくしは日本のニンゲンです」
(大丈夫、人間としてちゃんと答えられてる! 大丈夫、大丈夫……)
真っ直ぐに伍塁の瞳を見る。その瞳は懐かしく今すぐに近づいて間近で見たい。
「名前も変わってるからもしかしたら外国の人かなって思った。実玖って珍しいよね。うちに昔いた猫もミルクって言うんだ。あ、ごめんね猫と比べて」
実玖は自分の名前が伍塁の口から発せられたことに体がじわりと暖かくなった。そして気になっていたことを聞いた。
「お聞きしたいのですが、今もこちらに猫はいるのでしょうか」
部屋の隅にある猫ちぐらは、見覚えのあるものだった。
(もし新しい猫が来ていたら……)
実玖は俯いて目をきつく閉じた。
建物の匂いなのか庭の匂いなのか。人にはわからないかもしれないが清々しい空気を感じる。
靴を脱ぎ向きを変えて揃えると、庭が見える廊下を歩いて客間に案内された。広い床の間のある書院造の和室に段通敷き、テーブルは白いクロスがかけられ椅子は天鵞絨張りだ。
実玖は椅子の肌触りを楽しみながら腰をかけスーツのジャケットのボタンを外そうか迷っていた。
「出来合いのお茶ですみません。ひとりぐらしなもので」
伍塁は茶托に乗せたお茶を差し出して実玖の向かいに腰掛けた。出されたお茶とそれを置く指先に意識が注がれる。
「ありがとうございます、どうぞおかまいなく」
マニュアル通りの答えを返しつつ実玖は伍塁と合ってしまった目を伏せた。伏せた時に部屋の隅に猫ちぐらが置かれているのに気づき思わず「あ」と声を上げる。
「失礼しました。わたくし香染実玖と申します。こちらには住み込みの家政夫として派遣されました。身の回りの事全てお手伝いさせていただきます、よろしくお願いします」
実玖は膝に手を置き、深く頭を下げた。
「そんなに堅苦しくしないで。ここは僕しかいないから気を使わなくていいよ。僕は六條伍塁といいます。家のことは僕も一通りはできるから一緒にやりながら覚えてください」
伍塁は真面目な実玖に頬を緩めた。
「本当は執事として伍塁様にお仕えしたかったのですが、この国にはあまりそういう制度は馴染みがないと聞きまして、家政夫としてこちらに参りました」
伍塁はその言葉にクスっと笑った。
「僕に仕えたかった? どういうこと? 執事って……もしかして外国生まれなの?」
実玖の髪の色は明るい茶色、瞳も日本人にしては色素が薄い。
「違います、日本で生まれ育ちました」
長い指が五本あり、すべすべと滑らかな自分の手を見て、自信を持って返事をした。
「わたくしは日本のニンゲンです」
(大丈夫、人間としてちゃんと答えられてる! 大丈夫、大丈夫……)
真っ直ぐに伍塁の瞳を見る。その瞳は懐かしく今すぐに近づいて間近で見たい。
「名前も変わってるからもしかしたら外国の人かなって思った。実玖って珍しいよね。うちに昔いた猫もミルクって言うんだ。あ、ごめんね猫と比べて」
実玖は自分の名前が伍塁の口から発せられたことに体がじわりと暖かくなった。そして気になっていたことを聞いた。
「お聞きしたいのですが、今もこちらに猫はいるのでしょうか」
部屋の隅にある猫ちぐらは、見覚えのあるものだった。
(もし新しい猫が来ていたら……)
実玖は俯いて目をきつく閉じた。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

【コミカライズ&書籍化・取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。
ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの?
……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。
彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ?
婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。
お幸せに、婚約者様。
私も私で、幸せになりますので。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる