森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

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第五章

2.選挙

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    同じく、帰って来ない研究室の主を苛々しながら待っている人物がいた。

 「だ――――っ! 十樹は留守にするなら留守にすると言えっ!」

  桂樹は一向に繋がらない携帯を、ソファに向かって投げつけた。
  十樹から頼まれた選挙辞退を出来ないまま三日が過ぎ、明日はとうとう選挙活動の一環である十五分スピーチがある。
  桂樹はごろんとソファに寝転ぶと、カレンダーを睨みつけた。

 「――…どこに行っちまったんだ」

  十樹が大学警察に連れて行かれたという事実を知らない桂樹は、他にどうしようもなく、不本意ながら神崎亨に連絡を取ることにした。

 「あ――あ――、白石桂樹だ」

  生体医学部に神崎を呼び出すと、桂樹は単刀直入に言った。

 「うちの十樹、そっちにいないか?」
 「こちらには来ていないが……」
 「本当だな!?」
 「白石十樹は、僕に恐れをなして、どこかへ雲隠れか?」
 「十樹がそんな性格じゃないってことぐらい、神崎にも分かっている筈だ。明日は見てろよ。その口で笑えないようにしてやる」

 桂樹はそう言って、受話器を置き、近くにあったノートに何やら走り書きを始めた。

                  ☆

 白石十樹は、大学警察で、ただ身柄を拘束されている訳ではなかった。
  初日に事情説明を終えるとすぐに大学警察内にある施設で、犯人を特定するための科学捜査班に回されていた。

  十樹は生体医学を大学入学時に学んでいた事から、足りない人員を補充するために、一時的に大学警察の一員となっていたのだ。

  十樹は、身元不明の遺体を、既に千葉祥という名の人物であることを確認していたが、それを立証するためのデータをあらゆる所から探り出していたのである。

 「白石さんが科学捜査班に来てくれたお陰で、随分早く事件が解決しそうです」
 「それは良かった」

  十樹は試験管を小刻みに揺らしながら、DNAデータを割り出し、一般病棟にある全カルテの血液データと照らし合わせていた。
  研究室に比べ、あまり広いとは言えない部屋。閉鎖的環境ではあるが、十樹にとって幸いだったのは、この時、表の世界で起こることを知らなかったことであるかも知れない。

                  ☆

 翌日、白石十樹不在のまま、桂樹は身代わりとして選挙運動のスピーチで壇上に立つことになった。
  もちろん、主催者側にそれを知る者はいない。
  同じく壇上に立つ神崎以外は――。

 「白石桂樹、こんな所で何をしている」
 「し――っ! し――っ!」

  二人を見分けることの出来る神崎は、スピーチの順番で並んでいる桂樹に向かい、単刀直入に訊いて来た。
  それを桂樹は、まあまあ、と苛立っている神崎を宥めた。

 「今日、ちょっと十樹はいないんだ。十樹に頼まれて仕方なく……」
 「僕の気のせいかな。あの白石十樹が、お前にこんな事を頼む性格ではないと思うんだが……」

  神崎は胡散臭そうに桂樹を見た。
  本当なら十樹は、この候補者の列に並ぶことはなく、辞退していた筈なのだ。

  桂樹が、この代理を引き受けているのには訳がある。
  十樹が学長代理にならず、神崎が就任してしまえば、もしかしたらあの研究所を奪われ、ゴキブリは処分――。

  桂樹はその時のことを思って、うっと涙ぐんだ。

 「何を泣いている」

  神崎は、もはや呆れた様子で桂樹を見る。
  その時、主催者側から声がかかった。

 「次、神崎先生お願いします」

  桂樹に気を取られていた神崎は、軽く手を揚げてそれに応じた。

  神崎が壇上に立つと、会場にいる何人かが拍手で迎えた。

 「生体医学部の神崎亨です。この学長代理を選ぶ大事な席を、私のために用意して下さったことに、主催者側の皆様には感謝をまずお伝えします」

  神崎が冷静にスピーチをしている中で、桂樹は「人、人、人」と緊張をほぐす為に掌に何度も書いて、神崎の話を全く聞いていなかった。

 「そして、先日、私が公開した通り、衛星『四季』のコントロール下にある、我が幾何学大学をその抑圧から解放するための、軍事用クローン研究を推進させると共に、いつか平和な時が訪れるよう願ってやみません」

  そんなスピーチが続く中で、その聴衆に紛れるカリムとリルがいた。

  もしかしたら、村に帰れるかも知れない――。

  その想いから研究所を抜け出し、桂樹の様子を見に来たのである。

 「ね、ねえ、桂樹はまだかなぁ」
 「リル、この次みたいだよ」

  子供の好奇心も手伝って、二人はわくわくしていた。
  神崎のスピーチは続いている。

 「軍事用クローンを開発する為には、ブレインと、次に出る白石十樹先生の協力が必要不可欠であります。この事を皆様には、ご承知頂きたいと思います。では、白石先生どうぞ」

  神崎は主催者側を無視して、拍手をしながら桂樹を壇上へと呼んだ。
  しかし、神崎のスピーチを全く聞いていなかった桂樹は、相変わらず「人、人、人」と掌に書いては無駄な空気を飲み込んでいた。

  結局、桂樹が神崎の呼びかけに気付いたのは、会場のざわめきと、主催者側から声をかけられた時だった。

  桂樹は、「どうも、どうも」とぺこぺこ周りに頭を下げながら壇上に上がった。すると会場から大きな拍手が、桂樹に贈られた。

  幾何学大学に入る学生の中には、宇宙創造を果たした白石十樹に憧れて入った者も多い。
  夢やロマンを追いかけて来た若者達は、十樹の講義を楽しみにして、この幾何学大学での日々を楽しんでいるのだ。

 「えー私が、宇宙科学部の白石十樹です」

  桂樹は、神崎のスピーチを全く聞いていなかったため、結果、神崎は全く無視された形になった。
  神崎は「兄といい弟といい、白石兄弟はどうかしてるな」と、主催者側には謎のコメントを残して聴衆に紛れた。

 「私が、この大学に入学したのは十歳の時です。最初は生体医学部に所属しておりましたが、宇宙創造を果たして以来、新たに設立された宇宙科学部に――」

  桂樹は、十樹の経歴を話すと、他に話す事がなくなってしまったため、残りの時間を埋めるために自分自身の事を話始めた。

 「私は、人工宇宙を管理すると共に、多くのゴキブリを飼育しております。ゴキブリ化粧品の素晴らしさを、是非皆様に知って頂きたく、本日サンプルを用意しております。女性の皆様にはお楽しみ頂けると思います」

  そう話すと、会場は異様な雰囲気に包まれた。

 「私が学長代理に就任した際には、この幾何学大学に『ゴキブリ王国』を設立し、皆様のご期待に沿えるよう、努力したいと思います」

  そう言い残して壇上を去ると、十樹を指示した神崎は周囲から好奇な眼で見られることになった。

 「ねぇ、今の桂樹、どうだったの? 偉い人になれる?」
 「……残念だけど、ちょっと無理そうだよ」

  スピーチの内容が理解出来なかったリルは、カリムに訊いた。
  カリムは、ため息をつくと「何で? 何で?」と訊いてくるリルに事情を説明していた。

                  ☆

  全てのスピーチが終わり、開票作業を行っていた上層部は、皆、頭を抱えていた。
  学長代理として迎えたかったのは、白石十樹か神崎亨だったからである。
  神崎亨は無難にスピーチを終えたが、神崎が推薦した白石十樹のスピーチに足を引っ張られる形になり、落選してしまったからだ。

 「軍事用クローンは、この二人に一任しようかと思ったが……」
 「どうするかね。結果、軍事用クローンに反対する者が当選している現実を」
 「我々は、公正な立場で学長代理を決めなければならない……しかし」

  その先は、言わずとも皆に伝わっていた。

  今の幾何学大学では、そんな結果は関係なかったのである。

 「我々の研究を遥かに凌駕する、あの男を学長代理に……」
 「いや、彼は、この大学の意思に背き、あんな研究を……」

  議論は終わることなく、深夜になっても続けられた。


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