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第二章 騎士祭までに噂なんて吹き飛ばしちゃえ!

教師は猫である

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 好奇心からわたしは早く座ろうとしたら、不機嫌な聞き覚えのある声が聞こえた。

「まだ未成年で禁止されているワインを五大貴族の令嬢が飲むなんてことはしないでしょうね?」


 底冷えする声が聞こえてきて、わたしは背中をピーんと張った。
 間違いなくクロートの声だ。
 わたしは辺りを見渡すが、クロートはどこにもいない。


「ボス、どうしました?」
「い、いえ。何でもありません」


 ホークはわたしの挙動不審な行動に気付き尋ねてくる。
 幻聴にしてははっきりした声が聞こえてきたためどうにか誤魔化した。


「ここです」


 ホークが目を離したタイミングでまた声が近くで聞こえてきた。
 目線だけで探すがどうしても見つからない。
 少しばかり怖くなり右手を胸の前に持ってくると柔らかい何かが手に当たった。


「え……」


 そこでわたしは自分の肩に乗っている小さな猫に気が付いた。
 全身真っ黒でなぜか黒いレンズの眼鏡を掛けている手のひらサイズの猫がいた。


「ようやく気付かれました。わたしです。クロートです」


 ……クロート!? 


 猫が喋ることにびっくりしたが、それ以上になぜクロートがこのような姿になっているのか皆目見当もつかない。
 わたしは小さな声でクロートと名乗る猫に話しかける。

「本当にクロートですの?」
「もちろんです。これはわたしの作成した遠隔でも操作できる魔道具です」


 またもや規格外な物を持ってきたクロートに呆れるしかない。
 一体クロートは何者なのだろうか。


「ボス、座らないのですか? のぼせたんじゃないでしょうね」


 またもやホークがわたしを心配して近寄ってくるが、今ここでクロート猫を見せるわけにはいかない。
 手でクロート猫を髪に隠れるように後ろに回した。


「何でもないです。あー、ものすごく美味しそうな料理!」


 わたしは話題を逸らすため、目の前のお皿に釘付けと言わんばかりに凝視した。


「いつも食べている料理じゃないですか。まあ、元気ならいいですがね」


 わたしはこれ以上怪しまれる前に椅子に座って、カトラリーを手に取った。
 平民料理のため少しばかり歪な料理だが今は文句を言っているわけにはいかない。
 わたしはホークを見て、じーっと待った。

「姫さま、普通の平民は毒味なんて毎度毎度しません」

 ホークが何か勘付いてくる前にわたしはすぐにスープを飲み始めた。
 毒味をしていない食事を食べるのは少しばかり緊張したが、口当たりの良いスープだった。
 この味にわたしは覚えがあった。

「美味しい。これってパラストカーティのスープかしら?」
「へえ、ボスが珍しく味を楽しんでるな」

 ホークの言葉が分からずわたしは首を傾げた。
 苦笑気味にわたしに教えてくれる。


「ボスは味オンチじゃないですか。それなのにどこの料理かわかるなんて、よっぽどの恐怖だったんでしょうね」

 ははは、とホークは笑っているがかなり危ない綱渡りだったようだ。
 あまり下手なことは言わないほうがいい分かっているが、どうしても素が出てしまう。
 黙って食事を楽しもうとするが、ここでまた困ったことになった。
 見たこともない赤い甲羅に包まれた生き物が丸々あるのだ。
 どうやって食べればいいのだろう。
 虫みたいな顔をしているので流石のわたしでも躊躇われる。

「蟹ですね。そのホークという男に身だけ取り出すように命令してみてください」


 クロートはどうやらこの食べ物を知っているようなので、わたしは言われた通りホークに命令して、蟹と呼ばれる食材の食べれる部分を所望した。
 ホークは特に不審がらずに、テーブルの上にあるナイフで身を綺麗に捌いて、真っ白な身を取り出してわたしにくれた。
 本体の気持ち悪さとは異なり、身はまだ綺麗な色をしている。
 わたしは蟹の腕から飛び出ている身を頬張った。


「んんーー、美味しい!」


 わたしはあまりの美味しさに思わず声を出してしまった。
 そこで自身の味オンチという設定を思い出して、急いでわたしの口を塞いだ。
 クロート猫のため息が後ろから聞こえてくる。


「はは、なんか今日のボスは可愛いな。災難ばっかりだったけど、味が分かるようになってよかったですね」


 どうやらホークは特に疑いをもつわけでもなく、受け入れてくれている。
 わたしが言うのはなんだが、もう少し疑いを持った方がいい。
 しかし彼の天然さのおかげでわたしも安心して美味しい食事を堪能した。
 何度か壁にぶつかりながらもクロート猫の助けもあって無事に食事を終えた。
 今日は別々の部屋で寝ることに最後まで抵抗されたが、不満がりながらも部屋を出て行ってくれた。
 これでクロート猫を隠す必要もなくなり、彼をテーブルの上に置いた。


「本当にクロートですか?」
「はい。それよりもまず最初にですが……」

 ここでわたしはやっぱりと次の言葉に備えた。
 絶対にわたしが独断で行動して側近と離れて敵地にいることを叱られるのだ。
 わたしは水の神に祈りながら断罪の時を待った。

「お側を守るべき我々の失態により姫さまに多大な心的負荷をお掛けしましたことをお許しください」


 クロート猫は頭を下げて心痛な声でわたしに謝罪した。
 その落ち込みようはクロートだとは思えなかった。

「えっと、怒っていないのですか?」

 わたしは恐る恐る尋ねたが、クロート猫は首を振って否定した。

「あの場での姫さまの行動は自身が約束してしまった多夫という契約に縛られることを寸前で阻止されたのです。想像以上の敵の前にどうにか首の皮一枚繋がりました。今化けられているクラリスという女の身柄を確保したおかげで情報を聞き出せたので、この場所についてもやっと見つけることができ、側近全員に情報を伝えておりますので、一同ホッとしております」


 どうやらかなり気を揉ましてしまったようだ。
 だがまだ作戦は始まったばかりで、今後の展開についても考えないといけない。
 変わらないといけないとは思っているが、まだわたし一人では絶対に成功する方法がない。
 優秀な側近たちから教えを請わねば不安でたまらないのだ。

「このまま敵のアジトまで行く予定ですが、何か作戦はありますか?」
「姫さま、これ以上は危険ですが本当に続けられますか?」


 クロートがわたしの覚悟に問いかけてくる。
 だがわたしの心はもう決まっている。
 どうにかしてこの組織の裏を探ってヨハネとの関係を見つけ、この組織のお金はいただく予定だ。

「ええ、わたしは途中で逃げ帰るなんてことは絶対嫌ですから」


 わたしはもう逃げることをしたくない。
 今回はしっかり当事者としてこの件を収めてみせる。
 クロート猫は優しげな声色でわたしの言葉を受け止めた。


「ええ、姫さまならそう言ってくださると思っていました。もうこちらも動き始めています。一度ジョセフィーヌ領第三都市モルドレッドまで逃げてください。こちらの読み通りなら、苦もなく目的を達成出来るはずです」
「全部お見通しってことね」

 どうもクロートにうまく手綱を握られているようだが、先ほどまでの独りという孤独感はなくなっている。
 次の日になってわたしはホークに命令して、モルドレッドまで逃げることになった。
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