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第四章 学術祭は無数にある一つの試練

レイナ視点

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 わたくしの名前はレイナ。
 マリアさまの幼なじみであり、侍従として生涯忠誠を捧げることを誓った。
 先日のお茶会でマリアさまが感情を抑えきれなくなり、主催者にも関わらず途中退席となった。

 その後は参加したお方たちにお詫びをして回った。
 わたしはカナリアさまへお詫びをした。
 カナリアさまはかなりウィリアノスさまに怒っており、まるで自分のことのように感じているようだった。

 そしてマリアさまが離宮でお泊まりになったので、わたくしたちもしばらくは滞在することになっている。
 ちょうど、マリアさまのところから帰ってきたラケシスと会った。
 少しばかり元気がないので、休憩室へ呼んだ。

「今日も元気がありませんか?」
「はい。ずっと欲しがっていた詩集も持っていたけど、読む気分ではない様子」

 ここ最近の落ち込み具合はひどく、食事もあまり摂ってもらえない。
 このままでは体に悪いので、どうにかしないといけない。

「ウィリアノスさまがこちらに来てくだされば少しは回復するのかもしれないですけど」

 そこでラケシスの雰囲気が変わった。
 怒りを抑えているようだった。

「あんな男なんて忘れるに限ります。わたくしはあんな男のためにこの身をジョセフィーヌに捧げたわけではありません」
「まだ婚約が解消されたわけではないのですから、不本意な発言はおやめない。マリアさまだって、まだ気持ちの整理がついていないのだから、悲しまれるわよ」


 大人な発言だが、わたくしだって納得しているわけではない。
 わたくしたちは近くでマリアさまの頑張りを見てきたからわかるだけだ。


「ふぅー、そうですね。一度頭を冷やしてきます」


 ラケシスはそう言って部屋の外へと出た。
 だがすぐに血相を変えて戻ってきた。

「レイナ! 姫さまがどこかへ消えたそうです!」

 急いでクロートの元へ向かった。
 すでにクロートとセルランが指示を飛ばしてくれたおかけで大規模な捜索が始まっている。
 今のマリアさまは立場的にかなり危うい。
 どの勢力が狙っているかも分からないのだ。

「おそらく王国院でしょう。わたしとセルランは先行しますので、お二人は後から付いてきてください」

 王国院に着いてからヴェルダンディたちと合流した。
 編成は済ませており、捜索を開始しようとしていた。
 わたくしも寮内にいないか探す。
 その時、思いがけない人物を見つけた。

 ……ヨハネさま!?

 どうしてジョセフィーヌ寮に彼女がいるのかは分からない。
 いいや、彼女は今警備が手薄になったところで来たに違いない。
 わたくしはこっそりと後を付いていく。
 小さな会議室へ入っていった。

 ……こんなところに何をしに来たの?

 わたくしは耳をドアに当てた。
 誰かと話しているようだ。

「姉上、どうしてわたしをお呼び出しに?」

 ……セルラン!?


 てっきりもうマリアさまを探すために王国院を駆け回っていると思っていた。

「ふふっ、可愛い弟に会いたいと思うのはいつだって姉の性よね」

 どこかおちょくるヨハネさまにセルランは警戒心を剥き出しだった。

「今は姉上の冗談に付き合っている時間はない。用がないならわたしはもういく」
「あらあら、そんなにあの子が大事?」
「当たり前だ。主君の無事を祈らない臣下などいない」
「本当に臣下としてかしら?」

 含みのある言葉にセルランの息が詰まるのを感じた。
 いつもの彼らしくないその態度はヨハネを前にしているからなのか。

「ねぇ、どうしてマリアちゃんだけが蒼の髪だと思う?」
「それは……両親から資質を多く受け継いだからだ」
「ならどうして今まで生まれなかったのかしら? クロートという青年はジョセフィーヌの血なんて引いていないわよ」

 セルランは答えられない。

「知っているかしら? お父さまが次期当主になるはずだったことを」
「それは知っている。マリアさまが御生まれになったので継承権が移ったと」
「マリアさまが他人の子供だったらどうするの?」
「ーーっ! そんなことはありえない!」

 セルランは即座に否定した。
 だがヨハネさまは聞き流した。

「どうしてそんなに彼女を庇おうとするの?」
「主君を第一に考えるのは当たり前のことだ」
「そうね、でもマリアちゃんはそう思っていないわよ」


 ヨハネさまの歩く音が聞こえる。
 セルランの焦燥が伝わってくる。
 セルランに触れて、彼の不安を直接感じているのだ。

「可哀想に、あんなに傷付きながらも頑張ったのに全く貴方を気にしてはくれない。終いには剣の称号を持つ貴方ではなくパラストカーティへ頼り、盾はクロートが担ってしまった」

 セルランはもう何も喋らない。


「本当に貴方が守る価値があるの? 本物の主君ではなく、そして貴方を一番に想ってくれない主人に従うべきかしら? これを聞いてみて」

 耳を澄ますと何やら声が聞こえてきた。
 おそらくは録音の魔道具だろう。
 わたしはその音を拾った。

「貴方が頼りなの。ねえ、いいでしょ?」
「それならセルランに頼めば……」
「セルランが許すわけないじゃない」


 マリアさまと下僕の声だ。
 一体どういう状況かは分からないが、マリアさまはセルランより下僕を頼っていた。
 また別の時間での録音が続いた。

「ありがとう! やっぱり貴方は最高の側近よ!」

 どちらもわたくしは聞いたことのないお褒めの言葉だ。
 一体いつこのようなことがあったのか。

「分かりました? もう彼女は貴方が守るべき人ではないの。わたしだけは貴方の本当の味方よ。また昔のようにわたしに甘えていいのよ」
「あね……うえ」

 そこで会話が途切れた。
 しばらくしてドアの方へ歩いてきたのでわたくしは廊下の隅に隠れた。


「貴方が彼女を救ってあげなさい」
「はい……」

 セルランが一体何をするつもりかわからない。
 わたしは誰かに、セルランがマリアさまを傷付けるかもしれないことを伝えないといけない。

「隠れちゃって、可愛いわね」

 ドキッとして横を見るとすでにヨハネさまがいた。
 その目を見るだけでわたくしは金縛りにあってしまった。

「後ろを付いて来てくれてありがとう」

 彼女は最初から分かっていたのだ。
 ゆっくり彼女の手がわたくしに伸びてきた。
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