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甘い食事
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私はクリストフと手を繋ぎ、横に並んで廊下を歩く。いくら憎い敵でもエスコートをしてくれるのは、本来持つ彼の紳士的な性格によるものだろう。
しかし誰も見ていないのだから、私も少しは遠慮するべきかもしれない。
「クリストフ様、エスコートは嬉しいですが、誰もおりませんので、今くらいは手を離してもよろしいですよ」
「こうしないとソフィア嬢が逃げてしまいますからね」
「に、逃げませんよ!」
もう二度と鉄球から逃げる鬼ごっこなんてしたくない。
私はぶんぶんと首を振って、へたなことは考えていないことをアピールした。
「ですが其方が嫌なら無理強いはしない。偽装結婚がバレなければそれでいいですから」
彼は少し寂しそうな顔をしていた。どうしてそのような顔をするのだろう。
私は彼のことを考えていると、彼から「どうかしたか?」と声を掛けられて、私は彼を見つめている事に気付いた。
顔が思った以上に近いこともあり、私は慌てて顔を背けた。
「ごめんなさい。わたくしも殿方からこういうことをされたことがあまりないから……その、緊張していますの」
クリストフは未来でのことを差し引けば、とても魅力的な男性だ。
顔も良ければ家柄も良い、さらにはこうやって気遣ってくれる。
だけど私が勘違いしてはいけないのが、彼が好意でやっているわけではないことだ。
司祭の彼は常日頃から、人のために人生を捧げている。
だからこそ、私にだけ特別ではない。
「ほう……なら慣れてもらおうか。一応は俺の妻になるのだからな」
彼の手がさらに強く握られた。私が恥ずかしがっているのを楽しんでいるのだろう。
そのまま手を繋いだまま、ダイニングルームに到着すると、もうすでに料理が並べられていた。
彼が椅子を後ろに引いてくれたので、私はその席に座る。
そして彼は向かい側の席へと向かった。
「当家自慢のシェフが作っているから味は安心しろ」
私は並べられている料理を見た。湖が近いためか、海の幸が多く、どれも綺麗に盛り付けされている。
食べてみたが味も絶品で満足のいくものだった。
「美味しかった」
少し量は多かったが、残さずに食べきった。美味しい物を食べると幸せな気持ちになる。
するとクリストフは笑っていた。
「そんなに喜んでもらえたのなら良かった。噂ではあまり食事に興味を示さないと聞いていたが、そうでもなかったのだな」
それは社交界での話だろう。たしかに前は食のありがたさなんて微塵も考えたことが無い。
だが没落して極貧生活を強いられてからは、満腹まで食べられることなんてほとんど無かった。
そんな環境に置かれたら、誰だって価値観が変わるものだ。
「未来ではあまり良い生活はできませんでしたからね。そんな私を憐れんだ人がいたのか、よくお菓子をくれる方がいましたの。顔はフードを被って見えませんでしたが、それだけが唯一の楽しみでしたわ」
そういえばその方のおかげでマカロンを初めて食べた気がする。だけどその値段は平民のお菓子とはいえ、私では手が出せないほど高価なものだった。
「でも私も意外でしたわ。クリストフ様がこのような食事もされるのですね」
「何がだ?」
クリストフは首を傾げていた。だけど私のイメージするクリストフとは本来は別のものだった。
「司祭ということもあり、贅沢を嫌っていると聞いていましたから、このような食事もされるのですね」
噂では水しか飲まない日や健康第一で質素な食事をしていると聞いた。
だからこそこういう高級料理には興味がないと思っていたのだ。
クリストフは珍しく戸惑うような顔をしていた。
「それは――俺もたまには美味しい物を食べたいだけだ。それに其方へそんな生活を強いるつもりはない」
嫌いな私とはいえ、無下に扱うつもりはないようで、少しは安心した。
だけど少しでも傲慢な態度を見せたらどうなるか分かったものではないため、なるべく謙虚に振る舞った方が良いだろう。
彼の優しさは誰にでも向けるものであり、決して私にだけ優しいわけではないのだから。
「ありがとう存じます。ですがわたくしも贅沢はたまにでよろしいですよ。流石に水だけで生活は厳しいですが、あまり甘えるわけにはいきませんわ」
少しでもクリストフの心証をよくする魂胆があったが、お互いにメリットがあるのでそれもいいだろう。だがクリストフはあまり喜ばしい顔をせず、逆に言えば不機嫌だった。
「ど、どうかされましたか?」
また何か余計なことを言ってしまったのだろうか。
もしかすると私の心の内を読まれたのだろうかと、冷や汗が流れてくる。
「いいや、俺はこう見えて人から見えない時には堕落している。俺が食べたいだけだから、其方も俺のために美味しい物を食べてくれ」
「そ、そうなのですね……!」
まさかクリストフが実は質素を嫌うことを初めて知った。よかれと思って謙虚な発言をしたが、彼の大事なプライベートを制限してしまうところだった。
もう少し彼を知るべきかもしれないため、私の心のメモに彼は実は贅沢が好きと書き込んだ。
「分かりました! それならぜひ美味しい物を食べましょう!」
私も食べられるのなら贅沢な物がいい。お金もクリストフが出してくれるのなら、私はただ美味しい思いをするだけなのだ。
クリストフもやっと不機嫌な顔が戻った。
「食後のデザートも用意している」
テーブルの鈴を鳴らすと、メイドがゼリーが入ったグラスを持ってきてくれた。
生クリームやさくらんぼも上にのせてあり、とても美味しそうだった。
「うわー、美味しそう……」
見るだけで美味しそうなデザートに心躍った。
しかし置かれたのは私の席だけだった。
私はデザートとクリストフを交互に見て、念のため確認する。
「クリストフ様の分はないのですか?」
するとメイドは困惑した顔をする。
「旦那様はそのような──」
メイドが話し中にガタンとクリストフが立ち上がった。
急にどうしたかと思っていたら、メイドに「俺の分も用意してくれ」と言った。
「かしこまりました! すぐにお持ちします!」
とメイドは慌てて部屋から出て行った。そこで私は図々しくも、美味しそう、と呟いたせいで彼の分を取ってしまったことに気づいた。
「もしかして、私がクリストフ様の分を取っちゃいましたか!」
こんなことで彼の機嫌を損ねたくない。だがクリストフは笑っていた。
「あのメイドが忘れていたのだろう。俺はしっかりと二人分と伝えたのだがな」
どうやら私が奪ったわけではないらしいのでホッとした。
すぐにメイドが彼の分のデザートを置いたので二人で食べる。
「へへっ……ん!」
思わず鼻歌が出て、スプーンで生クリームをすくって口に入れたら、ほっぺが落ちそうになって頬に手を当てた。
久々に生クリームを食べて幸せだ。ゼリーも冷えててとても美味しい。
クリストフはまだ手を付けず私を微笑ましい顔で見ていた。
「其方はいつも美味しそうに食べるな」
「いつも?」
――はて、私はそんなにクリストフ様に食べるところを見られていただろうか。
クリストフは咳払いをして「先週のマカロンのことだ」と訂正してきた。
私は納得して「ああ、そういうことですね」と簡単に答えた。
これまで甘い物を好きな時に食べられなかったので、とても充実した毎日だ。
私は調子に乗っていた。
「クリストフ様、手が進んでいないと私が食べちゃい――」
言いかけたところで、彼がテーブルから身を乗り出した。
「嘘です、嘘です! 食べませんから!」
もしかしてジョークは嫌いだったのかと、自分の失言を悔いたが、もうすでに彼の手が目の前まで来ていた。
私は目を閉じて痛みに備えたが、彼の指は私の口元に触れただけだった。
そっと目を開けると、彼は指先を舐めていた。
「口元にクリームが付いていたから取っただけだ」
どうやら食べている時に生クリームが頬に当たったようだ。
手を出されないのなら安心できると、また食事を再開しようとしたが、少し待って欲しい。
――今、私の食べかけのクリームを舐めませんでしたか?
口元のクリームを拭って舐めたのなら、そういうことだ。
だけどクリストフは特に気にしていないようで席に座り直していた。
私だけ気にしているようで、彼は私の視線に気付いて首を傾げていた。
「どうかしたか?」
「い、いいえ! なんでもありません!」
私は気持ちを落ち着かせようと、残りのゼリーをすくって食べた。
美味しいはずなのに味がしなくなってきた。
「そんなに美味しいのなら、俺の分も食べていい。其方の食べっぷりを見たらそれだけでお腹いっぱいだ」
彼のデザートが入ったグラスをこちらへ渡されたので私はありがたく頂戴する。
そして食事も終わって、後は眠るだけになった。
クリストフはこれから少し書斎に行くらしいので、私はベルメールに案内されて自室へ帰るのだった。
歩いている最中に彼女が話しかけてくる。
「奥様、旦那様とのお食事はいかがでしたか?」
「とても美味しかったです。クリストフ様がこんな美味しい食事を取られて羨ましく思いましたほどです」
私の家のシェフも腕前は高いが、正直なところクリストフの専属シェフの方が数段上をいっていた。
するとベルメールは笑っていた。
「おほほ、旦那様はいつもはもっと質素ですよ。あまり美味しい食事にご興味を示されませんから、今日はとても驚きました」
「そうなのですか?」
先ほどクリストフが言ったことと違っていた。
どうして彼と認識の相違があるのだろうか。
ベルメールは朗らかな顔をする。
「それこそ奥様を大事に思っていらっしゃるのでしょう。だからこそ奥様も今日は張り切ってくださいませ」
「……はい?」
何だかベルメールの目が凄く光っている気がする。
「旦那様はずっとお相手を作らず後継者が心配でしたが、これでその憂いも無くなります。このベルメールにお任せください」
彼女は異様に張り切っており、部屋に戻るとすぐに化粧台に座らせられた。
どうしてもう夜なのに、これから化粧をするのだろう。
「えっと、ベルメール……」
「なんでしょうか?」
「これからお客様が来られるから化粧をするのでしょうか?」
鏡越しでベルメールはそんな答えを予想していなかった顔になり、そして笑い飛ばしていた。
「まさかこんな夜更けに誰も来ませんよ。今日は初夜ですから、奥様は旦那様をお部屋に出迎えなければいけませんよ。旦那様の話では、今日付けで正式に奥様として迎えられたと聞いておりますからね」
それは偽装結婚なので必要ありません、と言えたらどれだけいいだろう。
彼との約束で他の者達に偽装結婚がバレてはいけないことになっていた。
私はこの危機を乗り越えなければならない。
「たぶん、クリストフ様も今日はお疲れで嫌がるのではないですか?」
「何を仰いますか。殿方は疲れている時こそ、気分が高まるのですよ。それに奥様は可愛らしいので、旦那様もきっと楽しみにされておりますよ」
私は反論できずに、彼女の思うままに化粧を施され、バラの良い匂いのする香水を振りかけられた。そしてみょうにいかがわしい露出の多い服に着替え、コートで体を隠して彼の部屋まで連れて行かれた。
――どうしよう、貞操のピンチ!
魔女の刻印を見せるのが恥ずかしいというとか、どうのこうのという問題では無くなってしまった。
しかし誰も見ていないのだから、私も少しは遠慮するべきかもしれない。
「クリストフ様、エスコートは嬉しいですが、誰もおりませんので、今くらいは手を離してもよろしいですよ」
「こうしないとソフィア嬢が逃げてしまいますからね」
「に、逃げませんよ!」
もう二度と鉄球から逃げる鬼ごっこなんてしたくない。
私はぶんぶんと首を振って、へたなことは考えていないことをアピールした。
「ですが其方が嫌なら無理強いはしない。偽装結婚がバレなければそれでいいですから」
彼は少し寂しそうな顔をしていた。どうしてそのような顔をするのだろう。
私は彼のことを考えていると、彼から「どうかしたか?」と声を掛けられて、私は彼を見つめている事に気付いた。
顔が思った以上に近いこともあり、私は慌てて顔を背けた。
「ごめんなさい。わたくしも殿方からこういうことをされたことがあまりないから……その、緊張していますの」
クリストフは未来でのことを差し引けば、とても魅力的な男性だ。
顔も良ければ家柄も良い、さらにはこうやって気遣ってくれる。
だけど私が勘違いしてはいけないのが、彼が好意でやっているわけではないことだ。
司祭の彼は常日頃から、人のために人生を捧げている。
だからこそ、私にだけ特別ではない。
「ほう……なら慣れてもらおうか。一応は俺の妻になるのだからな」
彼の手がさらに強く握られた。私が恥ずかしがっているのを楽しんでいるのだろう。
そのまま手を繋いだまま、ダイニングルームに到着すると、もうすでに料理が並べられていた。
彼が椅子を後ろに引いてくれたので、私はその席に座る。
そして彼は向かい側の席へと向かった。
「当家自慢のシェフが作っているから味は安心しろ」
私は並べられている料理を見た。湖が近いためか、海の幸が多く、どれも綺麗に盛り付けされている。
食べてみたが味も絶品で満足のいくものだった。
「美味しかった」
少し量は多かったが、残さずに食べきった。美味しい物を食べると幸せな気持ちになる。
するとクリストフは笑っていた。
「そんなに喜んでもらえたのなら良かった。噂ではあまり食事に興味を示さないと聞いていたが、そうでもなかったのだな」
それは社交界での話だろう。たしかに前は食のありがたさなんて微塵も考えたことが無い。
だが没落して極貧生活を強いられてからは、満腹まで食べられることなんてほとんど無かった。
そんな環境に置かれたら、誰だって価値観が変わるものだ。
「未来ではあまり良い生活はできませんでしたからね。そんな私を憐れんだ人がいたのか、よくお菓子をくれる方がいましたの。顔はフードを被って見えませんでしたが、それだけが唯一の楽しみでしたわ」
そういえばその方のおかげでマカロンを初めて食べた気がする。だけどその値段は平民のお菓子とはいえ、私では手が出せないほど高価なものだった。
「でも私も意外でしたわ。クリストフ様がこのような食事もされるのですね」
「何がだ?」
クリストフは首を傾げていた。だけど私のイメージするクリストフとは本来は別のものだった。
「司祭ということもあり、贅沢を嫌っていると聞いていましたから、このような食事もされるのですね」
噂では水しか飲まない日や健康第一で質素な食事をしていると聞いた。
だからこそこういう高級料理には興味がないと思っていたのだ。
クリストフは珍しく戸惑うような顔をしていた。
「それは――俺もたまには美味しい物を食べたいだけだ。それに其方へそんな生活を強いるつもりはない」
嫌いな私とはいえ、無下に扱うつもりはないようで、少しは安心した。
だけど少しでも傲慢な態度を見せたらどうなるか分かったものではないため、なるべく謙虚に振る舞った方が良いだろう。
彼の優しさは誰にでも向けるものであり、決して私にだけ優しいわけではないのだから。
「ありがとう存じます。ですがわたくしも贅沢はたまにでよろしいですよ。流石に水だけで生活は厳しいですが、あまり甘えるわけにはいきませんわ」
少しでもクリストフの心証をよくする魂胆があったが、お互いにメリットがあるのでそれもいいだろう。だがクリストフはあまり喜ばしい顔をせず、逆に言えば不機嫌だった。
「ど、どうかされましたか?」
また何か余計なことを言ってしまったのだろうか。
もしかすると私の心の内を読まれたのだろうかと、冷や汗が流れてくる。
「いいや、俺はこう見えて人から見えない時には堕落している。俺が食べたいだけだから、其方も俺のために美味しい物を食べてくれ」
「そ、そうなのですね……!」
まさかクリストフが実は質素を嫌うことを初めて知った。よかれと思って謙虚な発言をしたが、彼の大事なプライベートを制限してしまうところだった。
もう少し彼を知るべきかもしれないため、私の心のメモに彼は実は贅沢が好きと書き込んだ。
「分かりました! それならぜひ美味しい物を食べましょう!」
私も食べられるのなら贅沢な物がいい。お金もクリストフが出してくれるのなら、私はただ美味しい思いをするだけなのだ。
クリストフもやっと不機嫌な顔が戻った。
「食後のデザートも用意している」
テーブルの鈴を鳴らすと、メイドがゼリーが入ったグラスを持ってきてくれた。
生クリームやさくらんぼも上にのせてあり、とても美味しそうだった。
「うわー、美味しそう……」
見るだけで美味しそうなデザートに心躍った。
しかし置かれたのは私の席だけだった。
私はデザートとクリストフを交互に見て、念のため確認する。
「クリストフ様の分はないのですか?」
するとメイドは困惑した顔をする。
「旦那様はそのような──」
メイドが話し中にガタンとクリストフが立ち上がった。
急にどうしたかと思っていたら、メイドに「俺の分も用意してくれ」と言った。
「かしこまりました! すぐにお持ちします!」
とメイドは慌てて部屋から出て行った。そこで私は図々しくも、美味しそう、と呟いたせいで彼の分を取ってしまったことに気づいた。
「もしかして、私がクリストフ様の分を取っちゃいましたか!」
こんなことで彼の機嫌を損ねたくない。だがクリストフは笑っていた。
「あのメイドが忘れていたのだろう。俺はしっかりと二人分と伝えたのだがな」
どうやら私が奪ったわけではないらしいのでホッとした。
すぐにメイドが彼の分のデザートを置いたので二人で食べる。
「へへっ……ん!」
思わず鼻歌が出て、スプーンで生クリームをすくって口に入れたら、ほっぺが落ちそうになって頬に手を当てた。
久々に生クリームを食べて幸せだ。ゼリーも冷えててとても美味しい。
クリストフはまだ手を付けず私を微笑ましい顔で見ていた。
「其方はいつも美味しそうに食べるな」
「いつも?」
――はて、私はそんなにクリストフ様に食べるところを見られていただろうか。
クリストフは咳払いをして「先週のマカロンのことだ」と訂正してきた。
私は納得して「ああ、そういうことですね」と簡単に答えた。
これまで甘い物を好きな時に食べられなかったので、とても充実した毎日だ。
私は調子に乗っていた。
「クリストフ様、手が進んでいないと私が食べちゃい――」
言いかけたところで、彼がテーブルから身を乗り出した。
「嘘です、嘘です! 食べませんから!」
もしかしてジョークは嫌いだったのかと、自分の失言を悔いたが、もうすでに彼の手が目の前まで来ていた。
私は目を閉じて痛みに備えたが、彼の指は私の口元に触れただけだった。
そっと目を開けると、彼は指先を舐めていた。
「口元にクリームが付いていたから取っただけだ」
どうやら食べている時に生クリームが頬に当たったようだ。
手を出されないのなら安心できると、また食事を再開しようとしたが、少し待って欲しい。
――今、私の食べかけのクリームを舐めませんでしたか?
口元のクリームを拭って舐めたのなら、そういうことだ。
だけどクリストフは特に気にしていないようで席に座り直していた。
私だけ気にしているようで、彼は私の視線に気付いて首を傾げていた。
「どうかしたか?」
「い、いいえ! なんでもありません!」
私は気持ちを落ち着かせようと、残りのゼリーをすくって食べた。
美味しいはずなのに味がしなくなってきた。
「そんなに美味しいのなら、俺の分も食べていい。其方の食べっぷりを見たらそれだけでお腹いっぱいだ」
彼のデザートが入ったグラスをこちらへ渡されたので私はありがたく頂戴する。
そして食事も終わって、後は眠るだけになった。
クリストフはこれから少し書斎に行くらしいので、私はベルメールに案内されて自室へ帰るのだった。
歩いている最中に彼女が話しかけてくる。
「奥様、旦那様とのお食事はいかがでしたか?」
「とても美味しかったです。クリストフ様がこんな美味しい食事を取られて羨ましく思いましたほどです」
私の家のシェフも腕前は高いが、正直なところクリストフの専属シェフの方が数段上をいっていた。
するとベルメールは笑っていた。
「おほほ、旦那様はいつもはもっと質素ですよ。あまり美味しい食事にご興味を示されませんから、今日はとても驚きました」
「そうなのですか?」
先ほどクリストフが言ったことと違っていた。
どうして彼と認識の相違があるのだろうか。
ベルメールは朗らかな顔をする。
「それこそ奥様を大事に思っていらっしゃるのでしょう。だからこそ奥様も今日は張り切ってくださいませ」
「……はい?」
何だかベルメールの目が凄く光っている気がする。
「旦那様はずっとお相手を作らず後継者が心配でしたが、これでその憂いも無くなります。このベルメールにお任せください」
彼女は異様に張り切っており、部屋に戻るとすぐに化粧台に座らせられた。
どうしてもう夜なのに、これから化粧をするのだろう。
「えっと、ベルメール……」
「なんでしょうか?」
「これからお客様が来られるから化粧をするのでしょうか?」
鏡越しでベルメールはそんな答えを予想していなかった顔になり、そして笑い飛ばしていた。
「まさかこんな夜更けに誰も来ませんよ。今日は初夜ですから、奥様は旦那様をお部屋に出迎えなければいけませんよ。旦那様の話では、今日付けで正式に奥様として迎えられたと聞いておりますからね」
それは偽装結婚なので必要ありません、と言えたらどれだけいいだろう。
彼との約束で他の者達に偽装結婚がバレてはいけないことになっていた。
私はこの危機を乗り越えなければならない。
「たぶん、クリストフ様も今日はお疲れで嫌がるのではないですか?」
「何を仰いますか。殿方は疲れている時こそ、気分が高まるのですよ。それに奥様は可愛らしいので、旦那様もきっと楽しみにされておりますよ」
私は反論できずに、彼女の思うままに化粧を施され、バラの良い匂いのする香水を振りかけられた。そしてみょうにいかがわしい露出の多い服に着替え、コートで体を隠して彼の部屋まで連れて行かれた。
――どうしよう、貞操のピンチ!
魔女の刻印を見せるのが恥ずかしいというとか、どうのこうのという問題では無くなってしまった。
応援ありがとうございます!
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