森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

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第二章

5.疑惑の助手

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 「桂樹、遅いねぇ」
 「どこに行ったんだよ、あいつ」

  リルとゼンは、退屈そうにソファに転がって、ごろごろしている。
  その時、研究室のインターフォンが鳴った。

 「きっと桂樹だぁ」

  子供達が待っていたかのように、扉の前に集まった。
  奥の部屋から、十樹が第四研究室のドアをバタンと閉めて出て来た。

 十樹がコントロールパネルのボタンを押して、研究室のドアを開けようとした。
   が、寸でのところで押すのをやめた。
   訪問者は桂樹ではなかったのだ。

 「はい、白石です」

  インターフォン越しに十樹は無難にそう言うと、扉の前にいる人物を確かめる為に、カメラのアングルを変えた。
    知らない人物だ。
  立っていたのは一見穏やかそうな、気の優しそうな青年である。

 「あ、僕は橘サトルと申します。今日から、こちらの助手を勤めさせていただきます」
 「助手?」

  十樹は先月行われた理事会を思い出した。
  本当であるなら、助手は十樹達にとって不要なものだったが、閉鎖的な研究室はどこからか流れ出す噂によって秘密が暴かれる可能性があった。

  監査の目を誤魔化す為、一名だけ助手を研究室に着任させるよう、お願いしていたのだ。
    子供達やその他の騒動で、すっかり忘却の彼方に置き去りにしてしまっていた己を叱咤して、十樹は研究室の扉を開けた。

 「すまない。入ってくれ」

  シュンと扉の開く音と同時に、『盗聴電波確認』と、いつもの警報音が鳴った。

 「あ、あの」

  橘は予想外の出来事に慌てる。

 「ちょっと、白衣を脱いでくれないか?」
 「……はい」

  その時、きゅうん、と橘の持っていた紙袋から犬の鳴き声が聞こえた。
    それを不思議に思いながら、十樹は橘の白衣を逆さまにして、バサバサと振る。
    すると、複数の盗聴器が床に落ちた。

 「え……? これ、僕は……」

  オロオロする橘に、十樹は一つ一つ盗聴チップを潰しながら言った。

 「別に君を疑っているわけじゃない。この研究室は各所から狙われている。今後、こうして入室してくれないか?……ところで、その紙袋の中身は?」
 「あ、すみません。畜産科で、犬が沢山生まれたそうで」

  貰って来ちゃったんです。と橘は笑顔で十樹に子犬を差し出した。

 「わぁ、犬だ。可愛い! リルが名前つけるー」
 「ちっちぇえな」

  子供達が、素直な感想を口にする。
  しかし、十樹の気持ちは複雑だった。

  つまり、この研究室には桂樹、子供達三人、亜樹、橘、犬がこれから一緒に住んでいくわけだ。
  随分と大所帯になったものだな、と十樹は嘆息した。

 「白石先生、この子供達は一体……?」
 「橘君、この研究室のメンバーに加わった以上、秘密にして欲しいことがあるんだ。それが出来なければ、助手を辞めて貰うことになる」
 「僕は口が堅い方だと自負しています。決して外部に秘密を洩らさないように気をつけます」

  橘はこの研究室に来る前に、様々な科に立ち寄り、挨拶をして来たと言った。
    盗聴器はその際に入れられたものだろう。
  各学科から、という橘の言葉に、十樹は嫌な予感に襲われた。
    先日、食堂で嫌な噂を聞いたからだ。
    それは、この研究室の情報を得た者に、懸賞金が出るという噂だ。

   その時は、ただの噂だと聞き流した十樹だったが、橘のおまけでついてきた盗聴器の数を思うと、その噂が本当のことであると物語っている。

――これは、もう、時間の問題だと思わざるを得ない。

  一刻も早く、亜樹を目覚めさせなければならない。
   そして、メインコンピューターにハッキングをして、亜樹の大学での住民登録をしなければ、違法クローン体として処分されてしまう恐れがあるのだ。

 「橘君、研究室の内部を案内するが、そこで君は見てはいけないものを見てしまうだろう。けれど、決して、その事を口外しないで欲しい」

  十樹は受け取った犬を抱き、研究室の内部を案内していった。

                ☆

 その頃、桂樹はジム・カインの家を出て、帰路についていた。
   桂樹は迷っていた。
   記憶操作され、幸せそうに生活しているこの現状をどうしてゼンに話せるというのだ。
   早く研究室に帰って、十樹と話し合いをしなければならない。
  特別病棟から出て、鉄格子の扉に鍵をかけると、通路途中にあるトイレで患者の服を脱ぎ、白衣に着替えなおした。

  その時、一番会いたくない人物が、偶然トイレに入って来た。
    神崎亨だ。
    桂樹はトイレの個室に篭ったまま、神崎が出て行くのを待った。
   すると、神崎の携帯が鳴り、誰とも知れない相手と話をしている。

 「貴方が、我々に協力してくれたおかげで、上手くいきそうです」

  神崎は、携帯の向こうの相手にそう言って笑った。

 「――まさか、あれは気付かれないでしょう。彼らを、倫理委員会に突き出すのは、僕と貴方です」

――彼ら?

  桂樹は扉越しに聞き耳を立てながら、その会話を聞いた。

 「ええ、勿論、懸賞金は出しますよ。それでは」

――懸賞金?

  桂樹は嫌な予感がした。
  神崎が彼らとする人物は、もしかして自分達のことではないだろうか。

  日頃の神崎の様子を見ていれば当然のことのように思えるが、私と貴方という事は、少なくとも敵は二人いるってことだ。
  神崎は携帯を切った後、手だけ洗ってトイレから出て行った。

――そういえば、今日から新しく助手が宇宙科学部の研究室に配属されている筈だ。

  もしかしたら、その助手は神崎に精通する人物なのだろうか。
  研究室に戻ったら、色々探りをいれなければならない。
  そして、特別病棟で行われている「神崎チーム」による記憶操作について、十樹と話し合わなければならない。
  桂樹はそんな事を悶々と考えている内に、宇宙科学部の研究室に着いてしまった。

                  ☆

 宇宙科学部のインターフォンが鳴る。

 「あ、桂樹だ。帰って来たー」

  真っ先にリルが桂樹を出迎えた。見知らぬ助手らしい新人もいる。
    皆、新人をそっちのけにして、何故かいる犬を可愛がっていた。

 「桂樹! 今、この子に名前をつけようって話してたの。桂樹は何て名前がいいと思う?」

  まだ生後間もない犬は、桂樹に向かってプンプンと尻尾を振っていた。
    小さなピンクのリボンがついた首輪をして、ビー玉のような瞳を桂樹に向けた。

 「犬」
 「それ名前じゃないよ――真剣に考えて」
 「どうしたんだ。この犬は」
 「橘が貰って来たの! キクサンカって所から」
 「リル……畜産科だよ」

  カリムが、リルをフォローして言った。

 「畜産科?」

  桂樹は訝しげに橘を見た。
   先程の神崎の言葉を真に受けるなら、この一見平穏そうな新人は実はスパイなのかもしれない。

 「おい、犬をこっちによこせ」

  橘が桂樹に挨拶しようと、「あの……」と言い掛けた時、それを無視してカリムから犬を取り上げた。
   もしかしたら、首輪に盗聴器がついているのではないのかと、危惧しての行動である。

  犬の首輪を取り、散々チェックをして、更に犬をくるくると回して盗聴器がないことを調べた。すると、怒った犬が桂樹の指を噛んだため、犬は床に放り出された。

 「もー、何やってんの桂樹」
 「あの……」

  ようやく橘が隙を見て、桂樹に自己紹介した。

 「橘サトルです。まだまだ分からない事ばかりですが、色々覚えたいと思います。よろしくお願いします」

  そんな挨拶を聞き流して、桂樹は別のことを考えていた。
  盗聴センサーが反応していないという事は、さっきの会話は他の研究室のことなのか。
    この温厚そうな橘とやらは、スパイではないのか。

――いずれにしても、要注意人物とみるべきだろうが、この男は隙だらけで、警戒心のかけらもない。

 「犬の名前は花子だ。花子」
 「ええ――! 桂樹センスなーい」
 「もうちょっと、いい名前ないのかよ」

  子供達は桂樹がつけた名前にクレームをつけながら、ああでもないこうでもないと話し合っている。

 「僕は、いいと思いますよ。花子」

  橘は朗らかに笑いながら、犬、花子を抱き上げた。

 「ええ――、橘はそれでいいの?」
 「いいんじゃないでしょうか」

  まだここに橘が来て間もないというのに、子供達はすっかり馴染んでいる。
    順応力があるというか。
   しかし、この青年には、きっと裏があるに違いない。

 「十樹、話がある」
 「ああ、私も相談したいことがあるよ」
 「橘とやら、少し子供達の面倒を見ていてくれるか?」
 「あ、はい、分かりました」

  そうして、十樹と桂樹の二人はある部屋へと入って行った。
    その様子を見て、ゼンは「うげっ」と声を上げた。

 「今の部屋って……」
 「どうしたの? ゼン」

  顔を青くしたゼンは、気遣うリルに何でもない、と答えた。

 「橘はよく平気だったなぁ」
 「そうでもありませんよ。僕もあの部屋は少し……まぁ、一風変わった趣味をお持ちだなと思いますが」


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