森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

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第三章

6.今、何時?

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 生体医学部の研究室では、長期のリーダーの不在に、研究員達は慌てていた。

 「神崎先生は、どこへ行った?」
 「知りません……こちらにも何度か電話があったのですが」
 「連絡が取れない? どういう事だ」

  騒ぎの中で、神崎は人知れず十樹の研究室の前にいる。

 「いつまでここにいるつもりなんだろ」

  モニターを見ながら、カリムが言う。

 「おじさん、何かかわいそう」

  神崎の動向はカリムとリルに任せて、十樹と桂樹は自分達の研究に没頭している。
  子供達の事や、妹、亜樹のことに時間をとられ、気がついてみればコンピュータールームはサインの必要な書類だったり、学生達のテストの採点、自ら管理している宇宙で起きたトラブルの後始末をしたりと、やる事が山積みになっていた。

 片付けていく先から、メインコンピューターから出て来る研究結果の提出レポートの作成等、次々仕事が舞い込んでくる。
  こうなると、猫の手も借りたいという心境になり、来たばかりの橘まで、十樹の周囲を走り回っている現状だ。

  話し相手がいなくなった亜樹は、十樹の造った宇宙を見ていた。
   そんな亜樹に「暇そうだね」と十樹は、宇宙科学について書かれている、自分の出版した本を亜樹に渡した。

 「亜樹は、ここで私達の助手として働いてもらうことになる。知識をつけなさい」

    そう言って、渡した本は常人には到底理解できない宇宙の数式や、構成等が書かれているのだが、亜樹はそれが当然かの様にすらすらとそれらを理解していった。

 「亜樹、オレの本を読むか?」
 「桂樹兄さんの本は、私には向かないみたいだわ」

  亜樹は冷や汗をかきながら、表紙にゴキブリの写真が貼ってある本を、そっと本棚に戻した。

 「いいなぁ、十樹だけ助手が増えて」
 「もう少し違う研究なら、亜樹さんも興味を持つかもしれませんね」

  橘が苦笑して言う。

 「よしっ橘、お前が今日からオレの助手になれ!」
 「えええ!?」
 「橘君、桂樹のいう事は本気に取らなくていいから」
 「あっ十樹、営業妨害だぞ!」

  わあわあと三人が騒いでいると、カリムとリルが十樹の名を呼んだ。

 「神崎が動いた」

                 ☆

「神崎先生――っこんな所にいたんですか!」

  生体医学部の研究員数名がばたばたと走って、神崎のほうに向かってきた。

 「何だ、お前達。僕は忙しいんだが」
 「時間に厳しい神崎先生が居なくなったって、皆大騒ぎですよ」
 「僕が研究室を出てから、まだ大して時間は経ってないじゃないか」

  神崎は八時間も寝ていたという自覚もないままで、研究員達は首を傾げた。

 「これ、研究室に置き忘れてあった携帯です」

  研究員から渡された携帯は、着信で一杯になっていた。
  神崎は携帯の時刻を見る。

 「十七時五分!?」

  夕方であるにも関わらず、幾何学大学の天候は、まだ日も高く晴れていて明るかった。
    これも全て衛星「四季」から気象をコントロールされているせいだ。
  近頃の幾何学大学の四季や天候は、まるで当てにならず、皆、何かしら失敗をしている。

  神崎は、そこで初めて、自分が寝ていたと言う事に気付いた。
  慌てて携帯の着信履歴を見ると、約束をすっぽかされた相手からの怒りのメッセージが多数あった。
  その他、神崎が寝ていた八時間の間にするべき研究の全てが、手付かずのまま残っていることを研究員達が告げると、神崎の血の気がさぁーと引いていく。

 「何故、僕を起こさなかった」

  怒りの矛先は、十樹達に向いた。

 「ママ、どうして僕を起こしてくれなかったの?」と子供が言う我侭にも取れる発言に、研究員達は無言になった。
  神崎は、宇宙科学部の扉を、だんっと勢いよく叩く。

 「いいか! お前達の研究は、僕が全て公にしてみせる! それまで首を洗って待ってろ!」

  神崎は、そう捨て台詞を残すと、研究員達に腕を抱えられた状態で立ち去っていった。
  その姿はまるで、脱走した囚人のようで、十樹達は笑いをこらえるのに必死だった。

 「これで、しばらく大丈夫だろう」

  桂樹は、再びインターフォンのスイッチを入れると、子供達に向かって言った。

 「いいか、ここには神崎のような悪い奴等が沢山いる。不用意に研究室を開けちゃいけない」
 「はーい」

リルが、元気良く手を挙げて言った。

 「ただし、インターフォンの画面に映った人物が、女で美人だったら、一言オレに相談しろよ?」
 「桂樹、お前はゴキブリが恋人じゃなかったのか。お前のどこに誠実って言葉があるんだ?」

  十樹が桂樹を不誠実だと言う所以は、この辺にあるのだろう。
  十樹は頭痛を覚えた。

 「しかし桂樹、私は本当にこれでよかったんだよ。このディスクが神崎の手に渡っても」
 「何でだ?」
 「もう、私達には必要のないものだろう?」

  亜樹は、もう誕生してしまっている。二人の目的は達成されたのだ。
  神崎の手にディスクが渡った時点で、上層部の手によって、法案上、何も問題がなかったように変わってしまうに違いない。

 「神崎グループは、私のクローン研究を自分達のものとして発表してしまうだろう……ただ――」
 「ただ……何だよ」
 「ああ、いいんだ。私のディスクにかけられたロックが、神崎に解けるとは思わないだけだ」

  何か含んだ物言いの十樹に、桂樹は首をかしげた。

  十樹はいつも桂樹に思ったことを全て打ち明けない。
  双子の弟すら話せない問題が多々あり、後々それが分かってから言い争いになることが多い。

 「本当にごめんなんだ。神崎と手を組んで、仲良くクローンを造るなんてことはね」
 「じゃあ、本当のディスクはどうする?」
 「この際、神崎にあげてしまおうと思っている」
 「何悠長な事言ってんだよ。そもそもクローン研究を認めてしまったら、オレ達の場合は、倫理委員会に訴えられるんだぞ」
 「その辺は、考えてある……ようは、このディスクの制作者が分からなければいいんだろう?」

                  ☆

  翌日、生体医学部の神崎チームの元に、一通の封書が届いた。
  中を開けてみると、一枚のディスクと「お忘れものです」と書かれた紙が一枚入っていた。
  宛名はない。
  研究員の一人が、謎のディスクをパソコンで確認すると、「制作者・神崎亨」と書かれた画面が映し出される。

 「神崎先生、お忘れ物だそうです」

  軽いノックをして、その研究員は神崎の部屋に入った。

 「何だ?誰からだ」
 「あて先は不明ですが……中から神崎先生のものと思われるディスクが見つかりました」
 「僕の?」

  神崎は、ずり落ちそうになる眼鏡を人差し指で押さえ、ディスクを受け取ると、研究員を下がらせた。
  神崎には見覚えないディスクだ。そのディスクをパソコンに入れてみると、確かに「制作者・神崎亨」と書かれた画面が出てくる。

 「…………こんなディスク、作った覚えないぞ」

  氏名をクリックすると、あるヒントを示したパスワード画面が表示された。

 「――――まさか、これは」

  手に入れたのかも知れない。
  本物のクローン製造技術を。

  ……となると、この封書の送り主は、恐らく白石十樹だ。
  神崎は、急に喉元から笑いがこみ上げてきた。

 「白石の奴、とうとう観念したみたいだな!」

  ふはははっと笑いながら、神崎は研究員の一人に、封書についているはずの指紋鑑定を依頼した。

 「それにしても、制作者を僕にするとは――防衛策を取ってきたか」

  神崎は、パスワード画面に出て来る数列を解析しようと、様々な角度から数列分解を試みる。

――――が、そう簡単にはいかなかった。

  前回の白石桂樹のディスクを、遥かに越えた壁がそこにはあった。
  解析して出てくるのは、天文学的な数例だった。

  神崎は、何枚もの紙を使い、新たな数列を書き込み、あらゆるパターンで読み込んでみたものの解析出来ず、紙をくしゃくしゃに丸めてはゴミ箱に捨てる。
  ゴミ箱は、その紙くずで一杯になっていった。

 「神崎先生」

  研究員の一人がノックをし、部屋に入ってくる。

 「封書の指紋は……?」
 「ありませんでした。二人の郵便局員の指紋のみで、他は――」

  研究員が、全てを言い終えない内に、神崎は机をばんっと叩き、悔しさにに唇を歪めた。

 「白石の研究室に繋げてくれ」

  机を叩いた反動で、数列を書いた紙が、さぁっと広がって落ちた。

 「一体何があったんですか!?」

  神崎が白石とライバル関係にあることを知っている神崎チームの研究員は、驚愕を隠せない。

 「いいから繋げ!」

  通常なら決して繋げることのない白石の研究室に、研究員達は慌てて回線を繋いだ。
   すると、部屋に内蔵されているスピーカーから、白石の声が聞こえた。

 『はい、白石です』
 「その声は、十樹か!桂樹か!いや、どちらでもいい。貴様達は、今日、僕にクローン政策のディスクを送った。そうだろう!」
 『何のことをおっしゃっているのか、私には分かり兼ねますが』
 「しらばっくれるな!」

  神崎は興奮しながら、その声に対して怒鳴りつける。
  そう、十樹はしらばっくれているのである。

 「パスワードは何だ!お前達は、それを知ってるのだろう!」
 『お言葉ですが、心当たりのないことですので……それに、神崎先生の分析出来ないパスワードを私達が解ける訳がありません』

  十樹は「失礼」と一言言って、回線を一方的に切ってしまった。

 「白石の奴め!」

  神崎は爪を噛んで、ぎりっと嫌な音を鳴らした。
  研究員の一人が、ぽかんとその様子を見ていたので、神崎は「出て行け」と声を荒げた。

 「くそっ!」

  大体、白石十樹の作成したパスワードを、自らの力で解けないことが、何より腹立だしいのだ。
  神崎の苛立ちが収まらないその時、携帯が鳴った。神崎の父親からだった。

 「―――」

  神崎は、ゆっくり息を吸って、苛立ちを抑えてから携帯に出た。

 「はい、亨です」
 『私だ。亨、その後はどうだ?クローンの件は』
 「順調に進んでいますよ。もう手に入れたも同然です。ですが――」

  肝心のパスワードが分からないのでは、どうにもならない。
  神崎は、ある一つの選択肢を選んだ。

 「ブレインをお借りしたい。どなたか、こちらの部に配属してもらえますか?」
 『それで、出来るんだな?もうあまり時間がないのだが』

  父親の背景には、確実にそれに関する指示をしている誰かがいる。
   そんな父親の助けにはなりたいと、神崎自身も思っているのだ。

 「ブレインさえ、正常に機能してくれれば、すぐにでも」
 『分かった。お前がそう言うのなら、こちらから優秀な人材を送ろう』
 「ありがとうございます」

  神崎は、特に感情のない礼をした。


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