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第四章 学術祭は無数にある一つの試練

残酷な恋

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 わたしは走った。
 離宮から王国院は少し離れている。
 マリアーマーがあると騎獣を作る訓練をサボっていたので移動手段が徒歩しかない。
 どうにも王都全体が騒がしい。
 わたしは建物の影に隠れながら、立ち話をコソッと聞く。

「シルヴィ・ジョセフィーヌが何かしたせいで魔力不足が深刻らしいな」
「どういうことだ?」
「マリアさまが伝承を追いかけている噂は聞いているだろ? それによって神たちが怒って全領土で魔力不足が進み始めているらしい」
「そういえば贔屓にしている商人もそんな話をしていたな。道楽でしていいことと悪いことがあることを少しは考えて欲しいよな」

 ……全領土で魔力不足!?

 まさか、わたしが伝承を蘇らせたことで他の領土に影響が出るなんて思ってもみなかった。

「あとウィリアノスさまに恥を欠かせたらしいな」
「次期シルヴィなら王子であるウィリアノスさまよりマリアさまの方が位が高いからな」
「それが政治には一切口を出させないらしいぞ」
「本当かそれ!? 世継ぎのために呼ばれただけじゃないか。文武両道のあの方も血に縛られるということか」

 噂はかなり広まっているようだ。
 このままでは本当に取り返しの付かないところまでいこうとしている。
 わたしはまた王国院まで走り出した。

 やっと王国院に辿り着くと、どうにも活気がない。
 外を歩く学生が一人もいない。
 わたしは自分の寮を見に行った。
 外から見るとその惨状も分かる。
 わたしの部屋は天井が吹き飛んでおり、黒こげの跡があった。
 わたしの魔力が暴走したせいでこうなったのだ。
 クロートがいなければこれだけで済まなかっただろう。
 多くの学生が亡くなる事態になっていたかもしれない。
 そこで誰が近付いてくるのを感じた。
 今ここで見つかるわけにはいかないので、近くの花壇に隠れた。

「っち、憂さ晴らしにパラストカーティでもいじめてやろうと思ったが出てきやしねえ」
「他の領土もそうだ。いっそのことジョセフィーヌ領でもいいんじゃないか?」
「確かにな。あっちのお姫さまのせいで魔力が全く足りねえんだよ。いっそのこと領民を神に捧げれば、魔力が足りて神も俺たちを救ってくれるだろう」


 物騒な話をしながら学生たちは去っていった。
 どうにかわたしがウィリアノスさまに謝罪をしないことには、この亀裂も治らないだろう。
 一度、ウィリアノスさまがいる寮に行くべきかもしれない。
 わたしは目的地へと走っていく。
 だが急に人が増え始めていたので、わたしは近くの物陰に隠れた。

「捜索は騎士だけでいい! 絶対に他領と喧嘩するな! もし何かあったらすぐに逃げろ!」
「王族領に見つかったらマリアさまがどのような目に遭うか分からない! 王国院の外は広いが必ず見つけ出しなさい!」

 指示を出しているのはヴェルダンディとルキノだった。
 もうわたしの捜索が始まっていた。
 もし見つかったら連れ戻されるだろう。
 わたしは息を潜めて待った。


「くそっ! 本当に胸糞悪いぜ!」
「ちょっとヴェルダンディ、誰も見ていないからって言葉が崩れすぎよ」
「仕方ねえだろ! 王子だからって調子に乗りやがって! 恥を掻かされたのはマリアさまじゃねえか!」

 ヴェルダンディは悪態を吐いて、足元の石を大きく蹴り上げた。
 ルキノは彼の背中をさすった。

「分かっております。サラスさまやカナリアさまからも話を聞いて、憤らない側近などいませんよ。でもそれよりも大事なのはマリアさまの安否です。騎士を指揮するわたくしたちが心を乱してはいけません」
「分かっている。とりあえずルキノは通信の部屋で待機していてくれ。俺はここで頭を冷やす」
「分かりました。また何かあれば知らせますね」

 側近たちにかなり心配を掛けている。
 このままだと本当に領土を二分するかもしれない。
 せっかくゼヌニム領と関係が戻り掛けたのに、次は王族と関係が崩れれば何も進展していないのと一緒ではないか。
 わたしは少し回り道をして、ウィリアノスさまのもとへ急いだ。

「おい、マリアじゃねえか!」

 わたしはその声を聞いて、嫌な男に出会ってしまった。

「ガイアノス……」

 ……急いでいるのに出会うなんて


 この男のことだ。
 前の腹いせにわたしに危害を加えるつもりかもしれない。
 今はわたし一人なので、この男の暴力に抗う方法がない。
 魔力を込めようとした時、彼が口を開いた。

「俺は味方だ! 大変な目にあっているお前に何かするつもりはない!」


 ガイアノスは敵意がないことを示すため、懐にあるトライードの筒を放り投げた。

「そう、ならわたくしは急いでいますので」
「まてまて、どこへ行くつもりだ? ウィリアノスなら寮にいないぞ」

 まさかの誤算。
 そうするとどこにいるのか全く分からない。
 このままでは連れ戻されてしまう。

「あいつは魔法棟に向かっていたぞ」

 わたしは怪訝な目をガイアノスに向ける。
 これまでと違いどうしてこれほど協力的なのか。


「そんな顔をするな。俺は何も領土間で喧嘩するつもりはない。お前の親父のことだって、ドルヴィに抗議しているくらいだ。ウィリアノスのことだって、すれ違いで起きたことだろ? 魔法棟に近付かないように学生たちには言っておくから、早くウィリアノスと仲を戻してくれ、お前だってそれを望んでいるんだろう?」
「え、ええ。ありがとう、ガイアノス。少し貴方を誤解していたみたいね」

 そうだ。
 誰だって領土同士の対立なんて望むはずがない。
 わたしだって、次期当主としての自覚に目覚めてから変わった。
 ガイアノスも次期ドルヴィになるのだから、変われたのかもしれない。


「いいから早く行けって」

 ガイアノスは後ろを向いて手であっちへ行けと言っている。
 わたしは心の中でお礼を言った。

「ーー、そっちーーじごくーー」

 わたしはガイアノスの最後の言葉を聞き取れなかった。
 魔法棟の近くにある寮へと向かう途中、魔法棟から悲鳴が聞こえてきた。

「きゃああああああ!」

 わたしがその方向を見ると、アリアが空から降ってきていた。

 ……アリア!?

 空には見慣れない黒いフードを被った者がいた。
 おそらくアリアへ攻撃を仕掛けたのだろう。

 ……助けなきゃ!

 わたしが動こうとする前にアリアは別の誰かの騎獣によって助けられた。
 それはウィリアノスさまだ。
 黒いフードを被った者は、ウィリアノスさまに気付いて逃げていく。
 そのまま二人は魔法棟の裏に降り立った。

 ……あれは前にシュトラレーセを毒殺しようとした貴族かしら?

 前に見た仮面と同じだったのでそう結論付けた。
 わたしは二人の安否も気になり、そちらに向かった。

「アリア、ウィリアーー」
「俺はお前が好きだ!」


 ……えっ?

 ウィリアノスさまはアリアの両肩を握り、思いの丈をぶつけていた。
 ちょうどウィリアノスさまが後ろを向いて、アリアがわたしと目が合う形になった。

「ま、マリア姉……さま?」

 アリアの顔が蒼白になっていた。
 それもそうだろう。
 こんな状況で、わたしの前で、嬉しい顔なんてできるはずがない。

 そこでガイアノスの顔を思い出した。
 彼が後ろを向いた時、一瞬笑っていた。
 最後に言っていた言葉はこうだったのではないか。

「いいって、そっちは楽しい楽しい地獄だからな」


 頭から水が伝ってくる。
 雨が降り始めた。

「ま、マリア……」

 大粒の雨が降り注ぎ、目の前が霞んでくる。
 声が出てこない。
 アリアとウィリアノスさまが何か言っているが何も聞き取れない。
 わたしは無意識に魔力を出して、二人を吹き飛ばした。

「いや、いやぁーー」

 叫んだ後は良く覚えていない。
 気付けば走っていた。
 息が詰まりそうになりながらも、この場所から逃げたかった。

「いたっ……」

 どこかを曲がった時に誰かにぶつかった。
 わたしが顔を上げると、セルランが立っていた。

「マリア……さま……」

 彼の姿を見た瞬間、何故だか安心した。
 わたしは立ち上がってセルランの胸に飛び込んだ。
 わんわんと泣いた。
 気持ちがもう抑えきれない。
 もう心の支えが無いとどうにかなってしまう。
 少しずつ何かが埋まりかけていた。

「セルラン……っセルラン!」

 わたしは彼の名前を呼んだ。
 誰よりも頼りになる騎士の名前を。
 そしてわたしは、その時の彼の顔を見ていなかった。

「お許しください」
「えっ……」

 セルランのトライードがわたし目掛けて振り落とされた。
 一瞬見えた彼の目もまた大粒の雨のようだった。
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