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水族館とパティシエ
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2022年7月。
「はぁ…」
通葉市(つばし)の西井戸町で有名なケーキ屋「洋菓子たかはし」の店長を務める高橋銀次郎は、通葉市立水族館の休憩スペースでため息をついた。
「2号店なんて出すんじゃなかった…」
銀次郎は2020年に製菓の専門学校を卒業した後、通葉市北東部に位置する西井戸町で小さなケーキ屋を始めた。
その味はすぐに町中に広がりケーキ作りが追いつかないほどの人気を博し、2年経った2022年4月、通葉市で最も人口の多い通葉口(つばぐち)駅前に2号店をオープン。
しかしながらこの地域にはライバル店が多く、さらに西井戸町以外での店の知名度は皆無であるため、全くお客が来ない状態だったのだ。
よく分からない謎の怪しい男に、
「西井戸で『洋菓子たかはし』を知らない人はいません。通葉口町にだって名前は轟いているはずです。支店を出すなら今です」
と唆され、すっかりその気になって何も考えずに2号店を出してしまった銀次郎。
今思えば、どう考えても怪しい。しかしあの頃は自惚れており、怪しい男の言うことに何も疑問を抱かなかった。
ただひたすらケーキを焼いては廃棄するだけの日々に耐えられず、急遽店を1日閉めて水族館に来たというわけだ。
夏休み初日ということもあり、館内にはたくさんの子どもたちがいた。
「上手く宣伝をしているんだよな、ここの水族館」
通葉市立水族館はソーシャルメディア等で巧みに広告を出し、平日でも毎日のように入館制限をしなければならないほどのお客が殺到している。
「うちも何とかしないと…」
そう言って重い腰を上げ、アザラシのコーナーに行く銀次郎。アザラシが間の抜けた顔をしてお客の方を見たまま、上下に左右に泳いでいた。
「お前も大変だなぁ」
小さな声でアザラシに声をかける銀次郎。アザラシには当然その声が聞こえるはずもなく、全く表情を変えずに泳ぎ続ける。
このアザラシは銀次郎のソーシャルメディアにも度々表示される「まりん」という子で、通葉市でまりんを知らない者は誰もいないと言えるほどの人気だ。
ふと水槽の左に目をやると、怪しい男が水族館のオーナーに話しているところが見えた。
「まりんちゃんのコーナーを建物ごと独立させましょう!あの人気では観覧用スペースも足りないですし、客足が少なくなる冬がチャンスです!」
「あ、あいつは…」
銀次郎の顔が真っ青になり、すぐさま怒りで真っ赤になった。水族館のオーナーと言葉を交わしているのは、以前銀次郎に2号店を出すことを強く勧めたあの男であった。
「だ、ダメだ!その男の話を間に受けちゃダメだ!」
銀次郎は大声でオーナーのところへ走り出した。案内役のスタッフが、
「危険ですのでおやめください!館内ではお静かに!」
と制止するのを振り切り、怪しい男の襟を掴んだ。
「お前、これ以上この街をめちゃくちゃにするんじゃない!」
銀次郎は警備員に連れられて、水族館は静かになった。
◇
2023年7月。
「通葉市立水族館、新コーナー誕生!アザラシ館『まりんのおうち』がオープン!」
高橋銀次郎の家のポストに、チラシが入った。
高橋銀次郎。元パティシエの、現在無職の男である。
「はぁ…」
通葉市(つばし)の西井戸町で有名なケーキ屋「洋菓子たかはし」の店長を務める高橋銀次郎は、通葉市立水族館の休憩スペースでため息をついた。
「2号店なんて出すんじゃなかった…」
銀次郎は2020年に製菓の専門学校を卒業した後、通葉市北東部に位置する西井戸町で小さなケーキ屋を始めた。
その味はすぐに町中に広がりケーキ作りが追いつかないほどの人気を博し、2年経った2022年4月、通葉市で最も人口の多い通葉口(つばぐち)駅前に2号店をオープン。
しかしながらこの地域にはライバル店が多く、さらに西井戸町以外での店の知名度は皆無であるため、全くお客が来ない状態だったのだ。
よく分からない謎の怪しい男に、
「西井戸で『洋菓子たかはし』を知らない人はいません。通葉口町にだって名前は轟いているはずです。支店を出すなら今です」
と唆され、すっかりその気になって何も考えずに2号店を出してしまった銀次郎。
今思えば、どう考えても怪しい。しかしあの頃は自惚れており、怪しい男の言うことに何も疑問を抱かなかった。
ただひたすらケーキを焼いては廃棄するだけの日々に耐えられず、急遽店を1日閉めて水族館に来たというわけだ。
夏休み初日ということもあり、館内にはたくさんの子どもたちがいた。
「上手く宣伝をしているんだよな、ここの水族館」
通葉市立水族館はソーシャルメディア等で巧みに広告を出し、平日でも毎日のように入館制限をしなければならないほどのお客が殺到している。
「うちも何とかしないと…」
そう言って重い腰を上げ、アザラシのコーナーに行く銀次郎。アザラシが間の抜けた顔をしてお客の方を見たまま、上下に左右に泳いでいた。
「お前も大変だなぁ」
小さな声でアザラシに声をかける銀次郎。アザラシには当然その声が聞こえるはずもなく、全く表情を変えずに泳ぎ続ける。
このアザラシは銀次郎のソーシャルメディアにも度々表示される「まりん」という子で、通葉市でまりんを知らない者は誰もいないと言えるほどの人気だ。
ふと水槽の左に目をやると、怪しい男が水族館のオーナーに話しているところが見えた。
「まりんちゃんのコーナーを建物ごと独立させましょう!あの人気では観覧用スペースも足りないですし、客足が少なくなる冬がチャンスです!」
「あ、あいつは…」
銀次郎の顔が真っ青になり、すぐさま怒りで真っ赤になった。水族館のオーナーと言葉を交わしているのは、以前銀次郎に2号店を出すことを強く勧めたあの男であった。
「だ、ダメだ!その男の話を間に受けちゃダメだ!」
銀次郎は大声でオーナーのところへ走り出した。案内役のスタッフが、
「危険ですのでおやめください!館内ではお静かに!」
と制止するのを振り切り、怪しい男の襟を掴んだ。
「お前、これ以上この街をめちゃくちゃにするんじゃない!」
銀次郎は警備員に連れられて、水族館は静かになった。
◇
2023年7月。
「通葉市立水族館、新コーナー誕生!アザラシ館『まりんのおうち』がオープン!」
高橋銀次郎の家のポストに、チラシが入った。
高橋銀次郎。元パティシエの、現在無職の男である。
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