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第二章 騎士祭までに噂なんて吹き飛ばしちゃえ!

淑女たるもの

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 いつもは優雅さをしきりに言うレイナにしてはあんまりな狼狽ぶりだ。
 少しは余裕ある姉の姿をレティアに見せるべきだろう。

「どうしました? あまり淑女が慌てるものではありませんよ」

 わたしはゆっくり紅茶を手に取り口に運び、同時にレイナの言葉が耳に入った。


「サラスさまが今日こちらに参られました!」


 ブフォっと、紅茶でむせてしまった。
 だがそんなことを気にしている場合ではない。
 わたしは再度レイナに確認する。

「本当にサラスがきましたの?  何をしに?」
「しばらくここで侍従長としてマリアさまのお世話をしにきたそうです!」


 レティアもこちらを察してくれたので今日のお茶会はこれで終わりとなった。
 急いで寮へと戻りわたしは自室へと戻って本を読んでいるふりをする。
 すぐに部屋へとノックがくる。


「マリアさま、サラスさまが入室したいとのことです」
「構いません。ちょうどひと段落したところですから」


 わたしは優雅に本を机の上に置いて勉強していた風を装う。
 すぐに部屋のドアが開かれて、年老いているがそれでもまだ活力を感じさせる女性が入ってきた。
 部屋に入りすぐに一礼して、優しい笑顔を向けてくるのでまるで優しいおばあちゃんのようだ。
  

「姫さま、お久しぶりでございます。わたくしサラスがシルヴィの命により今日からここの侍従長を勤めることになりました。姫さまのご快適な環境はわたくしが作り出してみます」
「サラス、ようこそきてくださいました。お身体は大丈夫でしたか? ずっと会えなかったので寂しい思いでした」
「嬉しいお言葉です」


 和やかに久しぶりの再会を喜びあった。
 わたしとサラスは笑顔になって、まるでこれからピクニックに行こうとするくらい晴れやかな関係に見える。
 サラスがわたしの読んでいた本を目にした。

「今日もお勉強ですとは、姫さまが変わられたのは本当のようですね」
「もちろんです。わたくしも次の当主として研鑽を積まないといけませんからね」
「大変素晴らしいお考えです。ちなみに今日はどのようなことを勉強したのですか?」
「今日は百年前の各領土の歴史をみております」
「あらっ、それは入学式までに完璧になった内容だとお伺いしておりますが?」


 ピシッと空気が固まった。
 おそらくピエールが毎日報告しているので、進捗について把握しているのだろう。
 わたしは、ああっ、と間違ったふりをして訂正する。


「そうでした。ここ最近の産業についての本でした。わたくしとしたことがサラスと会えた嬉しさで間違えたみたいですわ」
「まあ、嬉しい言葉です。ちなみにどのような内容でしたか?」


 またピシッと空気が固まった。
 わたしはもちろん勉強などずっとしてなかったので分かるわけがない。
 完全に気付いているのだ、こちらが勉強をしていないことに。
 このままではまずいとわたしは急いで話題を変える。

「勉強の話をする前に一度席についてはいかがです? わたくしもしばらく紅茶すら飲めないほど多忙でしたから、レイナにお願いしますね」
「そうだったのですね。でもマリアさまから紅茶の残り香が漂ってくるのは新しい香水の匂いでしょうか?」


 わたしの背中に汗がつたっていく。
 サラスと久しぶりすぎて忘れていた。
 わたしがなぜ彼女にここまで怯えていたかを。
 サラスはそれでも笑顔のままトドメをさしてくる。

「言い訳があればどうぞ? ぜひわたくしに嘘を吐く理由を教えてくださいませ?」


 サラスは腰に巻いていた革製の指導鞭を取り出した。
 ピシッと手の皮を打ついい音が鳴った。
 少しずつこちらに近づいてきて、とうとう真横に立った。

「う、嘘なんてわたくしが言うわけないーー痛い!」

 わたしの太ももに鞭が打たれた。

「言い訳ばかりしてるのではありません! もう全て分かっていますのよ! ステラ、入りなさい!」
「かしこまりました! 姫さま、入室失礼します!」


 サラスの剣幕は外にまで伝わっているのだろう。
 ステラはすぐに入室してきて、覚悟を決めたような顔をしていた。
 サラスはさっきと打って変わって厳しい目をステラへと向けている。
 まるで蛇に睨まれたカエルのようにその迫力にステラは完全に呑まれていた。


「すぐに側近全員に集合させなさい! 」
「直ちに!」


 ステラはすぐに外へと向かいわたしの側近一同を呼びにやった。
 わたしは鬼の形相をしたサラスの側でみんなが集まるのを静かにまった。
 すぐに倒れてしまったリムミントを除いて全員が集まった。
 騎士、侍従、文官ごとに並んでいる。
 全員が緊張した面持ちで息をのんでいる。


「リムミントはどうしたのですか?」


 今リムミントがいないのは心労で倒れてしまっている。
 それも理由がお金なんて今のサラスに言えるわけがない。
 わたしは他の誰かが何かを言ってしまう前に先に伝えた。


「最近苦労を掛け続けたので休んでもらっております。彼女は少しばかり責任感が強いですから」
「まあ、体調不良なら仕方ないでしょう。みなさんお久しぶりです。今日からシルヴィからここの侍従長を仰せつかりました。どうも最近は姫さまが学業を疎かにしているそうなのでわたくしが教育を承りましたのでよろしくお願いします。それでは早速ですが、侍従は何をなさっているのですか? ラケシス、貴方はわたくしの姪ですから少しは分かっているはずですよね?」


 ラケシスは笑顔で答えた。

「もちろんです。姫さまがご快適にこの王国院で次期当主としての役目を全うしてもらうためです」
「そうですね、ですが何ですかこの帳簿と予定表は?」


 サラスは手荷物のバッグから会計記録やわたしの予定表を出してくる。
 普段から見慣れたものだが何に不満を感じているのか。


「それがどうしましたの?」
「姫さまのマンネルハイムへの取り組みは素晴らしいものです。ですがこれは姫さまが率先してやることではありません。なのにこの予算の使い方は何ですか? お茶会や流行関連の出費がかなり減っているではありませんか!」
「うっ……」

 貴族の令嬢の仕事はお茶会と自領の流行を広めること。
 だが最近はマンネルハイムに集中していたため、お茶会の招待をすべて断っていたのだ。
 しかしわたしにだって事情があったのだ。
 謎の夢から死亡宣告された以上、生き残るためには頑張るしかなかった、
 だがサラスには知り得ない話なのでわたしが遊んでいるようにも見えるのだろう。


「侍従も何をやっているのですか! 姫さまの行動予定については侍従が決めないでどうします! 侍従が予算を考え、文官が実行する。それが今では領域関係なく仕事を行なっている。最初は上手くいっているようにも見えても後で帳尻が合わなくなるのですよ!  貴方達は特に姫さまが当主になられた後には重宝されるのが決まっているのに、上に立つ者たちがこの有様でどうします! しばらくはわたくしが姫さまの予算管理、行動予定を立てますのでそのつもりでいてください!」


 それはまずい、とわたしは心臓が慌て始める。
 これからはシュティレンツの伝承と他にも何かしらの金策について講じないといけないので、お茶会を楽しんでいる場合ではない。
 わたしが考えている間にもサラスの言葉は騎士達にも向けられた。


「護衛騎士もただ姫さまの身辺警護に当たればいいものではありません。他の騎士達との連携、情報の収集、主人が間違えた時には諌めたりとただ戦えばいいものではないのです。パラストカーティの件は領地に希望を持たせる大変素晴らしい事柄を起こしましたが、それでも姫さまを騎獣に乗せて遠距離を飛行など危険すぎます。それも凶悪な魔物襲撃もあったなどといくらでも危険を回避する手段はあったはずです。ガイアノスさまの件もしかり。いくら武勲を持っていようとも、一人の主人を守れなければお飾りと変わりありません。敵対戦力の動向については目を光らせなさい!」


 護衛騎士は神妙な顔で頷いた。
 全員が私の身の危険が多いことを気にしているのでサラスの言葉は耳に痛いのだろう。
 次に文官だ。

「姫さまの勉強の進捗はピエールから届いております。しかし最近は魔法の特訓とマンネルハイムに時間を取られて予想より勉強は進んでいないようですね。貴方達全員がサポートを上手くやれていれば、もう少し姫さまにも時間のゆとりが取れたのではありませんか? それと流行についても貴方達がもう少し他領に広めたり、逆に情報を持ち帰ってきたりしないでどうしますか! こちらへ送られてくる報告書を見ても、マンネルハイムや魔道具のことばかりで何度わたくしが出向こうとしたか!」


 完全に怒っているサラスに誰もただ黙って話を聞くだけだ。
 今はこの怒りを抑えてくれないことにはこちらに発言権さえもらえない。
 早く時間が過ぎないかと思っていたがそれは甘い見通しとなった。

「今日からはわたくしが片時も離れずお側にいますので、姫さまには淑女としての生活というものを身に付けていただきますからね! 勉強に社交に芸術にやることはいっぱいあります。毎日やりますので覚悟しておいてくださいませ」
「そ、そんな……あんまりです! それだとわたくしはいつ休めばいいのですか!」


 ただでさえ忙しいのにそんなことをする暇はない。
 だがそんな理屈はサラスには通じない。


「少しくらい頑張っても死にはしません。教育係として一から立派なレディにしてみせます」


 サラスの黒く光る笑顔にわたしは逃げ出したがすぐに捕まえられて、今日から地獄の毎日が始まった。
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