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第三章
1.幾何学大学の事象
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幾何学大学の天候は季節ごとに変化していくのだが、最近の事象は少し違っていた。
このところ、天候は目まぐるしく変化して、傘がなければおちおち外出することも出来ない。
原因となるその全ては、幾何学大学にある。
この世界の天候を管理している衛生『四季』が幾何学大学の天候を操作し、この地に雨を降らせているのだ。
最近では朝なのに夜空が広がっていたり、夜なのに日が昇っていたりと、その影響力は計り知れない。
上層部は、この衛星を幾何学大学の一部にしたいと考えている。『四季』のコンピューター回路を勝手に操作することで、圧力をかけている。
攻撃さえしなければ、天候は通常のサイクルで流れていくのだが、幾何学大学は『四季』を手に入れることに執着し、今も精神的攻撃を続け、それだけでは飽き足らず、軍の兵を大量に衛星に送り込み、『四季』を制圧しようとしていた。
☆
「亜樹さんは、強いですね」
「何故?」
宇宙科学部の研究室で、橘は同じ実験体であるのにも関わらず、明るく振舞う亜樹を見て言った。
「僕はつい先日まで、実験体であることを知らないままで育ってきました。亜樹さんは、自分のことを全て話したのに、気丈でいられる――強い方です」
「そうなのかしら? 私の場合は、その間の記憶がないからだと思うの」
「いいえ、亜樹さんは強いです」
橘は作り笑いを浮かべた。
「また、少し悲しい顔をしているわ」
「えっ!? ああ、すみません、僕は――」
亜樹に顔を間近で覗き込まれて、橘は顔を赤くした。
「忘れないで――貴方が悲しんでいるのを見て、悲しむ人がいるってことを忘れないで」
橘は泣きそうな顔をしていたのかもしれない自分を叱りつけて、「はい」と小さく返事をした。
その時、ふいに研究室の扉が開いた。
インターフォンも鳴らないということは、この部屋の主が帰ってきたのである。
「あっ! 橘、何してんだよ」
十樹と共に帰って来た桂樹は、橘と亜樹を見て、そう言った。
「いえ、これは……」
至近距離で亜樹と向かい合っていた橘はどぎまぎしながら、十樹と桂樹に弁解した。
「何でもないんです。亜樹さんは、僕を慰めようと……」
「亜樹」
「兄さん達、橘さんは何もしてないわよ」
「無事でよかった……」
十樹は、ほっと息をついた。
「十樹先生、亜樹さんの言うとおり、僕は何も――」
「そうじゃない。ここに亜樹がいる。亜樹が生きてる。それだけで十分だ」
☆
暗い大学の一室で一人、学内のメインコンピューターへの接続を試みている男がいた。
――白石亜樹が生きている? どういうことだ
理事会のメンバーである男は、宇宙科学部で自らその姿を見てしまったのである。
「そんな馬鹿なことはない」
コンピューターに映し出された記録には、先程の結果と同じように、白石亜樹の在籍が示されている。
――私が殺したはずの女の子が
「何故だ!?」
バン、と机を叩いて、男はぶつぶつと呟き始めた。
幼かった白石亜樹は、奇跡的に命が助かったという過去がプロフィールに記録されている。
「私は、悪くない……私は悪くないぞ」
しかし、もしも彼女が私の顔を見て思い出してしまったら、自分はひき逃げ犯として捕まってしまう。
今まで築き上げてきた実績も全て崩れてしまうだろう。
そんなことになったら、家族は、友人は。
――彼女の存在を許すわけにはいかないのだ
男はキーボードを叩き、あるサイトへと通じるページを開いた。
そしてそれは、学内で極秘とされている「暗殺屋」へと繋がるサイトだった。
☆
「リル、恥ずかしがって隠れてないで、出ておいで」
桂樹の後ろで隠れていたリルに十樹が話しかけると、背後からリルがぴょこんと顔を出した。
「リル!」
すると、カリムが慌ててリルの前に飛び出した。
「どこに行ってたんだよ! 心配したよ」
「……誰?」
「え……?」
リルに不思議そうにそう問われて、カリムは首を傾げた。
リルは桂樹に「この男の子誰?」と尋ねている。
何も言えずにいるカリムに、桂樹は言った。
「リルは記憶を消されちまったんだ」
「な……なんで?」
「それは、オレ達にも分からない……だが、リルは実験体の服を着ていたからなぁ」
頭をぽりぽりかいて、桂樹が言う。
幾何学大学では、日常茶飯事とでも言う様に、桂樹の言葉は軽かった。
「そんなこと……出来るわけが……。ねぇ、リル、オレのことは覚えているよね」
「分からない……分からないよ……。でも、何で涙が出るんだろ?分からないのに」
ぽろぽろと泣いて、リルは涙に溢れた目でカリムを見る。
「帰りたい……帰りたいよぉ」
「そうだね。リル……そうだね」
カリムはリルの頭をくしゃりと撫でて、リルを慰めた。
そして――
「桂樹」
「何だ?」
「そんな簡単に、この状況を見てられるってことは、知ってるんでしょ?リルの記憶を戻す方法」
「まぁね」
その言葉に二人は桂樹の方に目を向け、リルはぴたりと泣き止んだ。
「橘君……少し亜樹を見ていてくれないか?」
十樹はそう言うと、桂樹は何か分かったかのように、げっと呟いた。
「リルを連れて、神崎の所へ行こう」
「……やっぱり」
桂樹としては、なるべく神崎の所へは行きたくはない。
神崎の所へ行くと、話術で懐柔されそうで嫌なのだ。
「十樹、オレが留守番するから、皆で行って来てくれ」
「盗聴器が外れたばかりの橘君に、神崎の所へ行け、と言うのか」
「お前はなぁ……そんな風に、正義感で身を滅ぼすなよ」
心底、神崎の所へ行きたくないと言う桂樹に十樹は呆れた。
「お前は、もう少し情に厚くなろうか」
と、十樹は桂樹の服の襟を掴んで、ずるずると引きずり、研究室から出て行った。
「兄さん達、どこへ行くのかしら?」
何も知らない亜樹が、橘に問う。
「僕の、憎むべき相手の所へ、ですかね」
「あら、憎んでる時間が勿体ないわ」
「それだけ、ポジティブになれたらいいですね……まぁ、僕もなるべく考えないようにします。お茶にしましょうか? 亜樹さん、何がいいですか?」
「ロイヤルミルクティ」
このところ、天候は目まぐるしく変化して、傘がなければおちおち外出することも出来ない。
原因となるその全ては、幾何学大学にある。
この世界の天候を管理している衛生『四季』が幾何学大学の天候を操作し、この地に雨を降らせているのだ。
最近では朝なのに夜空が広がっていたり、夜なのに日が昇っていたりと、その影響力は計り知れない。
上層部は、この衛星を幾何学大学の一部にしたいと考えている。『四季』のコンピューター回路を勝手に操作することで、圧力をかけている。
攻撃さえしなければ、天候は通常のサイクルで流れていくのだが、幾何学大学は『四季』を手に入れることに執着し、今も精神的攻撃を続け、それだけでは飽き足らず、軍の兵を大量に衛星に送り込み、『四季』を制圧しようとしていた。
☆
「亜樹さんは、強いですね」
「何故?」
宇宙科学部の研究室で、橘は同じ実験体であるのにも関わらず、明るく振舞う亜樹を見て言った。
「僕はつい先日まで、実験体であることを知らないままで育ってきました。亜樹さんは、自分のことを全て話したのに、気丈でいられる――強い方です」
「そうなのかしら? 私の場合は、その間の記憶がないからだと思うの」
「いいえ、亜樹さんは強いです」
橘は作り笑いを浮かべた。
「また、少し悲しい顔をしているわ」
「えっ!? ああ、すみません、僕は――」
亜樹に顔を間近で覗き込まれて、橘は顔を赤くした。
「忘れないで――貴方が悲しんでいるのを見て、悲しむ人がいるってことを忘れないで」
橘は泣きそうな顔をしていたのかもしれない自分を叱りつけて、「はい」と小さく返事をした。
その時、ふいに研究室の扉が開いた。
インターフォンも鳴らないということは、この部屋の主が帰ってきたのである。
「あっ! 橘、何してんだよ」
十樹と共に帰って来た桂樹は、橘と亜樹を見て、そう言った。
「いえ、これは……」
至近距離で亜樹と向かい合っていた橘はどぎまぎしながら、十樹と桂樹に弁解した。
「何でもないんです。亜樹さんは、僕を慰めようと……」
「亜樹」
「兄さん達、橘さんは何もしてないわよ」
「無事でよかった……」
十樹は、ほっと息をついた。
「十樹先生、亜樹さんの言うとおり、僕は何も――」
「そうじゃない。ここに亜樹がいる。亜樹が生きてる。それだけで十分だ」
☆
暗い大学の一室で一人、学内のメインコンピューターへの接続を試みている男がいた。
――白石亜樹が生きている? どういうことだ
理事会のメンバーである男は、宇宙科学部で自らその姿を見てしまったのである。
「そんな馬鹿なことはない」
コンピューターに映し出された記録には、先程の結果と同じように、白石亜樹の在籍が示されている。
――私が殺したはずの女の子が
「何故だ!?」
バン、と机を叩いて、男はぶつぶつと呟き始めた。
幼かった白石亜樹は、奇跡的に命が助かったという過去がプロフィールに記録されている。
「私は、悪くない……私は悪くないぞ」
しかし、もしも彼女が私の顔を見て思い出してしまったら、自分はひき逃げ犯として捕まってしまう。
今まで築き上げてきた実績も全て崩れてしまうだろう。
そんなことになったら、家族は、友人は。
――彼女の存在を許すわけにはいかないのだ
男はキーボードを叩き、あるサイトへと通じるページを開いた。
そしてそれは、学内で極秘とされている「暗殺屋」へと繋がるサイトだった。
☆
「リル、恥ずかしがって隠れてないで、出ておいで」
桂樹の後ろで隠れていたリルに十樹が話しかけると、背後からリルがぴょこんと顔を出した。
「リル!」
すると、カリムが慌ててリルの前に飛び出した。
「どこに行ってたんだよ! 心配したよ」
「……誰?」
「え……?」
リルに不思議そうにそう問われて、カリムは首を傾げた。
リルは桂樹に「この男の子誰?」と尋ねている。
何も言えずにいるカリムに、桂樹は言った。
「リルは記憶を消されちまったんだ」
「な……なんで?」
「それは、オレ達にも分からない……だが、リルは実験体の服を着ていたからなぁ」
頭をぽりぽりかいて、桂樹が言う。
幾何学大学では、日常茶飯事とでも言う様に、桂樹の言葉は軽かった。
「そんなこと……出来るわけが……。ねぇ、リル、オレのことは覚えているよね」
「分からない……分からないよ……。でも、何で涙が出るんだろ?分からないのに」
ぽろぽろと泣いて、リルは涙に溢れた目でカリムを見る。
「帰りたい……帰りたいよぉ」
「そうだね。リル……そうだね」
カリムはリルの頭をくしゃりと撫でて、リルを慰めた。
そして――
「桂樹」
「何だ?」
「そんな簡単に、この状況を見てられるってことは、知ってるんでしょ?リルの記憶を戻す方法」
「まぁね」
その言葉に二人は桂樹の方に目を向け、リルはぴたりと泣き止んだ。
「橘君……少し亜樹を見ていてくれないか?」
十樹はそう言うと、桂樹は何か分かったかのように、げっと呟いた。
「リルを連れて、神崎の所へ行こう」
「……やっぱり」
桂樹としては、なるべく神崎の所へは行きたくはない。
神崎の所へ行くと、話術で懐柔されそうで嫌なのだ。
「十樹、オレが留守番するから、皆で行って来てくれ」
「盗聴器が外れたばかりの橘君に、神崎の所へ行け、と言うのか」
「お前はなぁ……そんな風に、正義感で身を滅ぼすなよ」
心底、神崎の所へ行きたくないと言う桂樹に十樹は呆れた。
「お前は、もう少し情に厚くなろうか」
と、十樹は桂樹の服の襟を掴んで、ずるずると引きずり、研究室から出て行った。
「兄さん達、どこへ行くのかしら?」
何も知らない亜樹が、橘に問う。
「僕の、憎むべき相手の所へ、ですかね」
「あら、憎んでる時間が勿体ないわ」
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