森を抜けたらそこは異世界でした

日彩

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第二章

1.幾何学大学

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 コンピュータパネルを忙しく打つ音がする。

 国立幾何学大学の教授、白石十樹しらいしとおじゅは、自らの所属する宇宙科学研究部で、近日中に提出を迫られている論文をまとめていた。
 彼が今いる部屋は、各部屋の機能を統括しているコンピュータールームだ。

その部屋には、テレビやソファ等、必要最低限の家具しか置かれておらず、非常に質素である。だが一つ、その中で圧倒的存在感を放っているものがあった。

それは、天井にまで広がる特殊ガラスに覆われた人工宇宙だ。

 その人工宇宙を創造したのは、十樹が十八歳の時だった。彼は超新星爆発を誘発させ、数年かけて人類を育て上げるという偉業を成し遂げた。若干十八歳で宇宙創造を果たして以来、十樹は他の研究員の中でも天才的頭脳の持ち主として一目おかれている。

 そんな十樹には、一卵性の双子の弟、白石桂樹しらいしけいじゅがいた。桂樹は、忙しい十樹のサポートをしており、この研究室の宇宙の管理を共同で行っている。冷静沈着な十樹と違って、桂樹はやんちゃな性格で、落ち着きがない。十樹と同じグレーの髪にグレーの瞳をしているが、十樹は長い髪を右に白い紐でまとめ、桂樹は左に黒い紐でまとめている。

 今年、白石十樹、桂樹、共に二十歳になった。
 容姿はあまり変わらない彼らであるが、互いの性格の違いから何かと衝突しやすく、あまり仲の良い関係とは言えない。
 しかし、上層部にとっては何かと都合が良いらしく、二人は一緒に扱われることが多い。

幾何学大学に入学した当初、生体医学部に所属していた二人だが、十樹が宇宙創造を果たすと、上層部は宇宙科学部を新設し、二人一緒に生体医学部から移動させてしまったのである。そんな上層部の決定に二人は嫌気がさしていた。

 十樹が論文を書き終えた頃、来訪者を継げるインターフォンのメロディが流れた。この研究室は防犯対策のため、瞳の紋で人物を確認する視紋チェックをしなければ入ることが出来ない。
 研究室の代表者は十樹であり、桂樹は通常インターフォンを鳴らしてこの研究室に入ることになっている。鍵は一つ。視紋照合も一人。この決まりを変えることは簡単だったが、代表者の十樹はそれを許さなかった。

 十樹はインターフォンの相手が桂樹だと分かると、手元のコントロールパネルのボタンを押して研究室の扉を開けた。すると、シュンと音をたてて入り口が開き、桂樹が入って来た。

「何か用か?」
「中等部から、宇宙作成キットが届いたんだ。悪いが、プラネタウンに行って生徒達の研究の採点をしてくれないか?」

 宇宙作成キットというのは、十樹の造り出した、三角錐の形をした、ミニチュア宇宙である。十樹が研究の合間に造り出したものだが、今ではそれが生徒達の課題として扱われている。

「へいへい」

 桂樹は適当な返事をすると、十樹から宇宙作成キット――コスモカプセルを受け取り、プラネタウンへと向かった。

                  ☆

 円形のプラネタリウムのようなドームの中心には、投影機がある。桂樹は、一人一人の宇宙作成キットの基盤となっているカプセルを取り出した。それを、中心にある投影機にセットすると各々が作成した宇宙の星々が映し出される仕組みだ。

 桂樹に任された仕事は、作成した宇宙に存在する生命体や繁栄率等を調べ採点をする。そんな仕事だったのだが。
 桂樹が、ある一つのコスモカプセルを投影機にセットしたその時、事件は起こった。

「うわあああ!」

 宙から、悲鳴ともつかない声が聞こえてきたのだ。

「はああっ!?」

 桂樹はその声に驚き上を見た――途端。
 宙から人が落ちてきたのだ。しかも、一人ではなく三人。
 ドスーンと重く鈍い音がして、桂樹は三人の下敷きになってしまい、そのまま気を失った。

                  ☆

「あっ! リル、このおじさん知ってる」
「知り合いなのか?」
「完全に気絶してんなぁ」

 意識の片隅で、桂樹は声を聞いた。
 どうやら、オレを下敷きにして、三人は助かったようだ。
 しかし、この声は――子供?

「ねぇ、おじさん、起きて起きて!」

 ぺちぺちぺちと連続して頬を叩かれて、桂樹の意識はぼんやりと元に戻った。

――おじさん? 

 どう見ても、オレに対する表現は、お兄さんだろうが。
 桂樹は、子供の発言に不満を覚えつつ、頭を起こした。

「いっててて……」
「あっ起きた! 起きたよ! おじさん大丈夫?」

 桂樹を不愉快な気分にさせながら、明るい声で状態を尋ねてくるのは、髪をツインテールにした、まだ幼い少女だった。
 このプラネタウンに、一般の子供は入れないはずなのに……この研究所の警備システムや大学警察は何をしているんだ?

「お前達、どこから入って来たんだ?」
「扉から!」

 三人は声を合わせて元気に答える。
 元気がいいのは何よりだが。

「このドームの上に扉があるのか?今まで宙から人が降ってくるようなことは一切なかったぞ」
「あ! それは扉に入って歩いている内に、上と下が入れ替わっちゃったの」

 身振り手振りで少女が説明するが、桂樹にはさっぱり分からなかった。すると、少しは賢そうな少年がフォローした。

「つまり、歩いていたら突然、重力が変化したんです」
「そんで気付いたら、真っ逆さまに落ちてたんだって……すげーここ何?」

 キョロキョロと周囲を見ているのは、髪を肩まで伸ばした少年だった。
 宙に浮かんだ星をジャンプして取ろうとしている。

「……」

 こういう時は、どうすればよかったのか。大学の管理局に連絡するか。いやいや、戦場送りになる可能性が、過去の例を見てもある。

「ねぇ、おじさん」

 桂樹が黙々と考え、頭を抱えていると、少女が桂樹の着ている白衣の裾を引っ張った。

「この間、元に戻る方法があるかもしれないって言ってたでしょ?」
「何の話だ?お前達に会うのは、今日が初めてだぞ」
「リルはこの間会ったの! おじさんと!」
「おじさんと呼ぶなっ! おにーさんだ!」

 桂樹はリルと名乗った少女の顔をむにむに……と指で頬を伸ばして言った。

「リルに何するんだ! 離せ!」
 少年の一人が、桂樹の手を振り払って少女を庇う。

「なぁ、リル。本当にこいつに会ったのかよ」
「そうだけど……このおじさん忘れちゃったのかなぁ?」
「怪しい奴に近寄っちゃ駄目だって……」

 桂樹を見ながら、ひそひそと話をしているかと思いきや、突然、三人はその場から走り出した。それを桂樹は、ぱしぱしぱしっと軽く手で服を掴み、制止した。

「こらこら、そう急ぐな」
「離せー!」

 じたばたする子供達を宥めるように桂樹は言う。

「その、リルちゃんとやらが話す人物に心当たりがある。会わせてやるから、大人しく着いて来い」
 桂樹は、白衣を翻してプラネタウンを出た。三人は「大丈夫かなぁ」「怪しい奴」「絶対このおじさん!」だの、好き勝手なことを言いながら着いてくる。

――いつの間にここは保育所になったんだ

 桂樹の問いに答える相手もいないまま、三人を連れてある場所へと向かった。
 確かこの時期は、十樹は第三棟の食堂で少し遅めの昼食を食べているはずだ。

「……」

 桂樹は無駄に記憶力の良い、自分の頭を呪って舌打ちをした。
 最も、十樹の行動を知っていなければ、視紋チェックがある限り、研究室にも戻れない訳だが……。

 こそこそと身を隠すようにしながら、着いて来る三人は、「あれ何?」「何かすげーよ、ここ」と興味の対象を桂樹から、窓の外に見える風景や、大学構内にあるオブジェ等に移していた。

「おいっ! お前等ちゃんとはぐれずに着いて来るんだぞ」

 桂樹が、そう声を掛けた時、三人は別の人物に着いて行こうとしていた。人間違いに気付いた三人は、慌てて桂樹の元へ戻った。

「ちゃんとオレに着いて来いよ。何があるか分からないんだからな!」

 幾何学大学の治安は、あまり良くない。大学の治安を守るために大学警察が巡回してはいるが、あまりの事件の多さに対応が追いていないのだ。

 大学警察の警官は、この幾何学大学の研究員になれるほどの知能を持たずとも、幾何学大学に入ろうと志した学生の集まりであるため、皆十分に世間では「優秀」の部類に属する者達である。
 ただ昨今、一部の大学警察が犯罪者となり大学内で問題となっている。

 そう、自分達も決して無罪ではないのだ。大学の許可なく、研究しているあの件においては。
 桂樹は出来ることなら会いたくない嫌な人物に会ったときに、それを思い出した。

「やあ、久しぶりだね」
「神崎」
「珍しいな、今、ここに君が来るのは」
「どういう意味だ」

 言いながら、桂樹には分かっていた。神崎の後ろに位置しているのは、十樹のいる食堂だ。神崎もまた、十樹の行動を把握している人物であり、二人にとって最大の敵である。

 神崎亨は、生体医学部で一緒に研究をしていた研究員の一人で、黒い髪に紫の瞳、幾何学大学指定の十樹や桂樹と同じ白衣を身に纏い、眼鏡をかけている。

「後ろにいる三人の子供は誰だ?」
「神崎は十樹に用があるんだろう? こいつらは関係ないはずだ」
「今、もう会って来たよ。例の件で――」
「例の件?」
「君も知っていることだ」

 神崎の眼が鋭く光る。桂樹はその誘導に引っ掛かるほど間抜けではない。「何のことだか」と神崎を適当にあしらう。

「ほら、ちび共、来い!」
「ちびじゃねーよ」

 桂樹は、毒づく子供達を不快に思いながらも、その背を押して食堂へ入った。
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