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第一章 六條家にやってきた
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しおりを挟む「やっと……ここまで来れた」
実玖は郊外にある屋敷の前で立ち止まった。瓦屋根の白い壁が遠くまで続いている。
「三年前と変わらない。大門の引っ掻き傷も勝手口の戸の上の隙間も掠れた表札も。ここに戻りたくてどれだけ修行したか」
戻るだけなら簡単だが、実玖には目的があった。そのために学んだのは人間として生きるのに必要なことすべてと、主にお仕えすること。そのために努力してきた日々を思い出し、薄茶色の瞳に膨らんできた涙を瞬きで散らした。
「猫だったらこの下をくぐるだけなのにな」
呟きながら実玖はインターフォンの丸いボタンを指先でそっと押す。どこからかキンモクセイの香りがして目を細めた。
(この匂い、知ってる……)
目を閉じて香りを吸い込み、もう一度ボタンを押そうかと思った時に小さな声がした。
「はい……」
実玖は身体中がブルっと震え、毛が逆立った気がした。体の力を抜くために息を大きく吸ってからゆっくりと吐く。
「真宝野家政婦紹介所から参りました香染実玖と申します」
何度も練習した通りに言った。胸の奥が大きく脈打っている。
「家政婦? あ、お手伝いさんね。今行きます」
インターフォン越しの声に、拳を小さく握って体に引き寄せた。
「一度言ってみたかったんだよね、この台詞」
実玖は門の脇にある木戸の鍵を外す音に姿勢を正した。戸を押して顔を出したのはここ六條家の主で依頼主の伍塁だ。
「どうぞお入りください」
「はい、失礼致します」
実玖は中に入り内側から戸の鍵をかけて伍塁の後について歩き出した。カーディガンを羽織った肩や背中を見つめる。
(今すぐ飛びつきたい!!!!)
ムズムズする左手でカバンを握りしめ、右手は爪を内側にこぶしを握った。冷静を装い丸い平らな石の上を歩くと、感じるはずのないその石の冷たさを思い出す。
(ものすごく広く感じていたのに、人が歩くと数十歩か)
「こちらからお上がりください」
細かい格子細工が施された大きな引戸の客用玄関に案内された。この家には裏にも入口があるのを知っている。もちろん使用人はそちらを使うべきだとも実玖は知っている。
「わたくしはご主人様にお仕えする為にこちらに参りました。このような立派なところから入るのは憚られます」
丁寧に言葉を選んで遠慮した。うまく言えているのかわからないが主に対する言葉は難しく、言葉をたくさん覚えなければならない。
「そんな大袈裟な。見た目ばかり大きいけど 僕一人の家だから気にしなくていいんだよ」
優しく口角を上げて「いいからいいから」と、手で玄関へ促され実玖は十五度に体を傾ける礼をしてから敷居を跨いだ。
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