森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

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第五章

3.青山羊荘

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 白石十樹がDNAデータを照合し、千葉祥の経歴と「青山羊荘」と言う名の施設を見つけたのは、そんな時だった。

 「青山羊荘……」

  十樹はどこかで聞いたことのある施設の名を口にすると、大学警察が横から話しかけてきた。

 「ああ、その施設は何らかの形で両親を亡くしたか、捨て子を養育する…所謂、孤児院ですね」
 「この千葉祥の遺体引受人は、この孤児院でよさそうですね」
 「そうですね、いや白石先生お疲れ様でした。後の始末は、我々がしておきますから、研究所に戻って休んで下さい」
 「ありがとう、そうします」
 「我々が必要な時には、いつでも呼びつけて下さい。協力は惜しみませんから」

  大学警察のそんな一言を聞いて、事務所を出た。

                  ☆

 時計は午後五時さしていた。外はまだ薄暗く、窓硝子の向こうは、まるで真冬のように雪が振っている。
  大学の設備のおかげで、この幾何学大学内の温度は二十度に保たれており、寒さは感じないが、時間の感覚が狂うのは、どうにもならない事だった。
  現に、朝五時という、まだ活動時間には早い時間に、大勢の研究員達がロビーを行きかいしている。

  十樹は、一つ大きく伸びをすると、四日ぶりの地上の空気にほっと息をついた。
  大学警察の署内は、暗く、狭い空間だったからだ。

――それにしても、と十樹は思う。

  今回の事件で、千葉祥は結果的に、幼くして死亡した亜樹の敵打ちをしてくれた事になる。
  しかし、十樹は、こんな形ではなく学長代理には生きた形で罪を反省し、刑務所の中で裁かれるべきであったと思うのだ。

  そんな事を思いながら、研究所に向かい、幾何学大学内を歩いていると。

 「――ゴキブリ王国…」

  十樹とのすれ違い様、一人の生徒がぼそり、と呟いた。
  その言葉に反応するかのように、周囲を歩いていた数人が、十樹の顔をちらりと見た。

 「は?」

  疑問に思う十樹に話しかけてくる者はいない。
  何やら異様な空気が流れたが、十樹は何も分からないまま研究室についた。

                 ☆

 宇宙科学部の研究室に入ると、暇を持て余していたカリムとリルが皆を巻き込んで、枕投げならぬクッション投げをしていた。

  橘や亜樹は仕方なく付き合っていたようだが、桂樹は嬉々としてクッション投げに参加していた。
  桂樹は全てのクッションを重ねて頭の上に乗せると。

 「ふわははははっ、このクッションが眼に入らんか」

  と、いくつものクッションを独占して、背の届かないカリムとリルに「ずるいぞーっ」と、二人に怒られている。

 「橘、桂樹のクッションとって――!」
 「はいはい。あ、お帰りなさい」

  橘が、まず最初に十樹に気付き、声をかけてきた。

 「ただいま……これは一体」

  研究室は、クッションの羽が散り、クッション投げの被害に会ったのであろう本や資料が所々に散らばっていた。

 「あ、十樹兄さん、すぐ片付けるわね」
 「えー、もう終わりなのー?」

  亜樹が手近にあるものを片付け始めると、橘もそれに従った。
  桂樹は、クッションを頭に乗せたまま、バランスを取って歩いている。

 「私が不在中、何か変わったことはなかったか?」
 「――――っ」

  十樹の一言に、ピクリ、と皆、瞬間的に時が止まったかのように硬直して動かなくなった。
  只一人、普通でいたのは桂樹だ。

 「何もなかったぜ」

  桂樹はそう言うと、部屋のソファにクッションを並べ始めた。

 「そうか……私は少し仮眠を取る。しばらく寝てなかったんだ」
 「おやすみー」

  皆は、その姿を見送る。
  十樹は研究室の奥にある自室へ行こうとした時。

 「あ、十樹。学長代理の件だが、オレが上手くやっといたから」

  桂樹の言いように、すっかりその事を忘れていた十樹は、桂樹に訊いた。

 「――で、結局、学長代理は神崎に……」
 「ならなかった。オレ、上手くやっといたって言っただろ?」
 「ゴキブリ王国……」

  カリムの呟きに桂樹は、げっと声を出し、その声を塞ぐ。
  十樹は、先程もすれ違いざまに聞いたその言葉に、眉をひそめた。

 「ゴキブリ王国……? 桂樹、お前、まさかまた何か……」
 「何だよ。十樹だって、オレの名前使ってたじゃないか!」
 「それは緊急事態の時だけだ!」

  桂樹としては、全てが丸く収まるように行動したつもりだった。
  現に、学長代理の席は未だ空席で、適任となる人物は不在のままだ。

  そう、自身のゴキブリを守るためにも、この研究室を明け渡す人物をつくってはならない。

 「――で、ゴキブリ王国というのは、どういう意味だ」

  桂樹は十樹の拳骨をくらい、部屋の隅でいじけていたので、カリムが代わりに説明した。
  その説明に、一瞬冷静さを見失いそうになったが、ぐっと、こみ上げてくる怒りを堪えていると、桂樹が「結果オーライ」と小声で言っているのを聞いて、十樹はもう一発殴った。

 「このアホはどうにかならないのか!」

  研究室に辿り着くまでの空気が、どうりで悪いはずだと、十樹は橘が入れたコーヒーを飲みながら納得していた。

 「オレは十樹に謝らないからなっ! 大体、何も言わずに四日も研究室を空けてる十樹が悪い……」
 「私は、大学警察できちんと仕事をしてきたんだよ」
 「オレだって選挙に出て……」
 「出て?」

  十樹の威圧感を少なからず感じて、桂樹は「なんでもないです」と小声で十樹に言った。

 「いつか宇宙を飛ぶ、ゴキブリをつくってやる」

  そんな言葉と同時に研究室の電話が鳴った。

  着信番号をみるからに、理事長からだ。
  例のスピーチの一件だろうか。

  十樹は、半ば覚悟を決めて、その電話に出た。

 「はい、宇宙科学部の白石です」
 「学長だ。君に頼みたいことがあるのだが……」

  電話をかけて来た相手が学長だと知り驚く。
  まさか、学長直々に、この研究室へ電話をかけてくるとは思わなかったからだ。

 「君の先日のスピーチは聞かせてもらった」
 「……はい」

  桂樹の犯した過ちを弾劾するために電話をかけて来たのか――少なくとも、十樹はそう思っていた。

 「会議室で、議員達と話をしていたんだが、一部が言うには、君が宇宙科学部の研究を続けたくて、あんな発言をしたのではないかと」
 「は?」
 「君が学長代理という席に座りたくない事は、皆周知の上だ」

  学長は、桂樹の本気のスピーチを誤解して受け取ったようだ。

 「それで、私達は近々訪れるだろう、衛星『四季』との紛争のため、新たに『軍事用クローン製造部』を設立することになった」

  嫌な予感がした。

 「どうして、そのお話を私になさるんですか」
 「君と同様の話を神崎亨にした。彼の強い推薦があってね」

――やっぱり神崎か――

 耳をそばだてて聞いていた桂樹は、十樹と互いに顔を見合わせた。

 「宇宙科学部と軍事用クローン製造部を、それぞれ兼任してもいい。それで君は、学長代理という椅子に座らずにすむ。君にとって悪い話ではないと思うのだが……あと」

  一拍置いて学長は続けた。

 「君の冗談めいた我侭を叶えようじゃないか。ああいった発言がある以上、全く心にない訳ではないだろう」
 「我侭?」
 「『ゴキブリ王国』だよ。先日君が話した」

  その言葉に十樹はただ驚き、桂樹はきらきらと目を輝かせて、受話器を奪い取った。

 「はいっ!是非その話、引き受けさせて下さいっ!」

  学長は電話の相手が変わった事に気付かず、桂樹に言った。

 「君のいい返事が聞けてよかった」

  学長は、はははっと笑うと、軍事用クローン製造部の開部式の日取りを言って、電話を切った。

 「良かったな、十樹。学長代理の椅子は空いたままだ」
 「お前は――!」

  『ゴキブリ王国』と引き換えに、自分のポリシーを曲げかねない、新しい部署に配属しなければならない自身を呪う。

  結局、十樹は神崎の思惑通り、クローンの製造を担当することになったのである。



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