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第二章
12.交錯
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「はぁ、はぁ」
カリムは神崎亨のいる研究室に向かい走っていた。食堂の調理員に地図を書いてもらったものの、神崎のいる研究室はかなり入り組んだ場所にあり、枝分かれした道に迷いながらも、ようやく目前まで来た。
カリムが通路の角を曲がろうとした、その時――
「おっと」
一人の男をぶつかりそうになり、「すみません」とカリムが頭を下げた。
しかし、ぶつかったその男の顔を見て絶句した。神崎だったのだ。
「君は……カリム君、こんな所で何をしてるんだい」
名前を呼ばれた。
本来なら、知ることのない名前を――
けれど、今はそんな事より……
「小さい女の子を知りませんか?」
まだ落ち着かない息を切らせながら、神崎に訊く。
「何故、僕に訊くんだい?」
「あなたが……あなたが食堂で一緒にいるのを見かけた目撃者が、何人かいます」
「ああ、リルちゃんの事か。彼女とは、もう別れたよ」
神崎は、どうやらカリム達の名前を把握しているらしい。
カリムは神崎への警戒心を強めた。
「そう睨めつけないでくれないか。君は彼女を捜しているらしいが、彼女はもう君のことを必要としていないかも知れないよ」
「――どういう意味ですか」
「君は頭のいい子だ。一つ選択肢をあげよう。君達が元いた村に帰ろうとするなら、村そのものを消してしまうことも不可能ではない。君の記憶と村の人々、選ぶとしたらどちらを取る?」
――記憶? 村を消す?
「記憶とは、過去の経験を保ち続ける心の作用だ。どうだい? それに逆らって、新しい自分に生まれ変わってみたいと思わないか」
「生憎、僕は今の自分に十分満足しているんです。生まれ変わりだとか、新しい自分になりたいとか、思った事はありません」
カリムは、神崎をぎっと睨みつけて言った。
この神崎という男に、どれほどのことが出来るのなんか知った事じゃない。
今はただ――
「リルはどこにいるんですか」
「今の君には教えられないな……でも、僕の研究室に来たら、君の知りたいこの世界の全てを教えてあげよう。箱庭のような君の村のこともね」
神崎は、カリムに顔を近づけて言う。
「カリム!」
「おやおや、迎えが来たみたいだよ」
「十樹、桂樹……」
カリムは振り返り、二人の顔を見て安堵の息をついた。
十樹と桂樹はカリムを庇うかのように、神崎の前に立った。
「十樹、桂樹、リルが――」
「カリム、君は心配しなくていい。私達が、きっとリルを見つけるからね」
十樹がカリムを宥めると、神崎は、はっと笑った。
「どんだ茶番だな。まぁいい、今度の理事会で君達の研究が日の目を見るだろう。その日を楽しみにしているよ」
「何のことだ」
「しらばっくれているのも今の内だ。君達の声は筒抜けだと言う事を知るべきだ」
神崎はそう言い残すと、自分の研究室の中に入って行ってしまった。
「研究が日の目に……?」
「上層部のことだ。きっとまたロクでもないことをしているんだろう」
十樹と桂樹の研究で、人工宇宙の開発は大学公認でしていることだ。
すでに許可されている研究のことではないだろう。
暴こうとしているのは、恐らく、クローンだ。
それが日の目を見るってことは。
「カリム……一度研究室に戻ろう」
「はい」
カリムは素直に答えて、二人に従った。
☆
睡眠導入剤を打たれたものの、なかなか寝付けなかった橘は、第四研究室の亜樹の部屋にいた。
亜樹をぼんやりとガラス越しに見ていた。青い光に包まれて眠っている亜樹は、まるで人魚のように綺麗だった。
今にも目覚めそうな姿に、橘は自分の境遇と重ねていた。
「――僕も、貴方と同じ実験体なのかもしれませんね」
橘は水槽に手をついて、そう呟いた。
まだ、橘は亜樹が十樹と桂樹の妹だと言う事を知らない。
十樹は橘に必要最低限のことしか伝えてないからだ。
――来るべき時が来たら、亜樹は目覚める
そう十樹は言っていた。それが人工的に目覚めるのか、それとも自然に目覚めるのかを知っているのは、亜樹のクローンを造った十樹しか知り得ないことだ。
「僕はこれからどんな顔で、両親や神崎教授に会えばいいんでしょうか?」
橘は返答等返ってこないことを承知の上で、亜樹に問う。
水槽の中は、こぽこぽと亜樹の呼吸音が響いては消えて行った。そして、ガラスに額をこつん、とついた橘はその時、亜樹の瞳がうっすらと開いていたことを知る由もなかった。
カリムは神崎亨のいる研究室に向かい走っていた。食堂の調理員に地図を書いてもらったものの、神崎のいる研究室はかなり入り組んだ場所にあり、枝分かれした道に迷いながらも、ようやく目前まで来た。
カリムが通路の角を曲がろうとした、その時――
「おっと」
一人の男をぶつかりそうになり、「すみません」とカリムが頭を下げた。
しかし、ぶつかったその男の顔を見て絶句した。神崎だったのだ。
「君は……カリム君、こんな所で何をしてるんだい」
名前を呼ばれた。
本来なら、知ることのない名前を――
けれど、今はそんな事より……
「小さい女の子を知りませんか?」
まだ落ち着かない息を切らせながら、神崎に訊く。
「何故、僕に訊くんだい?」
「あなたが……あなたが食堂で一緒にいるのを見かけた目撃者が、何人かいます」
「ああ、リルちゃんの事か。彼女とは、もう別れたよ」
神崎は、どうやらカリム達の名前を把握しているらしい。
カリムは神崎への警戒心を強めた。
「そう睨めつけないでくれないか。君は彼女を捜しているらしいが、彼女はもう君のことを必要としていないかも知れないよ」
「――どういう意味ですか」
「君は頭のいい子だ。一つ選択肢をあげよう。君達が元いた村に帰ろうとするなら、村そのものを消してしまうことも不可能ではない。君の記憶と村の人々、選ぶとしたらどちらを取る?」
――記憶? 村を消す?
「記憶とは、過去の経験を保ち続ける心の作用だ。どうだい? それに逆らって、新しい自分に生まれ変わってみたいと思わないか」
「生憎、僕は今の自分に十分満足しているんです。生まれ変わりだとか、新しい自分になりたいとか、思った事はありません」
カリムは、神崎をぎっと睨みつけて言った。
この神崎という男に、どれほどのことが出来るのなんか知った事じゃない。
今はただ――
「リルはどこにいるんですか」
「今の君には教えられないな……でも、僕の研究室に来たら、君の知りたいこの世界の全てを教えてあげよう。箱庭のような君の村のこともね」
神崎は、カリムに顔を近づけて言う。
「カリム!」
「おやおや、迎えが来たみたいだよ」
「十樹、桂樹……」
カリムは振り返り、二人の顔を見て安堵の息をついた。
十樹と桂樹はカリムを庇うかのように、神崎の前に立った。
「十樹、桂樹、リルが――」
「カリム、君は心配しなくていい。私達が、きっとリルを見つけるからね」
十樹がカリムを宥めると、神崎は、はっと笑った。
「どんだ茶番だな。まぁいい、今度の理事会で君達の研究が日の目を見るだろう。その日を楽しみにしているよ」
「何のことだ」
「しらばっくれているのも今の内だ。君達の声は筒抜けだと言う事を知るべきだ」
神崎はそう言い残すと、自分の研究室の中に入って行ってしまった。
「研究が日の目に……?」
「上層部のことだ。きっとまたロクでもないことをしているんだろう」
十樹と桂樹の研究で、人工宇宙の開発は大学公認でしていることだ。
すでに許可されている研究のことではないだろう。
暴こうとしているのは、恐らく、クローンだ。
それが日の目を見るってことは。
「カリム……一度研究室に戻ろう」
「はい」
カリムは素直に答えて、二人に従った。
☆
睡眠導入剤を打たれたものの、なかなか寝付けなかった橘は、第四研究室の亜樹の部屋にいた。
亜樹をぼんやりとガラス越しに見ていた。青い光に包まれて眠っている亜樹は、まるで人魚のように綺麗だった。
今にも目覚めそうな姿に、橘は自分の境遇と重ねていた。
「――僕も、貴方と同じ実験体なのかもしれませんね」
橘は水槽に手をついて、そう呟いた。
まだ、橘は亜樹が十樹と桂樹の妹だと言う事を知らない。
十樹は橘に必要最低限のことしか伝えてないからだ。
――来るべき時が来たら、亜樹は目覚める
そう十樹は言っていた。それが人工的に目覚めるのか、それとも自然に目覚めるのかを知っているのは、亜樹のクローンを造った十樹しか知り得ないことだ。
「僕はこれからどんな顔で、両親や神崎教授に会えばいいんでしょうか?」
橘は返答等返ってこないことを承知の上で、亜樹に問う。
水槽の中は、こぽこぽと亜樹の呼吸音が響いては消えて行った。そして、ガラスに額をこつん、とついた橘はその時、亜樹の瞳がうっすらと開いていたことを知る由もなかった。
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