森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

文字の大きさ
上 下
26 / 94
第三章

8.絆

しおりを挟む
 幾何学大学内では、神崎のクローン製造疑惑により騒然としていた。
 研究員はバタバタと走り回り、教授と呼び名がついた者さえ、一連の騒ぎの首謀者を一目見ようと、講義や授業を放って廊下に出て来ていた。

  十樹は、別に願ったわけでもないのに、ゼンの元へ行く際、大学警察の集団と神崎亨、そしてチームのメンバーが、それぞれの表情を持って拘置所に連れて行かれる様を見た。
  その途中、偶然にも十樹と神崎の目が合ったが、十樹はすぐに目線を外した。

 「白石――っ! あのディスクを送りつけたのはお前だろ! 大学警察、本当はこの男が全ての元凶なんだ!」
 「静かにしろ!」

  大学警察は、レーザー銃を神崎亨に向ける。神崎は、ぐっと唸って口を閉ざした。十樹達は神崎を無視してゼンのいる特別病棟へ向かった。

――神崎は、十樹のしかけたトラップに気付かなかった時点で敗北している。

  桂樹は、そう思いながら十樹の後に続いた。

                  ☆

 生体医学部と共に、神崎チームが捕まった為、その管理下にあった特別病棟への入り口には誰もいなかった。
  神崎がトラップに引っ掛かったお陰で、誰の目にも触れずにゼンに会いに行ける。
  瑞穂の無事を確認していないが、彼女の事だから、多分上手く立ち回っているだろう。
  十樹は医局にある鍵をとり、先へ進んだ。

                  ☆

 特別病棟に入り、ジム・カインの家へ向かった。

 「ゼン」

  十樹が、ジム・カインの家の庭にいる、ゼンの後ろ姿を見かけて声をかけた。

 「遅いよ。迎えにくるのが!」

  ゼンが、桂樹の下っ腹にパンチしながら抱きついたと同時に、ゼンの瞳から涙がこぼれる。

 「おいおい」

  普段、こんな風に泣く事はないのだろう、明るいゼンの変化に桂樹は戸惑った。
ゼンは桂樹の白衣を、ぎゅっと掴んだ。

 「記憶……戻らないんだ。どれだけ頑張っても無駄なんだっ」
 「ゼン……」

  ゼンは、ひとしきり泣くと、桂樹の白衣で鼻をかんだ。
    桂樹の白衣が一部、鼻水で濡れる。

 「ゼン、あーもう、こいつ何するんだよ」

  桂樹が自分の白衣の裾を持って「あーあ」と、がっくりうな垂れた。

 「十樹、白衣を交換しようぜ」
 「絶対に嫌だ」

  十樹がきっぱりそう言うと、桂樹がぶつぶつと独り言を呟いている。

 「ゼン、ジム・カインは今、どこにいる?話がしたいんだが……」
 「あっちの方で、オレの家造ってんだ。一緒に住むのはおかしいって」

  涙を腕で拭いながら話す。
  十樹はゼンの背中を軽く叩いて言った。

 「まだ、泣くのは早いよ、ゼン」

  ゼンは、ジム・カインの元へ行く十樹達の姿を見送って、ぐっと泣くのを堪えた。

 「十樹、ゼンに希望を持たせていいのか?」

  ジム・カインは、もう何年も前に記憶をなくしている。
  神崎の研究室にあるだろうメモリーをもってしても、正常な状態に戻るかどうか分からない。
  十樹は、十分その事を分かっているはずなのに。

  せめて、この手にメイン・コンピューターがあれば、また別の話だが……。

 「やってみないと分からないだろう?」

  十樹は桂樹にそう言って、柔らかに笑った。

                  ☆

 トントンカンカン、森の奥から木槌の音が聞こえる。
  その音を目指して歩いていると、ゼンの言う通り、ジム・カインの姿があった。

 「ジム・カインさん」

  大工仕事に熱中しているジムに声をかけると、「ありゃあ」と驚いた様子で手を止めて、十樹と桂樹に駆け寄った。

 「兄ちゃん達、また来たんか」
 「こんにちは」
 「ん……?兄ちゃん達、見かけんと思っとたんが……よそ者だったんか?」

  ジム・カインは、十樹達が身につけている白衣を見て、そう言った。

 「幾何学大学の者です」
 「はて……?幾何学なんとか……?」
 「そんなことより、ゼンのことですが……」
 「ああ、あの坊主か」
 「あなたの息子さんの」

  十樹が、そう言った途端、ジム・カインは笑った。

 「確かにあの坊主は可愛いよ。オレの息子にしたいぐらいだ……でも、あいつにはきっと別の両親がいるんだろう……勝手にオレの息子にしちゃあいけない」

  十樹の言葉を冗談として受け止めて、ジム・カインはカラカラと笑った。

 「あの坊主は迷子なんだろ?帰るところがないって言うから、こうしてゼンの家を建ててやろうと思ってんだ……けどな」
 「…………?」

 一瞬、口を閉ざして、ジム・カインは続けた。

 「こんな家を造ってやろう、あんな家を造ってやろうと、色々考えているんだが、どういう訳だか、オレの住んでいる家と同じ家になっちまうんだ。……どういう訳だかな」

  ジム・カインは、この特別病棟で築いてきた記憶と、ゼンと一緒に暮らした記憶、そのどちらかを選ぶとしたら、どちらを選ぶだろうか。
  メモリーで甦った記憶は、ここの生活の記憶を自然に消してしまうだろう。
  すり替えられた記憶の中で、彼は幸せなのだ。

 「あなたは、この村で一生暮らしていくんですか?」
 「そうさなぁ」

  ジム・カインは、遠い眼をした。
  この特別病棟には、自ら進んで入って来た者達もいるだろう。
  全てを忘れたい。もう一度、全てをやり直したいと願ったものもいるはずだ。果たしてジム・カインはどう思っているのだろうか。
  この温かくも冷たい空間で、満足しているのなら――。

 「十樹……十樹!」

  ぼんやりと考え事をしていると、桂樹が叱るように名前を呼んだ。

 「何だ?」
 「お前まさか、ジム・カインの記憶を戻さないつもりじゃないだろうな」
 「桂樹は、どう思うんだ?」

  珍しく、十樹が迷った目をして、桂樹を見返した。

 「オレは、本人の望む方で!」
 「それは答えになっていない」

  ジム・カインに記憶を返したところで、幾何学大学のような環境で生きていけるとは言いがたいのだ。
  そして、元々いたカーティス村にも帰る事が出来ない。
  妻のことも息子のことも忘れてしまった方が、幸せだったはずなのだ。

  今の幾何学大学の環境を見ても、この広大な擬似空間とは違い、「四季」との紛争の影響が少しずつ出て来ている。ある意味、ここは守られたシェルターのようなものだ。

 「ゼンのことを、息子として受け入れて貰えませんか?」
 「それは、あの坊主に聞かないとなぁ」
 「ゼンは、あなたの息子になる事を望んでいます」
 「そうさなぁ……それもいいかも知れんなぁ」

  ジム・カインは、再び遠くを見て、懐かしむように言った。

 「十樹!桂樹!」

  その時、ゼンが息を切らして走って来た。
  ジム・カインは、優しい顔をしてゼンを見た。

 「なぁ、坊主。オレの息子になるか?」
 「とーちゃん、記憶が戻ったのかよ」

  突然のジムの言葉に、ゼンは驚く。

 「いいや……ただ、ゼンを見とると、何か懐かしく思えてよ。なあ、返事は?」
 「そんなの……」

  見開いた瞳に、涙が溢れる。

 「決まってんだろ。オレはとーちゃんの息子なんだから」

  ゼンは、ジム・カインの胸に飛び込んだ。
  十樹と桂樹は、その様子を見て安堵の息をついた。

                  ☆

 それから十樹と桂樹は、ゼンがここに残る意思を確認して、今後、ジム・カインとどう生活していくかのレクチャーをし、帰る頃には、もう日も暮れかけた頃だった。

 「それじゃ、ゼン。カリムとリルには伝えておくよ……あと、これを持っていてくれないか?」

  十樹は、白衣から一本の鍵を渡した。
  この特別病棟の擬似空間と、幾何学大学をつなぐ大事な鍵だ。

 「くれぐれも失くさないように」

                  ☆

  宇宙科学部の研究室に帰る途中、大学内で瑞穂に出会った。
  生体医学部のメンバーは、全員大学警察に捕らえられ、調書をとられているはずだ。

 「大丈夫か?」

  桂樹が訊く。

 「もう、神崎のせいで巻き添えくらったわ」

  瑞穂は、大学警察によって身辺調査を受けた後、「クローン製造」に関わっていないか、しつこく尋問を受けたらしい。

  瑞穂が、この件に無関係だと分かると、すぐに解放されたとのことだった。
  全ては十樹のディスクのせいなのだが、瑞穂に話すことはないだろう。

 「私の他、何人かはもう解放されたわ。良かったー、一日中、レーザー銃をつきつけられるなんてご免だから」
 「災難だったな(十樹のせいで)」

  桂樹は瑞穂に、労いの言葉をかけた。

 「本当、最近いい事ないったらないわ。そうだ、白石君達、豪華ディナーのこと忘れないでよね。じゃ」

  瑞穂は片手を挙げて、二人に軽くウインクした。

 「災難だな(オレ達)」
 「瑞穂には、色々借りがあるからな。仕方ない」

  十樹は、ふっと笑った。
  その時、桂樹はある事に気付いた。
  亜樹が目覚めてから、十樹の様子が変わったように思えたのだ。

――――…余裕があるというか。

  亜樹だけじゃなく、カリムやリルやゼンのお陰かも知れない。以前は、十樹と何かと衝突していたのに、ピリピリとした空気が穏やかなものに変化した。
  まあ、いい事なんだろう。

 「♪」
 「何だ? 桂樹」
 「別に」

  桂樹は笑みを浮かべる。
  それを十樹は不気味に思いながら、研究室の視紋チェックを済ませ、中に入った。

 「おかえりー」
 「お帰りなさい」

  皆が研究室の主を迎える。
  そこは暖かい空間だった。


 「ただいま」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

「おまえを愛することはない!」と言ってやったのに、なぜ無視するんだ!

七辻ゆゆ
ファンタジー
俺を見ない、俺の言葉を聞かない、そして触れられない。すり抜ける……なぜだ? 俺はいったい、どうなっているんだ。 真実の愛を取り戻したいだけなのに。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

前世を思い出しました。恥ずかしすぎて、死んでしまいそうです。

棚から現ナマ
恋愛
前世を思い出したフィオナは、今までの自分の所業に、恥ずかしすぎて身もだえてしまう。自分は痛い女だったのだ。いままでの黒歴史から目を背けたい。黒歴史を思い出したくない。黒歴史関係の人々と接触したくない。 これからは、まっとうに地味に生きていきたいの。 それなのに、王子様や公爵令嬢、王子の側近と今まで迷惑をかけてきた人たちが向こうからやって来る。何でぇ?ほっといて下さい。お願いします。恥ずかしすぎて、死んでしまいそうです。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

処理中です...