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第二章 騎士祭までに噂なんて吹き飛ばしちゃえ!

初めての一人風呂

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 わたしは頭が真っ白になりながらどう対応しようか考えると、青年は不審がりながらわたしの顔をジッと見てくる。


「さっきからボスらしくないな。本当にボスですか?」
「ええ、もちろんよ」
「……それなら俺の名前分かりますか?」


 一番困る質問が来てしまった。
 一生懸命なにか打つ手がないかを考え、もう魔法で気絶させるしかないと考えたとき、青年の胸に鉄のプレートがあり名前らしきものが彫ってあった。


 ……ホーク、でいいのよね?
 ええい、ままよ。


「つまらないことをしている場合ではないでしょ、ホーク?」


 わたしは心臓がばくばくと音を立てながら青年の反応を待つ。
 この一瞬が永遠に感じてしまうほど、彼に全集中してしまう。
 そして彼の顔が少しずつ変わり始めた。

「いやー、やっぱりボスですね。なんか違う人かもしれないと思ったけど、俺の名前をしっかり覚えてくれているし」


 青年ホークは無邪気に笑っていた。
 どうやら彼は自分のプレートに気付いていないようだ。
 わたしの疑いを完全に無かったことにしたようだ。
 予想以上に扱いやすい男のようだ。

「ホーク、今日からお風呂も一人でいいわ。だから着替えとタオルだけ用意してください」
「それは嫌です!」


 きっぱりと真面目な顔で断られてしまった。
 一体なぜそこまで頑ななのか。


「どうしてそんなにわたしを洗いたいのですか?」
「だって、ボスが一人でお風呂に入るといつのまにかのぼせて、もっと大変なことになるんですもん。満足に体を洗えないことを忘れたのですか?」


 ホークはため息を吐いてわたしに指摘する。
 たしかにわたしは一人でお風呂に入ったことはないが、一人でできるはずだ。
 ずっとサラスやディアーナの洗うところは見てきた。
 簡単にそれぐらいできる。


「一人で出来ますから、今日から一緒に入ることは禁止します。分かりましたね!」
「分かりましたよ。ただし、次にのぼせたりしていたら、一緒に入っていただきますからね」


 どうにか一人で入ることが出来そうなので安心できる。
 わたしはホテルの個室浴場へと向かって、汗を流すことにした。
 小さな部屋に小さな白い浴槽があるだけで、寮にあるような大きさはない。
 とりあえず体を洗うため、石鹸を手に取った。


「えっと、こうだったかしら」

 石鹸を体に擦り付けて泡をたくさん出そうとしたが、なかなか出てこない。

「あ、あれ? いつもはあんなにたくさん泡が出るのに」


 どうにもいつも通りに出来なく、さっぱり感もないまま少しだけ出た泡を落としていく。
 これでは髪の毛も洗えない。
 しょうがないから長い髪を浴槽に入れて手洗いをしていく。
 なんとか終わったが全く気持ちよくなく、少しばかりかゆく感じた。
 頑張った甲斐もなく、わたしは憂鬱な気持ちでお風呂に入った。
 同じお湯なのに全然違う気がしてならない。
 一人になるとなお不安が押し寄せてくる。
 初めて誰も味方がそばにいない状態で敵の懐に入り込んでいる。
 もしバレれば確実にわたしは命を狙われるだろう。
 魔法が使えるわたしなら問題なく倒すことだってできるだろうが、不測の事態に対応できる自信はない。


「セルランだけでもそばに居てくれたらな」

 セルランはいるだけで安心感を与えてくる。
 最強の騎士が彼であることは疑う余地もない。
 どんどん不安になっていきこのままではいけないと思い、浴槽から出て更衣室に向かおうとすると足元がふらついた。

「え……」


 なんとか浴槽のふちに手を支えれて、ゆっくり倒れることができた。
 だが気分が悪く、頭がボーッとしてる。


「おーい、ボス。結構時間経ってますけど、のぼせていないですよね?」


 ホークの声がタイミングよく聞こえてきた。
 わたしはすぐさま声を出そうとしたが大きな声がでない。


「あれ? やっぱりのぼせたか。あと十秒数えて返事なければ入りますからね」


 このままでは、未婚にも関わらず異性に裸を見られてしまう。
 もしそんなことになったら、二度とウィリアノスさまに顔向けができない。
 わたしは小声で水の魔法を唱えてわたしの頭上から冷水を少しずつかけていく。

「ごー、よーん、さーん」

 どんどん数字が近づいてくる。
 少しずつ頭のボーッとするのも治ってきた気がしなくもないが、大きな声がまだ出ない。


「にー、いち、……やっぱりのぼせたか。仕方ないのではいりますーー」
「ホーク、わたしは大丈夫ですから、絶対に入ったらいけませんよ!」


 やっと声が出るようになって、ホークが部屋に入ってくるのを止めた。
 ドキドキと入ってこないかと心配していると、ホークから安堵の声が聞こえてきた。

「声が出るってことは大丈夫そうですね。でもそろそろボスの限界時間のはずですからすぐに出てくださいよ」
「分かっています。すぐに出ますので安心してください」


 ホークが少し離れたのは足音でわかったので、危機を脱したのはわかった。
 わたしはゆっくり起き上がり、重たい足を進ませていく。
 バスケットに入ったタオルで体を拭いて、下着を着ようと手を伸ばすとまるで先が透けるようないかがわしいものであった。

「ふ、ふしだらな! こんなの何も隠せていないではないですか! 平民はこんなのを着るの!?」

 今まで見たことも聞いたこともないほどの過激な下着に顔が真っ赤になる。
 淑女が着るものとは到底思えない。
 まさかあのホークの趣味なのだろうか。
 しかしこれ以上怪しまれるわけにはいかないので、仕方なく着るしかない。
 そして胸元をはだけさせるビスチェでまた躊躇われた。
 一応羽織るものもあるので、露出の多い部分を隠してしまう。
 またここで時間を取りすぎても怪しまれるので、早々と着替えて更衣室を出た。

「おお、今日は問題なく出れましたね!」


 ホークは満面の笑みでわたしを褒めてくれる。
 どっちが上だか分からないが、素で悪い人間というわけでもないのだろう。


「言ったでしょ、一人で入れますと」


 わたしは自慢げに腰に手を置いて胸を張ってみせると、ホークは真面目な顔でわたしに近づいてきた。
 また何かやらかした身構えるとホークは更衣室へと入っていき、バスケットに入っているタオルを持ってきてわたしの頭を拭いた。

「自分で髪の毛も拭けたら完璧なのですがね」


 しばらくは為すがままに髪の毛を拭かれて、やっとのことで髪から水分が取れた。
 しかし、男であるためかかなりガサツに拭かれて痛い思いだった。
 もう少し大事に髪の毛を扱ってほしいが、何を言ってもわたしにとって危険な橋を渡ることになるだけなので何も言わない。

「食事の支度もできていますので部屋へと戻りましょうか」


 わたしはホークを連れて自室へと帰った。
 すでに配膳は終わっており、そこそこ手の込んだ料理がテーブルいっぱいに広がっていた。
 そして一つばかり目立つものがある。

 ……ワインだ。


 ボトルが氷で冷やされた状態で置いてある。
 まだ未成年のため一度も飲んだことはないが、お父さまがセルランの誕生日の時に一緒に飲んでいるのを見たので、羨ましく思っていた。


 ……これは飲んでもいいかしら?


 お酒を飲むのは十五を越えてからなので、まだ飲むべきではない。
 しかし好奇心があり、一度くらい飲んでもバレないのではないだろうか。
 わたしは少しばかり悪い子供のように考えたが、予想外のことが今起きたのだった。
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