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第一章

第四話②※キスシーンの途中に舌を噛んで流血する部分があります。

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 舌で舌を叩いてもディートリヒは引かない。ディートリヒは指の腹で円を描いて乳首をこねてくる。胸への刺激が引き金になって、ふわふわ甘い感覚は歓喜に変わってしまった。骨の中心を走る痺れがスパイスになって、喜びの甘さを引きたてる。ディートリヒに喜びをもらえて嬉しい。
 クルトはディートリヒの舌を噛んだ。こみあげてきたディートリヒへの感謝を噛み切るようにだ。自分の舌も巻き添えだが力は緩めない。だというのにディートリヒへの妬みが憧れが疑いが敬いが、快感と喜悦をもたらしてくれた感謝に呑まれていく。自分が消えるような感覚に腹の底が冷える。前立腺の快感を恐れる気持ちがやっと浮きあがった。快感を拒んで体は硬くなった。
 血がにじんで鉄臭さが広がり、ディートリヒの手から力が失せる。咬合を弱めて様子をうかがうと、乳首が柔らかく弾かれた。

「あぅ、や、あ……」

 間髪を入れず、大きな手のひらで腹を揉まれた。乳頭はやわく弾かれ続けている。クルトの頭は正気ではないもので埋められていった。誰かに頭を垂れたくはない。他人を拠り所にする生き方をしたくはない。弱い自分をさらすのは嫌だ。なのに、陶酔が全部ふわふわとくるんでいく。体を制御する機能も甘美に侵された。
 
「あ、うぅ、や、やだ……ひぅっ、う、ぅあ、ぁああ~~っ、っあン!」

 クルトは体をくねらせて腰を揺らした。骨と肉と皮が痺れるほどに甘く、心と魂が沈みこむような柔らかい快感だけがある。クルトをクルトたらしめる矜持が姿を消した。
 
「とても愛くるしい啼き声だ! クルトもそう思わないか? ふふ、よすぎて聞こえていないのか」

 ディートリヒの言葉はクルトの頭に入っていかない。ディートリヒが声を出しているのはわかる。

「クルト。なあ、クルト。君が嫌って憎む私の善人気取りの声だよ。君が見たがっている騎士の鑑っぽくない挑発だぞ!」 

 ディートリヒの声に、常なら存在しない苛立ちが潜んでいる。だが手はクルトを愛おしむように動く。常のディートリヒのように他者への尊重にあふれていた。

「君の耳に入らなければ意味がない。君を――」

 クルトの耳は自分の甘い声しか受けつけなくなった。クルトに宿る、世界すべてを相手取る苛烈さは顔から失せていた。瞳は溶けるように濡れ、眉も緩んで下がり、敵意は微塵もない。唾液が唇からこぼれてクルトの細いあごを汚した。
 
「や、やだ、もうだめ……だめ……ん、あ、ああ、だめ……だめ、ん」

 拒絶の言葉ではない。もっと高い、あるいは深いところに行かなくてはならない。腹を持ちあげてディートリヒに催促しなければならない。力が入らず、クルトの試みは失敗に終わる。しかしクルトは不満ではなく、大きな安寧を覚えた。ディートリヒは連れていってくれるだろう。待てばいい。クルトは恍惚に落ちかけている。
 引き止めたのはなぜかディートリヒだった。ディートリヒはクルトから身を離し、緊張感を漂わせている。いきなりシャツを脱いで、クルトの上で裸身をさらした。布地で抑えられていた胸筋がまろびでる。
 クルトは我知らずため息をついた。物足りなさから出したわけではない。うっとりするような情欲がクルトの気道にも現れたのだった。ディートリヒはまた身を倒す。肉惑的な胸板でクルトの口は塞がれた。息がしにくい。

「ん?! う、むむ、んぐ~~っ!」

 クルトはうろたえたが、ディートリヒの肌の質感はきっちりと味わった。さらさらとして滑りがよく、染料を塗る前の幾度も磨いた白樺のようだった。クルトの体はまだ動かない。体すべてで感じられないことが惜しくてたまらない。クルトが思いきり吸いつくとディートリヒは少し体を離した。口の中に入ってくる柔らかさをただただむさぼりたい。熱っぽい視線を注ぐと、ディートリヒは少しずれたところを差し出した。それを行うこと3回。ディートリヒは肌に残された赤みを満足げにさすった。そしてクルトの視線に飢えた視線をからめてくる。その凶悪さがクルトの危機感を掘り起こす。クルトは体を震わせた。

(あ、死ぬ。尻くたばるわ。俺の尻は終わった……)

 心臓の音が激しい。前立腺にまんまとはまった……はめられた悔しさではなく、さっきまでの恍惚を思い返して胸が重くなった。次は体の外から内から徹底的にやられる。今のディートリヒは口約束では信じてくれないだろう。ひたすらに恐ろしい。だが、恐れ以外の感情がないかと問われれば――ある。クルトの腹にはまだ、恍惚に似た快さが点されている。
 部屋の扉が控えめに叩かれ、ディートリヒはようやくクルトから目を離した。

「ディートリヒさま! ご無事でしょうか? 彼奴はが無体など振るって、貴方さまを困らせているのではと――」

 ディートリヒは皮肉げに微笑んでクルトの体を大きなシャツで覆った。身にまとっていたせいだろうか。ディートリヒの馥郁たる香りはとても強く、クルトの頭を休ませない。
 ディートリヒは半裸をさらし、扉を優雅な手つきで細く開けた。絵になる光景だ。

「私とクルトの仲はお前たちが思うようなものではない。逆だ――」

 ディートリヒの声は気だるく、発せられた言葉は艶を帯びていた。クルトとディートリヒが、12歳の頃から特別な意味で親しいのだと、そう誤解させるような空気だ。空気は熱をあおり、クルトの奥底は燃えるようになった。
 
「それなら、どういったご関係で」
「野暮だな、お前は。最後まで言わなければわからない? 武勇の誉れで貴族は務められない。察しの良さをもっと持て……ハイマン」

 ハイマンの息を呑む声が聞こえる。体を忙しなく動かして、部屋をのぞこうとしているようだ。ディートリヒが止めるかどうかがわからない。クルトはディートリヒのシャツの下でもがく。
 
「まあ、私の腹心であるお前には伝えておこうか。親密な仲だよ……共寝をするくらいには、ね」
「腹心! ありがたき幸せ! いや、あの人形使いとそのようなことがあるはず」
「ハイマン。私の言葉を疑うのか? いや、疑り深さは貴族の美点だな。詫びるよ、ハイマン」

 ディートリヒの物言いは――たいへんに貴族らしい。声の調子は軽く朗らかで、不快に思わせない。

「私は……ただディートリヒさまを思っているだけで」
「クルトは自分に従って生きる男だ。貴族に慣れた身としては、その率直さが好ましいというわけだ。クルトに不逞の輩を近づけるなよ……ハイマン」

 ハイマンの許しを乞う言葉が聞こえる。ディートリヒはそれらをすべて受け取らず、重々しく扉を閉めた。クルトはディートリヒがわからなくなった。ディートリヒのどれが本当なのかわからない。扉と寝台の間の床に、月の光が差している。振り返ったディートリヒはそれを簡単に踏みにじった。
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