森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

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第二章

3.亜樹

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「カリム……な、なんだよこれ」
「オレに訊くな」
「早く出してあげないと、お姉ちゃん死んじゃうよ……っ」

 三人は、ようやく自分達が来た場所が「ヤバイ場所」であることに気付いた。

「これって、もう死んでるんじゃ……」

 カリムが水槽のガラスに手をついて言う。

「じゃ、もしかして、水死体!?」
「生きてるよ」

 その声と共に、桂樹が部屋に入って来た。

「このお姉ちゃん、大丈夫なの?」
「大丈夫だ。良く見ろ、口から呼吸しているだろう?」

 子供達に説明しながら、桂樹はこの部屋を見せてしまったことを、十樹にどう言い訳しようかと頭を悩ませた。

                 ☆

 その頃、十樹は大学警察の本部を訪れていた。
   十樹は自分のパスポートを手にして、本部前にあるカードチェックを受けていた。

 十樹の持っているパスポートは、大学の九十パーセントのエリアが通行可能になり、自由に学内を見て回ることが出来るものだ。

 幾何学大学は、大学と同時に病院の運営をしており、幾何学大学の構内は病院の患者と大学関係者が行き来している。
   また、中央棟には犯罪者を収監するための刑務所があり、常に大学警察の監視下にあった。

 宇宙科学部の研究室にあった記録によれば、ゼンの父親かもしれない男は、大学で問題を起こし、ここに送られたようなのである。
 刑務所に入ると、一人の大学警察が十樹に話しかけて来た。

「白石先生が、こんな所に何の御用ですか? 必要なら私が案内致しますが……」
「いえ、結構です。私事で来ただけですから」

 真実をそのまま話す訳にはいかないと、十樹は大学警察をかわして、罪人の資料を管理する
コンピューター室に入った。
   十樹は、コンピューターパネルをパチパチと弾いて、例の記録を調べ始めた。

「NO.DE073……氏名、ジム・カイン」

 十樹は白衣から携帯を取り出して、その記録を控えた。記録によると、ジムは大学のメインコンピューターに不正侵入を試み、大学警察に捕らえられた。
 そして、理解不明な言動により、併設する病院の第253区にある、特別病棟に収容されたということである。

「その後の記録がないな……」

 十樹は口元に手を当てて考えた。
 記録がないのなら、直接行ってみるだけだが、十樹の今身につけている白衣は目立ちすぎる。
   収容された人間でないと知れたら、他の患者や大学警察が騒ぎかねない。

 ゼンには残念な報告をするしかないのだろうか――と、十樹が諦めかけていた時、遠野瑞穂が現れた。

「あら? 白石君じゃない? 十樹君の方かしら」

 瑞穂は、茶色の髪に緑の瞳、長い髪をポニーテールでまとめた快活な女性だ。
   十樹や桂樹とは同期で、生体医学部で看護師をしている。

「遠野君、いいタイミングで来てくれた」
「そうなの? ここには月一回は来てるわよ?」
「少し頼まれてくれないか」
「珍しいわね。十樹君が私を頼るなんて。何だか断れないじゃない」

 普段、弱みや隙を他人に見せることのない十樹の言葉に、彼女は肩をすくめた。
  
                ☆

 カツン、カツン。

 長い廊下を、十樹は歩いていた。
   天井には、青い光を放った照明があり、研究室を思い出させた。

――そう、神崎も勘付いている。あの第四研究室の件を。

 宇宙科学部の第四研究室には、幼い頃に交通事故で亡くなった、十樹と桂樹の妹、亜樹のクローンが未だ覚醒することなく眠っている。
 外部に発覚することがないよう、クローン計画は研究室に十樹や桂樹以外、誰も入れない状態にすることで何とか今日まで成立していたのであった。

 倫理委員会にこのことが知れたら、二人共、ただでは済まないだろう。

――いつまで神崎を誤魔化せるだろうか

 十樹はそんなことを考えながら、通路途中にあるトイレで、先程瑞穂に頼んで借りた患者の服に着替えた。
 これで、収容されている患者達の注目を浴びることはない。

 歩いて行くと通路奥には鉄格子があり、患者達が逃げ出さないようにする為の鍵がついていた。十樹は用意周到な瑞穂に感謝しながら、ポケットに入っていた鍵を使って病棟へ入った。


 特別病棟内は、通常の病院と違い、広く緑の溢れた草原だった。
 狭い通路から急に視界が開けた十樹は、どこまでも続く草原に立ち、森や小川を眺め見た。
   無機質な研究所より余程いい環境だ。

   収容されている患者達は、各々好きな事に時間を費やしている。
   ある者は木にもたれながら読書をしていたり、自然の中ジョギングや散歩を楽しんでいたり、
携帯ゲームに熱中していたりと、自由な光景がそこにはあった。

 先程、考えていたことは杞憂に過ぎなかったか。
 十樹は事務所を探すため、手元の地図を頼りに中へ進んでいった。

               ☆

 行き着いた事務所は無人だった。
   いや、正確には人はいるのだが、事務所番をしているのは患者達だった。
   何をしているかと思えば、中央のデスクでカードゲームをして、五人もの患者が皆楽しそうに遊んでいたのである。

「見かけない顔だな。新入りさんかい?」

 患者の一人が、十樹に話かけてきた。

「まぁ、そんなものです。ここの責任者を捜しているのですが、何かご存知ありませんか?」
「ここに責任者なんていねぇよ。ここは自由な楽園だ」
「そうだ、そうに違いない……ここで一生遊んで過ごすのも悪かねぇよ」
「食事は美味しいし、金はいらねぇし、遊んで暮らすのさ」

 この特別病棟は、仕事はしなくてもいい。
   金銭的価値等ない、と患者達は幸せそうな顔で言った。

「人を捜しているのですが……」
「人ぉ?」
「ジム・カインという名の男が、ここに来ていないでしょうか?」

 問うと、患者の一人が「ぽん」と手を叩いた。

「あぁ、あいつなら、西の森のベンチにいるよ」
「ありがとう」

 十樹は礼を言うと、早速、西の森へ向かった。

               ☆

 西の森は、人工太陽が木漏れ日をつくり、所々光の柱が森の中を照らしている。
   まるで野外ステージを思わせる程、穏やかで綺麗な場所だった。

   そんな中、ベンチに横になり、昼寝をしているジム・カインがいた。
 眠っている姿からは、とても大学で問題を起こすような人物には見えない。
 恐らく、大学側からの圧力によって、ここに収容する口実を勝手につくられたのだろう。

「ジム・カインさん、ジム・カインさん。起きて下さい」

 眠りの妨げになる事は分かっていたが、十樹も多忙な立場であるため、仕方なくジムの身体を
ゆすり起こすことにした。

「なんらぁ?」

 寝ぼけ眼で目を擦りながら、ジム・カインは十樹を見た。

「ジム・カインさんですね?」

 十樹は、ジム・カインの顔を見て思った。

――ゼンに似ている。

 まず、間違いなくゼンの父親に違いない、と。

「貴方の息子が、貴方を捜しにこの大学へ来ています」
「息子ぉ?」
「はい、ゼンという名の……」
「知らねぇな」

 ジムは頭をポリポリ掻きながら言った。

「大体、オレを捜しに来る奴なんていねぇんだ。オレを独り身だし、結婚にも無縁の男だ。ましてガキなんて――」

 ジムはゼンの存在を否定したが、十樹は確信していた。ジムはこの幾何学大学の規則により記憶を変えられている。
 「ここは楽園だ」と幸せそうに話す患者達も同様に。
 何の未練もなく、この楽園に入った者など、本来いる筈ないのだ。村に帰ろうと、上層部に歯向かった者達の末路のように十樹には思えた。

――どうしたものか

「お休み中のところ、申し訳ありませんでした。どうやら私の勘違いだったようです」

 十樹はジムにそう言ってその場を離れた。
 この手の感情操作を、決して許してはいけない。上層部の横暴をいつまで我慢すればいいのか。

 ふと振り返ると、遠くなったジムが十樹に向かって手を振って見送っていた。

                ☆

「ねぇ、この姉ちゃん、いつまで眠っているの?」

 宇宙科学部の第四研究室では、桂樹と三人の子供達が、妹、亜樹のクローンの話をしている。

「まだ、よく分からないが、亜樹の誕生日に目覚めるよう設定してあるらしい」
「亜樹?」

 子供達が耳慣れない名前を繰り返したその時、研究室の扉が開いた。病院の服を手に持ち、白衣姿に着替えた十樹がそこにいた。

「あっ、お帰りなさーい!」

 第四研究室から手を振るリルを見て、十樹は少なからず動揺した。

「お姉ちゃんの誕生日っていつ? お誕生会しなきゃ」

 リルがはしゃいで十樹に駆け寄って来た。

「桂樹――お前はまともに留守番も出来ないのか?」
「この時期のお子様の好奇心を止められなかっただけだ」

 確かにこの三人を静かに黙らせて、大人しく座らせておくことは不可能だろう。
 最初から鍵をかけ、出掛けていればよかったのだ。
 十樹は自分の認識の甘さを呪った。

「このお姉ちゃん、亜樹ちゃんって言うの? 早く生まれて来ないかなぁ」
「結構、可愛いのな。十五歳って聞いたけど、すげー可愛い」
「ゼン……女の子のことになると目の色が変わるよな」

 桂樹は出来ることなら三人の口を塞ぎたかったが、それは不可能で、指を一本口元に立てて
三人を黙らせた。

「――桂樹!」
「はい?」
「どこまで、この子達に話したんだ……亜樹の事をだ!」

 十樹は怒りに震えながら、桂樹の白衣の襟元を掴み、壁に身体を打ちつけた。
   だんっと大きな音がして、子供達は驚く。

「十樹! 乱暴はやめて!」
「聞いたのは名前と年齢だけです」
「超怖ぇ、兄ちゃん」

 三人が怯えた瞳で十樹を見たので、十樹ははき捨てるように桂樹の白衣を放した。
   桂樹は、ケホっと咳き込む。

「頭を冷やせ! 十樹、お前疲れてるんじゃねーか……」
「疲れてるよ……私は少し休むことにする」

 自分は桂樹の言う通り、疲れているのだろう。桂樹に八つ当たりだといわれても仕方がない。

 ゼンに父親の事をどう話せばいいか。
 対策を考えなければならなかった。

               ☆

 十樹は自室のベッドに崩れるように倒れこんだ。

――……亜樹

 まだ目覚めぬ亜樹の事を思う。
 すると、急に睡魔が襲ってきて、十樹はそのまま眠ってしまった。

 そして、十樹は夢を見る。
 まだ幼かった当時の夢を。そう、それは亜樹がまだ生きていた頃の――
生まれたばかりの。

『十樹、桂樹、貴方達、お兄ちゃんになるのよ。妹を可愛がってあげてね』

 亜樹の小さな手が、十樹の指をきゅっと掴む。

 無垢な瞳で真っ直ぐに十樹を見つめて、あどけない笑顔を見せるのだ。
 記憶に眠る、二人が守ることの出来なかった小さな――


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