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番外編
恋愛狂想曲(5)
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☆
「起きてくださーい、起きてくださーい」
「ゴキブリ王国」で気絶した東郷は、いつの間にか大学病院の長椅子に横たわっていた。
「うっ……いてて、ここは?」
転倒した時に頭を打ってしまったらしく、東郷は頭を押さえてゆっくりと上半身を起こす。
「病院です。貴方はタンカでここまで運ばれてきたんです」
まだ新米らしい看護婦にそう言われて、東郷は、桂樹との約束を思い出した。
「いけないっ! 僕は「ゴキブリ王国」の様子を見に行かないと……っ!」
東郷は使命感に燃えている。
手でぐっと拳を握ると、看護婦の制止も聞かずに、「ゴキブリ王国」へと走り出した。
「全く、落ち着きのない患者さんですねぇ」
病院の診療時間は、とっくの昔に過ぎている。
人気のないロビーをぐるりと見回すと、看護婦は待合室の電気を消した。
☆
そんな東郷が、ひっくり返って眠っていた頃、「ゴキブリ王国」では、あるトラブルが発生していた。
「ゴキブリ王国」の最深部にあたる所で、一組のカップルが、こんな会話を交わしていたのである。
「行けども行けどもゴキブリだらけっ。よくこんな施設を建てたよなぁ」
「こんなものがあるから、大学の風紀が乱れるのよ」
実は、二人はカップルではなく、今から犯罪を犯す共犯者だった。
「ゴキブリ王国」の様子を気にする桂樹の勘は当たっていた。
二人は発火剤を手荷物の中から取り出すと、大学ニュース新聞を、その周りにちぎってまく。
そして、発火タイマーを作動させると、何気ない顔でその場を離れた。
何人もの客が、発火剤の前を通りかかるが、最深部は照明が暗く、その存在に気付く者はいない。
二人が「ゴキブリ王国」から出て来たのと同時だったか――「ゴキブリ王国」の様子を慌てて見に来た東郷が、入れ替わりで入っていく。
東郷は、ゴキブリの姿をなるべく見ないようにして、黒いサングラスをして中へと入って行く様子を見て、 二人は、ケケっと笑った。
「ゴキブリ共々、燃えちまえ」
そして、発火タイマーが作動する。
☆
ジリリリリリリッ
突如、幾何学大学の警報音が、構内に鳴り渡った。
当然、その音は学長室に届き、桂樹や瑞穂も知る所になった。
「食事中に何よ?」
おいしい食事に舌づつみをうっていた瑞穂は、近くにいたSPに、何事が起こったのかを聞いた。
SPは瑞穂の事を学長の彼女と勘違いしながら、仲間のSPに携帯で確認をとった。
「どうやら、火災が発生している様です。学長と遠野様も避難の準備を――」
「出火元はどこだって?」
桂樹は、フォークとナイフを手放して、避難指示をしてきたSPに聞いた。
「ゴキブリ王国です」
「何だと!?」
思わず自分の耳を疑いたくなる事態に、桂樹はSPの胸元を掴んだ。
そこには、桂樹の愛するゴキブリ達がいるのだ。
ついでに、どうでもいい東郷だって、そこにいる。
巻き込まれてないといいが……
「火の手はここまで来ないんでしょ? 私はもう少し食事を楽しみたいのだけど……」
「瑞穂! そんな事を言っている場合じゃない! オレの大事なゴキブリ達が」
所詮、ゴキブリの命の価値を瑞穂に説いたところで何も変わらないのだが、桂樹は、ゴキブリ一匹一匹の名前を口に出して訴えた。
瑞穂は、桂樹の説明を聞き流しながら、もくもくと豪華ランチを食している。
「とにかく、オレは火元へ向かう」
「学長! 火元は危険です。外に避難して下さい」
SPの制止を聞かず、桂樹は学長室を出て「ゴキブリ王国」に向かおうとした。
「学長、貴方に何かあったら私達、SPの責任になります。外に避難を……!」
「オレは学長じゃねぇ。オレに何かあったら、学長代理の指示に従え!」
「――学長代理?」
例の事件があってからと言うもの、学長代理の席は空席のままである事に気付いた桂樹は、瑞穂に言った。
「今日から、お前が学長代理だ」
「ええっ!?」
優雅に食事を決め込んでいたかった瑞穂も、桂樹の突然の指名に手元のフォークとナイフを落とした。
「ちょっと待ちなさいよ! 私がそんな役、引き受ける訳ないでしょ!」
瑞穂は、自分が学長代理になったら、この火事に於ける責任を取らなければならないことを危惧していた。
それ以上に、食事の邪魔をされるのが嫌だった。
「私の食事タイムはどうなるのよ!」
「そんなモン、また奢ってやる(十樹が)! いいか瑞穂、学内の生徒達の避難誘導をお前に一任する」
「任せたぞっ!」と、瑞穂の反論も聞かず、桂樹はゴキブリを避難させるべく、「ゴキブリ王国」へ向かった。
その時、東郷が巻き込まれているかも知れない現実は、桂樹の頭からすっかり消えていた。
「全くもう!」
突然、学長代理を任された瑞穂は、SP達を見て言う。
「いいこと! 生徒達へのアナウンスは私がするから、貴方達は混乱のない様、火元から一番離れたF棟の非常口から避難する事を徹底して頂戴! 一人でも犠牲者を出したら許さないわよっ」
「はっ! 学長代理」
SPは瑞穂に敬礼すると、慌しく動き始めた。
☆
「ケホッケホッケホッ」
「ゴキブリ王国」の様子を見に訪れていた東郷は、入り口から少し離れた中程まで来た所で、白い煙に遭遇していた。
最初は何かの演出かと思われていた煙だったが、その煙が次第に濃くなり、東郷は普通に呼吸が出来なくなった所で、ようやく火事だという事に気付いた。
正義感の強い東郷は、背を低くし、這うようにして身近にあった消火器を手に取り、火元を探しに「ゴキブリ王国」の最深部へと向かう。
煙で、霞んだ目に涙が滲む。
だが、東郷は負けなかった。
――僕が絶対、火事を止めてやる!
通常なら、とっくに逃げて高みの見物をしているような輩が多い中、真面目な東郷はそんな事は出来なかった。
ガラスの中に入っているゴキブリ達が、出口を求めて集まっている様子が見えて、東郷はある覚悟を決めた。
☆
「起きてくださーい、起きてくださーい」
「ゴキブリ王国」で気絶した東郷は、いつの間にか大学病院の長椅子に横たわっていた。
「うっ……いてて、ここは?」
転倒した時に頭を打ってしまったらしく、東郷は頭を押さえてゆっくりと上半身を起こす。
「病院です。貴方はタンカでここまで運ばれてきたんです」
まだ新米らしい看護婦にそう言われて、東郷は、桂樹との約束を思い出した。
「いけないっ! 僕は「ゴキブリ王国」の様子を見に行かないと……っ!」
東郷は使命感に燃えている。
手でぐっと拳を握ると、看護婦の制止も聞かずに、「ゴキブリ王国」へと走り出した。
「全く、落ち着きのない患者さんですねぇ」
病院の診療時間は、とっくの昔に過ぎている。
人気のないロビーをぐるりと見回すと、看護婦は待合室の電気を消した。
☆
そんな東郷が、ひっくり返って眠っていた頃、「ゴキブリ王国」では、あるトラブルが発生していた。
「ゴキブリ王国」の最深部にあたる所で、一組のカップルが、こんな会話を交わしていたのである。
「行けども行けどもゴキブリだらけっ。よくこんな施設を建てたよなぁ」
「こんなものがあるから、大学の風紀が乱れるのよ」
実は、二人はカップルではなく、今から犯罪を犯す共犯者だった。
「ゴキブリ王国」の様子を気にする桂樹の勘は当たっていた。
二人は発火剤を手荷物の中から取り出すと、大学ニュース新聞を、その周りにちぎってまく。
そして、発火タイマーを作動させると、何気ない顔でその場を離れた。
何人もの客が、発火剤の前を通りかかるが、最深部は照明が暗く、その存在に気付く者はいない。
二人が「ゴキブリ王国」から出て来たのと同時だったか――「ゴキブリ王国」の様子を慌てて見に来た東郷が、入れ替わりで入っていく。
東郷は、ゴキブリの姿をなるべく見ないようにして、黒いサングラスをして中へと入って行く様子を見て、 二人は、ケケっと笑った。
「ゴキブリ共々、燃えちまえ」
そして、発火タイマーが作動する。
☆
ジリリリリリリッ
突如、幾何学大学の警報音が、構内に鳴り渡った。
当然、その音は学長室に届き、桂樹や瑞穂も知る所になった。
「食事中に何よ?」
おいしい食事に舌づつみをうっていた瑞穂は、近くにいたSPに、何事が起こったのかを聞いた。
SPは瑞穂の事を学長の彼女と勘違いしながら、仲間のSPに携帯で確認をとった。
「どうやら、火災が発生している様です。学長と遠野様も避難の準備を――」
「出火元はどこだって?」
桂樹は、フォークとナイフを手放して、避難指示をしてきたSPに聞いた。
「ゴキブリ王国です」
「何だと!?」
思わず自分の耳を疑いたくなる事態に、桂樹はSPの胸元を掴んだ。
そこには、桂樹の愛するゴキブリ達がいるのだ。
ついでに、どうでもいい東郷だって、そこにいる。
巻き込まれてないといいが……
「火の手はここまで来ないんでしょ? 私はもう少し食事を楽しみたいのだけど……」
「瑞穂! そんな事を言っている場合じゃない! オレの大事なゴキブリ達が」
所詮、ゴキブリの命の価値を瑞穂に説いたところで何も変わらないのだが、桂樹は、ゴキブリ一匹一匹の名前を口に出して訴えた。
瑞穂は、桂樹の説明を聞き流しながら、もくもくと豪華ランチを食している。
「とにかく、オレは火元へ向かう」
「学長! 火元は危険です。外に避難して下さい」
SPの制止を聞かず、桂樹は学長室を出て「ゴキブリ王国」に向かおうとした。
「学長、貴方に何かあったら私達、SPの責任になります。外に避難を……!」
「オレは学長じゃねぇ。オレに何かあったら、学長代理の指示に従え!」
「――学長代理?」
例の事件があってからと言うもの、学長代理の席は空席のままである事に気付いた桂樹は、瑞穂に言った。
「今日から、お前が学長代理だ」
「ええっ!?」
優雅に食事を決め込んでいたかった瑞穂も、桂樹の突然の指名に手元のフォークとナイフを落とした。
「ちょっと待ちなさいよ! 私がそんな役、引き受ける訳ないでしょ!」
瑞穂は、自分が学長代理になったら、この火事に於ける責任を取らなければならないことを危惧していた。
それ以上に、食事の邪魔をされるのが嫌だった。
「私の食事タイムはどうなるのよ!」
「そんなモン、また奢ってやる(十樹が)! いいか瑞穂、学内の生徒達の避難誘導をお前に一任する」
「任せたぞっ!」と、瑞穂の反論も聞かず、桂樹はゴキブリを避難させるべく、「ゴキブリ王国」へ向かった。
その時、東郷が巻き込まれているかも知れない現実は、桂樹の頭からすっかり消えていた。
「全くもう!」
突然、学長代理を任された瑞穂は、SP達を見て言う。
「いいこと! 生徒達へのアナウンスは私がするから、貴方達は混乱のない様、火元から一番離れたF棟の非常口から避難する事を徹底して頂戴! 一人でも犠牲者を出したら許さないわよっ」
「はっ! 学長代理」
SPは瑞穂に敬礼すると、慌しく動き始めた。
☆
「ケホッケホッケホッ」
「ゴキブリ王国」の様子を見に訪れていた東郷は、入り口から少し離れた中程まで来た所で、白い煙に遭遇していた。
最初は何かの演出かと思われていた煙だったが、その煙が次第に濃くなり、東郷は普通に呼吸が出来なくなった所で、ようやく火事だという事に気付いた。
正義感の強い東郷は、背を低くし、這うようにして身近にあった消火器を手に取り、火元を探しに「ゴキブリ王国」の最深部へと向かう。
煙で、霞んだ目に涙が滲む。
だが、東郷は負けなかった。
――僕が絶対、火事を止めてやる!
通常なら、とっくに逃げて高みの見物をしているような輩が多い中、真面目な東郷はそんな事は出来なかった。
ガラスの中に入っているゴキブリ達が、出口を求めて集まっている様子が見えて、東郷はある覚悟を決めた。
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