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第二章
第一話②
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(めんどくせぇこと頼まれんのヤダから朝早くに来たってのに、なんだこの騒ぎは!)
クルトの声に気づかないほど盛り上がっている。いい予感がしない。クルトはそっと後ろへ下がるが思い直した。どの娼館を手配したのか母に聞かねばならない。その店で童貞を捧げる相手を選ぶ必要もあった。通話装置を使って連絡することもできたが、同輩騎士に鼻息を荒くした姿を見られるのは決まりが悪すぎる。特にディートリヒは機嫌良くクルトを馬鹿にするだろう。下に見てる空気は出さず、清廉なたたずまいでやってのける。そういう男だと知ってしまった。
「おい、なんの騒ぎだ」
クルトは意を決して居間と台所、客間を兼ねる大部屋へ乗り込んだ。部屋の中央に置かれたテーブルの上に、なにやら箱らしきものが乗っている。近所の住民が集まれるだけ集まっていた。クルトの母モニカは身を乗り出して肩まで腕を入れている。
「次は? 次は?」
モニカは猫のような形の瞳を輝かせ、年甲斐もなくはしゃいだ声を出した。住民たちは期待に胸を躍らせている。陽気な掛け声と共に取り出されたものはいかにも高そうな陶磁器だ。東方の様式で、ラベルには筆で文字と模様が書かれている。
「ゲオルグちゃんには東の高ーいお酒!」
場が湧いた。人の輪の隙間から箱に刻まれた徴を見てしまい、クルトは逃げることにした。怖気ついてはいない。戦略的撤退だ。
フォン・ローゼンクランツの係累だと示す文様が使われていて職場で目にすることもある。そう、ディートリヒ個人を示す徴だった。近ごろは不気味すぎてクルトを混乱させる天敵の気配だ。
(あのウスノロデカブツ何考えてんだ?)
クルトは王都帰着後から昨日のことまでをさらった。ディートリヒはやたらベタベタとクルトの後をついてきて、クルトが座れば隣に陣取る。さらにディートリヒはクルトを自身の膝の上において離さない。そしてクルトに手ずから食べ物を与えようとする。クルトが図太く膝に居すわれるようになったのは3日前からのことだ。食べ物はヤツの指ごと噛んで威嚇してからクルトの手のひらに落とされるようになっていた。
そろそろと後ろ歩きをしていたら、クルトは柔らかいものを踏み、体の均衡を崩しかける。床を大きく踏んで存在を勘付かれた。場の人間たちが一斉にクルトを見た。その顔や目に敬いや感謝が浮かんでいた。かつての悪童クルトを警戒するものではない。そして腕になにかをかかえているものが多かった。女性陣の化粧と衣服はやたらと派手だ。
「クルト! おかえりなさい」
モニカは能天気な笑みを浮かべた。善男善女はたぶらかせないが、悪男悪女を惹きつけるものだ。現役時代から見かねた同僚が悪人から守っていたらしい。同僚たちも善人とは言えず、代価として厄介ごとを押しつけ続けている。今のクルトや兄弟分なら悪因を除けることだってできるだろう。モニカの感謝心のおかげで試みだけで終わっていた。
「なんだってんだよ。この騒ぎに、その箱」
途端に部屋の中は異様な雰囲気に変わった。誰も彼もが夢見る少女の顔になる。
「青薔薇の公子さまが降臨なさったのよ……」
「従者を連れたお姿の立派なこと。まさに騎士だろ!」
「現役なら借財積んでもお願いしたね」
「あーん、ディートリヒさま!」
「へへ……匂いだけでもいい死後の土産だぁ」
モニカを皮切りに、住民たちが口々に喚きはじめた。クルトは顔を歪めて後ずさるが、また柔らかいものを踏んでしまう。足元を確認したクルトはぎょっとして取り上げた。平たくてクッションにも思える特徴的な猫のぬいぐるみなのだが、魔法を介さずに作られている。すなわち高級品だ。妹分の騎士に連れられて貴族ご用達の雑貨屋を訪れたとき、鎮座していた。
「かわいいよねぇ、その猫。今うちで預かってる子にも、もちろんくださったのよ! もらった子ははしゃぎすぎてまだベッドの中。忘れてったのか」
「なんの用で来たんだ、アイツ」
ひだまりにいるようなモニカの声に、クルトは早口を被せた。
「クルトと仲が良くなったから、クルトの主家周りに住む方々とも親密になりたいとおっしゃってたわ」
「それで、具体的になにをしやがったんだ?」
「その箱」
モニカが手のひらで例の箱を示す。
「私のマナ回路を識別して、私が手を入れると出てくるの」
「な、なにが……」
クルトは唾を飲み込んだ。
「うちやご近所さんみんなへの贈り物」
背筋に寒気が走る。クルトは急いで箱を確認した。ただの箱――フォン・ローゼンクランツ侯爵家の財産というだけでただの箱ではないのだが、それには空間を広げる魔法がかかっていた。古い時代の魔法で、現代に使い手が生まれるのは稀で、傀儡師より珍しい。使わせるには大金か、もっと尊いものが必要である。
(俺への嫌がらせに……下っ端貴族なら家宝にするようなものを……)
怖い。
(青薔薇じゃなくてアホ薔薇なんじゃねえの……)
クルトは頭を抱えた。ディートリヒに釘を刺さねば、たかが平民出身の一騎士への嫌がらせにとんでもない金が動く。もったいないことこの上ない。こんな馬鹿な行動をしてくれるな。ディートリヒの悠然とした慈悲の微笑が浮かぶ。クルトは塗りつぶされるその像を妄想した。体の奥に風が通った気がする。
「俺帰る」
ぎこちなく部屋を去る背中に、モニカの声がかかる。
「娼館は知らなくても大丈夫だけど、女の子は~?」
クルトは厳しい表情で振り返った。
「とにかくデカくて、筋肉でムチムチしてて彫深めの子で!」
そうして宿舎に向けて駆ける。明日の雨を予告するように雲は暗く、風は湿っていた。ディートリヒが信奉者に見せる顔とは似ていない。
クルトの声に気づかないほど盛り上がっている。いい予感がしない。クルトはそっと後ろへ下がるが思い直した。どの娼館を手配したのか母に聞かねばならない。その店で童貞を捧げる相手を選ぶ必要もあった。通話装置を使って連絡することもできたが、同輩騎士に鼻息を荒くした姿を見られるのは決まりが悪すぎる。特にディートリヒは機嫌良くクルトを馬鹿にするだろう。下に見てる空気は出さず、清廉なたたずまいでやってのける。そういう男だと知ってしまった。
「おい、なんの騒ぎだ」
クルトは意を決して居間と台所、客間を兼ねる大部屋へ乗り込んだ。部屋の中央に置かれたテーブルの上に、なにやら箱らしきものが乗っている。近所の住民が集まれるだけ集まっていた。クルトの母モニカは身を乗り出して肩まで腕を入れている。
「次は? 次は?」
モニカは猫のような形の瞳を輝かせ、年甲斐もなくはしゃいだ声を出した。住民たちは期待に胸を躍らせている。陽気な掛け声と共に取り出されたものはいかにも高そうな陶磁器だ。東方の様式で、ラベルには筆で文字と模様が書かれている。
「ゲオルグちゃんには東の高ーいお酒!」
場が湧いた。人の輪の隙間から箱に刻まれた徴を見てしまい、クルトは逃げることにした。怖気ついてはいない。戦略的撤退だ。
フォン・ローゼンクランツの係累だと示す文様が使われていて職場で目にすることもある。そう、ディートリヒ個人を示す徴だった。近ごろは不気味すぎてクルトを混乱させる天敵の気配だ。
(あのウスノロデカブツ何考えてんだ?)
クルトは王都帰着後から昨日のことまでをさらった。ディートリヒはやたらベタベタとクルトの後をついてきて、クルトが座れば隣に陣取る。さらにディートリヒはクルトを自身の膝の上において離さない。そしてクルトに手ずから食べ物を与えようとする。クルトが図太く膝に居すわれるようになったのは3日前からのことだ。食べ物はヤツの指ごと噛んで威嚇してからクルトの手のひらに落とされるようになっていた。
そろそろと後ろ歩きをしていたら、クルトは柔らかいものを踏み、体の均衡を崩しかける。床を大きく踏んで存在を勘付かれた。場の人間たちが一斉にクルトを見た。その顔や目に敬いや感謝が浮かんでいた。かつての悪童クルトを警戒するものではない。そして腕になにかをかかえているものが多かった。女性陣の化粧と衣服はやたらと派手だ。
「クルト! おかえりなさい」
モニカは能天気な笑みを浮かべた。善男善女はたぶらかせないが、悪男悪女を惹きつけるものだ。現役時代から見かねた同僚が悪人から守っていたらしい。同僚たちも善人とは言えず、代価として厄介ごとを押しつけ続けている。今のクルトや兄弟分なら悪因を除けることだってできるだろう。モニカの感謝心のおかげで試みだけで終わっていた。
「なんだってんだよ。この騒ぎに、その箱」
途端に部屋の中は異様な雰囲気に変わった。誰も彼もが夢見る少女の顔になる。
「青薔薇の公子さまが降臨なさったのよ……」
「従者を連れたお姿の立派なこと。まさに騎士だろ!」
「現役なら借財積んでもお願いしたね」
「あーん、ディートリヒさま!」
「へへ……匂いだけでもいい死後の土産だぁ」
モニカを皮切りに、住民たちが口々に喚きはじめた。クルトは顔を歪めて後ずさるが、また柔らかいものを踏んでしまう。足元を確認したクルトはぎょっとして取り上げた。平たくてクッションにも思える特徴的な猫のぬいぐるみなのだが、魔法を介さずに作られている。すなわち高級品だ。妹分の騎士に連れられて貴族ご用達の雑貨屋を訪れたとき、鎮座していた。
「かわいいよねぇ、その猫。今うちで預かってる子にも、もちろんくださったのよ! もらった子ははしゃぎすぎてまだベッドの中。忘れてったのか」
「なんの用で来たんだ、アイツ」
ひだまりにいるようなモニカの声に、クルトは早口を被せた。
「クルトと仲が良くなったから、クルトの主家周りに住む方々とも親密になりたいとおっしゃってたわ」
「それで、具体的になにをしやがったんだ?」
「その箱」
モニカが手のひらで例の箱を示す。
「私のマナ回路を識別して、私が手を入れると出てくるの」
「な、なにが……」
クルトは唾を飲み込んだ。
「うちやご近所さんみんなへの贈り物」
背筋に寒気が走る。クルトは急いで箱を確認した。ただの箱――フォン・ローゼンクランツ侯爵家の財産というだけでただの箱ではないのだが、それには空間を広げる魔法がかかっていた。古い時代の魔法で、現代に使い手が生まれるのは稀で、傀儡師より珍しい。使わせるには大金か、もっと尊いものが必要である。
(俺への嫌がらせに……下っ端貴族なら家宝にするようなものを……)
怖い。
(青薔薇じゃなくてアホ薔薇なんじゃねえの……)
クルトは頭を抱えた。ディートリヒに釘を刺さねば、たかが平民出身の一騎士への嫌がらせにとんでもない金が動く。もったいないことこの上ない。こんな馬鹿な行動をしてくれるな。ディートリヒの悠然とした慈悲の微笑が浮かぶ。クルトは塗りつぶされるその像を妄想した。体の奥に風が通った気がする。
「俺帰る」
ぎこちなく部屋を去る背中に、モニカの声がかかる。
「娼館は知らなくても大丈夫だけど、女の子は~?」
クルトは厳しい表情で振り返った。
「とにかくデカくて、筋肉でムチムチしてて彫深めの子で!」
そうして宿舎に向けて駆ける。明日の雨を予告するように雲は暗く、風は湿っていた。ディートリヒが信奉者に見せる顔とは似ていない。
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