森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

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番外編

幼き日に(2)

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「図書館はとにかく……バイトって」

  朱音は桂樹の答えに疑問を抱いた。たった六歳の小学生に任せられる仕事って何なのか。

 「バイトって何のバイトなの? 桂樹君」
 「そっちは十樹、桂樹はオレだ」

  双子の彼らは、よく見ないと違いが分からない。
  朱音は「ごめんなさい」と言って、笑って誤魔化した。

  その時、玄関だろう場所からブルーシートを開く音が聞こえてきた。

 「あっ帰って来た」

  桂樹が言う。

 「おや? お客様かい?」

  彼らの父親らしき男が、両手に大きなテーブルを持って帰ってきた。
  父親は、朱音をちらりと見た。

 「こんな狭くて汚い所に、すみません。今、テーブルを変えますね」

  父親は、持っているテーブルを、ダンボールで出来た机の上に置くと、汚れた手をはたいている。
  後から来た母親は、両手に椅子を持っていて、机に合う様に揃えて置いた。

  今は、きっとリフォーム中なのである。
    朱音は自分にそう言い聞かせた。
  朱音の目の前で、この家の歴史的瞬間が訪れたのだ。

  テーブルと椅子の配置を終えた時、その場にいた子供達が「おおー」と感動の声をあげた。

 「すごいね、コレ。どこで拾ったんだ?」
 「夢の島だよ。あそこは宝の宝庫だ」

  父親の瞳は、きらきらと輝いていた。

  夢の島とは、巨大ゴミ処理場だ。
    まれに、まだ使えそうな粗大ゴミが捨ててある。
  白石家にあるものは、ほとんどそこから拾って来たものだと言う。

 「ところで、このお客様はどういったご用件ですか?」

  家族の雰囲気について行けなかった朱音は、未だダンボールの椅子に座ったままの自分に気付き、慌てて十樹と桂樹の両親に挨拶をした。

 「ほう、担任の先生でしたか。これはいつも息子達がお世話になっております」

  父親は、そう言うと、たった今持ち込んだばかりの椅子を朱音に勧めてきた。
  この画期的な粗大ゴミに座ることを一瞬ためらった朱音だったが、ゴミという事を忘れる事にして、勧められるままに座った。

 「じゃあ、お父さん、お母さん、僕達行ってくるよ」
 「ああ、行ってらっしゃい」

  軽く手を挙げて、両親は十樹と桂樹を見送った。

 「あの……小学校一年生でアルバイト、ですか?」
 「驚かれたでしょう? この家を見て」
 「はあ」

  朱音は特に否定することなく頷いた。

 「失礼ですが、何のお仕事をなさっているのですか?」
 「私は……科学者です。いや、科学者でした」

  科学者でした。と過去形を使う両親に、朱音は何となく納得した。

 「そうですか」

  十樹と桂樹の頭の良さは、そこから生まれてきたからなのか。
  白石家は謎に満ちている。

 「昨年、所属する研究チームから追い出されまして、現在は無職です」
 「追い出されたって、何故」
 「たわいもない事です。研究ミスにより、多額の借金を背負う身になりまして、いや、人生何があるか分かりません」

  ははは……と笑うその表情は、どこか空虚だ。

 「あれは、貴方のミスじゃありませんよ」

  コーヒーを運んできた母親が言うには、同じ研究チームに所属していた仲間の一人を庇い、責任を全て負ったのだと話した。

 「――ところで、今日は、この様な場所へ何故おいでになったのですか?」
 「あ、ちょっと、ご家庭訪問をしただけです。今日はこれで失礼します」
 「そうですか。何のお構いもせず、すみません」
 「いえっ! コーヒーを、ご馳走様でした」

  朱音に急ぎの用がある訳でもないのに、慌てた様子で白石家を後にした。

  何の用事かって?
  そんな事、話せる訳がない。
  研究室を追い出された父親に、息子達も同様に学校を追い出されそうになっている現実なんて、言える訳がない。

  帰り道で、十樹の言っていた図書館へ寄った。
  ガラス越しに見た十樹は、自分より小さな子供達に、絵本の読み聞かせをしていた。
  おそらく、それが彼のバイトだろう。

――彼らに、何をしてあげられるのだろう。

  図書館のガラスに映る、何も出来ない自分の姿が、やけにちっぽけに見えた。
  そして、十樹に声を掛けないまま、学校に戻ろうとした時、桂樹を見かけた。

 「じゃあ、桂樹君、また明日残りをお願いね」
 「オッケー! 任せとけよ」

  桂樹は年配の女性にそう言うと、朱音に気付く事なく、自宅の方角に戻っていった。

――何か、余所のお宅のお手伝いでもしてるんだろうか。

  朱音は漠然と、そう推測して学校へ戻った。
  たった六歳で働いて、家計を助けている彼らは、十分立派な生徒だった。

                 ☆

「はあ……」

  翌朝、職員室でため息をついていると、他のクラスの男性教師が朱音に声を掛けてきた。

 「相沢先生、あの二人の解決法は見つかりましたか?」
 「いえ……あの子供達には何の罪もありません……なのに学校を追い出されるかも知れない。こんな不条理ってありますか」

  朱音にとって文句があるのは、学校であって、あの二人ではない。

 「周囲と足並みを揃えられない者は叩かれる。世の中そんなモノなんですよ」
 「それは、私にも分かってるんですけど……」
 「相沢先生も、あの二人を庇うあまり、そうならない事を祈ってますよ」
 「はあ……」

  男性教師は出席簿を片手に、自分の受け持つクラスへと戻っていった。
    そして、代わりに校長が話しかけてきた。

 「相沢先生……我々は、あの二人を追い出そうと考えている訳ではありません。もっと良い環境で勉学に勤しんでくれれば……と願うだけです」
 「それは、どう言う事ですか?」
 「あの子達のレベルは、もう義務教育の過程には無いと言う事です。高校……あるいは、大学への編入を本人達に進言してみるつもりでいます」
 「――…大学」
 「そう……例えば幾何学大学。あの大学は幼児期から子を育成し、将来は何らかの研究者への道が約束されています」

  校長の言う幾何学大学とは、国が運営する、最も優れた人材が集まる研究機関だ。
  高校から幾何学大学へ進む為に、多くの学生が挑戦し、十年浪人をしても入れない者もいる大学として有名だった。

――あの幾何学大学へ、彼らが?

 「まあ、相沢先生も、そのつもりで居て下さい」

  校長はそう言うと、職員室から出ていった。
  幾何学大学は全寮制だ。そんな所に入ったら、あの家庭はたった六歳の子供二人を手放すことになってしまう。熱血教師の朱音は、「家族の絆」とか「家族団欒」という言葉が脳裏に浮かぶ。

  黙々と考え込んでいると、職員室に一本の電話が入った。
    他に誰も居なかった為、朱音が電話に出た。
  すると、その電話は、この事態に追い討ちをかけるかの様に、白石家に敵対する親御さんからの苦情の電話だった。

                         ☆

「小学校に入って半年にもなるのに、うちの子はまだ一桁の足し算も出来ない」

  まくし立てて言わんとしている事を要約すると、そう言うことらしい。
  確かに、白石十樹と桂樹以外の生徒は、テストの成績は散々なもので、朱音はテストの採点をしながら思わず目を覆いたくなった。

 「先生は何を悩んでいるんですか?」

  悩みの種の白石十樹が、校庭からガラス越しに朱音に話かけて来た。
  今は昼休みで、校庭は開放されている。

 「十樹君……」
 「昨日、家に来た時も、何か話しがあったんじゃないですか? 何も言わずに帰ったと両親が話してしましたが、何の用件で家に来られたんですか?」
 「――十樹君は小学校が好き?」

  朱音がそう問うと、十樹はこくん、と頷いた。

 「……皆が、十樹君や桂樹君の何分の一でも頭が良ければいい話なの」
 「それは――僕らが危惧していた事が、起こってしまったと言う事ですね」
 「え……?」
 「分かりました。僕らが何とかします」

  朱音が言った、たった一言で全てを理解したかのように十樹は言うと、教室へ戻っていった。

――分かった? 分かったって何が? 何とかするって? 何をどうやって?

  次の時間は、朱音が担当する数学だ。
    きっとまた、十樹と桂樹の数学に関する議論が交わされるのだろう。
    朱音は憂鬱な気分で、十樹の戻って行った教室へ遅れて行く。

                        ☆

「いいか、お前等。ゴキブリが一匹、ゴキブリが二匹……」

  教室を目前にした廊下に立っていた時、そんな声が聞こえて来た。
  白石桂樹の声だ。
  朱音がガラッと旧式の教室のドアを開くと、教卓で黒板を背に、教鞭をとっている桂樹の姿があった。
  黒板には、何故かゴキブリの絵が白いチョークで描かれていた。

 「先生は、こちらで座ってて下さい」

  白石十樹がそう言って、自分の席の椅子を朱音に差し出してきた。

 「桂樹は、人に教えるのが上手いので大丈夫ですよ」
 「上手いって……」
 「はい! このゴキブリは三個フンをした。こっちのゴキブリは二個フンをした。合わせていくつ?」

  桂樹君は何故ゴキブリを例にして、授業をしているのだろう?りんごとかミカンとか、もっと世の中には愛らしいものが沢山あるというのに。
  朱音が抱いた疑問とは裏腹に、生徒達は楽しそうに笑いながら、「はいっ」と手を挙げて正解を口にする。

――ゴキブリとゴキブリのフンって

「先生、桂樹はゴキブリという、よりインパクトの強い生体を利用して、生徒達の脳に強く印象づけた結果は――」
 「十樹君、先生何だか頭が痛いわ……」

  朱音はこの奇妙な授業に頭を抱えた。
  しかし、たった一時間で生徒達は皆、一桁の足し算どころか、掛け算までマスターしてしまったのである。桂樹は自分の生み出した数学の勉強法を「ゴキブリ算」と呼んでいた。

 「えーと、次の時間は国語だな。これより、ゴキブリの三段活用を教える」

  次に来た国語教師も十樹に椅子に座って授業を見守るように言われ、担任の朱音と国語教師は半ば呆然として、桂樹の授業を聞いていた。

  それが一週間も続くと、驚くべき成果が出たのである。
  朱音の受け持つクラスは、学内で行われた数学のテストで、一人も余すことなく満点を取ったのである。
  桂樹の授業に教師全員が脱帽した。

 「教師の私達より、教え方が上手いだなんて……」

  教師達は、生徒が満点を取って嬉しいはずなのだが、それ以上に六歳の子供に敗北した気分を味わっていた。
    苦情の電話は次第に減り、喜びの声と共に「何故ゴキブリで頭が良くなったのか」と疑問の声も上がった。

 「彼らは、この学校に必要な人材なのかもしれませんね」

  校長は、やれやれと汗を拭きながら言った。
  こうして白石家の十樹と桂樹は、小学校退学の危機を自らの力で脱したのである。

                        ☆

 後日、朱音が職員室でほとんどが正解のテストの採点をしていると、桂樹が校庭から話しかけてきた。

 「桂樹君、なあに?」
 「集めてたんだけど、先生にやるよ。色々迷惑かけたみたいだし」

  桂樹はそう言うと、瓶が入った箱を朱音に差し出した。

 「まあ、ありがとう」

  しかし、箱を開けた次の瞬間、喜びの声が悲鳴に変わった。

 「オレ、ゴキブリ退治のバイトしてるんだ」

  瓶の中に入っていたのは、大量のゴキブリの死骸だったのである。

                        ☆

 その後、小学四年生の時、十樹と桂樹は国で行われたIQテストでIQ百七十という成績を叩き出し、結果、幾何学大学へ入学することになった。
  たった四年間だけの小学校生活であったが、十樹と桂樹はこの小学校で何かを学んだに違いない。
  幾何学大学へ入学したことで十樹と桂樹の将来性を見込んで、多額のお金があの家に入ったと聞いた。

  朱音はふと、彼らを思い出して果てない空に問いかけた。

  もう食べるものに困っていませんか? 
  服はちゃんと買えていますか?
  好きな勉強は出来ていますか?


――今、君達は幸せですか?








(終)

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