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間話 とある女神官の片思い

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 ~とある女神官の片思い~

 今年は例年とは異なることが多く起きていた。
 一つは、セラフィン大司教――いまではお尋ね者のガハリエ――が世を震わせ続けた異端者であったこと。

 二つ目は、季節外れの寒波。だがこちらはすでにクリストフ司祭が対処しており、問題があるとすれば、作物が減って魔物達が人里に下りてこないかどうかだけ。

 他にも、異端審問が開かれたりしたが、私にとってそれよりも衝撃的な出来事があった。
 資料を読んでいるフリをしながら、チラリと目を前に向ける。

「ガハリエの屋敷からこれまで組織が犯した犯罪の痕跡がいくつも発見された。誘拐、殺人、違法薬物、とても大司教がやっていい行いではない。民達の信用が地に落ている今こそ、今一度己の行動を見直して、信者達とよりよい関係を再構築するように」


 現在は空席となった大司教の椅子にクリストフ司祭が座っており、大司教代理としてお話をしてくださっている。
 その麗しい顔に思わずため息がこぼれそうになった。
 今年一番のニュースはやはりクリストフ司祭の結婚だろう。
 ずっと結婚をしないから、女性に興味がないとか、復讐に生きているとか陰で言われることもあった。
 多くの令嬢が求婚したが、誰もこの方の心を射止めることはできなかったのだ。

 資料にまた目をやると、魔女狩りの新情報が載っている。
 魔女狩りを専門に行うヒューゴ司祭の部隊は、今もなおガハリエを追っているのだ。
 少しずつ追い詰めているらしいが、いまだに捕まらない。
 早く捕まって欲しいと切に願っている。

「ではこれにて解散する。それとクロエ君、後ほど司祭室に来てくれ」


 ドキッと心臓が鳴った。私の名前だ。一拍置いてから「はい!」と返事をして、ステップでも踏みそうなほど軽い足取りで向かった。

 司祭室に入ると、クリストフ司祭から指示を受ける神官達を目にする。
 もちろん分かってはいたが、やはり少しだけ特別な理由で呼ばれたと思いたかった。

 だがそれはもうあり得ない。あの御方はもうすでに結婚されているのだから。
 話を終えて、次に私の番になった。

「クロエ君、待たせたね。君も忙しいというのに」
「とんでもございません。少しでもお役に立ちたいだけです」
「ふむ。君ほど真面目で熱心な者が後進で育っていることは喜ばしいことだ」

 普段は厳格な顔をするのに、今日はいつもより優しい笑顔で言われた。
 お世辞であることは分かっていても嬉しい――ただ前よりも笑顔が増えたのが結婚後というのが、せっかくの喜びに水を差す。
 ふと、テーブルに食べかけのサンドイッチがあるのに気付いた。

「司祭がこの時間にお食事なんてお珍しいですね」


 お昼は過ぎているので、普通の人からすると、遅すぎるくらいだが、常に自分に厳しい方であるため、食事をしている姿はほとんど見たことがなかった。
 すると急に照れくさそうな顔をされたので、聞かなければ良かったと後悔した。

「これは……先ほど妻が来てな。時間を見つけて食べるように怒られたのだ」


 クリストフ司祭に怒れるとはなかなか肝が据わっている。この国でも有数の大貴族の令嬢と聞いていたので、あまり夫の生活に口を出さないと思っていた。
 私だって常日頃、この方にささやかながらも、身を心配して食事を取るように忠言したことはある。
 もちろんあまり意味は無かったが。
 色々と嫌な感情が出そうになったが、ぐっと我慢した。


「それはお優しい奥様ですね。いくら言っても食べなかった司祭をどうやって説得したのか知りたいくらいです」

 すると申し訳なさそうに苦い顔をする。本人も自覚はあるのだろう。

「私もこっそり夜に食べようと思ったのだ……」


 ふと、頭によぎったのは、恐妻家、という言葉だ。
 噂では二人が結婚した直後のデートでいがみ合っていたと聞いて、何か理由があって結婚しなければならなくなったのではないかと。疑惑が出た。
 正直なところ、この小国でこの方と釣り合う方なんて一人もいないだろ
 私は中級貴族だが、この国では上級貴族と変わらないくらいの領地を持つ。

 まだ私にも淡い期待を持てるのでは無いか。
 だがそれは簡単に打ち砕かれた。

「だがな。妻の手作りと聞いて早く食べたくなったのだ」

 普段見せない誰かに向けた微笑ましそうな顔は、決して不仲ではないことの証明のようだった。
 仕事の話に戻り、頂いた資料をもらって裏庭へと出た。
 昼食を取る時間もなかったので、食堂で食べようとしたが、今日は集会もあったせいで、みんなが同じ時間に食事をするため人がいっぱいだった。
 仕方なくパンだけもらって、裏庭のベンチで食べようと考えた。
 だがもうすでに先客がいた。

 あまり人が来ない場所なのに珍しい……。

 つばの広い帽子を被ってぼんやりと近くの池を眺めているようだ。
 こちらに気づき会釈をされたので、こちらも返す。
 神官の服ではないので、おそらくは貴族の参拝者であろう。

「失礼、せっかくゆったりしている時に申し訳ないですが、お隣で食事を取ってもよろしいですか?」

 女性は特に嫌な顔をせずに頷いてくれた。

「構いませんよ。今日は神官様方はお忙しそうですものね。いつもよりせわしなく廊下を行き来している方が多かったように見受けられますから」
「よく見ていらっしゃる」

 普通の参拝者がそんなことに気付くなら、普段から参拝で良く来るか、もしくは身内に神官がいるかだ。私も聖書を読んで参拝者に教えることがあるので、ある程度は顔なじみがいる。
 しかし彼女は会ったことがないため、おそらくは後者であろう。

 少しばかり服が乱れており、木陰の外の暑さにやられて、休憩をとっているのかもしれない。

 席に座って食事をまず取る。素早く終わらせてから、早速と資料に目をやった。
 その時、ボールが地面に弾む音が聞こえた。


「ごめんなさい!」

 ここに預けられた子供達が遊んでいたようだ。
 取ってあげようとしたが、それよりも早く隣に座っている女性が立ち上がってボールを拾った。

「はーい! 投げますよ!」

 てっきり転がすかと思ったが、ボールを肩まで上げて上手投げをするつもりのようだ。
 だがそれを子供達が止める。

「ダメ! 絶対ダメッ!」

 子供達が腕でバッテンを作って必死に止める。
 すると女性も投げるのをやめて、口をとがらせていた。

「えー、どうしてダメなんですか!」

 どうやら投げたかったらしい。だけど子供達は面白おかしく理由を説明する。

「お姉さんが投げると変なところにいくんだもん!」
「休憩していた方がいいよ!」


 もしかすると先ほどまで子供達の遊んでいた!?

 女性は少しだけしょんぼりして、結局は転がした。
 子供達もホッとした様子で、ボールを受け取ってまた遊びを続けている。
 淑女らしからぬ方だと思っていると、急に突風が吹いた。

「あっ!」

 手に持っていた資料が風で飛んだ。その飛んでいく方向が池だった。
 すると先ほどの女性が、急に俊敏な動きを見せて紙を空中でキャッチした。
 だが落ちる地点が良くない。

「危ない! そこはぬかるんでいて滑りやすいの!」

 だがもうすでに遅し。女性は落下した直後につるっと滑った。

「あわわわ!」

 その滑った先は池だ。頭から突っ込もうとした。
 もうこれは池に落ちると諦めかけたときに、一陣の風が吹いた。
 それは誰かが通り過ぎたことで起きた風だと最初は気付かなかった。

「ソフィー!」

 どこからともなく現れたクリストフ司祭が見事転ぶ前に女性を抱えた。彼女を上に挙げて自身は池にぽしゃんと半身を沈ませていた。
 すると風で彼女の帽子はいつの間にか飛んでおり、目立つ桜色の髪が露わになった。
 その髪の色に聞き覚えがあった。

「ご、ごめんなさい……」
「気にするでない。だが次回からはあまり無茶をしないようにな」


 濡れないように気を遣って彼女を元の地面へと戻す。そしてご自身も池から出て、濡れた服を絞っていた。すぐに私は二人へ頭を下げた。

「ごめんなさい! 私のせいでお二人にご迷惑をおかけしました!」

 だが彼女は怒らずに笑っていた。

「ははは。私もクリスに迷惑を掛けちゃいました……はい、どうぞ」

 資料を差し出すので受け取った。噂ではかなり傲慢な女性で、典型的なお嬢様だと聞いていた。
 魔女の噂が流れるのも、日頃の行いが悪いからだろと勝手に思っていたくらいだ。
 だけど目の前の彼女には、そんな悪評とは無縁そうな雰囲気を持っていた。

「ありがとう……存じます」

 紙は無事だった。

 もしクリストフ司祭の奥さんに出会ったら、何かを言おうとずっと考えていた。
 だけど全く言葉が出てこない。
 するとクリストフ司祭がこちらに気付く。

「クロエ君だったか……」
「クリストフ司祭! 大変ご迷惑をおかけしました!」

 もしかすると評価が下がるとびくびくしていたが、そんなことは言わず逆に労いの言葉が振ってきた。

「仕事熱心で結構……だが食事の時くらいは休んでいい。其方は働き過ぎだ」

 もっと怒られるかと思っていたので、ある意味拍子抜けだった。
 すると女性は呆れた声を出す。

「クリスが言いますか……それよりも早く風邪を引きますから着替えましょう。まさか時間がもったいないからって濡れたまま仕事をしませんよね?」
「……もちろんだ」

 まだ結婚して間もないのによく分かっていらっしゃる。
 しかしクリストフ司祭が彼女を前にすると、幸せな顔をする。
 心配されて嬉しそうだ。それに胸が痛くなったが、それを悟られたくない。

「そ、そろそろ休憩が終わりですので失礼します! お二人とも本当にありがとうございました!」

 逃げるようにその場を去ったので、もしかしたら不審に思われたかもしれない。
 それでもあの場に残るのは、かなりきつかった。

 私では立ち入れない二人だけの空気がそこにはあったのだから。
 所詮、噂は噂だ。彼女たちは決して他人から強制された結婚では無いであろう。
 私はそう思う。
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