騎士の鑑と呼ばれる侯爵令息はひねくれ強気すぎ騎士の嫌がる顔が生きがいらしい

千鶴

文字の大きさ
上 下
5 / 26
第一章

第二話②

しおりを挟む
「クソッ!」

 クルトは震えを抑えるように自分の体を抱いた。そのまま何も言わずに宴の間を出て、自室へと向かう。怒りと忌みをはらんだ空気を浴びて。
 誰も痛めつけに来ないが、心配することはもっとない。早く部屋に戻りたい。だが足がもつれてうまく進めない。腹の奥も締め付けられるように切なくなった。脈動にあわせて、妙な痺れが背中を這い上がる。背骨がくすぐったく、息も速い。

「今日の酒が、合わなかったのか? デカブツの分まで、飲むんじゃなかった……」

 クルトは自室へ辿り着けなかった。どこかはわからないが、その場にうずくまる。治ることを願って目を閉じた。だがいくら時間が経っても鎮まらない。それどころか苦しさが増していく。助けを求めるべきだ。だが誰が来てくれるというのか。それに助けが来ても、クルトのプライドが拒むだろう。

「なんなんだ? この熱さ……?」

 煩悶する背中に誰かの手が触れる。そしてゆっくり撫でてきた。顔を上げても視界がぼやけて誰かわからない。だが予想はついていた。クルトは戦場においての信用は得ている。日常生活では別だ。そんなクルトに親切心を出す騎士など1人しかいない。腹立たしい。ヤツというより自分が、である。クルトの心は優しさで安らいだのだ。これで助かる。こいつなら助けてくれるはずだ。ヤツの優しさにいつもプライドを傷つけられ、ヤツを罵ることで心の平静を取り戻すくせに、みじめにすがる見苦しい自分。

「触ってんじゃ、ねぇ……」

 舌も回らなくなってきた。撫でられている部分から妙な痺れが生まれている。不安に支配されたクルトの頭は手がもたらす安穏に浸っていたいと騒いでいた。クルトは不安と欲求を追い払うために頭を振った。どちらもしぶとく居座ってクルトを苦しめる。強く振る舞うこともできずにいた。

「酒の、せいか? まさか……魔人の、呪い?」
「安心してくれ。前者だ」

 はじめて人物、もといディートリヒが口を開けた。低く穏やかで、心を落ち着かせるために作られた声だ。神から授けられた天性のものではない。そんなはずがない。そんな貴族、いや人間がいるわけなかった。苛立ちと安堵、訳の分からない衝動がクルトの心をかき乱す。クルトはディートリヒの口と思しきあたりを見つめた。

「酒……?」
「あぁ。それにしても……」

 ディートリヒはクルトをなんなく抱き上げた。背中と膝の裏に腕が回されている。大抵の人間は喜んで涙を流すだろう。青薔薇の公子が相手だ。

「やはり私の分も飲んでくれたな……ありがとう。他者の――特に目上の者の話はよく聞くべきだよ。クルト」

 クルトの体は緊張が固まった。必死に身をよじるが、痺れて動けない。ディートリヒはクルトの背中を撫でて脚をつかんだ。クルトの体の中心を強い痺れが駆けていく。下腹部が疼いて痛い。

「なんの、酒だ」
「あの酒は滋養強壮の効果が強い。1本なら問題ないが2本も飲めば……欲求が湧いてたまらないだろうな。ここまで効くとは思わなかったがね」
「欲求?」

 ディートリヒは思いがけず笑ってしまったようだ。笑い声は軽く、朗らかで、いたずら心に満ちている。ディートリヒらしくない。

「案外うぶなのか? それともフリで誘っていたりするのか? 性的欲求に決まっているだろう?」

 気づきたくなかった。気づいていたのかもしれない。目をそらしていたのだろうか。クルトの下腹部に向けて、一気に血が流れ込む。クルトは膨らむ股間を隠そうとして必死にあがいた。

「クソ、はめたのか……?」

 ほら見ろ。騎士の中の騎士みたいな言動をして、本性は貴族そのものだった。見抜いた喜びでクルトは頭が熱くなった。けれど頭は寒さも感じている。ディートリヒは騎士の鑑ではない。本質は正義と愛ではなく、汚い何かだ。寂しさと落胆でクルトの体は凍えていく。

「クルトが勝手にはまったんだろう? 私は止めなかっただけだ。人の話をきちんと聞くか、人のものを取らなければ良かったのだよ。これで学びを得たな」

 クルトの頭は逃げる方法を探している。うまくいきそうになかった。魔法もこの状態ではうまく使えないだろう。焦っている間もクルトの股間は硬くなっていく。ディートリヒの目は楽しそうだ。クルトの顔はその視線を受けて急激に熱くなった。
 クルトの部屋の前へ着いても、ディートリヒの歩みは止まらない。どこへ行き、何をしようとしているのか。ディートリヒの思惑が理解できなくて、クルトは混乱していた。

「仕返し、か? 騎士らしく、ねぇ」

 ディートリヒは快活に笑う。

「とんでもない。とってもいい体験をさせてあげたいんだ。親睦を深めたくてね」
「いい、体験……?」

 そんな体験をさせてくれる間柄ではない。クルトは快感だらけの頭と体でなんとか考える。皮肉的な表現で、とことん痛めつけられるのか。今までの態度を考えると殺される可能性だってある。ディートリヒは侯爵子息で、子爵の位も持っていた。死体を消す伝手もあるだろう。傀儡師は稀だが、無二の存在ではないのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

拾った駄犬が最高にスパダリ狼だった件

竜也りく
BL
旧題:拾った駄犬が最高にスパダリだった件 あまりにも心地いい春の日。 ちょっと足をのばして湖まで採取に出かけた薬師のラスクは、そこで深手を負った真っ黒ワンコを見つけてしまう。 治療しようと近づいたらめちゃくちゃ威嚇されたのに、ピンチの時にはしっかり助けてくれた真っ黒ワンコは、なぜか家までついてきて…。 受けの前ではついついワンコになってしまう狼獣人と、お人好しな薬師のお話です。 ★不定期:1000字程度の更新。 ★他サイトにも掲載しています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

処理中です...