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夫婦喧嘩

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 急な旅行をすれば何か裏があると思うものだ。
 彼から放たれた言葉もある程度は予想できていた。

「どうして夫が危険な戦地に向かうのに、わたくしだけ安全な場所に居ないといけないのですか。足手まといだからですか?」

 彼は私の言葉を受け止めて首をゆっくりと横に振った。

「そうではない。ただの俺の願いだ。何が起こるか分からない戦いに、愛する其方を連れて行けるわけないだろ」
「貴方が死ぬのに私だけ生きるつもりもありません」

 彼の喉がゴクリと鳴る。その目は強く私を捉え、決して許さないといった感情を見せた。
 だけどここで本当の気持ちを伝えなければ、彼は勝手に死地へ赴くだろう。

「もしクリスが負けたら私は近い未来に正気を失うでしょう。仮に相打ちで終わるのなら貴方の居ない世界に固執はしません。一緒にお供します」
「ソフィー、やめてくれ。そんな未来は来ない」

 そんな暗い想像をしたくないと彼は首を横に振った。

「ガハリエがどんな手を打ってくるか分からない現状では、ここが一番安全なのだ。聞き分けてくれ」

 駄々っ子を諭すような優しい声を浴びせてくる。
 だけども抵抗する。彼から得も言われぬ死の香りを感じたからだ。

「何を聞き分けろと言うのですか!」

 感情が高ぶり大きな声が出た。だが彼は冷静な声で続ける。


「たとえ其方が望もうとも、これは決まったことだ。お義父様とも相談して決めたのだ」
「どうして私の居ないときに勝手に私のことを決めるのですか! 先ほどそれは貴方の願いだと言いました。だけど次は強制ですか!」

 揚げ足を取るような形だがようやく冷静から焦りへ変化した。
 自分の気持ちを吐き出すように彼へ詰める。


「わたくしはそんなに頼りないですか!」
「そうでは……いいや。怒らせるつもりはなかったのだ。すまない。もっと話し合いをするべきだったな。泣かないでおくれ」

 彼の指が私の目元を拭った。興奮して涙が出ていることに自分では気付かなかった。
 彼はテーブルを片付けて私へと向き直る。お酒は入っているだろうが、彼自身お酒に強いので顔には出ていない。

「最初に言っておくがソフィーの力を信じていないわけではない。ただどうしても嫌な予感がするのだ。毎晩のように夢で其方が死んでしまう光景が出てくるのだ」
「それって……」

 たかが夢だと言いたいが、私も最近はそういった夢を見ることがあった。私が断頭台に首を捧げて切り落とされる夢だ。
 まるで現実であるかのような生々しい感覚に起きたときには汗で服が湿っている。
 クリストフは朝が早いので、私が悪夢にうなされていることは知らないだろう。

 ……もしかして同じ夢を見ている?

 それを確かめようとしてやめた。もしこれを言い出せば、私の魔女の力が予知夢を出していると思われるかもしれない。

「ソフィー? もしかすると其方も同じ夢を見ていたりしないか?」

 図星を突かれたがそれを表に出さないように注意した。ここで見ていると言えば断固として彼は連れて行かないだろう。

「心配してくださるのは嬉しいですが、わたくしはそのような夢は見ておりません」

 彼は思い違いだったことにホッとした顔を見せる。
 それに少しばかり良心が痛んだ。
 だがそれでも彼は決心が付いていないようだった。

「やはりだめだ!」
「どうしてそれほどまでに頑ななのですか!」
「ガハリエの場所が其方の友人であるブリジット殿の領地だからだ!」

 どうしてブリジットの領地が関係するのだ。そこで私は一つだけ思い出したことがあった。
 彼女の領地は未来では滅んでいるのだ。

「時期もこの頃だ。不作によって未曾有の動物の暴走がある。流石に同時にガハリエと戦うことはないだろうが、もしもの時があったら俺は悔いて悔いきれない」
「それでしたらなおさら騎士を駐在させたほうがいいではありませんか!」
「そうなればこちらの守りも薄くなる。それにあちらも不作の中でこちらの滞在が長くなれば、その分だけ大きな負担になってしまう。それてによって其方達の関係が悪くなるのは良くないであろう?」

 それもそうだが、このままでは説得されてしまう。
 ガハリエは不死身に近い体を持ち、それでいて魔女と同じ力も持っている。
 私自身が未来で魔女の力を使ったが、周りに配慮して本気の力を出したことがない。
 もしそれ以上の力をガハリエが有していたら、それこそ領地ごと滅ぼされてしまうかもしれない。

「ソフィー、俺と交わした偽装結婚の契約書はまだあるな?」
「ええ……」

 結婚するときに彼と交わした契約。最初は彼が結婚していないことによって女性に言い寄られないためという建前があった。
 しかし彼と過ごす内にそれは意味があってないようなものに変わっていた。
 存在も忘れかけていた書類のことを今さら掘り起こす理由はなんだ。

「もし俺が帰られなかったら、関係は無かったという証明として使ってもいい」

 頭に血が上ったと思う。衝動的に手が動いて彼の頬を引っ叩いた。
 大きな音が鳴り、自分でも驚く。罪悪感が出てきたがそれでも、怒りがその感情を上から塗りつぶしていった。

「ソフィー……」

 彼の言葉で少しだけ冷静になった。赤みが差した彼の頬と動揺している顔を見て、急に自分が短絡的なことをしたと気付く。

「ごめん……なさい……」

 逃げたい気持ちになって椅子から立ち上がった。
 彼の手が私の腕を掴もうとしたが、それを避けた。
 早く彼から離れたいと思い、彼に背を向けた。

「ソフィー! 待て! 気にしていないから!」

 彼の言葉を無視して逃げ去りたかった。だけど廊下へ続くドアの前で彼が私を捕まえた。

「離して!」

 必死にもがいたが彼の方が力が強いので抵抗しても全く手が離れない。
 ジタバタしてみたがただ疲れるだけだ。
 諦めかけたときにドアが勢いよく開けられた。

「お嬢様!」

 ドアを開けたのはリタだった。いつもむすっとしている彼女にしては心配しているような焦った顔をしていた。
 そして私達の体勢を見て、状況を理解したようだった。

「何があったのか分かりませんが、猊下は一度お離れください。ソフィアお嬢様の手首が赤くなっております」


 冷静になると結構強く握られていたみたいで、ほんのりと手首が赤くなっていた
 彼もそこまで強く握っている自覚はなかったのか、急いで手を離した。

「すまない……動転してしまった」
「いいえ……わたくしも叩いてしまい本当に申し訳ございません」

 互いに謝罪をしたがギクシャクしている。それを察してかリタがカーディガンを私の肩に羽織らせた。

「猊下、今はお互いに距離を空けるべきかと思います。お嬢様をお連れ出してもよろしいでしょうか」

 ここで引き留められたらどうしよう。彼も悩んだ末にリタへとお願いをした。

「そうしよう。ソフィーのことを頼む。それからソフィー……」
「行きましょう」

 彼の言葉を遮るように彼に背中を向けたまま部屋を出る。
 外には使用人達が何事かと遠巻きに見ているが、私が出てきたことにぎょっとして隠れだした。
 それほどまで騒いだつもりがなかったが、夜ということもあり音が響いたのだろう。

「リタ」
「いかがいたしましたか」
「少しだけ外に出ていいかしら」
「夜は冷えますので暖かい服をご用意いたします」
「うん、お願い」

 一旦、私の部屋へ戻る。頭が罪悪感でいっぱいになり、どう彼に謝ればいいのだろう。
 初めて彼と喧嘩をした。私のことを考えての言葉というのは分かっている。だけどやはり隣に立てない自分が情けなく、そして悔しかった。
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