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謎のお爺さん
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2023年9月13日、9時23分。
石川光太郎は、近所の公園に足を運んだ。
妻の麗子は大学時代の友人と街へ出かけており、久々に1人の休日を過ごす光太郎。
光太郎は1人の時間ができると、決まってこの公園に来る。ベンチに座って本を読むのが1人で過ごす日のルーティンなのだ。
「さて、今日はコレを読むか」
光太郎が10年以上使っている鞄から取り出したのは、
『オレは歌手を辞める』という自伝だ。光太郎が住む通葉市出身の室井正巳(むろい・まさみ)という元歌手が書いたものである。
室井はソロの歌手として様々な映画の主題歌を歌い、更に俳優としても活躍していた。
今年の1月に「日替わり女神」という映画で主演を務め同名の主題歌も歌うなど、日本を代表する歌手であった室井だが、8月に行われたライブ中に突如引退を宣言し、翌日に何の予告もなく『オレは歌手を辞める』が出版されたのだ。
光太郎は室井の大ファンであり、年齢も同じであることから彼を心の支えにしていた。
突然の引退の理由をどうしても知りたい光太郎は本を何度も読んでいるが、いくら読んでも、はっきりとした引退理由は見えてこない。
「抗えない時の流れの中で、私の曲は幸いにも色々な人の耳に届いた」
「流れに身を任せた結果、引退するのが最もナチュラルであるという考えに至った」
など曖昧なことしか書かれておらず、真相は謎のままだ。
まだ夏の陽気が残る空を汗をかきながら見上げ、またすぐに視線を戻す。そうすると、目の前には杖をついたお爺さんがいた。見たところ、80歳をすぎた頃だろうか。
「お爺さん、どうぞお座りください。これだけ暑いと休憩が必要ですよ」
少し疲れている様子だったので、光太郎はお爺さんをベンチに座らせる。
「すまねぇ、ありがとう青年よ」
お爺さんはしばらく無言だったが、急に笑みを浮かべながら山の方を指差した。
「見よ、自然じゃよ。みんな自然の循環の中にいる」
「は、はぁ」
光太郎は唐突に始まった会話に戸惑った。しかし光太郎は、このお爺さんが何か自分をハッとさせるようなことを言うのではないかと感じた。根拠はない。完全に直感である。
ミンミンゼミの鳴き声が急に大きくなったような気がして、お爺さんの小さな声を逃すまいと光太郎は必死に耳を傾けた。
「人間が偉いんじゃない。自然の方が壮大じゃ。時の流れに逆らうなんて許しちゃいかんのじゃ」
お爺さんは怒りを静かに燃やしているようだった。何かに対する怨みを押し殺すように語った。
「自分の力が偉いんじゃない。人が自分を必要とする理由が大切なんじゃよ」
そういうとお爺さんはゆっくりと目を閉じてしまった。
「お爺さん、もう少し聞かせてください。何だか分からないけど、あなたの話は私にとってとても大事な気がするんです」
光太郎はお爺さんの言葉をもっと聞きたくなってしまい、眠そうなお爺さんを起こした。するとお爺さんは目を開けぬまま、再び喋り始めた。
「生き物が水と空気を必要とする。生きるためじゃ。それと同じように、誰かが誰かの力を必要とする。何故必要とされているのか。そこが重要なんじゃよ」
そういうと、お爺さんは立ち上がり去ってしまった。
「あ、ちょっ…お爺さーん!ありがとうございますー!」
ミンミンゼミは9月だというのに、まだ必死に鳴いている。
石川光太郎は、近所の公園に足を運んだ。
妻の麗子は大学時代の友人と街へ出かけており、久々に1人の休日を過ごす光太郎。
光太郎は1人の時間ができると、決まってこの公園に来る。ベンチに座って本を読むのが1人で過ごす日のルーティンなのだ。
「さて、今日はコレを読むか」
光太郎が10年以上使っている鞄から取り出したのは、
『オレは歌手を辞める』という自伝だ。光太郎が住む通葉市出身の室井正巳(むろい・まさみ)という元歌手が書いたものである。
室井はソロの歌手として様々な映画の主題歌を歌い、更に俳優としても活躍していた。
今年の1月に「日替わり女神」という映画で主演を務め同名の主題歌も歌うなど、日本を代表する歌手であった室井だが、8月に行われたライブ中に突如引退を宣言し、翌日に何の予告もなく『オレは歌手を辞める』が出版されたのだ。
光太郎は室井の大ファンであり、年齢も同じであることから彼を心の支えにしていた。
突然の引退の理由をどうしても知りたい光太郎は本を何度も読んでいるが、いくら読んでも、はっきりとした引退理由は見えてこない。
「抗えない時の流れの中で、私の曲は幸いにも色々な人の耳に届いた」
「流れに身を任せた結果、引退するのが最もナチュラルであるという考えに至った」
など曖昧なことしか書かれておらず、真相は謎のままだ。
まだ夏の陽気が残る空を汗をかきながら見上げ、またすぐに視線を戻す。そうすると、目の前には杖をついたお爺さんがいた。見たところ、80歳をすぎた頃だろうか。
「お爺さん、どうぞお座りください。これだけ暑いと休憩が必要ですよ」
少し疲れている様子だったので、光太郎はお爺さんをベンチに座らせる。
「すまねぇ、ありがとう青年よ」
お爺さんはしばらく無言だったが、急に笑みを浮かべながら山の方を指差した。
「見よ、自然じゃよ。みんな自然の循環の中にいる」
「は、はぁ」
光太郎は唐突に始まった会話に戸惑った。しかし光太郎は、このお爺さんが何か自分をハッとさせるようなことを言うのではないかと感じた。根拠はない。完全に直感である。
ミンミンゼミの鳴き声が急に大きくなったような気がして、お爺さんの小さな声を逃すまいと光太郎は必死に耳を傾けた。
「人間が偉いんじゃない。自然の方が壮大じゃ。時の流れに逆らうなんて許しちゃいかんのじゃ」
お爺さんは怒りを静かに燃やしているようだった。何かに対する怨みを押し殺すように語った。
「自分の力が偉いんじゃない。人が自分を必要とする理由が大切なんじゃよ」
そういうとお爺さんはゆっくりと目を閉じてしまった。
「お爺さん、もう少し聞かせてください。何だか分からないけど、あなたの話は私にとってとても大事な気がするんです」
光太郎はお爺さんの言葉をもっと聞きたくなってしまい、眠そうなお爺さんを起こした。するとお爺さんは目を開けぬまま、再び喋り始めた。
「生き物が水と空気を必要とする。生きるためじゃ。それと同じように、誰かが誰かの力を必要とする。何故必要とされているのか。そこが重要なんじゃよ」
そういうと、お爺さんは立ち上がり去ってしまった。
「あ、ちょっ…お爺さーん!ありがとうございますー!」
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