23 / 93
間話 エイプリルフール
しおりを挟む
エイプリルフールの閑話です。未来の出来事の話になります。
王太子リオネスに婚約破棄されて、もうすでに二年が経った。私ソフィア・ベアグルントは裏社会を仕切っている組織に身を置いていた。
今は拠点にしているカジノの一室に任務完了後にやってきた。
ボスからお呼び出しがあったのだ。
仮面を付けた優男で、声だけではこれだけ国を騒がせる組織の長には思えなかった。
「聞いているか、ソフィア・ベアグルント」
ボスの声が低く、圧のある声だ。今日は私の任務失敗について呼び出しを受けていた。
「申し訳ございません。クリストフ司祭から妨害を受けてしまいました。これからは――ぐっ!」
最後まで言葉を出す前に首を絞められる。息が出来ず足をバタバタと動かすしかできなかった。
「言い訳なんて聞いていない。醜く汚れていたお前を拾ったのは私だったな」
私はお金が無くて路頭に迷っていた。家も取り潰されて、誰も助けてくれないから必死に逃げた。
神官に見つかれば魔女の私は殺されてしまう。もしボスに見捨てられたら、今度こそ終わりだ。だから涙が出そうになるのを必死に我慢した。
「あの時は土で汚れたお前に手を差し伸べたくなかったのだ。だが其方は魔女の血を引いているから、我慢して触ったのだぞ。分かるか? 美しくない其方なんぞ魔女の血しか役に立たないというのに」
彼は軽々と私を持ち上げて、思いっきり放り投げた。背中を打った痛みもあったが、それよりも息を吸いたかった。
「もう……ごほっ……しわけございません」
私の謝罪を聞かずにボスはハンカチで手を拭いてその場に捨てた。
そしてそのハンカチを足で踏みつけた。
「だが私は優しく寛大な心も持っている。どうせこの国は遊びでしかないのだから、あの化け物司祭で遊ぶのもまた一興。それに面倒な女もこちらを探っているらしい、ふふっ」
ボスはこんなにも国を乱しているのに、一切心を痛めることがない。
噂では人ではないという噂もあり謎が多い。またおかしな術も使えるのだ。
「では私は新しい百人目の妻と戯れてくる。其方が綺麗であれば加えてやったのだがな。あの時の其方を思い出すと全くその気にならんのだ。その前に――」
部屋の鍵がガチャッと閉められた。そしてボスは笑いを堪えていた。
「其方は五日は飯抜きだ。この部屋にはお風呂とトイレくらいはあるから、私の慈悲に感謝するといい、ははは――」
笑い声と供にボスは姿を消した。私はよくボスからこういう罰を受けるので慣れていた。
ボスには言わなかったが、別にクリストフがいたから任務が失敗したわけではない。
ただ私が事前に襲うはずだった大神官に情報をリークしたのだ。
そのため私達が侵入した教会で待ち伏せにあって敗北したのだ。
私はその場に座り込んで顔を足にうずめた。
「もういや……どうすればいいの。助けてよ……私が何をしたって言うのよ」
誰もいない部屋で私は声を殺して泣いた。だが泣くのにも体力が必要なため、私はなるべく横になって空腹を耐え忍んだ。
そしてようやく部屋の鍵が開いて私は解放された。
ボスから罰を受けた私に優しくする者なんておらず、ふらふらしながら近くの市場へと向かった。
「お金あったかしら……」
私は懐からお金の入った巾着袋を取り出した。だけど入っているのは小銅貨一枚だけ。今日の小腹くらいは満たせそうだ。
どこの店で買おうか悩んでいると後ろから声を掛けられた。
「おい、大丈夫か。また痩せたのではないか?」
振り返るとそこには黒いフードを被ったよく知る男がいた。
深くフードを被るので顔が全く見えず、最初会ったときは警戒していたのは今は昔。声から若い男性であろうと予測しており、会うと食事を恵んでくれるため、たまにおしゃべりをすることがあった。
「お久しぶりです。ちょっと食事を抜いたもので……」
「そうか。しばらく見ないから心配していたが、生きていたのならそれでいい。今日も偶然買いすぎたんだ。すまないが減らすのを手伝ってくれ」
手提げバッグを見せてきた。
私は知っている。彼はこう言っているがわざわざ私のために買ってくれていることを。
彼はもうすでに歩き出していたので、私も後を追いかける。こうやって人の優しさに触れているときだけ、生きている実感があった。
人のいない路地裏で私と彼は適当なレンガの上に座った。
バッグから彼がまずはパンをくれた。
「その痩けた具合から見ると数日食事をしていないのだろ。ならゆっくり食べろ。急にいっぱい食べると体に悪い」
「分かっています。ありがとう存じます……」
パンをちぎって少しずつ食べる。普通のパンでもお腹が空いているときは、まるでご馳走のように美味しかった。
「ほら、牛乳もある」
彼はガラス瓶に入った牛乳もくれた。それを思わず一気飲みしてむせた。
「ごほごほ――」
「大丈夫か!?」
彼が背中をさすってくれたおかげですぐに止まった。
「申し訳ございません」
「そんなことで謝るな。癖になるぞ」
名も顔も知らないこの人がどうして優しくしてくれるかは分からない。見返りを求めるのなら私みたいな貧相な女なんて狙うはずも無く、私はただ与えられるだけだった。
それが私をさらに惨めにする。
「どうしてこんなに優しくしてくれるの?」
「……」
彼は答えない。都合の悪いことを言わないのはいつものことだ。
それでもいい。だけどやはり私は自分が後ろめたく、もし私が巷を騒がせる悪人だと知ったら彼も私を軽蔑するかもしれない。
それならそれでいい。十分、私はもらったのだから。私は膝を抱えた。
「ねえ、話してもいい?」
「何だ?」
「私ね。すごい悪人なんだ。こんな貧しい生活が当然のね」
「……続けろ」
彼は短くそう答えた。私はまた言葉を続ける。
「私は生きてたらいけないんだって」
「誰が言ったんだ?」
「みんなだよ。貴族だけじゃなく神官も全員がそう言ってた。でも死にたくなくて、拾ってくれた人のところに行ったら、本当に誰からも……死ねっ……て、ぐすっ……どうすればよかったんだろうね」
膝に顔を隠す。女の涙は武器になるが、だけどこの人の前では出したくなかった。それなのにどうしても止まらないのだ。
「ほら」
彼は何かを差し出したようでそちらを向く。彼はハンカチに包んだピンク色のマカロンを差し出していた。
「俺は少なくとも其方に生きてほしいと思っている。死にたくなっても俺の言葉だけは思い出せ」
彼は私の事情を聞いてもいつもと変わらない。それがおかしくて笑ってしまった。私はマカロンを受け取った。
「これってたしか高くはありませんでしたか?」
「其方がよだれを垂らして物欲しい顔をしていたのでな。文句を言われる前に買っておいただけだ」
「なっ!? 別によだれなんて垂らしてませんよ! たしかに美味しそうだとは思いましたけど……」
私はまたマカロンを見た。綺麗な色で一度でいいから食べたかったお菓子だ。
昔はこんな庶民の食べ物なんてと馬鹿にしていたが、今の私にとってどんな食べ物も貴重だった。
私は食べる前に一言だけ付け足しておく。
「実はさっきの話は嘘ですよ。今日はエイプリルフールらしいですからね」
一年に一回の嘘を吐いてもいい日だ。彼はきっと今の話を聞いてもこうやって会ってくれる気がした。
それなら少しでも良心が傷付かないようにしたい。
彼の口元がフッと笑っていた。
「そうか。これは騙された」
下手な演技だ。それでも彼は聞かなかったことにしてくれた。
マカロンをはむっと食べると甘さが口全体に広がった。
「美味しい……こんな味だったのですね」
すぐに二口目、三口目となり一瞬で食べ終わった。
最後にお礼を言おう。
「今日もありがとうございました」
「気にするな」
「何かお礼をしたいけど……」
私は何も手持ちがない。身体くらいしかないが、前に彼にそのことで怒られたことがあるので、お礼にはならないだろう。
「今はいい。だがもし来世があればその時に返してくれ」
それは私にお礼は期待していないってことだろうか。だけどなんだかおかしくて笑いが込み上げてきた。
「ふふ、いいですね。ちなみに何がいいのですか?」
「結婚」
「えっ……」
聞き間違いだろうか。彼の表情がフードで見えないため口元で判断するしかない。
すると彼は咳払いをした。
「ごほんっ、冗談だ。今日はエイプリルフールだろ?」
「ああ! もうびっくりしました」
私も彼にしてやられたようだ。
「もし来世があればいくらでもお願いしてくださいね。できる限り叶えますから」
「ああ、それは楽しみだ」
彼は立ち上がって「そろそろ行く」と歩き出した。そして最後に言い残す。
「来世のことは考えておいてくれ」
彼は私の答えを聞かずにどんどん進んでいく。結局、嘘か本当か分からずじまいだ。
だけど私は誰もいない路地で、誰も聞き手がいないのに答えた。
「いいですよ。来世があれば……ですが」
今はひどくとも来世くらいなら期待してもいいだろ。今度こそ真っ当な人生を歩みたい。
~~☆☆~~
「こんなところで寝たら体を痛めるぞ」
肩を揺すられて起こされた。書類仕事に疲れて、そのまま机にうつぶせて眠ってしまっていた。
顔を上げると私の旦那様がいた。
「もう帰っていたのですね。ごめんなさい、お出迎えができずに」
「気にしないでいい。それよりマカロンを買ってきた。一緒に食べよう」
彼はマカロンをソファーの机の上に広げて、紅茶を注いでくれた。
私も食べたくなってきたので、席を立ってソファーに座り直した。
「ふふん! マカロン、マカロン!」
早く食べたくて私は思わずはしゃいでしまった。
クリストフは先に紅茶に口付ける。
そこでさっきの夢を思い出したので彼に伝えてみよう。
「そういえばさっき未来でクリスがくれたマカロンが夢に出てきましたよ」
「ほう。どのときの話だ?」
「クリスが来世で結婚しようって言った日だよ」
「ごほっ、ごほっ!」
紅茶でむせて彼はハンカチで口元を拭いていた。
あの時のフードの男はクリストフというのは驚きだったが、まさか本当に彼と結婚することになろうとは。
その時、彼の目が光った。
「そういえばあの時、何でもお願いを聞いてくれると言っていたな」
「えっ?」
そういえば言った気がする。もしかすると彼をちゃかそうとして墓穴を掘ってしまったのではないだろうか。
「前に美味しいと評判の有名なレストランがあったのだ。そこに付いてきてもらうぞ。その日だけは私もワインを飲みたいのだ」
「そんなのでいいのですか? 私は構いませんよ」
もっと無茶なお願いをしてくるかと思ったが、私も美味しい食事ができて何も損がない。
「その日は君を寝かせるつもりはない」
「えっ……はい」
それはつまり、そういうことだろうか。意識したら頭で湯が沸きそうなほど顔が熱くなる。
だが当日、私は彼と供にワインを飲むことになり、緊張の余り適量を忘れ、酔い潰れて先に寝てしまうのだった。
王太子リオネスに婚約破棄されて、もうすでに二年が経った。私ソフィア・ベアグルントは裏社会を仕切っている組織に身を置いていた。
今は拠点にしているカジノの一室に任務完了後にやってきた。
ボスからお呼び出しがあったのだ。
仮面を付けた優男で、声だけではこれだけ国を騒がせる組織の長には思えなかった。
「聞いているか、ソフィア・ベアグルント」
ボスの声が低く、圧のある声だ。今日は私の任務失敗について呼び出しを受けていた。
「申し訳ございません。クリストフ司祭から妨害を受けてしまいました。これからは――ぐっ!」
最後まで言葉を出す前に首を絞められる。息が出来ず足をバタバタと動かすしかできなかった。
「言い訳なんて聞いていない。醜く汚れていたお前を拾ったのは私だったな」
私はお金が無くて路頭に迷っていた。家も取り潰されて、誰も助けてくれないから必死に逃げた。
神官に見つかれば魔女の私は殺されてしまう。もしボスに見捨てられたら、今度こそ終わりだ。だから涙が出そうになるのを必死に我慢した。
「あの時は土で汚れたお前に手を差し伸べたくなかったのだ。だが其方は魔女の血を引いているから、我慢して触ったのだぞ。分かるか? 美しくない其方なんぞ魔女の血しか役に立たないというのに」
彼は軽々と私を持ち上げて、思いっきり放り投げた。背中を打った痛みもあったが、それよりも息を吸いたかった。
「もう……ごほっ……しわけございません」
私の謝罪を聞かずにボスはハンカチで手を拭いてその場に捨てた。
そしてそのハンカチを足で踏みつけた。
「だが私は優しく寛大な心も持っている。どうせこの国は遊びでしかないのだから、あの化け物司祭で遊ぶのもまた一興。それに面倒な女もこちらを探っているらしい、ふふっ」
ボスはこんなにも国を乱しているのに、一切心を痛めることがない。
噂では人ではないという噂もあり謎が多い。またおかしな術も使えるのだ。
「では私は新しい百人目の妻と戯れてくる。其方が綺麗であれば加えてやったのだがな。あの時の其方を思い出すと全くその気にならんのだ。その前に――」
部屋の鍵がガチャッと閉められた。そしてボスは笑いを堪えていた。
「其方は五日は飯抜きだ。この部屋にはお風呂とトイレくらいはあるから、私の慈悲に感謝するといい、ははは――」
笑い声と供にボスは姿を消した。私はよくボスからこういう罰を受けるので慣れていた。
ボスには言わなかったが、別にクリストフがいたから任務が失敗したわけではない。
ただ私が事前に襲うはずだった大神官に情報をリークしたのだ。
そのため私達が侵入した教会で待ち伏せにあって敗北したのだ。
私はその場に座り込んで顔を足にうずめた。
「もういや……どうすればいいの。助けてよ……私が何をしたって言うのよ」
誰もいない部屋で私は声を殺して泣いた。だが泣くのにも体力が必要なため、私はなるべく横になって空腹を耐え忍んだ。
そしてようやく部屋の鍵が開いて私は解放された。
ボスから罰を受けた私に優しくする者なんておらず、ふらふらしながら近くの市場へと向かった。
「お金あったかしら……」
私は懐からお金の入った巾着袋を取り出した。だけど入っているのは小銅貨一枚だけ。今日の小腹くらいは満たせそうだ。
どこの店で買おうか悩んでいると後ろから声を掛けられた。
「おい、大丈夫か。また痩せたのではないか?」
振り返るとそこには黒いフードを被ったよく知る男がいた。
深くフードを被るので顔が全く見えず、最初会ったときは警戒していたのは今は昔。声から若い男性であろうと予測しており、会うと食事を恵んでくれるため、たまにおしゃべりをすることがあった。
「お久しぶりです。ちょっと食事を抜いたもので……」
「そうか。しばらく見ないから心配していたが、生きていたのならそれでいい。今日も偶然買いすぎたんだ。すまないが減らすのを手伝ってくれ」
手提げバッグを見せてきた。
私は知っている。彼はこう言っているがわざわざ私のために買ってくれていることを。
彼はもうすでに歩き出していたので、私も後を追いかける。こうやって人の優しさに触れているときだけ、生きている実感があった。
人のいない路地裏で私と彼は適当なレンガの上に座った。
バッグから彼がまずはパンをくれた。
「その痩けた具合から見ると数日食事をしていないのだろ。ならゆっくり食べろ。急にいっぱい食べると体に悪い」
「分かっています。ありがとう存じます……」
パンをちぎって少しずつ食べる。普通のパンでもお腹が空いているときは、まるでご馳走のように美味しかった。
「ほら、牛乳もある」
彼はガラス瓶に入った牛乳もくれた。それを思わず一気飲みしてむせた。
「ごほごほ――」
「大丈夫か!?」
彼が背中をさすってくれたおかげですぐに止まった。
「申し訳ございません」
「そんなことで謝るな。癖になるぞ」
名も顔も知らないこの人がどうして優しくしてくれるかは分からない。見返りを求めるのなら私みたいな貧相な女なんて狙うはずも無く、私はただ与えられるだけだった。
それが私をさらに惨めにする。
「どうしてこんなに優しくしてくれるの?」
「……」
彼は答えない。都合の悪いことを言わないのはいつものことだ。
それでもいい。だけどやはり私は自分が後ろめたく、もし私が巷を騒がせる悪人だと知ったら彼も私を軽蔑するかもしれない。
それならそれでいい。十分、私はもらったのだから。私は膝を抱えた。
「ねえ、話してもいい?」
「何だ?」
「私ね。すごい悪人なんだ。こんな貧しい生活が当然のね」
「……続けろ」
彼は短くそう答えた。私はまた言葉を続ける。
「私は生きてたらいけないんだって」
「誰が言ったんだ?」
「みんなだよ。貴族だけじゃなく神官も全員がそう言ってた。でも死にたくなくて、拾ってくれた人のところに行ったら、本当に誰からも……死ねっ……て、ぐすっ……どうすればよかったんだろうね」
膝に顔を隠す。女の涙は武器になるが、だけどこの人の前では出したくなかった。それなのにどうしても止まらないのだ。
「ほら」
彼は何かを差し出したようでそちらを向く。彼はハンカチに包んだピンク色のマカロンを差し出していた。
「俺は少なくとも其方に生きてほしいと思っている。死にたくなっても俺の言葉だけは思い出せ」
彼は私の事情を聞いてもいつもと変わらない。それがおかしくて笑ってしまった。私はマカロンを受け取った。
「これってたしか高くはありませんでしたか?」
「其方がよだれを垂らして物欲しい顔をしていたのでな。文句を言われる前に買っておいただけだ」
「なっ!? 別によだれなんて垂らしてませんよ! たしかに美味しそうだとは思いましたけど……」
私はまたマカロンを見た。綺麗な色で一度でいいから食べたかったお菓子だ。
昔はこんな庶民の食べ物なんてと馬鹿にしていたが、今の私にとってどんな食べ物も貴重だった。
私は食べる前に一言だけ付け足しておく。
「実はさっきの話は嘘ですよ。今日はエイプリルフールらしいですからね」
一年に一回の嘘を吐いてもいい日だ。彼はきっと今の話を聞いてもこうやって会ってくれる気がした。
それなら少しでも良心が傷付かないようにしたい。
彼の口元がフッと笑っていた。
「そうか。これは騙された」
下手な演技だ。それでも彼は聞かなかったことにしてくれた。
マカロンをはむっと食べると甘さが口全体に広がった。
「美味しい……こんな味だったのですね」
すぐに二口目、三口目となり一瞬で食べ終わった。
最後にお礼を言おう。
「今日もありがとうございました」
「気にするな」
「何かお礼をしたいけど……」
私は何も手持ちがない。身体くらいしかないが、前に彼にそのことで怒られたことがあるので、お礼にはならないだろう。
「今はいい。だがもし来世があればその時に返してくれ」
それは私にお礼は期待していないってことだろうか。だけどなんだかおかしくて笑いが込み上げてきた。
「ふふ、いいですね。ちなみに何がいいのですか?」
「結婚」
「えっ……」
聞き間違いだろうか。彼の表情がフードで見えないため口元で判断するしかない。
すると彼は咳払いをした。
「ごほんっ、冗談だ。今日はエイプリルフールだろ?」
「ああ! もうびっくりしました」
私も彼にしてやられたようだ。
「もし来世があればいくらでもお願いしてくださいね。できる限り叶えますから」
「ああ、それは楽しみだ」
彼は立ち上がって「そろそろ行く」と歩き出した。そして最後に言い残す。
「来世のことは考えておいてくれ」
彼は私の答えを聞かずにどんどん進んでいく。結局、嘘か本当か分からずじまいだ。
だけど私は誰もいない路地で、誰も聞き手がいないのに答えた。
「いいですよ。来世があれば……ですが」
今はひどくとも来世くらいなら期待してもいいだろ。今度こそ真っ当な人生を歩みたい。
~~☆☆~~
「こんなところで寝たら体を痛めるぞ」
肩を揺すられて起こされた。書類仕事に疲れて、そのまま机にうつぶせて眠ってしまっていた。
顔を上げると私の旦那様がいた。
「もう帰っていたのですね。ごめんなさい、お出迎えができずに」
「気にしないでいい。それよりマカロンを買ってきた。一緒に食べよう」
彼はマカロンをソファーの机の上に広げて、紅茶を注いでくれた。
私も食べたくなってきたので、席を立ってソファーに座り直した。
「ふふん! マカロン、マカロン!」
早く食べたくて私は思わずはしゃいでしまった。
クリストフは先に紅茶に口付ける。
そこでさっきの夢を思い出したので彼に伝えてみよう。
「そういえばさっき未来でクリスがくれたマカロンが夢に出てきましたよ」
「ほう。どのときの話だ?」
「クリスが来世で結婚しようって言った日だよ」
「ごほっ、ごほっ!」
紅茶でむせて彼はハンカチで口元を拭いていた。
あの時のフードの男はクリストフというのは驚きだったが、まさか本当に彼と結婚することになろうとは。
その時、彼の目が光った。
「そういえばあの時、何でもお願いを聞いてくれると言っていたな」
「えっ?」
そういえば言った気がする。もしかすると彼をちゃかそうとして墓穴を掘ってしまったのではないだろうか。
「前に美味しいと評判の有名なレストランがあったのだ。そこに付いてきてもらうぞ。その日だけは私もワインを飲みたいのだ」
「そんなのでいいのですか? 私は構いませんよ」
もっと無茶なお願いをしてくるかと思ったが、私も美味しい食事ができて何も損がない。
「その日は君を寝かせるつもりはない」
「えっ……はい」
それはつまり、そういうことだろうか。意識したら頭で湯が沸きそうなほど顔が熱くなる。
だが当日、私は彼と供にワインを飲むことになり、緊張の余り適量を忘れ、酔い潰れて先に寝てしまうのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,291
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる