森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

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第五章

8.明日の希望

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 父親と十樹が別の部屋へ行ってしまい、残された桂樹と亜樹は、母親から出されたお茶菓子をつまみながら話をしていた。

 「で、何でこの家、こんなバカみたいにでかくなったんだ?」
 「十樹のお陰よ。あの子が幾何学大学で成功したお陰で、家にまで大学からお金が入ってくるようになったの」
 「へ――」
 「最初は使わずにずっと貯金していたのだけど、銀行が限度額を超えてしまってパンク状態だと言うから……思い切って家を建て直したのよ」
 「もしかして、十樹ってすごい金持ちなのか?」

  桂樹が母親にそう訊くと、「まあ、知らなかったの?」と返事が返ってきた。

 (ちくしょう、それならオレの借金、肩代わりぐらいしてくれたって……)

 「そういえば、桂樹の噂は聞かないけど、何の研究をしているの?」
 「さあ……」

  「ゴキブリを愛してます」とは、流石に母親には言えず、桂樹は気まずそうにお茶をすすった。

                  ☆

「父さんに一つお願いがあります」
 「何だ?」
 「私が亜樹にこの事を伝えた時、私達を拒否した時、亜樹をこの家に置いて下さいませんか?」

  十樹がそう言うと、父親は無言で首を縦に振った。

 「これで私も、安心して亜樹に打ち明けられます」

  ほっと息をついて、十樹は亜樹達のいる客間に戻ろうとした。
  その時。

 「今度、お前は「軍事用クローン」を造ろうとしていると、昔の友人が教えてくれた。それは本当か?」

  十樹の父親は、核心をつくかのようにそう言った。
  十樹も自然に表情が険しくなる。

 「本当です。しかし私は、そう簡単にクローン製造の秘密を明かすつもりはありません。全ては上層部が仕組んだことです」
 「十樹、お前は大学にかなり貢献して来たんじゃないのか?そんな命令は拒否して、家に帰ってきてもいいんだぞ……私達は、それが一番の望みだ」

  父親は十樹を説得したいようだった。

 「有難いお話ですが、大学に残してきたものが多すぎて、今はまだ考えられません」
 「そうか」

  残念そうに父親は答え、ソファから立ち上がると、十樹とともに客間に戻るために歩みを進めた。

                  ☆

 軍事用クローン製造部では、他に遅れをとってはならないと、研究員は眠らずに作業日程を練っていた。
  そこへ神崎が戻ってきた。

 「神崎先生、例のディスク通りに事を進めれば、およそ二ヶ月でクローンは成長した姿で誕生します。大体の機材はそろいました。あと、必要なのはクローン百人分の毛髪だけです」

  神崎は小さなケースに入っている髪を数本、研究員に渡した。

 「これは……」
 「ここに来る前に拾ってきた毛髪だ。それを使ってもいい」

  それは、白石十樹の研究室の前で、神崎が拾ってきたものである。
  恐らくそこには「宇宙科学部」に属する人間の髪が混ざっているに違いない。

 「いたっ!」

  突然、神崎はちくんとした小さな傷みを頭部に感じ、振り向くと、机の上に乗ったブレイン朝日が、髪の毛を一本持ってそこにいた。

 「君はもう解雇されたんじゃなかったのか」
 「私は、まだ正式に解雇通知を受け取っていません」

  ブレイン朝日がしらっとそう言って、神崎の髪をガラスケースに入れた。

 「ちょっと待て! まさかこの僕のクローンを造ろうとしているんじゃないだろうな」
 「そのまさかです」
 「朝日君、君はこの方法でのクローン製造に反対していたんじゃなかったのか」
 「……興味があるんです。白石十樹が一体、どんな結末を生み出すのか」

  ブレイン朝日から、神崎の髪が入ったケースを取り上げようとしたが、朝日は巧みにそれを交わして、他の髪と一緒にしてしまった。

 「朝日君! 君はどういうつもりでこんな事を!」
 「神崎亨も、他に対し同様の事を行ったはずです。他に求めるのであれば、まず自らが実験体になるべきだと、朝日は考えます」
 「くっ……!」

  神崎は、ブレイン朝日の道徳的な考えに何も答えられなかった。
  今まで数々の人間を実験体にしてきた神崎には、当然の報いだと言わんばかりに朝日の目は冷たい。

 「ここにいる研究員達の髪を、一人一本ずつ提供するよう、神崎先生から言って下さい。これは命令です」
 「――僕は、君の命令に従うつもりはない。あくまでも僕の意志で言わせて貰う」
 「分かりました」

  神崎が小型マイクを通して研究員達に伝えると、ざわざわと室内が騒がしくなった。
  皆、自分のクローンが出来てしまうことを恐れたのだ。
  途中で離脱する者も現れたが、この軍事用クローン製造部の秘密が、他に洩れる事をよく思わなかった大学警察が、その身柄を拘束した。

 「朝日君、君の髪もいただろうか。何と言っても、優れたDNAから生み出された君の事だ。きっと優秀なクローンが出来るだろう」
 「私は、その様に生まれたブレインではありませんが、髪は既に提供済みです」
 「そうか……」

  神崎は朝日に返事をしながら、ぞくりと背筋が寒くなるのを感じた。
  あの白石十樹の妹、亜樹のように、自分とそっくり同じ人間が現れることに、研究員のメンバーは恐れていた。

  生まれてきたクローンには、記憶がある。
  クローンであるという自覚もないまま、幾何学大学を歩き回るのだ。
  それが、もし自分自身であるのならば、神崎の研究室を乗っ取り兼ねない。

――自分自身と戦うのか――

 この際、呪うべきは自身の性格だろう。
  その時、僕はどうするだろうか。

                  ☆

「亜樹、ちょっといいかい?」

  十樹は、父親から、数ある部屋の一室を借りて、亜樹を呼び出した。

 「何?十樹兄さん」

  亜樹は素直にそれに応じると、十樹を見て言った。

 「亜樹も、もう気付いているだろうことの確認だ」
 「ええ……知っているわ」

  俯いて亜樹が言う。

 「私はクローンなんでしょう?」

  震えた声で、亜樹は力なくその場に座り込んだ。
  泣いているようだった。

 「いつ、それに気付いたんだ?」
 「生体医学部の神崎先生が教えてくれたわ。確かめたいのなら、一度実家へ行ってごらんって」
 「――そんな事だろうとは思っていたよ」

  十樹は、泣いている亜樹の側で、かがんだ。
  いつか話さなければならない事だった。
  神崎を恨むつもりはないが、出来れば自分達の口から伝えたかった。

  ここに来るまでの期間、亜樹は一人でどんな想いでいたのだろう。

 「何故、私を造ったの?」
 「すまない亜樹、全て私のエゴだ」
 「――私達のだよ」

  この場にいない筈の声に、十樹が振り向くと両親が立っていた。

 「亜樹が死んで、絶望の淵にいる私達を救いたかったのだろう? 十樹」
 「――…申し訳ありません」

  亜樹を生み出したことを、半分背負うかのような両親に十樹は謝った。

 「亜樹、私達は、幾何学大学に今日帰らなければならない。亜樹の外出許可は二、三日きちんととってあるから、その間に考えてくれないか? 大学に残るか、この家に戻るか」
 「オレがこの家に二、三日泊まりたいなあ。こんな豪邸だったら、この家でダラダラ過ごしたい……」
 「桂樹は私と帰るんだ!」

  父親と母親の後ろでそう呟く桂樹に、十樹は一喝して部屋を出た。

 「亜樹……父さんと母さんは、君が家に住むのを歓迎するよ。この家は広すぎるんだ」
 「亜樹さんさえ良かったら、家に来てちょうだい?」

  母親は亜樹を抱きしめ、愛おしそうにそう言った。

                  ☆

「それじゃ、父さん、母さん、亜樹を宜しく頼みます」
 「今度は、もっとゆっくり出来る時にいらっしゃい」
 「はい……行くぞ桂樹」
 「オレはこの家の子になる」

  十樹は渋る桂樹をずるずる引きずって、迎えにきたエア・タクシーに乗り込んだ。

 「ええ――!オレ本当に帰るのかよ」
 「お前の外出許可は、私と一緒だ。それにお前には『ゴキブリ王国』の設計が残っているじゃないか」
 「えっ!『ゴキブリ王国』って、あの小さなケースじゃないのか!?」

  十樹がその誤解を解くと、桂樹はきらきらと瞳を輝かせた。

 「タクシー、一刻も早く幾何学大学へ行ってくれ! 『ゴキブリ王国』がオレを待っている!」

  運転手は、桂樹の謎の発言に首を傾げながら、アクセルを踏んだ。




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