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第一章
第二話②
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「クソッ!」
クルトは震えを抑えるように自分の体を抱いた。そのまま何も言わずに宴の間を出て、自室へと向かう。怒りと忌みをはらんだ空気を浴びて。
誰も痛めつけに来ないが、心配することはもっとない。早く部屋に戻りたい。だが足がもつれてうまく進めない。腹の奥も締め付けられるように切なくなった。脈動にあわせて、妙な痺れが背中を這い上がる。背骨がくすぐったく、息も速い。
「今日の酒が、合わなかったのか? デカブツの分まで、飲むんじゃなかった……」
クルトは自室へ辿り着けなかった。どこかはわからないが、その場にうずくまる。治ることを願って目を閉じた。だがいくら時間が経っても鎮まらない。それどころか苦しさが増していく。助けを求めるべきだ。だが誰が来てくれるというのか。それに助けが来ても、クルトのプライドが拒むだろう。
「なんなんだ? この熱さ……?」
煩悶する背中に誰かの手が触れる。そしてゆっくり撫でてきた。顔を上げても視界がぼやけて誰かわからない。だが予想はついていた。クルトは戦場においての信用は得ている。日常生活では別だ。そんなクルトに親切心を出す騎士など1人しかいない。腹立たしい。ヤツというより自分が、である。クルトの心は優しさで安らいだのだ。これで助かる。こいつなら助けてくれるはずだ。ヤツの優しさにいつもプライドを傷つけられ、ヤツを罵ることで心の平静を取り戻すくせに、みじめにすがる見苦しい自分。
「触ってんじゃ、ねぇ……」
舌も回らなくなってきた。撫でられている部分から妙な痺れが生まれている。不安に支配されたクルトの頭は手がもたらす安穏に浸っていたいと騒いでいた。クルトは不安と欲求を追い払うために頭を振った。どちらもしぶとく居座ってクルトを苦しめる。強く振る舞うこともできずにいた。
「酒の、せいか? まさか……魔人の、呪い?」
「安心してくれ。前者だ」
はじめて人物、もといディートリヒが口を開けた。低く穏やかで、心を落ち着かせるために作られた声だ。神から授けられた天性のものではない。そんなはずがない。そんな貴族、いや人間がいるわけなかった。苛立ちと安堵、訳の分からない衝動がクルトの心をかき乱す。クルトはディートリヒの口と思しきあたりを見つめた。
「酒……?」
「あぁ。それにしても……」
ディートリヒはクルトをなんなく抱き上げた。背中と膝の裏に腕が回されている。大抵の人間は喜んで涙を流すだろう。青薔薇の公子が相手だ。
「やはり私の分も飲んでくれたな……ありがとう。他者の――特に目上の者の話はよく聞くべきだよ。クルト」
クルトの体は緊張が固まった。必死に身をよじるが、痺れて動けない。ディートリヒはクルトの背中を撫でて脚をつかんだ。クルトの体の中心を強い痺れが駆けていく。下腹部が疼いて痛い。
「なんの、酒だ」
「あの酒は滋養強壮の効果が強い。1本なら問題ないが2本も飲めば……欲求が湧いてたまらないだろうな。ここまで効くとは思わなかったがね」
「欲求?」
ディートリヒは思いがけず笑ってしまったようだ。笑い声は軽く、朗らかで、いたずら心に満ちている。ディートリヒらしくない。
「案外うぶなのか? それともフリで誘っていたりするのか? 性的欲求に決まっているだろう?」
気づきたくなかった。気づいていたのかもしれない。目をそらしていたのだろうか。クルトの下腹部に向けて、一気に血が流れ込む。クルトは膨らむ股間を隠そうとして必死にあがいた。
「クソ、はめたのか……?」
ほら見ろ。騎士の中の騎士みたいな言動をして、本性は貴族そのものだった。見抜いた喜びでクルトは頭が熱くなった。けれど頭は寒さも感じている。ディートリヒは騎士の鑑ではない。本質は正義と愛ではなく、汚い何かだ。寂しさと落胆でクルトの体は凍えていく。
「クルトが勝手にはまったんだろう? 私は止めなかっただけだ。人の話をきちんと聞くか、人のものを取らなければ良かったのだよ。これで学びを得たな」
クルトの頭は逃げる方法を探している。うまくいきそうになかった。魔法もこの状態ではうまく使えないだろう。焦っている間もクルトの股間は硬くなっていく。ディートリヒの目は楽しそうだ。クルトの顔はその視線を受けて急激に熱くなった。
クルトの部屋の前へ着いても、ディートリヒの歩みは止まらない。どこへ行き、何をしようとしているのか。ディートリヒの思惑が理解できなくて、クルトは混乱していた。
「仕返し、か? 騎士らしく、ねぇ」
ディートリヒは快活に笑う。
「とんでもない。とってもいい体験をさせてあげたいんだ。親睦を深めたくてね」
「いい、体験……?」
そんな体験をさせてくれる間柄ではない。クルトは快感だらけの頭と体でなんとか考える。皮肉的な表現で、とことん痛めつけられるのか。今までの態度を考えると殺される可能性だってある。ディートリヒは侯爵子息で、子爵の位も持っていた。死体を消す伝手もあるだろう。傀儡師は稀だが、無二の存在ではないのだ。
クルトは震えを抑えるように自分の体を抱いた。そのまま何も言わずに宴の間を出て、自室へと向かう。怒りと忌みをはらんだ空気を浴びて。
誰も痛めつけに来ないが、心配することはもっとない。早く部屋に戻りたい。だが足がもつれてうまく進めない。腹の奥も締め付けられるように切なくなった。脈動にあわせて、妙な痺れが背中を這い上がる。背骨がくすぐったく、息も速い。
「今日の酒が、合わなかったのか? デカブツの分まで、飲むんじゃなかった……」
クルトは自室へ辿り着けなかった。どこかはわからないが、その場にうずくまる。治ることを願って目を閉じた。だがいくら時間が経っても鎮まらない。それどころか苦しさが増していく。助けを求めるべきだ。だが誰が来てくれるというのか。それに助けが来ても、クルトのプライドが拒むだろう。
「なんなんだ? この熱さ……?」
煩悶する背中に誰かの手が触れる。そしてゆっくり撫でてきた。顔を上げても視界がぼやけて誰かわからない。だが予想はついていた。クルトは戦場においての信用は得ている。日常生活では別だ。そんなクルトに親切心を出す騎士など1人しかいない。腹立たしい。ヤツというより自分が、である。クルトの心は優しさで安らいだのだ。これで助かる。こいつなら助けてくれるはずだ。ヤツの優しさにいつもプライドを傷つけられ、ヤツを罵ることで心の平静を取り戻すくせに、みじめにすがる見苦しい自分。
「触ってんじゃ、ねぇ……」
舌も回らなくなってきた。撫でられている部分から妙な痺れが生まれている。不安に支配されたクルトの頭は手がもたらす安穏に浸っていたいと騒いでいた。クルトは不安と欲求を追い払うために頭を振った。どちらもしぶとく居座ってクルトを苦しめる。強く振る舞うこともできずにいた。
「酒の、せいか? まさか……魔人の、呪い?」
「安心してくれ。前者だ」
はじめて人物、もといディートリヒが口を開けた。低く穏やかで、心を落ち着かせるために作られた声だ。神から授けられた天性のものではない。そんなはずがない。そんな貴族、いや人間がいるわけなかった。苛立ちと安堵、訳の分からない衝動がクルトの心をかき乱す。クルトはディートリヒの口と思しきあたりを見つめた。
「酒……?」
「あぁ。それにしても……」
ディートリヒはクルトをなんなく抱き上げた。背中と膝の裏に腕が回されている。大抵の人間は喜んで涙を流すだろう。青薔薇の公子が相手だ。
「やはり私の分も飲んでくれたな……ありがとう。他者の――特に目上の者の話はよく聞くべきだよ。クルト」
クルトの体は緊張が固まった。必死に身をよじるが、痺れて動けない。ディートリヒはクルトの背中を撫でて脚をつかんだ。クルトの体の中心を強い痺れが駆けていく。下腹部が疼いて痛い。
「なんの、酒だ」
「あの酒は滋養強壮の効果が強い。1本なら問題ないが2本も飲めば……欲求が湧いてたまらないだろうな。ここまで効くとは思わなかったがね」
「欲求?」
ディートリヒは思いがけず笑ってしまったようだ。笑い声は軽く、朗らかで、いたずら心に満ちている。ディートリヒらしくない。
「案外うぶなのか? それともフリで誘っていたりするのか? 性的欲求に決まっているだろう?」
気づきたくなかった。気づいていたのかもしれない。目をそらしていたのだろうか。クルトの下腹部に向けて、一気に血が流れ込む。クルトは膨らむ股間を隠そうとして必死にあがいた。
「クソ、はめたのか……?」
ほら見ろ。騎士の中の騎士みたいな言動をして、本性は貴族そのものだった。見抜いた喜びでクルトは頭が熱くなった。けれど頭は寒さも感じている。ディートリヒは騎士の鑑ではない。本質は正義と愛ではなく、汚い何かだ。寂しさと落胆でクルトの体は凍えていく。
「クルトが勝手にはまったんだろう? 私は止めなかっただけだ。人の話をきちんと聞くか、人のものを取らなければ良かったのだよ。これで学びを得たな」
クルトの頭は逃げる方法を探している。うまくいきそうになかった。魔法もこの状態ではうまく使えないだろう。焦っている間もクルトの股間は硬くなっていく。ディートリヒの目は楽しそうだ。クルトの顔はその視線を受けて急激に熱くなった。
クルトの部屋の前へ着いても、ディートリヒの歩みは止まらない。どこへ行き、何をしようとしているのか。ディートリヒの思惑が理解できなくて、クルトは混乱していた。
「仕返し、か? 騎士らしく、ねぇ」
ディートリヒは快活に笑う。
「とんでもない。とってもいい体験をさせてあげたいんだ。親睦を深めたくてね」
「いい、体験……?」
そんな体験をさせてくれる間柄ではない。クルトは快感だらけの頭と体でなんとか考える。皮肉的な表現で、とことん痛めつけられるのか。今までの態度を考えると殺される可能性だってある。ディートリヒは侯爵子息で、子爵の位も持っていた。死体を消す伝手もあるだろう。傀儡師は稀だが、無二の存在ではないのだ。
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