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傷跡

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 上まで無事に引き上げられ、地面に足が着いた途端に恐怖から足が竦んだ。
 あと少し助けが遅かったら、異端審問の前にぺちゃんこになってしまったかもしれない。

「少し疲れただろ」

 ちょっとどころではないが、自分より死にかけているクリストフよりは何倍もマシだ。

「うん……クリスも――」

 言いかけて、彼はその場で倒れた。

「クリス!?」

 倒れた彼の顔を見ると真っ青になっており、汗もびっしょりだった。
 彼体はいまだぼろぼろでこの戦いの間、ずっと傷付いたままだったのだ。
 するとセリーヌがすぐさま手をかざした。

「クリストフ司祭、回復しますね」


 淡い光がたちのぼり、彼の皮膚が真新しくなっていく。顔も少しずつ血色が良くなっているので、どうにか回復しそうだ。

「ありがとうございます」

 セリーヌへお礼を伝えたが返事がない。もしかするとせっかく彼女が配慮してくれたのに、結局魔女ということがバレてしまったことを怒っているのかもしれない。

「無事だったか、ソフィア・ベアグルント」

 上から声が振ってきた。見上げると先ほどまで瀕死だったヒューゴは、手を後ろに組んでこちらを見る。

「そちらこそ――」
「話は結構。私は別に貴女とおしゃべりがしたいわけではありませんので。それよりも――」


 ヒューゴは睨む。

「貴女が私を優先したせいで、この男もセラフィン元大司教を取り逃した。もう少しで魔女でなくなったというのに、本当に愚かですね」

 彼の言う通りさっきのが最後のチャンスだったのだ。私が魔女ではなく、普通の女性として生きられる。
 だけどクリストフを彼の回復に回らせたので、結局逃がしてしまった。
 何も言い返せない。

「先ほどの爆発は貴女が起こしたもので間違いないですね?」

 ヒューゴの目がちらっとセリーヌへ向いた。
 嘘が吐けない彼女に話を聞かせたいようだ。どうせバレているようなものなので、返事をせず黙っていた。


「まあ、いいでしょう。もう目の前に貴女がいるのだから、セリーヌ様に触れてもらうのが一番ですね」

 ドクンと心臓が鳴った。どんどん脈が速くなるのが分かる。覚悟を決めてても、やはり恐いのだ。

「と言いたいですが、全くこの御方はこういう時だけ頑固ですよ」
「え……」

 セリーヌへ向けて言っているようだが全く彼女の反応はない。
 ちょうどクリストフの治療が終わって、自分の汗を拭っていた。

「ふう……これで大丈夫でしょう」

 その言葉通り、クリストフは起き上がった。まだ疲れが顔に残っているが、それでも先ほどよりも元気で安心する。

「聖女様、ありがとうございます。それと一度、彼女は連れ帰ります。あの男によって濡れ衣を着せられそうになりましたので……」

 クリストフの言葉にセリーヌは首を傾げていた。
 そして何やら思い出したように、耳から何かをごそごそと取り出した。

「ごめんなさい。耳にゴミが入っていて聞こえませんでしたの……ヒューゴの治療に入るまでは聞こえていたのですけどね」
「都合の良いことを。わざと入れられたのでしょ?」

 ヒューゴはため息交じりに聞いたが、セリーヌは答えない。嘘が吐けない代わりに黙っているのかもしれない。
 そうすると私と背を向けて治療する姿も見えたので、先ほどのやりとりは全く見ることも聞かれてもいないのだろうか。

「では彼女が本当に魔女かどうかは、異端審問の日に明らかにしましょう。それで問題ないですね、ヒューゴ司祭」

 彼の言葉にヒューゴは肩をすくめた。


「ご随意にしてください。私はそんな小物より大物を今すぐ捕まえねばなりませんからね。もし異端審問で無実だと判明したら、後日謝罪をさせていただきます。何を企んでいるのか知りませんが、セリーヌ様が触れたらどうせバレるでしょうから」

 どうやらヒューゴも私を見逃してくれるようだ。
 だけどクリストフとの話し合いで、家に帰れば切り抜ける手段がある。もしかすると前に聞いたやり方は彼しか知らないのかもしれない。

「それよりも先におわびをするべきだろ。其方が大司教にいいように使われて、彼女の大事な侍従が苦しんだのだぞ」
「どういうことですか?」

 これまでの顛末を聞いた。リタが苦しんだ病気は正教会で扱っている呪いの一種らしく、それをリタへと与えたらしい。
 だけどその薬はクリストフが持っているらしいので、これで彼女は救えることが救いだ。
 しかし自分を狙うならまだしも、関係ない人を巻き込むやり方を許すわけにはいかない。

「貴方のせいでリタが……貴方だって大事な人をあの男に亡くしたのに、それを私へしようとしたのですか!」

 ヒューゴは答えない。ただ黙って頭を下げた。
 顔を上げた彼はそのままセリーヌへ向き直った。

「では行きましょう。ここは危ない。ただちにセラフィン元大司教の指名手配を始めましょう」
「もう! 謝りなさいよ! はぁ……ではお二人とも、神のご加護があらんことを」

 セリーヌだけは別れの挨拶をして部屋から出て行く。


「では私達も――痛ッ!」

 その時、忘れていた背中の痛みが戻ってきた。すぐに彼が神聖術を掛けてくれたおかげで、傷が塞がっていく。
 背中が丸見えの状態であることに今さら気付いた。
 すると彼が「少し待っていてくれ」と隣の部屋に行ってすぐに帰ってきた。

「屋敷に戻るまではこれを羽織るといい」

 真新しい法衣を着せられた。これってもしかしてと、思ったが、背に腹は代えられないので、甘んじてガハリエの法衣を着た。
 率直な感想で言えば──。

 気持ち悪い……。


 残った私達も遅れて下へと降りていく。
 先ほどから胸がざわつく。
 彼の後ろを付いていきながら、自分の胸に手を当てた。
 馬車に乗ってもその変な感覚が消えない。
 それどころかどんどん強くなっている気がしてきた。

「ソフィー大丈夫か!」

 喉が乾いて乾いてしょうがない。道に、家に、屋敷に何かを放ちたい。
 手始めに――。


 急に意識がはっきりした。

「大丈夫か!」

 いつの間にか目の前に居たはずの彼が私を抱きかかえて、服の中に手を入れていた。

「えっ……ちょっと! 流石に馬車の中でいちゃつくのは――」
「落ち着くのだ! 今、目がおかしくなっていたぞ」
「……まさか」

 先ほどまで考えていたことが、まるで破壊衝動のようではないか。
 今自分は何をしようとしていたのだ。


「先ほどの戦いのせいか、刻印が六芒星になりかけていた。神聖術を掛けたがどうだ?」
「ええ。先ほどまでは意識が朦朧としていましたが、今ははっきりしております」

 彼は安心したようにホッと息を吐いた。もう少しでまた全てが台無しになりかけたことにゾッとした。

「屋敷に帰ったら一度診てみる。何があってもいいように近くにいるから、少しでも違和感があったら教えてくれ」
「うん……」

 先ほどの神聖術のおかげで屋敷に帰るまでは特に異常もなかった。
 自分の体調も気になるが、それよりもリタへ薬を運びたい。
 それまでは見届けていいと彼も許してくれたので、屋敷に帰るとクリストフが使用人に羽織れる物を持ってこさせてくれた。
 やっと変態大司教の服から解放された。
 屋敷に入ると使用人一同が出迎えてくれた。

「お嬢様、よくぞご無事で!」

 執事のセバスが誰よりも早く駆け寄ってきたが、それよりもリタのことが一大事であるため「リタの部屋に行きます!」と急ぎ足で彼らを置き去りにした。

 部屋ではまだリタが苦しみでもがいていた。
 早く助けてあげたい。
 クリストフがすぐに瓶の中から薬を取りだして、リタの口の中へと入れた。

「今度は効くはずだ」


 彼は神聖術をまたリタへと掛ける。前回は全く効かなかったが、今回はリタの苦悶に満ちた顔が徐々に和らいでいった。

「お嬢……さま」

 先ほどまで全く応答がなかったリタが喋ってくれた。それが嬉しくてしゃがみこんで彼女の手を握る。

「大丈夫! もう良くなるよ!」

 早く元気になった姿を見せて欲しい。だけど先ほどの一言のみでまた反応を示さなかった。
 背筋が冷たくなり、助けを求めてクリストフへ目をやった。

「気絶しただけだ。あれほどの高熱にうなされたのだ。今は安静にしておけばじきに良くなる」
「目を離したらリタが死んでしまったなんてありませんよね?」
「大丈夫だ。俺が嘘を吐いたことがあったか?」

 首を横に振った。彼はいつも私のために全て本当にしてくれたのだ。

「ならよし。それに其方が倒れては意味がない。夕食は食べれそうか?」
「正直、食欲がありません……」
「なら後で軽食を持っていこう。誰か、彼女の寝支度を手伝ってやってくれないか!」

 彼とは別れ、入浴を先に済ませてベッドに座る。すると彼はバスケットを持って部屋へと入ってきた。

「ここにパンと果物を置いておく。お腹が空いたら食べるといい」
「ありがとうございます」

 まだお腹も空かないため、彼は先に私の魔女の刻印をのぞく。
 石けんの匂いがしたので、彼もすでに入浴は済んでいるようだ。

「もうあと少し線が繋がれば、六芒星だな……体調は悪くなっていないか?」
「はい」
「普通の方法では間に合わんな。準備を終えて正解だったようだ」
「えっ……」

 彼は上に着ていた肌着を脱ぎだす。
 すると急にあの時ガハリエに迫られた恐怖がやってきた。

「いや!」


 無我夢中で彼を突き飛ばした。
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