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番外編
恋愛狂想曲(1)
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初夏の頃。
幾何学大学より地方にある、幾何学大学研修センターでは、高等学校の学生に対しての講習会が行われていた。
講師は、各部から一名、代表としてこの研修センターに訪れていた。
宇宙科学部の代表は、暇だから、という理由で白石桂樹が選任されていた。
研修センターには宿舎があり、それぞれに割り当てられた部屋が用意してあったが、皆はなかなか個人の部屋に戻らず、滅多に会えない他の部の代表者達と、ホールで夜遅くまで話合っている。
しかし、各部の代表者が勢ぞろいしていると言うのに、皆の会話は科学や研究の話ではなく、もっぱら付き合っている彼女の話や、女の中で誰が一番いい女か、といった、少々下世話な話ばかりだ。
桂樹は高度な会話を期待して来ていた為、ホールにいた一員の中に紛れてはいたが、予想外の話ばかりで、ため息をついた。
「なあ、あの子がいいんじゃないか? 物理学部の渡邊沙希ちゃんとか」
「ああ、いいねー! でもオレは、経済学部の由美ちゃん押しかなぁ」
そんな会話を、桂樹が何となく聞いていると、途端、身近な人物の名前が挙がった。
「オレは生体医学部の遠野瑞穂さんかなあ。あんなにハキハキして元気な女って、なかなかいないよね」
「そう言えば、美人だよな。それもアリかも」
見知った名前に、ピクリと桂樹の耳が反応して、そう言った奴等の趣味の悪さを指摘する。
「あー駄目駄目、瑞穂みたいな食い気だけで生きてる様な女はやめとけ!」
事ある毎に、ディナーの請求をされている桂樹は、彼女の裏の顔を知っていた。
「何だよ。そう言えば白石は遠野君を呼び捨てにして、仲良いのか?」
「もしかして恋人とか!」
勘違いも甚だしい誰かの言葉に、桂樹は思わず飲んでいた酒を口から吹き出した。
「何?もしかして図星」
「そんな訳ないだろう。あいつは食い気だけの女なんだよ」
冷やかし半分の研究者に、機嫌を悪くしながら、桂樹はその場に立った。
くだらない会話にこれ以上付き合う気はなかったからだ。
「オレには、もうれっきとした彼女がいる!」
桂樹がそう言うと、皆は「おおー!」とどよめきの声を挙げた。
「誰だよ~教えろよ」
「ふっいいだろう。実は今、ここにいる」
桂樹は胸を張って言い切った。
「は? この研修センターにか? でも女なんてどこにもいないじゃないか」
キョロキョロと皆が周囲を見回すが、女性の姿はどこにもない。
「紹介しよう、ミランダ、君の出番だよ」
桂樹は優しく言うと、皆の前に、紐で繋がれたミランダを紹介した。
ミランダは、桂樹の言葉に応えるように、ブーンと皆の近くに飛んで行く。
「うわー! こっちに来るなー!」
先程とは違うどよめきが、ホールの中に響き、皆が慌てふためいた。
☆
「君の魅力が分からないなんて、皆は女を見る目がないな」
桂樹の場合、女性だとか美人だとかのレベルではなく、それ以前の問題である事に本人は気付いていない。
ミランダの背を、ゴキブリオイルで綺麗にしていると、部屋をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
宿舎の部屋は、二人部屋だ。
後から入ってくる、もう一人の為に、桂樹は鍵を開けたままだ。扉が開く音に、桂樹は視線を入り口に向けた。
「僕の部屋は、ここなんだけど……君、学長と双子の……」
「白石桂樹だ」
そろそろと部屋に入って来たのは、畜産部の代表、東郷豊だった。
十樹の様に、学内全ての住人の名を把握している訳ではない桂樹だが、各部の代表ぐらいは記憶している。
桂樹は椅子から立ち上がり、握手を交わそうと手を差し出した。
「よろしく」
「あ、ああ、よろしく」
東郷は、おそるおそる手を差し出して、桂樹と握手を終えると、すぐに洗面所に向かい手を洗っている。
「東郷、お前、何だか失礼な奴だな」
「はは……」
東郷は苦笑しながら、桂樹の方へ向き直った。
「ごめん……僕は潔癖性でね」
両手を挙げて、まいった様子で桂樹の連れているミランダを見て言う。
桂樹はため息をついて、仕方なくミランダに捧げるおいしいエサをケースの中に入れた。
「ミランダ、ご免よ。狭いがケースの中へ入ってくれるかい?」
すると、ミランダは喜んでエサのあるケースの中へ入っていった。
ゴキブリを毛嫌いする東郷の様な人間は多い(大多数はそうだ)
桂樹は、ゴキブリと人間が仲良く共存できる日を夢見て、もう一度ため息をついた。
「悪いね、助かるよ」
「いや別に。ところで潔癖性なくせに、よく家畜の世話が出来るな」
畜産部の代表である人物が潔癖であるのは、いかがなものであるか。
桂樹は不思議に思った。
「僕は、本当なら経済学部の人間なんだ。今回、畜産部の代表がインフルエンザで倒れてね」
「それなら畜産部の誰かが代わりになれば良かったんじゃないのか?」
それぞれの部に、ナンバー1、ナンバー2は存在するものだ。
全く関係ない経済学部の人間が、わざわざ畜産部の代表として学生達に講義するなんて事は、本来ならあってはならない事だと、自分の事は棚に挙げて桂樹は思う。
「畜産部は、今、家畜のベビーラッシュが到来して大変だそうで、泣きつかれて仕方なく……」
「要するに、お人好しなんだな」
「まあ、そうだね」
東郷は笑っているが、「お人好し」と言う言葉の裏に「気が弱い」と言う意味合いを含んでいる事に、東郷は気付いていない。
情けない男だな、と桂樹は二重の意味でため息をついた。
――ミランダ、今日は君と同じベットで寝る事はできないんだな。
「よしっ! 東郷、お前の根性を叩き治してやる!」
「はっ?」
東郷は何故、今日あったばかりの桂樹に根性を叩き治されなければならないのか分からなかった。
しかし、桂樹は眠ろうとする東郷を無理矢理起こして、ゴキブリの素晴らしさを切々と、朝になるまで語り続けた。
☆
幾何学大学より地方にある、幾何学大学研修センターでは、高等学校の学生に対しての講習会が行われていた。
講師は、各部から一名、代表としてこの研修センターに訪れていた。
宇宙科学部の代表は、暇だから、という理由で白石桂樹が選任されていた。
研修センターには宿舎があり、それぞれに割り当てられた部屋が用意してあったが、皆はなかなか個人の部屋に戻らず、滅多に会えない他の部の代表者達と、ホールで夜遅くまで話合っている。
しかし、各部の代表者が勢ぞろいしていると言うのに、皆の会話は科学や研究の話ではなく、もっぱら付き合っている彼女の話や、女の中で誰が一番いい女か、といった、少々下世話な話ばかりだ。
桂樹は高度な会話を期待して来ていた為、ホールにいた一員の中に紛れてはいたが、予想外の話ばかりで、ため息をついた。
「なあ、あの子がいいんじゃないか? 物理学部の渡邊沙希ちゃんとか」
「ああ、いいねー! でもオレは、経済学部の由美ちゃん押しかなぁ」
そんな会話を、桂樹が何となく聞いていると、途端、身近な人物の名前が挙がった。
「オレは生体医学部の遠野瑞穂さんかなあ。あんなにハキハキして元気な女って、なかなかいないよね」
「そう言えば、美人だよな。それもアリかも」
見知った名前に、ピクリと桂樹の耳が反応して、そう言った奴等の趣味の悪さを指摘する。
「あー駄目駄目、瑞穂みたいな食い気だけで生きてる様な女はやめとけ!」
事ある毎に、ディナーの請求をされている桂樹は、彼女の裏の顔を知っていた。
「何だよ。そう言えば白石は遠野君を呼び捨てにして、仲良いのか?」
「もしかして恋人とか!」
勘違いも甚だしい誰かの言葉に、桂樹は思わず飲んでいた酒を口から吹き出した。
「何?もしかして図星」
「そんな訳ないだろう。あいつは食い気だけの女なんだよ」
冷やかし半分の研究者に、機嫌を悪くしながら、桂樹はその場に立った。
くだらない会話にこれ以上付き合う気はなかったからだ。
「オレには、もうれっきとした彼女がいる!」
桂樹がそう言うと、皆は「おおー!」とどよめきの声を挙げた。
「誰だよ~教えろよ」
「ふっいいだろう。実は今、ここにいる」
桂樹は胸を張って言い切った。
「は? この研修センターにか? でも女なんてどこにもいないじゃないか」
キョロキョロと皆が周囲を見回すが、女性の姿はどこにもない。
「紹介しよう、ミランダ、君の出番だよ」
桂樹は優しく言うと、皆の前に、紐で繋がれたミランダを紹介した。
ミランダは、桂樹の言葉に応えるように、ブーンと皆の近くに飛んで行く。
「うわー! こっちに来るなー!」
先程とは違うどよめきが、ホールの中に響き、皆が慌てふためいた。
☆
「君の魅力が分からないなんて、皆は女を見る目がないな」
桂樹の場合、女性だとか美人だとかのレベルではなく、それ以前の問題である事に本人は気付いていない。
ミランダの背を、ゴキブリオイルで綺麗にしていると、部屋をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
宿舎の部屋は、二人部屋だ。
後から入ってくる、もう一人の為に、桂樹は鍵を開けたままだ。扉が開く音に、桂樹は視線を入り口に向けた。
「僕の部屋は、ここなんだけど……君、学長と双子の……」
「白石桂樹だ」
そろそろと部屋に入って来たのは、畜産部の代表、東郷豊だった。
十樹の様に、学内全ての住人の名を把握している訳ではない桂樹だが、各部の代表ぐらいは記憶している。
桂樹は椅子から立ち上がり、握手を交わそうと手を差し出した。
「よろしく」
「あ、ああ、よろしく」
東郷は、おそるおそる手を差し出して、桂樹と握手を終えると、すぐに洗面所に向かい手を洗っている。
「東郷、お前、何だか失礼な奴だな」
「はは……」
東郷は苦笑しながら、桂樹の方へ向き直った。
「ごめん……僕は潔癖性でね」
両手を挙げて、まいった様子で桂樹の連れているミランダを見て言う。
桂樹はため息をついて、仕方なくミランダに捧げるおいしいエサをケースの中に入れた。
「ミランダ、ご免よ。狭いがケースの中へ入ってくれるかい?」
すると、ミランダは喜んでエサのあるケースの中へ入っていった。
ゴキブリを毛嫌いする東郷の様な人間は多い(大多数はそうだ)
桂樹は、ゴキブリと人間が仲良く共存できる日を夢見て、もう一度ため息をついた。
「悪いね、助かるよ」
「いや別に。ところで潔癖性なくせに、よく家畜の世話が出来るな」
畜産部の代表である人物が潔癖であるのは、いかがなものであるか。
桂樹は不思議に思った。
「僕は、本当なら経済学部の人間なんだ。今回、畜産部の代表がインフルエンザで倒れてね」
「それなら畜産部の誰かが代わりになれば良かったんじゃないのか?」
それぞれの部に、ナンバー1、ナンバー2は存在するものだ。
全く関係ない経済学部の人間が、わざわざ畜産部の代表として学生達に講義するなんて事は、本来ならあってはならない事だと、自分の事は棚に挙げて桂樹は思う。
「畜産部は、今、家畜のベビーラッシュが到来して大変だそうで、泣きつかれて仕方なく……」
「要するに、お人好しなんだな」
「まあ、そうだね」
東郷は笑っているが、「お人好し」と言う言葉の裏に「気が弱い」と言う意味合いを含んでいる事に、東郷は気付いていない。
情けない男だな、と桂樹は二重の意味でため息をついた。
――ミランダ、今日は君と同じベットで寝る事はできないんだな。
「よしっ! 東郷、お前の根性を叩き治してやる!」
「はっ?」
東郷は何故、今日あったばかりの桂樹に根性を叩き治されなければならないのか分からなかった。
しかし、桂樹は眠ろうとする東郷を無理矢理起こして、ゴキブリの素晴らしさを切々と、朝になるまで語り続けた。
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