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第二章 側仕えは慌てて駆け出し、嫌われ貴族は無様に転んでしまう
側仕えの愛する家族 フェニル視点
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僕の名前はフェニル。
エステルの弟であり、現在はレーシュ様というお貴族様の家で住まわせてもらっている。
変な人たちに攫われてからここに住むことを許されたので、レーシュ様はかなりお優しい人のため迷惑を掛けないようにしないといけない。
病気がちの僕に汚さないことを条件に高価な本を貸してくれたおかげで、多くの知識が増えていく。
楽しいひと時を過ごしていると部屋のドアが開けられた。
「フェー、食事持ってきたよ」
「はーい」
お姉ちゃんが料理を持ってきたので、一度本を閉じてテーブルへ移動する。
本当は使用人用の食堂もあるが、少し前から新しい側仕えが入ったので相手が慣れるまでは自室で食べることになった。
テーブルに置かれた食事はどれも外で買ってきたもののようだ。
お金を節約する姉がそのような贅沢をするだろうか。
「お姉ちゃん体悪いの?」
「うん? あぁ、料理したかったけど、新しい料理人さんが張り切っててキッチンを借りられなかったの。今日は少し豪華だからたくさん食べるんだよ」
レーシュ様は大きな功績をあげたことでお金がたくさん入ったらしい。
それと領地をもらい、さらに国から支援金ももらったことで急いで連れて行く者たちの教育を行なっているので、お姉ちゃんの仕事が楽になっていくのは嬉しかった。
料理人は同じく平民だったが、それ以外の側仕えの人は全員貴族らしく、少し緊張している。
部屋を借りているのでどうしても会う機会があるため、皆様に挨拶は済ましている。
二人ほどこちらを見る目は厳しかったのは、やはり平民が貴族の屋敷にいるからだろう。
ーーお姉ちゃんはあんな人たちと仕事しても大丈夫なのかな?
姉は少し大雑把な性格のため、同じ側仕えとはいえ貴族の女性たちとうまくやっていけるのか不安があった。
周りに対して無頓着なせいでどこで敵を増やすかわからない。
ただ安心できるのはいつもと変わらない顔をしているからだった。
顔に出やすいだけにストレスが溜まれば僕でも気付けるはず。
「サリチルさんにはお願いしたけど、もう少ししたらしばらく遠くに仕事に行くから大人しくしているんだよ?」
「うん。港町って言ってたよね? お魚とか多いのかな」
農村は海とは離れていたので、元気になったら一度は行ってみたいと思っていた。
どこまでも続く世界の果てを見てみたいと思うのはロマンだからだろうか。
「うーん、最近だと海賊が取ってきたものしか出回ってないからどうなんだろう」
「海賊って、お姉ちゃん大丈夫なの?」
姉はしまったと口を閉じて誤魔化してきた。
僕を攫った人はかなり危なそうな人だったし、さらに今度の相手が海賊なんて心配しない方がおかしい。
もちろん姉の強さは人伝で聞いているが、心配しないでいい理由にはならない。
「大丈夫、大丈夫! さて、私は仕事があるんだった」
不自然な言葉の濁し方に本当に貴族社会に対応できているのだろうか。
僕はまたベッドで横になった。
一人残るのは不安だったが、これ以上負担を強いたくはなった。
そして数日が経った。
とうとうその日がやってきたのだ。
「フェー、すぐに呼べるようになったら呼ぶからね。レーシュ様もひと月もあれば呼べると言ってくれたからね」
「うん、わかってる。僕のことは心配しないで。お医者様を診てくれるし、サリチルさんも残ってくれるから一人じゃないよ」
本当は行ってほしくはない。
でも少しでも自分を騙して虚勢を張った。
レーシュ様が姉を必要としてくれるのなら、ここまで良くしてくれたお礼はしないといけない。
僕ができるのは我慢くらいだ。
「それとまた前みたいに危ないことがないように、フェーのボディーガードをしてくれる子がいるの」
「ボディーガード?」
エステルが呼ぶとどこからともなく猫耳の女の子が現れた。
僕と歳も変わらない子なのに、瞬時に出現したのは普通の人ではない証だ。
短く揃えられた光沢のある白の髪に僕も思わずドキッとする。
「初めまして、ヴァイオレットと申します」
改めて彼女の目を見ると獣のような眼光に僕達と違う種族なんだと認識させられる。
獣人族は人間とは違い、様々な能力を持っているらしく、勇猛な彼らのことは吟遊詩人の物語を聞いて胸躍らせるものばかりだった。
「初めまして、僕はフェニルです。でも、確か獣人族って仲が悪いはずじゃ……」
獣人族と王国では時々小競り合いがあるらしく、あまり友好的ではない。
もし仮に別の誰かに見つかったら、彼女の身に何が起きるかわからない。
特にここには貴族の側仕えがいるので、下手な衝突がないだろうかと心配する。
「レーシュ様から許可はもらっているから大丈夫。しばらく様子も見たけど、誰にも正体を見破られなかったから安心して任せられるわ」
「暗……猫人族として当然です」
自信満々な猫耳の彼女は姉から見ても信頼できる人なのだろう。
ただどうせならもっと普通の子がよかった。
こんな、こんなーー。
僕の表情に気が付いた姉がニヤニヤとしていた。
「あら、フェー? もしかして一目惚れした?」
急に熱が上がったかのように顔が熱ってきた。
ただ熱のようなだるさはなく、心臓がバクバクと波打ってくるのを感じる。
「そ、そんなわけないだろ!」
「おやおや、そうよね。フェーも男の子だもんね」
「うっさい! 早く仕事に行きなよ! レーシュ様も待っているんでしょ!」
普段なら言わないような悪態を吐いた。
だが姉は特に気分を害したわけでもなく、ヴァイオレットの肩を持って前に出した。
「私はお邪魔のようだし、あとはヴァイオレットちゃん、お願いね」
「はい。行ってらっしゃいませ。フェニル様、安心して眠っててください」
ヴァイオレットのお辞儀をした時に漂ってくる匂いにどきっとする。
どこか大人びたヴァイオレットの仕草にさらに魅力を感じた。
人と獣人が結婚したという話はあまり聞かない。
もしかしたらいるかもしれないが、今の情勢だとそういったことは事実上不可能といったところ。
でも少しは期待する僕に呆れてしまう。
姉が荷物を詰めたバッグを持って、今度こそお別れをする。
「お姉ちゃん、気をつけてね」
「うん、フェーも元気でね。手紙も出すから」
お姉ちゃんに手紙を出せるのか心配だが、最近は一緒に勉強の手伝いもしているので、あっちでも忘れずに続けてほしい。
涙が出そうになるが、ここで泣いたらまた子供扱いされる。
笑って送り出した。
残ったのは僕とヴァイオレットだけになり、彼女はジーッと僕を見ていた。
観察されているようなくすぐったさがあった。
何か会話をしようとしたが、何を喋ればいいのだろう。
「えっと、ヴァイオレットさん?」
「呼び捨てか略称でも構いません。お望みならヴィーシャでも」
「そ、そう。ならヴィーでどうかな?」
どこか事務的な彼女だったため、少しでもぎこちなさを減らしたかった。
彼女は自分でヴィーと呼んで、頭の中に入れているようだ。
「分かりました。フェニル様」
「僕もフェーでいいよ。お姉ちゃんも呼んでくれるし」
「ならフェー様」
「呼び捨てにして。僕は貴族でもないしね」
「フ、フェー……」
少し躊躇いがちだったが、しっかり要望に答えてくれた。
どこかお堅いこの子とどこで知り合ったのだろう。
もっと彼女のことを知りたいが、部屋をノックされたことで一瞬でヴィーが消えた。
本当に隠れるのが上手のようだ。
入ってきたのはサリチルだった。
「先ほどお二人をお見送りいたしました」
人当たりの良い顔をしており、僕に対しても優しくしてくれるので安心できる人だ。
貴族みんなこんな人だと思っていたら注意が必要で、どうやら特別彼が優しいだけらしい。
姉からもサリチルくらいしかまともな人がいないと良く愚痴をこぼしていた。
「わざわざ教えてくださりありがとうございます」
「いえいえ、エステルさんからもお願いされましたからお気になさらす。ところでヴァイオレット様はいらっしゃいますかな?」
サリチルが名前を出すと、まるで先ほどからいたかのようにサリチルの前に立っていた。
「何か御用で?」
「はい、レーシュ様から言われていると思いますが、エステルさんの弟君ですので、何かあった場合にはご容赦致しません」
「しない。契約があるから」
一体なんの話をしているのだろう。
姉ほど友好的でないようで、お互いに警戒しているのが見てとれた。
サリチルからもエステルのおかげと何度も言われて誇りに思ったことは数知れず。
レーシュからもかなり信用されているらしく、たまに外から聞こえてくるのは側仕えの嫉妬の声だった。
おそらくそう言った人たちから守るために呼ばれたのだろうが、彼女の正体はなんだろうか。
「そ、そうだ。サリチル様、この本面白かったです!」
少しでも空気を良くしようと話を振った。
サリチルが貸してくれた本だったので、平民の僕では一生目にすることがない情報を触れさせてくれたことに感謝する。
サリチルは少し驚いた顔をしていた。
「ほう、その本を面白いですか? かなり難しいことが書かれていると思ったのですが」
確かに読むのは難解で、商人の心得などが書かれている。
実用書と呼ばれるものなので、大人でもほとんど読む人はいないだろうし、貴族でも商人のことを知ろうとするのは、レーシュとサリチルくらいだろう。
「はい、確かに難しかったです。でもここに載っていたーー」
いくつか僕の感想と考察を述べた。
姉に話しても途中から分かっていないことは顔を見ればすぐにわかり、こういった話をする友達が欲しいとは思っていた。
友達と言うには身分が高すぎるが、サリチルは僕の話を熱心に聞いてくれる。
いつの間にかヴィーも消えており、またどこかで見守っているのだろう。
「そこまでお考えに。フェニル君は秀才でいらっしゃる」
「いいえ、こちらこそお忙しいのに引き留めてしまって申し訳ございません」
「お気になさらず。フェニル君がお元気なお体でしたら仕事を手伝って欲しかったくらいですよ」
サリチルのお世辞は僕の心へ衝撃を与えた。
だがそれを自分の中で反芻させる前にサリチルは仕事に戻ってしまう。
ーー僕が手伝えるかもしれない。
ずっと考えていたのは、毎日何もせずにお世話になっている罪悪感だ。
前は姉に対して思っていたことが、今ではサリチルに対しても感じていた。
この病弱では全く力仕事なんてできずにいた。
しかし商人の手伝いなら話は別だ。
僕のような農民では商人の伝手もなかったのでまず選択肢がなかった。
だが今なら作業を分担させて貰えば手伝うことも可能かもしれない。
計算や暗記は得意で、病弱な僕でも書類仕事は手伝える。
僕は少しでも役に立ちたいので、夜にこそっと書斎へと向かった。
ドアを開けて中に入り、持っているランプを机に置いて目当ての本を探す。
鎖で繋がれている本ばかりのため、その場で読むために椅子に座った。
「フェー、寒くない?」
「うわっ!?」
隣から急に声をかけられて驚き立ってしまった。
いつの間にかヴィーが椅子に座っており、暖かそうなコートを持っている。
「どうしてヴィーがここにいるの!」
「フェーが書斎に行ったから。上着ないと風邪ひくよ?」
ヴィーも黒いコートを着て、暗闇に紛れられるようにしているようだ。
わざわざ持ってきてくれたので、それに袖を通した。
「ありがとう」
「ううん、護衛だから」
「もしかして僕のために起きていてくれたの?」
「違う。いつも寝てる。何かあったらすぐ起きられるようにしているから睡眠は足りてる」
どうやら本物の猫のように寝る時間は選ばないようだ。
しかしやはり彼女がそばに居ると本が読みにくい。
邪魔というよりは、胸が高鳴るせいだ。
人間と近い顔をしているため、僕にとっては普通のおなごだ。
しかしこんな暗闇の中でどこかへ行けと命令するのもひどい話だ。
「僕は少し勉強したかっただけだから。辛かったら部屋に戻っていいからね」
「そんなことはしない」
何を言っても無駄なようだ。
過保護な姉からきつく言われているのだろう。
あまりにも仕事熱心すぎるので、気にかけてあげないといけないようだ。
本を読むとすぐに没頭して、隣にいるヴィーのことが気にならなくなった。
ふと部屋のドアが開く音が聞こえた。
「ちょっと、誰かいるの?」
恐る恐るといった感じで部屋に二人の側仕えの人がやってきた。
どうやら変質者が入ったのかと警戒しているようだ。
「す、すいません! 僕が入っています」
子供の声で安心したのか、ランプを前に出して僕の顔を照らす。
しかし彼女たちは一気に不機嫌な顔になる。
「平民の分際で勝手にうろつくんじゃないよ!」
ビクッと体が震えた。
姉がいない時には外に出ないため、こうやって一人にいるときに会うことはなかった。
まさか会った途端に怒鳴られるとは思っていなかったが、これが平民と貴族の差であることを身に染みてわかった。
ヴィーだけでも守ろうと思ったが、彼女はもうすでにこの場から消えていた。
本当に見つからないようにしているようだ。
二人の側仕えはこちらに近寄ってきた。
「あの女の弟でしたっけ? 少しばかりご主人様から施しをもらった程度で勘違いするんじゃないよ」
「はい、申し訳ございません」
必死に謝罪をして、少しでも機嫌が収まるのを待った。
姉たちのために頑張ろうとしたのに、これでは迷惑をかけるだけだ。
しかしそんな態度が気に食わないのか、もっと激しく罵られることになった。
「あの女のせいでわたくしたちがどんな目に会ったかわかるかしら?」
「これは償いが必要ですわよ!」
僕の腕を無理矢理握ってきた。
これから何か恐ろしいことをするのは明白で、僕は恐怖から目を瞑った。
「何をされているのですか?」
後ろのドアから声が聞こえてきた。
男の声にみんながそちらを見た。
「さ、サリチル様!?」
「これはですね……この子に書斎での過ごし方を教えていただけです」
どうやらサリチルには強く出られないらしく、僕の腕を離して書斎から出て行った。
あまりの恐怖に思わずへたり込み、サリチルの前というのに立ち上がれずにいた。
「大丈夫ですか?」
「ありが、とう、ございます。申し訳ございません、足に力が……」
ぐいっと体を支えられて立ち上がることができた。
隣にはまたいつの間にかヴィーがいてくれて、僕の体を支えてくれたのだ。
「ヴァイオレット様が呼びに来てくださいました。今後はなるべく気をつけてください。彼女たちは結婚前の行儀見習いとして来ただけですので、私めもきつくは言うことはできません」
「はい……もうしません」
これで僕のお手伝いをする夢も叶わない。
サリチルは僕がここに来た理由を知りたいようだ。
「それにしても何か読みたい本があったのですか?」
「少しでもレーシュ様たちに恩返しができるように勉強をしようと思ったのですが、ただご迷惑をおかけしただけになりました」
「なるほど、先ほど私が言ったことで責任を感じられたのですね。ですがそのようなことは気になさらず。貴方のお姉様は十分すぎるほど貢献してくださっています」
サリチルから慰められるがやはり僕は何もしないほうがいいかもしれない。
ふと背中を軽く叩かれたことに気が付いた。
ヴィーが僕を見ており、サリチルにも目を向けた。
「私が見てるよ」
「いいよ、ヴィー。またサリチル様を呼んで迷惑をかけるなんて」
「ううん、私がなるから」
ヴィーの言っていることが分からなかった。
ただ急にヴィーが消え、そしてドアをノックする音が聞こえる。
一体誰かと思っていると、そこにはサリチルがもう一人現れた。
「えっ、え? サリチル様が二人もいる?」
混乱しているのは僕だけかと思ったが、サリチルも信じられないものを見ているような顔だ。
一体この人は誰かと思っていると、聞き慣れた声が聞こえた。
「わたし、ヴァイオレット」
サリチルの顔からヴィーの声が聞こえてくるのは気持ちが悪かった。
しかしどう見てもサリチルで、身長や顔をどうやって再現しているのか。
「これならいいでしょ?」
次の声は紛れもなくサリチルと同じ。
声色も真似られる彼女の技量に驚くばかりだ。
サリチルも少し考えてから僕に提案してくれる。
「なるほど。それでしたらいいでしょう。私の権限を与えますので、フェニル君を守ってください。それとフェニル君も後日試験を与えますので、それで合格点が出れば給与を出します」
「そ、そんな給与なんて! 働かせてもらうだけでいいですので!」
恐れ多く、お金をもらうくらいなら働かない方がいい。
ただのお礼のつもりでやるだけなのだから。
しかしサリチルから厳しい声が降ってきた。
「いいえ、働いた分はもらいなさい。食事の分は全てエステルさんの給与から差し引いていますので、少しでも感謝をするのならお姉様にこそ返すべきでしょう」
サリチルは僕に気を遣うなと言っているのだ。
姉は全く自分のことに使わず、人のためにばかり人生を使っている。
少しでも家計を浮かせられたら、姉も人並みの幸せを得られるかもしれない。
「でもそれだとヴィーにも負担が……」
「私は気にしなくていい」
ヴィーはいつの間にか元の姿に戻っていた。
どんな原理なのか分からないが、ただの変装とは違うように感じる。
だがみんなが協力してくれるのなら、これ以上弱音は吐けない。
僕も少しは役に立ちたい。
エステルの弟であり、現在はレーシュ様というお貴族様の家で住まわせてもらっている。
変な人たちに攫われてからここに住むことを許されたので、レーシュ様はかなりお優しい人のため迷惑を掛けないようにしないといけない。
病気がちの僕に汚さないことを条件に高価な本を貸してくれたおかげで、多くの知識が増えていく。
楽しいひと時を過ごしていると部屋のドアが開けられた。
「フェー、食事持ってきたよ」
「はーい」
お姉ちゃんが料理を持ってきたので、一度本を閉じてテーブルへ移動する。
本当は使用人用の食堂もあるが、少し前から新しい側仕えが入ったので相手が慣れるまでは自室で食べることになった。
テーブルに置かれた食事はどれも外で買ってきたもののようだ。
お金を節約する姉がそのような贅沢をするだろうか。
「お姉ちゃん体悪いの?」
「うん? あぁ、料理したかったけど、新しい料理人さんが張り切っててキッチンを借りられなかったの。今日は少し豪華だからたくさん食べるんだよ」
レーシュ様は大きな功績をあげたことでお金がたくさん入ったらしい。
それと領地をもらい、さらに国から支援金ももらったことで急いで連れて行く者たちの教育を行なっているので、お姉ちゃんの仕事が楽になっていくのは嬉しかった。
料理人は同じく平民だったが、それ以外の側仕えの人は全員貴族らしく、少し緊張している。
部屋を借りているのでどうしても会う機会があるため、皆様に挨拶は済ましている。
二人ほどこちらを見る目は厳しかったのは、やはり平民が貴族の屋敷にいるからだろう。
ーーお姉ちゃんはあんな人たちと仕事しても大丈夫なのかな?
姉は少し大雑把な性格のため、同じ側仕えとはいえ貴族の女性たちとうまくやっていけるのか不安があった。
周りに対して無頓着なせいでどこで敵を増やすかわからない。
ただ安心できるのはいつもと変わらない顔をしているからだった。
顔に出やすいだけにストレスが溜まれば僕でも気付けるはず。
「サリチルさんにはお願いしたけど、もう少ししたらしばらく遠くに仕事に行くから大人しくしているんだよ?」
「うん。港町って言ってたよね? お魚とか多いのかな」
農村は海とは離れていたので、元気になったら一度は行ってみたいと思っていた。
どこまでも続く世界の果てを見てみたいと思うのはロマンだからだろうか。
「うーん、最近だと海賊が取ってきたものしか出回ってないからどうなんだろう」
「海賊って、お姉ちゃん大丈夫なの?」
姉はしまったと口を閉じて誤魔化してきた。
僕を攫った人はかなり危なそうな人だったし、さらに今度の相手が海賊なんて心配しない方がおかしい。
もちろん姉の強さは人伝で聞いているが、心配しないでいい理由にはならない。
「大丈夫、大丈夫! さて、私は仕事があるんだった」
不自然な言葉の濁し方に本当に貴族社会に対応できているのだろうか。
僕はまたベッドで横になった。
一人残るのは不安だったが、これ以上負担を強いたくはなった。
そして数日が経った。
とうとうその日がやってきたのだ。
「フェー、すぐに呼べるようになったら呼ぶからね。レーシュ様もひと月もあれば呼べると言ってくれたからね」
「うん、わかってる。僕のことは心配しないで。お医者様を診てくれるし、サリチルさんも残ってくれるから一人じゃないよ」
本当は行ってほしくはない。
でも少しでも自分を騙して虚勢を張った。
レーシュ様が姉を必要としてくれるのなら、ここまで良くしてくれたお礼はしないといけない。
僕ができるのは我慢くらいだ。
「それとまた前みたいに危ないことがないように、フェーのボディーガードをしてくれる子がいるの」
「ボディーガード?」
エステルが呼ぶとどこからともなく猫耳の女の子が現れた。
僕と歳も変わらない子なのに、瞬時に出現したのは普通の人ではない証だ。
短く揃えられた光沢のある白の髪に僕も思わずドキッとする。
「初めまして、ヴァイオレットと申します」
改めて彼女の目を見ると獣のような眼光に僕達と違う種族なんだと認識させられる。
獣人族は人間とは違い、様々な能力を持っているらしく、勇猛な彼らのことは吟遊詩人の物語を聞いて胸躍らせるものばかりだった。
「初めまして、僕はフェニルです。でも、確か獣人族って仲が悪いはずじゃ……」
獣人族と王国では時々小競り合いがあるらしく、あまり友好的ではない。
もし仮に別の誰かに見つかったら、彼女の身に何が起きるかわからない。
特にここには貴族の側仕えがいるので、下手な衝突がないだろうかと心配する。
「レーシュ様から許可はもらっているから大丈夫。しばらく様子も見たけど、誰にも正体を見破られなかったから安心して任せられるわ」
「暗……猫人族として当然です」
自信満々な猫耳の彼女は姉から見ても信頼できる人なのだろう。
ただどうせならもっと普通の子がよかった。
こんな、こんなーー。
僕の表情に気が付いた姉がニヤニヤとしていた。
「あら、フェー? もしかして一目惚れした?」
急に熱が上がったかのように顔が熱ってきた。
ただ熱のようなだるさはなく、心臓がバクバクと波打ってくるのを感じる。
「そ、そんなわけないだろ!」
「おやおや、そうよね。フェーも男の子だもんね」
「うっさい! 早く仕事に行きなよ! レーシュ様も待っているんでしょ!」
普段なら言わないような悪態を吐いた。
だが姉は特に気分を害したわけでもなく、ヴァイオレットの肩を持って前に出した。
「私はお邪魔のようだし、あとはヴァイオレットちゃん、お願いね」
「はい。行ってらっしゃいませ。フェニル様、安心して眠っててください」
ヴァイオレットのお辞儀をした時に漂ってくる匂いにどきっとする。
どこか大人びたヴァイオレットの仕草にさらに魅力を感じた。
人と獣人が結婚したという話はあまり聞かない。
もしかしたらいるかもしれないが、今の情勢だとそういったことは事実上不可能といったところ。
でも少しは期待する僕に呆れてしまう。
姉が荷物を詰めたバッグを持って、今度こそお別れをする。
「お姉ちゃん、気をつけてね」
「うん、フェーも元気でね。手紙も出すから」
お姉ちゃんに手紙を出せるのか心配だが、最近は一緒に勉強の手伝いもしているので、あっちでも忘れずに続けてほしい。
涙が出そうになるが、ここで泣いたらまた子供扱いされる。
笑って送り出した。
残ったのは僕とヴァイオレットだけになり、彼女はジーッと僕を見ていた。
観察されているようなくすぐったさがあった。
何か会話をしようとしたが、何を喋ればいいのだろう。
「えっと、ヴァイオレットさん?」
「呼び捨てか略称でも構いません。お望みならヴィーシャでも」
「そ、そう。ならヴィーでどうかな?」
どこか事務的な彼女だったため、少しでもぎこちなさを減らしたかった。
彼女は自分でヴィーと呼んで、頭の中に入れているようだ。
「分かりました。フェニル様」
「僕もフェーでいいよ。お姉ちゃんも呼んでくれるし」
「ならフェー様」
「呼び捨てにして。僕は貴族でもないしね」
「フ、フェー……」
少し躊躇いがちだったが、しっかり要望に答えてくれた。
どこかお堅いこの子とどこで知り合ったのだろう。
もっと彼女のことを知りたいが、部屋をノックされたことで一瞬でヴィーが消えた。
本当に隠れるのが上手のようだ。
入ってきたのはサリチルだった。
「先ほどお二人をお見送りいたしました」
人当たりの良い顔をしており、僕に対しても優しくしてくれるので安心できる人だ。
貴族みんなこんな人だと思っていたら注意が必要で、どうやら特別彼が優しいだけらしい。
姉からもサリチルくらいしかまともな人がいないと良く愚痴をこぼしていた。
「わざわざ教えてくださりありがとうございます」
「いえいえ、エステルさんからもお願いされましたからお気になさらす。ところでヴァイオレット様はいらっしゃいますかな?」
サリチルが名前を出すと、まるで先ほどからいたかのようにサリチルの前に立っていた。
「何か御用で?」
「はい、レーシュ様から言われていると思いますが、エステルさんの弟君ですので、何かあった場合にはご容赦致しません」
「しない。契約があるから」
一体なんの話をしているのだろう。
姉ほど友好的でないようで、お互いに警戒しているのが見てとれた。
サリチルからもエステルのおかげと何度も言われて誇りに思ったことは数知れず。
レーシュからもかなり信用されているらしく、たまに外から聞こえてくるのは側仕えの嫉妬の声だった。
おそらくそう言った人たちから守るために呼ばれたのだろうが、彼女の正体はなんだろうか。
「そ、そうだ。サリチル様、この本面白かったです!」
少しでも空気を良くしようと話を振った。
サリチルが貸してくれた本だったので、平民の僕では一生目にすることがない情報を触れさせてくれたことに感謝する。
サリチルは少し驚いた顔をしていた。
「ほう、その本を面白いですか? かなり難しいことが書かれていると思ったのですが」
確かに読むのは難解で、商人の心得などが書かれている。
実用書と呼ばれるものなので、大人でもほとんど読む人はいないだろうし、貴族でも商人のことを知ろうとするのは、レーシュとサリチルくらいだろう。
「はい、確かに難しかったです。でもここに載っていたーー」
いくつか僕の感想と考察を述べた。
姉に話しても途中から分かっていないことは顔を見ればすぐにわかり、こういった話をする友達が欲しいとは思っていた。
友達と言うには身分が高すぎるが、サリチルは僕の話を熱心に聞いてくれる。
いつの間にかヴィーも消えており、またどこかで見守っているのだろう。
「そこまでお考えに。フェニル君は秀才でいらっしゃる」
「いいえ、こちらこそお忙しいのに引き留めてしまって申し訳ございません」
「お気になさらず。フェニル君がお元気なお体でしたら仕事を手伝って欲しかったくらいですよ」
サリチルのお世辞は僕の心へ衝撃を与えた。
だがそれを自分の中で反芻させる前にサリチルは仕事に戻ってしまう。
ーー僕が手伝えるかもしれない。
ずっと考えていたのは、毎日何もせずにお世話になっている罪悪感だ。
前は姉に対して思っていたことが、今ではサリチルに対しても感じていた。
この病弱では全く力仕事なんてできずにいた。
しかし商人の手伝いなら話は別だ。
僕のような農民では商人の伝手もなかったのでまず選択肢がなかった。
だが今なら作業を分担させて貰えば手伝うことも可能かもしれない。
計算や暗記は得意で、病弱な僕でも書類仕事は手伝える。
僕は少しでも役に立ちたいので、夜にこそっと書斎へと向かった。
ドアを開けて中に入り、持っているランプを机に置いて目当ての本を探す。
鎖で繋がれている本ばかりのため、その場で読むために椅子に座った。
「フェー、寒くない?」
「うわっ!?」
隣から急に声をかけられて驚き立ってしまった。
いつの間にかヴィーが椅子に座っており、暖かそうなコートを持っている。
「どうしてヴィーがここにいるの!」
「フェーが書斎に行ったから。上着ないと風邪ひくよ?」
ヴィーも黒いコートを着て、暗闇に紛れられるようにしているようだ。
わざわざ持ってきてくれたので、それに袖を通した。
「ありがとう」
「ううん、護衛だから」
「もしかして僕のために起きていてくれたの?」
「違う。いつも寝てる。何かあったらすぐ起きられるようにしているから睡眠は足りてる」
どうやら本物の猫のように寝る時間は選ばないようだ。
しかしやはり彼女がそばに居ると本が読みにくい。
邪魔というよりは、胸が高鳴るせいだ。
人間と近い顔をしているため、僕にとっては普通のおなごだ。
しかしこんな暗闇の中でどこかへ行けと命令するのもひどい話だ。
「僕は少し勉強したかっただけだから。辛かったら部屋に戻っていいからね」
「そんなことはしない」
何を言っても無駄なようだ。
過保護な姉からきつく言われているのだろう。
あまりにも仕事熱心すぎるので、気にかけてあげないといけないようだ。
本を読むとすぐに没頭して、隣にいるヴィーのことが気にならなくなった。
ふと部屋のドアが開く音が聞こえた。
「ちょっと、誰かいるの?」
恐る恐るといった感じで部屋に二人の側仕えの人がやってきた。
どうやら変質者が入ったのかと警戒しているようだ。
「す、すいません! 僕が入っています」
子供の声で安心したのか、ランプを前に出して僕の顔を照らす。
しかし彼女たちは一気に不機嫌な顔になる。
「平民の分際で勝手にうろつくんじゃないよ!」
ビクッと体が震えた。
姉がいない時には外に出ないため、こうやって一人にいるときに会うことはなかった。
まさか会った途端に怒鳴られるとは思っていなかったが、これが平民と貴族の差であることを身に染みてわかった。
ヴィーだけでも守ろうと思ったが、彼女はもうすでにこの場から消えていた。
本当に見つからないようにしているようだ。
二人の側仕えはこちらに近寄ってきた。
「あの女の弟でしたっけ? 少しばかりご主人様から施しをもらった程度で勘違いするんじゃないよ」
「はい、申し訳ございません」
必死に謝罪をして、少しでも機嫌が収まるのを待った。
姉たちのために頑張ろうとしたのに、これでは迷惑をかけるだけだ。
しかしそんな態度が気に食わないのか、もっと激しく罵られることになった。
「あの女のせいでわたくしたちがどんな目に会ったかわかるかしら?」
「これは償いが必要ですわよ!」
僕の腕を無理矢理握ってきた。
これから何か恐ろしいことをするのは明白で、僕は恐怖から目を瞑った。
「何をされているのですか?」
後ろのドアから声が聞こえてきた。
男の声にみんながそちらを見た。
「さ、サリチル様!?」
「これはですね……この子に書斎での過ごし方を教えていただけです」
どうやらサリチルには強く出られないらしく、僕の腕を離して書斎から出て行った。
あまりの恐怖に思わずへたり込み、サリチルの前というのに立ち上がれずにいた。
「大丈夫ですか?」
「ありが、とう、ございます。申し訳ございません、足に力が……」
ぐいっと体を支えられて立ち上がることができた。
隣にはまたいつの間にかヴィーがいてくれて、僕の体を支えてくれたのだ。
「ヴァイオレット様が呼びに来てくださいました。今後はなるべく気をつけてください。彼女たちは結婚前の行儀見習いとして来ただけですので、私めもきつくは言うことはできません」
「はい……もうしません」
これで僕のお手伝いをする夢も叶わない。
サリチルは僕がここに来た理由を知りたいようだ。
「それにしても何か読みたい本があったのですか?」
「少しでもレーシュ様たちに恩返しができるように勉強をしようと思ったのですが、ただご迷惑をおかけしただけになりました」
「なるほど、先ほど私が言ったことで責任を感じられたのですね。ですがそのようなことは気になさらず。貴方のお姉様は十分すぎるほど貢献してくださっています」
サリチルから慰められるがやはり僕は何もしないほうがいいかもしれない。
ふと背中を軽く叩かれたことに気が付いた。
ヴィーが僕を見ており、サリチルにも目を向けた。
「私が見てるよ」
「いいよ、ヴィー。またサリチル様を呼んで迷惑をかけるなんて」
「ううん、私がなるから」
ヴィーの言っていることが分からなかった。
ただ急にヴィーが消え、そしてドアをノックする音が聞こえる。
一体誰かと思っていると、そこにはサリチルがもう一人現れた。
「えっ、え? サリチル様が二人もいる?」
混乱しているのは僕だけかと思ったが、サリチルも信じられないものを見ているような顔だ。
一体この人は誰かと思っていると、聞き慣れた声が聞こえた。
「わたし、ヴァイオレット」
サリチルの顔からヴィーの声が聞こえてくるのは気持ちが悪かった。
しかしどう見てもサリチルで、身長や顔をどうやって再現しているのか。
「これならいいでしょ?」
次の声は紛れもなくサリチルと同じ。
声色も真似られる彼女の技量に驚くばかりだ。
サリチルも少し考えてから僕に提案してくれる。
「なるほど。それでしたらいいでしょう。私の権限を与えますので、フェニル君を守ってください。それとフェニル君も後日試験を与えますので、それで合格点が出れば給与を出します」
「そ、そんな給与なんて! 働かせてもらうだけでいいですので!」
恐れ多く、お金をもらうくらいなら働かない方がいい。
ただのお礼のつもりでやるだけなのだから。
しかしサリチルから厳しい声が降ってきた。
「いいえ、働いた分はもらいなさい。食事の分は全てエステルさんの給与から差し引いていますので、少しでも感謝をするのならお姉様にこそ返すべきでしょう」
サリチルは僕に気を遣うなと言っているのだ。
姉は全く自分のことに使わず、人のためにばかり人生を使っている。
少しでも家計を浮かせられたら、姉も人並みの幸せを得られるかもしれない。
「でもそれだとヴィーにも負担が……」
「私は気にしなくていい」
ヴィーはいつの間にか元の姿に戻っていた。
どんな原理なのか分からないが、ただの変装とは違うように感じる。
だがみんなが協力してくれるのなら、これ以上弱音は吐けない。
僕も少しは役に立ちたい。
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